大阪探訪127 ドラマ探訪35「あさが来た」10 日本基督教団大阪教会・成瀬仁蔵の「女子教育」に感銘
写真は土佐堀にある「日本基督教団 大阪教会」を撮ったものです。大同生命保険会社発行の「広岡浅子ゆかりマップ」にも掲載されていますが、次のように解説されています。
「1911(明治44)年に、浅子が洗礼を受けたプロテスタントの教会。1922(大正11)年にヴォーリズ設計による教会堂が竣工しています」と。
拙ブログ記事で述べたように、「梅花女学校発祥の地」碑の解説文の中に、「成瀬の影響から浅子はキリスト教の洗礼を受けています」と記されています。
朝ドラ「あさが来た」で、あさがキリスト教の洗礼を受けるという描き方がされるのかどうかは、私はつかんでいませんが。
「あさが来た」では、成瀬仁蔵のモデルである成澤泉が、最初、加野銀行の行員たちから「ワカメがふやけたみたいな汚れのしみついた着物を着て、女の働き手だけをじっと見ている客」として要注意人物扱いされていました。成瀬の風采については、産経新聞に連載された「九転十起の女 広岡浅子伝」の中で、成瀬が浅子に会ってから一ヶ月程経った頃、成瀬が伊藤博文に会った時の様子が記されています。
すなわち、「味噌漬みたいな汚い着物を着」「貧書生上りの青二歳の学校の先生、まことに小僧みたいなものだった」と。
ドラマでは、成澤があさに「女子の教員に関心がおありですか」「私は日本で初めての女子の大学校を作りたい」「是非あなたにその設立にご賛同いただきたい」と熱く語るものの、それを拒んだあさに自分の書いた女子教育の本を渡し、あさは家でその本を読んで感動し涙を流すという展開になっていました。
実際のところはどうであったのか、「九転十起の女 広岡浅子伝」の中で次のように記されています。
浅子は「その日は熱く理想を語る成瀬の言葉を聞いただけで別れている。そのまま筑豊の潤野炭鉱に赴き、そこで成瀬が置いていった著書『女子教育』に目を通した」と。
さらに、この時の感動を浅子自身が明治36年、日本女子大学校「学報」第1号に書いた内容も紹介されています。
「繰り返し読みましたことが三回。先生の主義について御熱心なることは自ら其書の上に顕れて居って、私は之を読んで感涙止まなかった位でした。そこで私はこの人こそ真に女子教育を托すべき人、又自分の希望する女子を養成することの出来る方と信じました」と。
細かい所は異なるものの、ドラマは史実をある程度踏まえて作られていることがわかります。
「1911(明治44)年に、浅子が洗礼を受けたプロテスタントの教会。1922(大正11)年にヴォーリズ設計による教会堂が竣工しています」と。
拙ブログ記事で述べたように、「梅花女学校発祥の地」碑の解説文の中に、「成瀬の影響から浅子はキリスト教の洗礼を受けています」と記されています。
朝ドラ「あさが来た」で、あさがキリスト教の洗礼を受けるという描き方がされるのかどうかは、私はつかんでいませんが。
「あさが来た」では、成瀬仁蔵のモデルである成澤泉が、最初、加野銀行の行員たちから「ワカメがふやけたみたいな汚れのしみついた着物を着て、女の働き手だけをじっと見ている客」として要注意人物扱いされていました。成瀬の風采については、産経新聞に連載された「九転十起の女 広岡浅子伝」の中で、成瀬が浅子に会ってから一ヶ月程経った頃、成瀬が伊藤博文に会った時の様子が記されています。
すなわち、「味噌漬みたいな汚い着物を着」「貧書生上りの青二歳の学校の先生、まことに小僧みたいなものだった」と。
ドラマでは、成澤があさに「女子の教員に関心がおありですか」「私は日本で初めての女子の大学校を作りたい」「是非あなたにその設立にご賛同いただきたい」と熱く語るものの、それを拒んだあさに自分の書いた女子教育の本を渡し、あさは家でその本を読んで感動し涙を流すという展開になっていました。
実際のところはどうであったのか、「九転十起の女 広岡浅子伝」の中で次のように記されています。
浅子は「その日は熱く理想を語る成瀬の言葉を聞いただけで別れている。そのまま筑豊の潤野炭鉱に赴き、そこで成瀬が置いていった著書『女子教育』に目を通した」と。
さらに、この時の感動を浅子自身が明治36年、日本女子大学校「学報」第1号に書いた内容も紹介されています。
「繰り返し読みましたことが三回。先生の主義について御熱心なることは自ら其書の上に顕れて居って、私は之を読んで感涙止まなかった位でした。そこで私はこの人こそ真に女子教育を托すべき人、又自分の希望する女子を養成することの出来る方と信じました」と。
細かい所は異なるものの、ドラマは史実をある程度踏まえて作られていることがわかります。
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