石田三成の実像662 大河ドラマ探訪57 「江」第25回「愛の嵐」1 三成の一言が朝鮮攻めを促す?

 大河ドラマ「江」第25回「愛の嵐」における三成の描き方はますます悪くなっています。千利休の命を救おうと秀吉のところに駆けつけてきた江に向かって、三成が利休の罪状を述べていましたが、利休切腹事件を仕組んだのはいかにも三成だと言わんばかりでした。ドラマでは江が駆けつけたのは、利休が堺から京に戻された時のこととしていますから、2月26日のことです。何度も申しているように、三成は2月5日に博多の神屋宗湛の茶会に出席しており、利休切腹前後は京に不在だったはずです。しかし、ドラマでは上杉勢に利休屋敷を取り囲ませていると、自分が手配したという描き方でした。
 この後、江は秀勝と共に、利休の命を救わんがため利休に秀吉の前で頭を下げさせる(その知恵を授けたのは秀次になっており、ここのあたりの秀次の描き方は悪くありません)べく、利休屋敷に炭屋に化けて入り込み(「天地人」の再現のように、愛の前立をつけた直江兼続の姿が一瞬、画面に登場しますが、これもお愛嬌でしょうか)、利休と面会しますが、利休は人間には死に時というものがあると、応じません。そして、江に最後の茶を振る舞い、自分の意志を受け継ぐ者が江であることを明らかにしますが、相変わらず史実を無視して主人公が特別扱いされることに問題を感じずにはいられません。
 おまけに、 利休切腹の後、江が秀吉に抗議に行く場面まで用意され、秀吉は利休の死を嘆き悲しんでおり、江になぜ止めてくれなかったと逆に言い返していました。秀吉は江がひそかに利休のもとを訪ねたことを知っており、三成がそのことを掴んで秀吉に報告していたことが示されています。善意で考えれば、三成も江の説得に期待をかけていたと取れないことはありませんが、知っていたにもかかわらず、自分からは何もしなかった三成が非難されているような印象を受けました。むろん、このあたりも全くの創作であり、そもそも江と利休との特別な関係自体、史実的な裏づけのあることではありません。
 鶴松がわずか3歳で亡くなった(天正19年8月5日没)あと、秀吉は少しおかしくなったという描き方ですが、ここでもまた三成は要らぬ口をさしはさんでしまうという展開ですから、うんざりさせられます。鶴松が死んだのは利休を切腹させたためかと秀吉が三成が問い詰めます(秀長が死んだのも鶴松が病気になったのも利休の無礼な振る舞いのせいだと三成が言っていたことを受けてのことですが)が、三成は「お気持ちはお察しいたしますが、今は世に目を向けてください、朝鮮使節国からの返答もいまだ届いていません」と言ったために、秀吉は朝鮮に兵を進めることを思いつくという展開でした。三成は「は?」と聞き返し、攻めることまでは考えていなかったという捉え方ですが、自分の言ったことが重大な事態を招くというところは、北ノ庄落城直前のお市と三成の対面の場面でも同様でした。秀次は秀吉を止めようと声をかけますが、秀吉は聞く耳を持たず、三成は九州に城を築けという秀吉の命令にそのまま従ってしまいますから、こういう描き方に疑問を持ちます。三成は朝鮮に侵攻することには反対の立場だったことを明確に示してほしかったところです。
 

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