大河ドラマ探訪101 「歴史秘話ヒストリア 戦国悪女伝説」4 家康と淀殿の巨大公共事業合戦

 「歴史秘話ヒストリア 戦国悪女伝説」では、関ヶ原の戦いの後における家康と淀殿の京都などにおける巨大公共事業合戦ということも取り上げられていましたが、家康の方は二条城などの城造り(番組では篠山城、彦根城、名古屋城の築城も取り上げられていましたが、いわゆる大坂包囲網の形成です。拙ブログでも触れように、本多隆成氏の「定本 徳川家康」では他の城も出ていますし、大河ドラマ「江」でも大坂包囲網のことは描かれていました)であり、淀殿は寺社の再建ですから、内容が大きく違います。
 むろん、番組では淀殿は朝廷との結びつきが深い寺社などを建て直して支持を広げ、将来秀頼が関白になる計画を立てていたと解釈していましたから、そういう意味では、政治的な行為でもあったというわけです。この点について番組の中で北川 央氏は、淀殿と秀頼は国家の安全や天下の太平を祈祷する寺社の復興をしており、非常に大きな豊臣家の立場を世間にアピールする重要な事業であり施策だったと述べておられます。
 寺社の再建は豊臣家に大金を使わせようとする家康の魂胆だったとする見方がありますが、福田千鶴氏は「淀殿」の中で、淀殿の寺社に対する篤信に支えられてのことであり、「おふくろ様」の権力の存在(北政所が出家を決意し高台院と称したのは慶長8年であり、それ以降は淀殿が秀頼を単独で後見することになったとしておられます。もっとも、高台院がその後も隠然たる力を持っていたことは、跡部信氏の論考などからもよくうかがえますが)が事業を推進する根源的な力であったと述べておられます。
 番組で淀殿が造営した寺社として取り上げられていたのは、北野天満宮の本殿、東寺の金堂、醍醐寺、真如堂、京都以外では出雲大社、法隆寺、善光寺などであり、淀殿は全国で100以上の寺社の再建に関わり、今日の京都の美しい町の誕生には、淀殿が大きく関わっていたとの指摘もなされていました。
 京都の修復を進める淀殿がもっとも力を入れていたのが、秀吉を神として祭る豊国神社の建設であり、淀殿が作った当時は30万坪(東京ドーム21個分の広さ)あったと番組では述べられていました。淀殿はその中心にシンボルとなる方広寺大仏殿を作り、その中に金でおおわれた高さ19メートルの、奈良の大仏を凌ぐ大仏を据え、豊臣家がこの世の支配者であることを示そうとしたものだと考えられると紹介されていました。
 しかし、こういう捉え方は二つの点で問題があると云えます。一つはそもそも最初に大仏と大仏殿を作ったのは秀吉だということが示されていないことと、もう一つは復興が徳川家の勧めによって始まった(再復興の時のことであり、淀殿が復興した大仏と大仏殿は慶長7年の火災によって焼失しました)という点から考えると、豊臣家がこの世の支配者であることを示すための大仏鋳造であれば、それを徳川家が言い出すはずはないということです。むろん、秀吉が建立した時には豊臣政権の威光を示すシンボル的な意味合いが強かったのでしょうが、その大仏は文禄4年に完成したものの、翌年の大地震で壊れてしまいました。
 

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