20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策11 ラッシュ時は満員だった阪堺電車・子供の頃から馴染み深かった大阪市電・… 阿倍王子神社から安倍晴明神社の道は、熊野街道の一部で、その雰囲気が今もなんとなく残っています。安倍晴明神社のすぐ近くに阪堺電車の東天下茶屋駅があり、そこから電車に乗って天王寺に戻りました。 阪堺電車は、大阪で唯一残る路面電車であり、子供の頃から大阪市電に馴染みが深かった自分にとっては、ノスタルジーを誘われる電車です。天王寺区の椎寺… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月19日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策9 熊野王子社の一つとなった阿倍王子神社・同じ年に入った教員同士の結びつき 阿倍野の鎮守の社である阿倍王子神社を訪ねたのはほぼ40年ぶりのことです。なにしろ住吉高校に転任した時に、社会科の先生に案内されて行って以来ですから。 この神社は仁徳天皇によって創建されたとも、阿倍野の地を本拠としていた古代の豪族「安倍氏」が創建したとも言われています。平安時代になり、熊野信仰が盛んになると、この場所が四天王寺と住吉… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月15日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策8・旧制大阪高校跡・よく通っていた店は見当たらず・「雲海」でランチ・北畠公… 晴明丘公園を東に歩いて行くと、あべの筋に突き当たりますが、そのあたりは大正時代に創立された旧制大阪高等学校があったところで、現在、跡碑が建っています。この近辺、今はスーパーやマンションが建っており、当時と雰囲気は変わっていました。旧制大阪高等学校は、後に大阪大学に包括されました。 このあたりにあった飲食店で、住吉高校勤務当時は… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月13日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策7 北畠顕家と北畠親房が祀られている阿部野神社・同人誌発行のための初会合を… 阿倍野区北畠の地名は、南北朝時代に南朝方として活躍し、若くして戦死した北畠顕家にちなみます。あべの筋沿いにある北畠公園に顕家の供養塔があり、住吉高校の西にある阿部野神社に、北畠顕家とその父親の北畠親房(「神皇正統記」を書いたことで有名です)が祭神として祀られています。住吉高校に勤めていた当時は、阿部野神社にお参りしたことはありませんが… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月11日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策6 よく昼食を取りに行っていた相生通の店はほとんど残っていず・今もレトロな… 住吉高校は、住宅街の中にあるので、飲食店が近くにありません。そのため、在任当時、昼食は専ら校内食堂で取っていましたが、土曜日などは授業が昼までなので、同僚と外に食事に行くことがよくありました。行くとするなら、北西の相生通へ行くか、東のあべの筋の方に出るかのどちらかでした。今回、どちらの方面へも回ってみましたが、まず相生通の方へ行きました… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月08日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策5 当時の周辺住民からの苦情・「闇チャリ」という言葉・西隣は今は空き地 大阪府立住吉高校の周辺の回りを歩いて一周してみましたが、在任当時、教員親睦のテニスをしている時、2コートしかないため、ダブルスの試合で8名までしかできず、人数が多いと待たねばならなりませんでした。冬場はその間寒いので、学校の回りを同僚とランニングして一周していました。 写真は校舎の南側を撮ったものです。高校は当時から住宅街の中… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月06日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策4 卒業式で君が代が流された際、教職員や生徒が退出した時代・卒業証書をハン… いわゆる国旗・国歌法ができたのは、1999年のことですが、それより数年前に卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を流すという問題で、住吉高校も混乱したことがあります。校長が文部省や教育委員会の意向を受けて、教職員や生徒に強制してきました。大半の教職員や生徒の自治会、生徒の部落解放研究会などが反対し、校長交渉をしたにもかかわらず、校長は強行しま… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月04日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策3 創立60年記念に建てられた伊東静雄の詩碑・旧制中学教員当時の伊東・同人… 大阪府立住吉高校の旧正門と正門の間ぐらいに、伊東静雄の詩碑が建っています(「住吉の森」と呼ばれる木立の中)。コロナ禍で校内には入れないので、柵越しに写真を撮りました。 碑には「わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ」で始まる「曠野(こうや)の歌」と題する詩が刻まれていますが、創立60年記念に建立され… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月02日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策2 スポーツや読書会・同人誌発行などを通じた教員の親睦・高津高校と同じよう… 写真は住吉高校の正門です。旧正門(1昨日の写真)から西に少し行ったところにあります。正門を入って右側(西側)が理科棟、左側が体育館(一階は下足室)、奥が玄関、本館です。この景観は、当時とほとんど同じです。 正門の北側に道を挟んで北グラウンドがあり(もっと大きな東グラウンドは校舎のそばにありますが)、部活動の部室も建っています。… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月30日 続きを読むread more
20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策1 レトロな電停の雰囲気も校舎の様子もあまり変化なし・赴任する前に校長・教… 大阪府立住吉高校の周辺を20数年ぶりに散策してきました。天王寺から阪堺電車に乗り、北畠駅に降り立った時から、周囲の様子は当時とあまり変わっていなかったため、時が戻ったようで、懐かしさに駆られました。レトロな電停の雰囲気と云い、そのすぐそばの道を西に入ってゆくと、すぐ左側に校門や校舎が見えるところと云い、道の右側にテニスコートが二面並… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月28日 続きを読むread more
大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・… 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようで… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月17日 続きを読むread more
大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行し… 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月10日 続きを読むread more
奈良町にぎわいの家での、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」・大阪府立住吉高校の自由な校風・初めて3年間担任した38… 10月に奈良町にぎわいの家で開かれていた、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」を見に行きました。大阪府立住吉高校の38期生ですが、最近、巻雲短歌会に再入会され、個展の案内をいただきました。現代アートの世界で活躍し、各地で個展を開かれています。二階の二間を使い、手前の部屋には川が流れているように見えていますが、よく見ると小さな舟の造形物が… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月04日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策7 ⼤阪中央環状線の道路の信号から鴻池新⽥駅までは⼀本道・最初の担任は… ⼤阪中央環状線の道路の信号のところから鴻池新⽥駅までは⼀本道で、上にJR⽚町線(学研都市線)が⾛っています。道沿いに大阪府立城東⼯科⾼校(当時は城東工業高校)があるのは、当時も今も変わりません。鴻池新⽥駅は当時と⽐べて随分開けたところになっていました。⼟曜⽇の昼までの授業が終わった帰りに、よく寄っていたハンバーグの店はなくなっていまし… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月02日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策6 今も変わらぬ中央環状線の信号・密かに進めた教職員組合作り 茨田高校の周辺を散策して、鴻池新田駅へ向かいましたが、田んぼはなくなっていたものの、寝屋川を越えて大阪中央環状線の広い道路を渡らねばならないのは、当時と一緒でした。二つ信号があって、走って一気に渡らねばなりませんでした。ゆっくり歩いていると、次の信号でひっかかり、青に変わるまで三分ほど待たねばならないからです。その状況は、今も変わって… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月31日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策5 白内障でみんなに迷惑をかけた3年間・「安田」近辺でよく通っていた飲… 茨田高校に勤務していた6年間のうち、3年間は白内障を患っていたため、その間はみんなに迷惑をかけ、あまり学校に貢献できなかったのを今でも申し訳なく思っています。答案の字が読めず、採点の丸付けを教科の先生方に手伝ってもらいましたし、教科書の字もよく読めなかったため、現代国語の授業は持てず、古典の授業ばかりを担当させてもらいました。古典なら… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月29日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策4 当時は田園地帯だった地に立つ大阪市立茨田小学校・若い教員同士の交流 大阪府立茨田高校の南に、今は大阪市立茨田小学校が建っていますが、私が勤務していた時は、そのあたりは田園地帯でした。もっとも、今も鴻池新田駅からの通学路になっていますが。茨田小学校は1998年に開設されただけに、校舎も新しく瀟洒なたたずまいでした。 茨田高校に勤務したのは六年間でしたが、教員としていろいろと学ばせてもらいました。若い… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月27日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策3 赴任前の教科の打ち合わせと入試の手伝い・当時はなかった南側の通用門 大阪府立茨田高校に赴任したのは1976年のことですが、3月8日に国語科の打ち合わせがあり、国語科の先生方と初めて顔合わせしました。総勢は八名であり、前年から勤めているのは四人で、しかも新しく入った四人は私も含めていずれも新卒でした。教員の平均年齢は二十代でしたが、当時、新設校はどこも似たような年齢構成だったのではないでしょうか。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年10月25日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策2 創立二年目に赴任・内々の通知が校長からあったのは1月9日・正式の内… 大阪府立茨田高校のたたずまいはあまり変わっていませんでした。校舎の外装は私が勤務していた時と違っていましたが。一番変わっていたのは周囲の景色です。学校の周囲は四十年前は田畑が多かったのですが、今は住宅などが建ち並んでいて、田畑は見当たらず、隔世の感がありました。正門に行く道も、両側に住宅がずらりと建っていて、その奥に校舎が見えるという… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月23日 続きを読むread more
最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策1 徳庵駅から四十年ぶりに歩く 商店街や寝屋川に架かる橋に当時をしのぶ 教員時代、最初の勤務校であった大阪府立茨田高校の周辺をほぼ四十年ぶりに歩き回ってきました(創立十周年記念の時に一度訪ねたことはありますが)。校内も見てみたかったところですが、コロナ禍のもとでは、仕方ありません。茨田高校へ行くには三つのコースがあります。高校に一番近いのは、バス停の「安田」というところで、そこから歩いて五分程で行けますが、… トラックバック:0 コメント:0 2020年10月21日 続きを読むread more
高校一年生の時の夏休み2 手に負えなかった地学の宿題・日本文学全集購入・始業式の日に読書感想文書き直し・石坂洋次郎… 日記によると、高校一年生の時、岐阜の両親の実家に18日間行っていた間、小学校時代からの親友のF君は、お母さんの実家である東京に1週間程行っていました。岐阜から戻って3日後に宿題に取り組んでいる彼の家に行きましたが、数学の質問攻めにあったものの、私もさっぱりわからない難問ぞろいでした。二人とも手に負えなかったのは、地学の宿題である水系・… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月10日 続きを読むread more
高校一年生の時、岐阜の両親の実家に18日間滞在・薮川で泳ぐ・妹の理科の自由研究や担任への暑中見舞文を手伝う・父の実… 今年の夏はコロナ禍で帰省もままならなかったという人が多かったのはなんとも気の毒なことですが、今から53年前の高校一年生の時の日記を読み返していたら、夏休み、岐阜の両親の実家に18日間も行っていました。行きは妹と二人で、お盆の4日間は両親も駆け付け、帰りは家族一緒でした。そのため、夏休みの最初に宿題のかなりの部分を急いで済ませました。 … トラックバック:0 コメント:0 2020年09月08日 続きを読むread more
安倍長期政権の手法と弊害・高校一年生の時に行なわれた吉田茂元首相の国葬の時の日記の記述 長期政権は、腐敗を生むとはよく言われますが、安倍政権もそうでしたし、佐藤内閣もそうでした。大学時代、デモなどに参加した時は、佐藤内閣退陣要求などを掲げていました。 安倍首相辞任による総裁選は、党員選挙は行わず、派閥の論理で菅首相ということで決まりそうです。安倍政権の継承ということで、あまり改革に期待はできないどころか、安倍政権の数… トラックバック:0 コメント:0 2020年09月06日 続きを読むread more
1967年の大阪府立高津高校入学式の日の日記の記述・「自由と創造」という校風・旧校舎の姿は卒業アルバムと心の中だけに 日記を書き始めたのは、1967年の4月の、大阪府立高津高校入学前後の時からですが、1年の時は結構書いていたものの、2・3年の時は中断し、再び書き始めたのは、大学入試が終わった直後の1970年の3月からです。大学時代、3年間の中断があるものの、1975年からは現在までほとんど毎日記しています。 高校の入学式は4月8日(土)に行なわれま… トラックバック:0 コメント:0 2020年08月23日 続きを読むread more
懐かしの少年テレビ映画2 七つの顔に変装できる「七色仮面」・正義の味方の元祖「月光仮面」・「昭和二六年生まれ」と… 写真は、「わが世代 昭和二十六年生まれ」(河出書房新社) という本、及びその本に掲載されているものを撮ったものです。向かって左側から「七色仮面」「快傑ハリマオ」「月光仮面」で、いずれも当時の子供たちにとってのヒーローでした。 「七色仮面」は、七つの顔に変装できる人物で、その早変わりがユニークで面白いのですが、前半のシリーズは波… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月17日 続きを読むread more
懐かしの少年テレビ映画1・少女歌手だった近藤圭子さんが歌った「豹の眼」と「快傑ハリマオ」の劇中歌・ハリマオの実像 小学生の時、近藤圭子さんという少女歌手・俳優がいて、清楚で魅力的なお姉さんとして憧れました。「豹(ジャガー)の眼」という子供向きドラマ(当時、少年テレビ映画と言っていました)では、錦華(きんか)役で劇中、「少女錦華の歌」を歌い、「快傑ハリマオ」というドラマでは、「南十字星のうた」という歌を歌っていました。両方の歌とも、ユーチューブで久… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月14日 続きを読むread more
自作小説の周辺2 大学のテニスサークルの恋愛模様を描いた小説・自分が卓球やテニスを始めたのは三十才過ぎ 20年程前に書いた、大学のテニスサークルに属する男女の恋愛模様をテーマに描いた小説も、ワープロから取り出し、パソコンに移して編集を始めています。全くのフィクションで、男女10名それぞれの人物像の違いを明確なものにするのに少し時間がかかりましたが、楽しんで創作していたことを思い出します。 卓球、次いでテニスを本格的に始めたのは、三… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月07日 続きを読むread more
自作小説の周辺1 二十年程前に書いた団塊の世代が活躍する「中年探偵団」・江戸川乱歩の「少年探偵団」への思い入れ 中古ワープロのフロッピーディスクから以前書いた小説を呼び出し、フロッピーディスクドライブを使って、パソコンに取り込み、見直して再編集を少しずつ始めていますが、まず、手始めは二十年程前に書いた小説「中年探偵団」(仮題 「団塊の叫び」という名前も付けています)です。団塊の世代は、1947年から49年生まれですから(私より少し上の世代)、す… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月05日 続きを読むread more
中古ワープロ購入・以前書いた小説をフロッピーディスクから呼び足し、パソコンに取り込む作業を開始 ネットで中古ワープロを買いました。十数年まで使っていたのと同じカシオの機種ですが、以前のものは壊れてしまいました。同じ種類のワープロを目にすると、時間が戻ったようで、懐かしさに駆られます。 フロッピーディスクに保存されている小説などのデータを取り出すために改めて買ったのですが、小説は原稿として残っていないものが半分以上あります… トラックバック:0 コメント:0 2020年06月03日 続きを読むread more
四天王寺の境内は子供の頃の遊び場・四歳の時の稚児行列の写真 四天王寺は、新型コロナウイルス拡大防止のため、閉鎖されていましたが、6月8日から再開されます。閉鎖されたのは、聖徳太子が建てて以来のことだと、マスコミでも話題になりました。四天王寺のそばで生まれ育ったので、小さい頃から馴染みの場所で、境内を遊び場にしていました。子供の頃は昆虫採集もして、蝉、蝶、とんぼ、バッタなどをよく捕った場所ですが… トラックバック:0 コメント:0 2020年05月30日 続きを読むread more