大河ドラマ探訪291「軍師官兵衛」91 石田三成の実像1331 上杉と三成の密約をめぐって

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 写真は琵琶湖一周のろし駅伝の際に、佐和山の姿を撮ったものです。木々がところどころ紅葉しています。踏切をわたって写真に向かって右側に東山運動公園(2007年に佐和山一夜城復元プロジェクトが行われた場所)があり、左側に嶋左近の屋敷跡と伝わる清凉寺、佐和山への登り口がある龍潭寺があります。大河ドラマ「軍師官兵衛」の「官兵衛紀行」でも佐和山の映像が流れていました。
 昨日の拙ブログ記事で述べたように、大河ドラマでは官兵衛が佐和山で隠居している三成を訪ねる場面がありましたが、むろん、そういう事実は確認できず、ドラマ的な脚色だと思われます。もっとも、そうでなかったという史料も残っていませんから、このあたりはドラマの描き方としておかしいとは云えませんが。
 大河ドラマでは、三成と上杉との間に家康を挟撃する密約があったかのような描き方がされていましたが、実際、両者の密約を証すような史料が残っていないこともあって、密約があったかどうかということについては、研究者や小説家の間でも見解が分かれています。
 もっとも、大河ドラマでは慶長4年の段階で、官兵衛は三成を訪ねているという設定ですが、この時点で家康や官兵衛がその作戦を知っていたというのは、時期としてもいささか早すぎる気がします。
 上杉の動向などについて、本多隆成氏の「定本 徳川家康」(吉川弘文館)には、慶長「5年2月頃から、会津の上杉景勝をめぐって不穏な風雲が流れるようになった。越後から転封して間もない景勝は、新領国の経営を精力的に進め、諸城の修築・新築を行い、兵粮を蓄え、大量の武器を調達した。これらの行動が上杉氏の転封後に越後に入った堀氏などから家康に報告され、謀反の疑いがかけられたのである」と記されています。これを受けて家康が上杉氏に使者を派遣したのは3月10日のことです。
 慶長4年に家康は五大老の前田利長、上杉景勝を相次いで帰国させ、その結果、前田利長が謀反の疑いをかけられますから、上杉景勝も同じ憂き目にあったと云えます。三成は前田攻めをしようとしたの際は家康の意向に添い出兵していますから、上杉攻めの際も三成が同じ行動に出ると家康は考えた可能性が高いのではないでしょうか。
 もっとも、家康は三成の動きを警戒していたことも考えられないではありません。しかし、あくまで家康は大老として豊臣公儀を標榜していましたから、三成が挙兵するとはよもや思っていなかったのかもしれません。
 家康が三成の挙兵を江戸城で知った場面が大河ドラマでありましたが、三成と吉継の挙兵を知らせる増田長盛の書状が家康のもとに届いたのは7月19日のことです。

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