石田三成の実像636 漫画探訪33  山田芳裕氏「へうげもの」における三成1 眉毛のない堅物

 山田芳裕氏の「へうげもの」は古田織部を主人公にした漫画ですが、その第4巻(4服)まで読み進みました。漫画ですから、奇想天外な内容になるのは致し方ない面がありますし、この物語はフィクションであり、実在の人物、団体とは無関係だということわりが入っており、好感が持てます。大河ドラマも史実を無視している部分が多いのですから、「このドラマはフィクションです。」という但し書きを是非とも入れてほしいものです。
 「へうげもの」では、本能寺の変の首謀者は千利休であり、彼が秀吉にけしかけ、秀吉が明智光秀に実行を迫るという展開になっています。なんと秀吉はあらかじめ備中高松城から舞い戻っており、本能寺には秀吉自身がおり、信長を仕留めるという自由奔放な内容になっています。この漫画は古田織部がどのような数寄者ぶりを見せるか、いかに乱世を生きていったかを描くものですが、ふんだんな茶道具も小道具として使われており、武将たちがそれらの茶道具とどう関わってくるのかも見どころであり、茶道具などのリアルな絵の描写も見飽きません。
 さて、石田三成も第3巻(3服)から登場していますが、あまりいい描き方ではありません。まず三成の顔に眉毛がなく、能面のような表情で、冷徹な印象を受けます。しゃべっている内容も杓子定規であり、融通が利かない人物として描かれています。しかし、これは今までの三成に対する紋切り型の見方を踏襲したものであり、作者もその線に従って描いているものと思われます。
 この「へうげもの」で三成がまず登場するのは、小牧・長久手の合戦の際の、伊勢における羽柴本陣においてです。古田左介(織部)が敵兵の数を1万5000人と秀吉が報告したのに対して、三成が実際は1万6000人だと訂正し、殿にご意見する時は正確な数でなくては困ると釘をさします。
 古田が秀吉に呼ばれたのは織田信雄とは和睦できそうなことを家康に伝えに行かせ、家康の戦闘意欲をそぐためでしたが、ここでも三成は家康をつけ上がらせることになるから、頑として退かぬ態度を取るべきではないかと秀吉に進言します。それに対して、秀吉は三成のような堅物に任すと家康も余計意地になるだけだから、古田をわざわざ呼んだのであり、古田の「ひょうげ殺法」で家康を退かせてこいと命じます。頭の堅い三成と、柔らかい古田とが、対照的に捉えられているわけです。
 次に登場するのは天正13(1585)年8月であり、舞台は大坂城です。三成は千利休(宗易)の茶を見て、貴人をもてなす台子手前を省略しているように見受けられたと批判的なことを秀長に言っています(利休切腹事件三成関与説への伏線なのでしょうか)。帝をもてなす茶会を取り仕切る天下一の茶頭を選ぶに際しての言葉であり、帝を前にしてあの点前はいかがなものかと三成が言うのに対して、秀長は茶の湯は形式をなぞらばよいというものではないと答え、秀吉は三成に対して、宗易に茶を習ったらどうか、その堅い頭も少しはほぐれるぞと言う始末です。
 

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