石田三成の実像787  三池純正氏「義に生きたもう一人の武将」3・「堂々日本史 裏切りの戦場心理」

 オンライン三成会「三成伝説」の「美濃・関ヶ原」の章で、松尾山の小早川秀秋が大谷吉継に襲いかかったのに対して、寝返りを予想していた大谷隊は「防御の態勢を整え、小早川隊を押し返すものの」、「脇坂安治たち4隊も裏切るに及んで、大勢は決し」たと通説通りのことを書かせていたただきました。
 しかし、小早川の動きに続いて脇坂たちの動きが起こったことについて、三池純正氏「義に生きたもう一人の武将 石田三成」の中では、事前に彼らの間に「事前に寝返りの打ち合わせがなされていたと考えざるをえない」と書かれています。松尾山の小早川隊が山を降りて襲いかかってきたら、まず目の前にいる「脇坂らが最初の餌食になるはず」であり、「脇坂らもそれに応戦するはず」なのに、そうなっていないのは、「両者の間に何らかの秩序がなければとてもできるものではない」とも指摘されています。
 大谷吉継が小早川に備えて警戒していたことを示すものとして、「松尾山方面に対して大きな空堀が構築されていた」事実が、「義に生きたもう一人の武将」に書かれています。しかし、大谷にとって予想できなかったことは、「本来は小早川軍を防ぐ役目を担っていた脇坂・赤座の軍が、突然掌を返して大谷軍に攻めかかってきたことである」とあります。
 小早川隊が動くきっかけとなった、家康による松尾山への対する威嚇射撃ですが、三池氏は「威嚇射撃というより、西軍を攻めるための合図だったように思われる」と述べておられます。家康が松尾山山頂に鉄砲を撃ちかけたとしても、「何の効果もなかったことだろう」し、松尾山の「山麓に向かって鉄砲を撃たせた」と推測されています。
 家康が松尾山へ威嚇射撃したことについて、かつてのNHKの番組「堂々日本史 シリーズ関ヶ原(2) 小早川秀秋 裏切りの戦場心理」で興味深い実験がされていました。関ヶ原の戦いの音が鳴り響く中で、家康が放ったとされる10発の銃声が、山頂にいる小早川秀秋にどれだけのものとして聞こえたかという実験であり、それによると、小さい音にしか聞こえないという結果が出ていました。
 しかし、そういう、戦場の喧騒が聞こえる中で、人間がどれだけ正常な心理を保てるかという実験も同時にされていました。その音を常時聞いている中で、被験者に計算問題をできるだけ早く解かせるというものですが、2時間が経過した時点で、データに変化が生じ、被験者の血圧が高くなったまま下がらなくなり、これが3・4時間経過すると、計算するのが苦痛になり、考えられないミスをするようになっていました。
 こういう結果から、極度な緊張状態を強いられる中で、小早川は家康の威嚇射撃に過敏に反応した(たとえ、それが小さな音だとしても)のではないかと推測されていました。その番組では戦いたくなくて松尾山に入った小早川が、戦いの音の洪水と威嚇射撃の結果、緊張の限界に達して、軍を動かしたという捉え方でした。

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