大河ドラマ探訪259「軍師官兵衛」60 宇都宮(城井)鎮房と黒田長政が戦った岩丸山合戦(峰合戦)
写真は姫路城を9月5日に撮ったものです。写真の真ん中に小さく写っているのが、平成の修理中の姫路城です。写真に向かって右側にクレーンが見えますが、天守閣ははっきり見えます。道路を渡れば、もう少し大きな姫路城を見ることができましたが、家族共に荷物を抱えていましたし、天守閣はまだ公開されていないし、岡山の帰りに少し寄っただけということもあり、天守閣は来年じっくり見学することにしました。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で描かれていた、宇都宮(城井)鎮房と黒田長政が戦った、いわゆる岩丸山合戦(峰合戦)については、一次史料が残っていないようで、詳細については実際のところはよくわかっていません。
大河ドラマでは、黒田長政たちが罠にかかっていたように描かれていましたが、拙ブログで先述したように、「城井闘諍記」などに基づくものであると思われ、「黒田家譜」では次のように書かれていることが、則松弘明氏の「黒田官兵衛の豊前入国と一揆」(小和田哲男氏監修「黒田官兵衛」【宮帯出版社】所収)に記されています。
すなわち、黒田軍は「城井が居城の下、寒田の上まで押し寄せた」が、「後藤又兵衛などは城を見て『聞きしにまさる要害であるから、今日のところは静かに人数を引き上げ、後日に手立てした方がよい』と、長政を諌めた」ところ、長政は同意し、旗奉行にそう命じたところ、「旗奉行は『今旗を引けば、敵は高所より突きおろしてくる。低い場所にいる味方は防ぎきれずに敗軍するは必定』と反対した。結局長政が退却したのちに旗を引いたところ、敵が大勢で攻撃してきて、黒田軍の先手が壊滅した」、「敵の勢いがあまりに強く、長政に危機が迫った」ものの、長政は「『先手敗軍せしこと遺恨至極なり。引き返して勝負を決すべし』と、なおも馬を敵の方をむけようとした」が、「黒田三左衛門が馬の口に取りついて」「しきりに諫め」たため、「長政は馬ケ岳に帰城した」などと。
「黒田家譜」には、長政が後藤又兵衛の状況判断を受け入れたものの、旗奉行が反対したことが記されており、それが被害を多くしたような描き方がされています。長政に好意的な描写がされているところは、黒田家に都合のよいことが記されがちな「黒田家譜」ならではのものと言えないことはありません。
もっとも、この敗戦について、則松氏の同書には、「『今日先手敗軍し、そのうえ要害よければ、力及ばず引き退きし事を、長政一生の間、本意なく思ひ、独言(ひとりごと)にも発したまふ』と、『黒田家譜』が証言する」とあり、「黒田家譜」では、長政が反省し、戒めにしていることも記されています。
大河ドラマでは、安国寺恵瓊が黒田家と宇都宮鎮房の仲裁をし、和睦を整えていましたが、実際、その通りで、則松氏の同書には、「この仲裁は秀吉の承認を受けたもので、小早川隆景が黒田孝高にあてた書状によれば、中国勢が官兵衛の意向をまとめ、安国寺恵瓊が伝達・折衝したようである」と記されています。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で描かれていた、宇都宮(城井)鎮房と黒田長政が戦った、いわゆる岩丸山合戦(峰合戦)については、一次史料が残っていないようで、詳細については実際のところはよくわかっていません。
大河ドラマでは、黒田長政たちが罠にかかっていたように描かれていましたが、拙ブログで先述したように、「城井闘諍記」などに基づくものであると思われ、「黒田家譜」では次のように書かれていることが、則松弘明氏の「黒田官兵衛の豊前入国と一揆」(小和田哲男氏監修「黒田官兵衛」【宮帯出版社】所収)に記されています。
すなわち、黒田軍は「城井が居城の下、寒田の上まで押し寄せた」が、「後藤又兵衛などは城を見て『聞きしにまさる要害であるから、今日のところは静かに人数を引き上げ、後日に手立てした方がよい』と、長政を諌めた」ところ、長政は同意し、旗奉行にそう命じたところ、「旗奉行は『今旗を引けば、敵は高所より突きおろしてくる。低い場所にいる味方は防ぎきれずに敗軍するは必定』と反対した。結局長政が退却したのちに旗を引いたところ、敵が大勢で攻撃してきて、黒田軍の先手が壊滅した」、「敵の勢いがあまりに強く、長政に危機が迫った」ものの、長政は「『先手敗軍せしこと遺恨至極なり。引き返して勝負を決すべし』と、なおも馬を敵の方をむけようとした」が、「黒田三左衛門が馬の口に取りついて」「しきりに諫め」たため、「長政は馬ケ岳に帰城した」などと。
「黒田家譜」には、長政が後藤又兵衛の状況判断を受け入れたものの、旗奉行が反対したことが記されており、それが被害を多くしたような描き方がされています。長政に好意的な描写がされているところは、黒田家に都合のよいことが記されがちな「黒田家譜」ならではのものと言えないことはありません。
もっとも、この敗戦について、則松氏の同書には、「『今日先手敗軍し、そのうえ要害よければ、力及ばず引き退きし事を、長政一生の間、本意なく思ひ、独言(ひとりごと)にも発したまふ』と、『黒田家譜』が証言する」とあり、「黒田家譜」では、長政が反省し、戒めにしていることも記されています。
大河ドラマでは、安国寺恵瓊が黒田家と宇都宮鎮房の仲裁をし、和睦を整えていましたが、実際、その通りで、則松氏の同書には、「この仲裁は秀吉の承認を受けたもので、小早川隆景が黒田孝高にあてた書状によれば、中国勢が官兵衛の意向をまとめ、安国寺恵瓊が伝達・折衝したようである」と記されています。
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