古典文学探訪110 「長恨歌」1 本当は息子の夫人であった楊貴妃を妃にした玄宗皇帝
唐の玄宗皇帝と楊貴妃との悲恋物語をテーマにした長編の漢詩である「長恨歌」を三年の授業で扱いました。なにしろ長いので、冒頭部分から安禄山の乱が起こり、皇帝が都を追われ、その途中で楊貴妃が死に、玄宗皇帝が悲嘆にくれるあたりまでと、道教の修行者が海上の仙山にいる楊貴妃の魂(仙女になっています)に会いに行き、彼女から玄宗皇帝に伝言と思い出の品を託されるという最後の部分を取り上げました。
作者は白居易(白楽天)であり、唐の時代の人ですから、自分の時代の皇帝のことを言うのは具合が悪く、政府批判にもなりかねませんので、漢の皇帝という設定になっています。江戸時代に作られた歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」も、江戸時代のこととして描くのは問題があるというので、室町の南北朝時代に置き換えられ、大石内蔵助も大星由良之助に名前が変えられ、吉良上野介も高師直に変えられています。
漢の皇帝は女性の美しさを重んじて、絶世の美女を探し求めていたというのが、詩の冒頭です。絶世の美女を「傾国」と言っていますが、文字通り国を傾けさせるほどの美女という意味です。しかし、治世の長年の間、美女を求めていたものの、手に入れることができませんでした。この詩には出てきませんが、玄宗皇帝の治世は50年の長きにわたり、前半は「開元の治」と呼ばれる善政を敷いてきました。しかし、56歳の時に楊貴妃を召し出してからは彼女にうつつを抜かして、政治を怠るようになりましたが、そのことについては詩の中でも述べられています。
「長恨歌」では、楊の家に娘がいて、やっと年頃になったばかりであり、奥深い部屋で育てられたため、娘の美しさは世間の人々に知られていなかったと書かれています。いわゆる箱入り娘のお嬢さんという設定であり、天から与えられた生まれつきの美しさをそのまま捨てておくのは難しく(埋もれさせておくはずもなく)、ある日、選ばれて皇帝のおそばに上がったというふうに続きます。
しかし、史実は違います。最初、楊貴妃は玄宗皇帝の息子である寿王の夫人でした。楊貴妃16歳の時でしたが、22歳の時に玄宗皇帝が息子から取り上げて、自分の妃にしてしまいます。玄宗皇帝と楊貴妃とは34歳の年の差があり、年老いて若い娘に溺れたといったらいいでしょうか。
楊貴妃の美しさがいろいろと語られていますが、ひとみをめぐらせてにっこり微笑めば、なまめかしさがあふれ、これには化粧を施した後宮の美女たちも色あせて見えるほどだったと描写されています。華清宮の温泉に入るときの彼女の様子も描かれていますが、白くきめ細かい肌であり、彼女が体を起こす時に侍女に抱えられ、なよなよとしていたとありますし、雲のように豊かで美しい黒髪、花のようにきれいな顔立ちだったという表現もあります。
華清池は私も30年近く前に訪ねたことがあり、楊貴妃が入っていた風呂にも案内してもらいましたが、本当に当時のものなのかどうかは定かではありません。楊貴妃が温泉に浸かった後、皇帝の寵愛を初めて受けるのですが、皇帝の寝台だけあって、とばりは蓮の花の刺繍があり、中は暖かくて、一緒に春の一夜を過ごしたと書かれています。夢のようなひとときであったのでしょうし、皇帝は春の夜の短さを嘆いたとあり、描写が非常に具体的です。
作者は白居易(白楽天)であり、唐の時代の人ですから、自分の時代の皇帝のことを言うのは具合が悪く、政府批判にもなりかねませんので、漢の皇帝という設定になっています。江戸時代に作られた歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」も、江戸時代のこととして描くのは問題があるというので、室町の南北朝時代に置き換えられ、大石内蔵助も大星由良之助に名前が変えられ、吉良上野介も高師直に変えられています。
漢の皇帝は女性の美しさを重んじて、絶世の美女を探し求めていたというのが、詩の冒頭です。絶世の美女を「傾国」と言っていますが、文字通り国を傾けさせるほどの美女という意味です。しかし、治世の長年の間、美女を求めていたものの、手に入れることができませんでした。この詩には出てきませんが、玄宗皇帝の治世は50年の長きにわたり、前半は「開元の治」と呼ばれる善政を敷いてきました。しかし、56歳の時に楊貴妃を召し出してからは彼女にうつつを抜かして、政治を怠るようになりましたが、そのことについては詩の中でも述べられています。
「長恨歌」では、楊の家に娘がいて、やっと年頃になったばかりであり、奥深い部屋で育てられたため、娘の美しさは世間の人々に知られていなかったと書かれています。いわゆる箱入り娘のお嬢さんという設定であり、天から与えられた生まれつきの美しさをそのまま捨てておくのは難しく(埋もれさせておくはずもなく)、ある日、選ばれて皇帝のおそばに上がったというふうに続きます。
しかし、史実は違います。最初、楊貴妃は玄宗皇帝の息子である寿王の夫人でした。楊貴妃16歳の時でしたが、22歳の時に玄宗皇帝が息子から取り上げて、自分の妃にしてしまいます。玄宗皇帝と楊貴妃とは34歳の年の差があり、年老いて若い娘に溺れたといったらいいでしょうか。
楊貴妃の美しさがいろいろと語られていますが、ひとみをめぐらせてにっこり微笑めば、なまめかしさがあふれ、これには化粧を施した後宮の美女たちも色あせて見えるほどだったと描写されています。華清宮の温泉に入るときの彼女の様子も描かれていますが、白くきめ細かい肌であり、彼女が体を起こす時に侍女に抱えられ、なよなよとしていたとありますし、雲のように豊かで美しい黒髪、花のようにきれいな顔立ちだったという表現もあります。
華清池は私も30年近く前に訪ねたことがあり、楊貴妃が入っていた風呂にも案内してもらいましたが、本当に当時のものなのかどうかは定かではありません。楊貴妃が温泉に浸かった後、皇帝の寵愛を初めて受けるのですが、皇帝の寝台だけあって、とばりは蓮の花の刺繍があり、中は暖かくて、一緒に春の一夜を過ごしたと書かれています。夢のようなひとときであったのでしょうし、皇帝は春の夜の短さを嘆いたとあり、描写が非常に具体的です。
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