石田三成の実像658 漫画探訪40  山田芳裕氏「へうげもの」における三成7 山上宗二事件に関与?

  山田芳裕氏「へうげもの」においても、大河ドラマ「江」と同様、三成が千利休切腹事件に大きく関わっていたという描き方をされています。まず方広寺に利休がサイコロ型の巨大な数奇屋を作り、それを見た三成が大仏殿より目立つ建物を作るとは無礼千万であり、いずれ天罰が下る日が来るだろうと言い放ちます。この場面で三成の利休切腹事件への関与を予感させます。利休の数奇屋が問題視されたというのは、作者のフィクションでしょう。方広寺大仏殿は大坂城より規模が大きかったものの、まだ完成していませんでしたから、利休の数奇屋の斬新さが人の目を引いたということは考えられないではありません。
 「へうげもの」では、古田織部がこの利休の数奇屋に圧倒され、もはや削ぐまでもないまで簡素化し、箔など要らぬとばかりに安手に仕上げた妙のすごさにやられたと思うものの、自分も負けてはおられぬと闘志を燃やす展開になっています。
 方広寺大仏殿の基礎工事が始まったのは天正16年(1588年)5月のことですが、北条攻めなどで工期が遅れ、工期短縮のため、天正19年になって、仏像を金銅鋳造から木像に変更されました。文禄4年(1595年)に完成しましたが、その翌年、伏見の大地震によって、大仏殿を残し、大仏は崩壊してしまいました。方広寺に利休が数奇屋を建てたのは、「へうげもの」では天正18年1月に設定されています。
 「へうげもの」では北条攻めの際、駿河の長久保城で、秀吉が利休の作った方広寺の数奇屋を気に入ったと褒め、関東の者たちに数寄の格差を見せつけてやれと言いますが、平伏する利休に三成の鋭い視線が注がれていました。さらにその後の場面で、「利休を図に乗せてはいけませんぞ、殿下」と心でつぶやく三成の姿が示されています。北条が世を乱す元凶ならば、わび数寄者は豊臣がまつりごとを乱す元凶であり、それを滅するのが三成の務めだともつぶやいています。このつぶやきは三成が手に入れた山上宗二の書いた帳面を見ながらであり、これが後の山上宗二惨殺事件の場面に結びつくという展開です。
 「へうげもの」では、三成は北条氏に庇護されていた山上宗二を早雲寺にいる秀吉のもとに連れてきて、山上宗二が帳面に書いていた内容を読み上げ、それで山上宗二を糾弾していました。秀吉所有の名品を蔑み、利休の持つものを褒め称えているのが町人にはあるまじき振る舞いであるという理屈ですが、三成はこの帳面を小田原からの荷や便り一切を検分したところ、行商の中から発見したと言っていました。このあたり、いかにも出来過ぎの感があり、現実的ではない気がします。秀吉は自分の出で立ちをどう思うかと宗二に訊ねますが、宗二は「当世にはふさわしうないお召し物にて」と自分の信を曲げずに思ったことをそのまま答えてしまったために、秀吉が殺害命令を下します。利休が宗二を許してほしいと秀吉に頼んでいたため、秀吉が宗二を試そうとして、そう問いかけたのですが、宗二は自分の意思を貫いたという捉え方です。
 宗二が惨殺されたのは4月11日であり、この時、三成は秀吉のそばにいたのは確かですが、この事件にまで三成を関与させていることに問題を感じました。

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