テーマ:古典文学

古典文学探訪155 池田弥三郎「光源氏の一生」2 山本淳子氏の講演「『源氏物語』の真実」5

 池田弥三郎氏の「光源氏の一生」には、拙ブログ記事で前述したように、幻術士の意味を表す「まぼろし」の語が、光源氏が紫の上をしのんで詠んだ歌と、最初の方にある、桐壺帝が亡き桐壷の更衣をしのんで詠んだ歌にともに用いられており、両者が対応していることが記されています。  桐壷帝が詠んだ歌は、「尋ね行くまぼろしもがも つてにても魂(たま)のあ…
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古典文学探訪158  池田弥三郎氏「光源氏の一生」1 「まぼろし」とは幻術士 

 家にある本の整理のため、昔買った本を少しずつ読み直していますが、池田弥三郎氏の「光源氏の一生」(講談社現代新書)も最近再読しました。  6月に行われた山本淳子氏の講演「源氏物語の真実」の内容については、拙ブログで取り上げましたが、「源氏物語」は高校の教員時代、授業でよく取り上げた作品の一つです。ほとんどの教科書に載っているのは「源氏…
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古典文学探訪157山本淳子氏の講演「『源氏物語』の真実」4 中宮定子の辞世は桐壺更衣の辞世の本歌

 山本淳子氏の講演会「『源氏物語』の真実」ですが、前述したように、光源氏の母の桐壺の更衣は楊貴妃が連想されつつも、モデルは中宮定子だと論じられています。  その論拠として、「栄華物語」に掲載されている中宮定子の辞世の短歌3首が取り上げられ、その分析検討がされています。その結果、「その和歌のうち2首は、楊貴妃を連想させる。残る1首は、『…
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古典文学探訪156 山本淳子氏の講演「『源氏物語』の真実」3 中宮定子と楊貴妃と桐壷の更衣の対比

 写真は京都文化博物館の出口(2階)にある紫式部像を7月4日に撮ったものです。作者は京都教育大学名誉教授の杉村尚氏です。  山本淳子氏の講演会「『源氏物語』の真実」では、桐壺の更衣が楊貴妃とは相違点が多くあると論じた上で、中宮定子をモデルにしたものだという見解の論証に入っています。「源氏物語」が作られた直前、後宮は一条天皇が定子を寵愛…
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古典文学探訪155 山本淳子氏の講演「『源氏物語』の真実」2 楊貴妃と桐壷の更衣の共通点・相違点

 写真は山本淳子氏の講演会が行われた京都学園大学の太秦キャンパスの未来ホールを6月28日に撮ったものです。500人程入るホールがほとんど満員の盛況でした。スクリーンに「『源氏物語』と『平家物語』」という字が出ていますが、「平家物語」の講演会は今日、7月5日に行われるので、これも今から聴きに行く予定です。昨日は「大関ヶ原展」の講演会を聴き…
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古典文学探訪154 山本淳子氏の講演「『源氏物語』の真実」1 桐壷の更衣は中宮定子を暗示・鎮魂の思い

 写真は京都学園大学の太秦キャンパスの北館を6月28日に撮ったものです。ここの「未来ホール」で山本淳子氏の講演会「『源氏物語』の真実」が行われ、聴きに行きました。人文学部開設記念講演会の一環で、「源氏物語」は教員時代、しばしば古典の授業で扱って馴染の教材でしたし、「源氏物語」研究の最先端を知りたいという思いに駆られて行きました。京都学園…
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古典文学探訪153  古典文法3 助動詞の意味を押さえる・推定とは根拠のある確かな推量

古典文法の助動詞の意味ですが、「む」の意味のうち婉曲とは遠まわしな表現であり、「~のような」と訳しますが、訳が煩雑になる時は、省略します。今の若者が「~とか」「~的な」「~みたいな」というような言い方をしているのも婉曲表現であり、ストレートに言う言い方を避けていると云えます。「む」が婉曲の意味になる場合は、下に必ずと言っていいほど名詞…
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古典文学探訪152  古典文法2 助動詞の意味を語呂合わせ的に覚える  

 古典文法では特に助動詞が大事だと言いましたが、何形に接続するかを覚えておくと共に、その助動詞の意味もつかんでおかなくてはなりません。  助動詞の意味を語呂合わせで覚えるというものもあります。一番有名なのは、「べし」の意味を「すいかとめて」で覚える覚え方です。誰が考えたのかは知りませんが。「す」は推量(~だろうという意)、「い」は意志…
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古典文学探訪151 古典文法1 何形接続の助動詞かを語呂合わせ的に覚える  

 古典文学探訪と銘打っていますが、今回は古典文法の話です。古典文法でとりわけ助動詞の意味と接続が大事です。助動詞がわかっていないと、古文の正確な口語訳ができませんし、文章の内容も把握できません。  助動詞は何形の後に続くか、その接続の形がはっきり決まっているので、それを覚えておく必要があります。たとえば、「む」という助動詞は未然形にし…
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古典文学探訪150  「論語」3 民の信義の心がもっとも大切

 漢文の授業で、「論語」の「子貢政を問ふ」の話も扱いました。  子貢が政治について尋ねると、孔子が言うには、「食糧を十分にし、兵(軍備)を十分にし、民には信義の心を持たせるように教え導くことである。」と。  普通の弟子なら、それでわかりましたと言うところかもしれませんが、子貢はさらに突っ込んで質問します。子貢は孔子より31歳若いだけ…
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古典文学探訪149  「論語」2 学問と思索・孔子が自分の人生を振り返る

 「論語」は孔子と弟子の言行録ですが、孔子の死後に編纂されたものであり、孔子自身が書いているわけではありません。  孔子が言うには、「学問をしても思索しないと、学んだことの道理がわからない。一方、思索をしても学ばないと、独断に陥って危険である。」と。  学問と思索、どちらが欠けても問題であり、両方が必要だと言っています。しかし、敢え…
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古典文学探訪148  「論語」1 他人の思惑など気にせず自分の道を極めよ・知るということ

 古典の授業で「論語」の文章をいくつか扱っています。  まずは非常に有名な一節です。孔子が言うには、「学問をしてたえず(機会あるごとに)身につけるように復習するのは、なんと嬉しいことではないか。同門の人が遠くからやって来て学問について話し合うのは、なんと楽しいことではないか。他人が自分の真価を認めてくれなくても、自分がそれを不平不満に…
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古典文学探訪147  「竹取物語・かぐや姫の昇天」5 感情もなくなり、飛ぶ車に乗って去る

 かぐや姫は天皇への手紙を書き、和歌を添え、壺にある薬を頭中将を呼んで差し上げさせなさるとあります。「奉らす」のところは「奉ら」が謙譲語(ラ行四段活用)、「す」は使役の助動詞です。中将には、天人が壺の薬を取って渡します。  中将が薬を受け取ったので、天人はさっと天の羽衣をお着せ申し上げたところ、かぐや姫は翁を気の毒だ、いとおしいとお思…
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古典文学探訪146 「竹取物語・かぐや姫の昇天」4 天皇への別れの手紙

 かぐや姫が手紙を書いて天の羽衣をなかなか着ないので、天人は「遅い」とじれったく思い(待ち遠しがり)なさるとあります。ここで、天人に対して「給ふ」という尊敬の補助動詞が使われています。  かぐや姫は「ものの情けを知らないことをおっしゃいますな」と言って、大変もの静かに天皇にお手紙を差し上げなさいます。ここでも天人に対して「のたまふ」と…
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古典文学探訪145 「竹取物語・かぐや姫の昇天」3 天人の持つ箱の中に入っていた天の羽衣・不死の薬

 天人の一人に持たせている箱があります。なお、天人の数は後の所で百人ばかりとありますから、かなりの随行人であり、この本文の前の省略されたところには、天人たちが雲に乗って下りてきたと書かれており、地面に立たずに5尺ばかり空中に浮いていると書かれています。こういう天人に関する超自然的な描写も読みどころの一つです。  この箱には天人の着る天…
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古典文学探訪144 「竹取物語・かぐや姫の昇天」2 竹取の翁の言葉に心が乱れるかぐや姫・形見の手紙

 いよいよかぐや姫と竹取の翁が別れる場面であり、ここからが教科書に載っています。  竹取の翁が心乱れて泣き伏している所に寄って、かぐや姫が「私もこころならずもこのように参るのですから、せめて昇天するような時だけでも見送ってくださいと。」と言いますが、竹取の翁は「どうして悲しいのに見送り申し上げましょう。わたしをどうせよというつもりで、…
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古典文学探訪143 「竹取物語・かぐや姫の昇天」1 

 今、授業で「竹取物語」の「かぐや姫の昇天」の部分を扱っています。今回は有名な冒頭の部分はカットしましたが、その部分は中学校で習ったという生徒が多数に上りました。  竹取の翁によって竹の中から発見されたかぐや姫ですが、最初は九センチぐらいの小ささでした。それが三カ月ぐらいで、普通の人の大きさになります。拙ブログでも以前にも触れましたが…
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古典文学探訪142 「臥薪嘗胆」2 あの世で子胥に合わせる顔がないと布で顔をおおって自殺する呉王

 越王の句践は国都に戻ると、苦い肝を自分の寝起きするところにぶらさげて、寝起きするたびに仰向いて肝を嘗めて自分に言うには、「おまえは会稽山で受けた恥を忘れたのか。」と。さらに句践は国の政治をすべて家老職の種に任せ、自分は家臣の范蠡と共に兵を訓練して、呉を攻め滅ぼす計画に専念しました。  ここも復讐の念に燃えた王の徹底ぶりがよく現れて…
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古典文学探訪141 「臥薪嘗胆」1 復讐の念を忘れないために極端なことをする話

 漢文で「臥薪嘗胆」の話を授業で扱っています。有名な話ですが、いろいろな人物が登場しますので、人間関係をつかんでいないと、理解しにくい話かもしれません。時代は春秋時代であり、仲の悪かった隣り同士の国の呉と越が舞台になっています。国同士が争っていた時代なので、仲の悪いのは当然と云えば云えます。「呉越同舟」という四字熟語がありますが、呉の国…
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古典文学探訪140・石田三成の実像753 「木曽の最期」5 今井の自害・為久が三成の先祖だとする説 

 石田次郎為久が放った矢が木曽義仲に当たりましたが、致命傷なので、木曽殿が甲の正面を馬の頭に当ててうつぶせになっておられるところへ、石田の家来二人が駆け寄って、とうとう木曽殿の首を取ってしまいました。ここのところ、本来の言い方だと「取りてけり」ですが、「取つてんげり」と言い方になっており、リズム感が生みだされていますし、とうとうあの名高…
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評論探訪22・古典文学探訪140  梅原猛氏「水底の歌」 柿本人麻呂の水死刑説・猿丸大夫と同一人物説

柿本  私は学生時代から梅原猛の本をたくさん読んできましたが、その手始めとなるのが「水底の歌」でした。この書では今まで身分が低く地方官を務めていたとしていたとされる柿本人麻呂が、本当は身分が高かったにもかかわらず、藤原氏によって官位を剥奪され、流罪となって、水死刑を与えられたとする新説が述べられています。  梅原氏によれば、人麻呂の…
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古典文学探訪139 「平家物語」の「木曽の最期」4 今井の勇猛な戦いぶり・甲の内側を射抜かれる木曽

 教科書で取り上げられている「平家物語」の「木曽の最期」の本文も小学館の「日本古典文学全集」によるものであり、高野本が底本として使われています。  今井四郎が木曽殿に「ただただ粟津の松原へお入りください」と申し上げ促したので、木曽殿は「それならば」と言って松原へ馬を走らせなさると書かれています。その後、今井四郎が大活躍する場面が描かれ…
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古典文学探訪138 「平家物語」の「木曽の最期」3 最期の時に不覚を取ってしまうと末代までの不名誉

 木曽義仲と今井四郎は馬に鞭打って行きますが、敵の新たな武者が50騎ばかり出てきました。今井は「殿はあの松原にお入りください。私兼平は敵を防ぎましょう」と申し上げると、義仲がおっしゃるには、「この義仲は、都で討ち死にするはずであったのに、ここまで逃れてきたのは、おまえと同じ所で死のうと思うためだ。別々の場所で討たれるよりは、同じ一所で討…
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古典文学探訪137 「平家物語」の「木曽の最期」2 鎧を重く感じる義仲・自害を促す兼平

 巴御前が落ちていった後、義仲の部下の一人は討ち死にし、今一人は落ちて行きました。とうとう義仲は幼い時から同じ乳で育ってきた乳母子の今井四郎兼平と二人だけになりますが、ここから教科書で精読しました。  義仲がおっしゃったことには、「いつもはなんとも思われないた鎧が今日は重くなったぞ」と初めて弱音を吐きます。鎧は十キロ以上の重さがあり、…
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古典文学探訪136 「平家物語」の「木曽の最期」1・源氏対源氏の争い・武光誠氏「平清盛」の清盛観

 1年の古典の授業で「平家物語」の「木曽の最期」を扱っています。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる有名な冒頭部分を中学の授業で扱ったかどうか、生徒に手を挙げてもらって訊いてみたところ、大半が学んでいました。無常観漂う一節であり、かつて授業で冒頭の何行かを一人ずつ暗唱してもらったこともありますが、今回は冒頭部分を取り上げるの…
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古典文学探訪135 「土佐日記」の最後「帰京」2 新しい小松を見ると愛児を失った悲しみが募る

 自分の家の管理を頼んでおいたのに隣人は何もしてくれなかったのですが、作者(「ある人」という設定ですが紀貫之自身です)は「このような荒れ方だ」と従者たちに声高に不平を言わせないとあります。わが家に着いたばかりであり、隣人と一悶着を起こしたくないからでしょうが、作者はそればかりか、隣人のことが薄情だと思われるものの、隣人にお礼はしようとい…
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古典文学探訪134 「土佐日記」の冒頭「門出」2 最後「帰京」1 言葉の洒落・荒れたわが家に衝撃 

 12月22日に和泉の国までは平穏無事であるようにと神仏に願を立てると「土佐日記」に書かれていますが、これから作者の紀貫之(文中では「ある人」)は船で四国を海伝いにいき、難所である鳴門海峡を渡るのですから、危険を伴い、暴風や出没する海賊の心配もしなければならず、当時は必死な思いで祈願していたことがわかります。和泉の国まで無事に帰れば…
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古典文学探訪133 「土佐日記」の冒頭「門出」1 仮名で日記を書くために女性の身に仮託

 授業で「土佐日記」の冒頭部分「門出」と最後の「帰京」を扱いました。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。」という有名な冒頭部分です。「男も書くという日記というものを、女の私も試みようと思って書くのである」という意味ですが、むろん、作者の紀貫之はれっきとした男であり、作者は女性に仮託してこの日記を綴っています。  …
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古典文学探訪132  鴨長明「方丈記・安元の大火」 被害が都の三分の一に及ぶ

 鴨長明の「方丈記」の「安元の大火」を授業で扱ったことがあります。安元3年(1177年)に起こった大火事のことを描いている箇所ですが、来年の大河ドラマの主人公である平清盛が勢力を持っていた時代(と云っても、清盛が亡くなるのはこの4年後ですが)です。  4月28日、風が激しく吹いた夜に都の東南から火事が発生し、西北に達し、大内裏のうち朱…
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古典文学探訪131 「伊勢物語・筒井筒の段」4 2人の女の違いが浮き彫り・「大和物語」との対比

 高安の女は喜んで男を待ちますが、来ると言うばかりでたびたびむなしく過ぎてしまったので、また高安の女は和歌を詠んで贈ります。  「君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る」  「あなたが来ようといったその夜が来るたびに待っていたが、むなしく過ぎてしまうので、あてにしないものの、恋しく日々を過ごしている」という歌意で…
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