石田三成の実像2950 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正9年の明智光秀方による山家城攻めに、明智方の一員として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述について次のように解説されています。  「丹波国天田郡(何鹿【いかるが】郡ヵ)の山家【やま…
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奈良探訪 大正時代に美術商が建築した奈良町にぎわいの家・昼食は「ならやま茶館」の薬膳料理

 奈良町にぎわいの家は、大正時代に美術商が建築した町家で、京町家と同じく、一階はかなり奥行きがありました。いろいろなところにこだわりがあり、それぞれ凝っていて、仏間も広く、天井に絵も描かれている豪華な作りでした。  加藤史江さんの作品は床の間や渡り廊下にも展示されていて、町屋の雰囲気に見事に調和していました。伝統的な物と斬新な物とが融…
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石田三成の実像2949 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」44 慶長3年1月21日付の蜂須…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月21日付の蜂須賀家政宛徳川秀忠書状が掲載されており、次のように解説されています。  「蔚山城の戦いの終結後、徳川秀忠から家政に送られた書状。救援軍として合戦…
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奈良町にぎわいの家での、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」・大阪府立住吉高校の自由な校風・初めて3年間担任した38…

10月に奈良町にぎわいの家で開かれていた、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」を見に行きました。大阪府立住吉高校の38期生ですが、最近、巻雲短歌会に再入会され、個展の案内をいただきました。現代アートの世界で活躍し、各地で個展を開かれています。二階の二間を使い、手前の部屋には川が流れているように見えていますが、よく見ると小さな舟の造形物が…
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石田三成の実像2948 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」2 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、福島正則が7月19日に西上したとする白峰氏の説に関する議論…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策7 ⼤阪中央環状線の道路の信号から鴻池新⽥駅までは⼀本道・最初の担任は…

 ⼤阪中央環状線の道路の信号のところから鴻池新⽥駅までは⼀本道で、上にJR⽚町線(学研都市線)が⾛っています。道沿いに大阪府立城東⼯科⾼校(当時は城東工業高校)があるのは、当時も今も変わりません。鴻池新⽥駅は当時と⽐べて随分開けたところになっていました。⼟曜⽇の昼までの授業が終わった帰りに、よく寄っていたハンバーグの店はなくなっていまし…
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石田三成の実像2947 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」44 慶長3年1月4日付の蜂須賀…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月4日付の蜂須賀家政等一五名連署法度が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長3年(1598)正月4日、蔚山城の救援に集結した日本勢が、明軍・朝…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策6 今も変わらぬ中央環状線の信号・密かに進めた教職員組合作り

 茨田高校の周辺を散策して、鴻池新田駅へ向かいましたが、田んぼはなくなっていたものの、寝屋川を越えて大阪中央環状線の広い道路を渡らねばならないのは、当時と一緒でした。二つ信号があって、走って一気に渡らねばなりませんでした。ゆっくり歩いていると、次の信号でひっかかり、青に変わるまで三分ほど待たねばならないからです。その状況は、今も変わって…
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石田三成の実像2946 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正7年に明智光秀方になった村の上にある城への攻撃に加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述について次のように解説されています…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策5 白内障でみんなに迷惑をかけた3年間・「安田」近辺でよく通っていた飲…

 茨田高校に勤務していた6年間のうち、3年間は白内障を患っていたため、その間はみんなに迷惑をかけ、あまり学校に貢献できなかったのを今でも申し訳なく思っています。答案の字が読めず、採点の丸付けを教科の先生方に手伝ってもらいましたし、教科書の字もよく読めなかったため、現代国語の授業は持てず、古典の授業ばかりを担当させてもらいました。古典なら…
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石田三成の実像2945 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」43 蔚山城の戦いを描いた「朝鮮…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、明治19年に描かれた「朝鮮軍陣図屏風」が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長2年(1597)12月22日、加藤清正の指揮で築城が進められていた慶尚道蔚山城に、明軍…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策4  当時は田園地帯だった地に立つ大阪市立茨田小学校・若い教員同士の交流

 大阪府立茨田高校の南に、今は大阪市立茨田小学校が建っていますが、私が勤務していた時は、そのあたりは田園地帯でした。もっとも、今も鴻池新田駅からの通学路になっていますが。茨田小学校は1998年に開設されただけに、校舎も新しく瀟洒なたたずまいでした。  茨田高校に勤務したのは六年間でしたが、教員としていろいろと学ばせてもらいました。若い…
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受贈御礼 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」1 石田三成の実像…

 高橋陽介氏よりご論考「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」をご恵贈いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。このご論考は、以前お贈りいただき、拙ブログでも紹介させていただいた書評報告を再構築して書かれたもので、織豊期研究会発行の「織豊期研究 第22号」に掲載されています。  慶長5年(16…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策3 赴任前の教科の打ち合わせと入試の手伝い・当時はなかった南側の通用門

 大阪府立茨田高校に赴任したのは1976年のことですが、3月8日に国語科の打ち合わせがあり、国語科の先生方と初めて顔合わせしました。総勢は八名であり、前年から勤めているのは四人で、しかも新しく入った四人は私も含めていずれも新卒でした。教員の平均年齢は二十代でしたが、当時、新設校はどこも似たような年齢構成だったのではないでしょうか。  …
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石田三成の実像2943 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正6年から7年の間と比定される明智光秀方の金山(きんざん)城攻めに加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述について次のように…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策2 創立二年目に赴任・内々の通知が校長からあったのは1月9日・正式の内…

 大阪府立茨田高校のたたずまいはあまり変わっていませんでした。校舎の外装は私が勤務していた時と違っていましたが。一番変わっていたのは周囲の景色です。学校の周囲は四十年前は田畑が多かったのですが、今は住宅などが建ち並んでいて、田畑は見当たらず、隔世の感がありました。正門に行く道も、両側に住宅がずらりと建っていて、その奥に校舎が見えるという…
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石田三成の実像2942 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」22 本間宏氏「上杉景勝の戦い」2 会津転封をめぐっ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長3年1月10日、上杉景勝が会津に転封になったことについて、さらに次のような見解も示されています。  「一方、景勝に従ってきた在来の国衆たちは、会津移封によって先祖伝来の土地から切り離され、新たな知行地を景勝から拝領することとなった。これにより景…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策1 徳庵駅から四十年ぶりに歩く 商店街や寝屋川に架かる橋に当時をしのぶ

教員時代、最初の勤務校であった大阪府立茨田高校の周辺をほぼ四十年ぶりに歩き回ってきました(創立十周年記念の時に一度訪ねたことはありますが)。校内も見てみたかったところですが、コロナ禍のもとでは、仕方ありません。茨田高校へ行くには三つのコースがあります。高校に一番近いのは、バス停の「安田」というところで、そこから歩いて五分程で行けますが、…
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石田三成の実像2941 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」21 本間宏氏「上杉景勝の戦い」1 会津転封をめぐっ…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長3年1月10日、上杉景勝が会津に転封になったことについて、まず次のように解説されています。  「豊臣政権が景勝に期待したものは関東と奥羽の安寧であり、具体的には徳川氏と伊達氏、最上氏を牽制する役割であったと考えられる」と。  この見解は、妥…
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京都探訪323 藤原時平の陵墓と言われている宇治陵35号・宇治よりも周辺地域の生産量が多い宇治茶

  歩いて十分余りの御蔵山商店街の肉屋さんまで、週末限定で特価で販売されている牛肉と豚肉のセットを買いに行くことが時々あります。またJR六地蔵駅や京阪六地蔵駅へ歩いて行く場合も、商店街の中を経由して行くことが少なくありません。その道の途中に宇治陵の一つである35号陵墓があります。住宅街の中なので、見逃しやすいところにあるのですが。  …
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