テーマ:思い出

今や高校と予備校は持ちつ持たれつの関係・12年前のセンター試験直前に出した学級通信

 教員になった当時、高校と予備校は一線を画していましたし、交流を持たないようにしていました。それがいつしか、持ちつ持たれつの関係へと変化していきました。受験指導も、かつては高校での実力テストの結果などをもとに行ってきましたが、予備校の全国レベルのデータ収集力には勝てず、生徒のセンター試験の点数などを予備校に送った上で、志望する大学・学部…
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旅行記245 35年前の12日間の新婚旅行8 アテネでかろうじてパルテノン神殿などを見学・夕方の便で帰国・成田経由…

1986年1月2日、ロードス島の空港に再び行きましたが、前日の便で出発する予定だったので、キャンセル待ちの状態になり、ようやく11時発のオリンピック航空の飛行機に乗ることができ、正午にアテネに着きました。4時40分発の便でアテネからKLMの飛行機で帰国の途に就かねばならなかったので、昼食を取る時間もなく、アクロポリスの丘にあるパルテノン…
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旅行記244 35年前の12日間の新婚旅行7 1月1日はロードス島の市内観光・購入した絵皿・夜にアテネへ飛行機で行…

 1月1日は朝10時の集合でした。みんな夜中遅くまで起きていたので、遅めの出発になりました。ロードス島の旧市街の城跡や町並みを散策しましたが、午後は自由行動だったので、ホテル近くの港や風車、わずかに開いている店(ほとんどの店は閉まり閑散としており、正月気分はほとんど味わえませんでした)を見て回ったり、セルフサービスの店で紅茶とケーキを口…
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旅行記243 35年前の12日間の新婚旅行6 大晦日の朝、ロードス島に着き、昼まで寝る・午後はリンドス遺跡見学・レ…

 35年前の大晦日、アテネ空港のロビーで夜中4時間近く過ごしましたが、ほとんど眠れず、ロードス島に向かう早朝の5時40分発の飛行機の中で、ようやく1時間近く寝ました。ホテルに着くと、早速、朝食を取りましたが、ツアー客みんなしんどそうでした。その後、2時間半程、部屋で寝ましたが、完全な寝不足状態でした。  疲れている中、1時に集合し、ホ…
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旅行記242 35年前の12日間の新婚旅行5 ストで飛行機が飛ばずローマ市内に戻って自由行動・スペイン広場などを回…

 新婚旅行の際、12月30日はホテルに泊まれず、アテネ空港で夜中を過ごすはめになりまた。本来は、ローマから飛行機でアテネ経由でロードス島に向かう予定でしたが、アテネ空港の従業員ストのあおりを受けて、予定の飛行機が飛ばなくなりました。一旦、ローマ空港にバスで向かいましたが、すぐに飛ぶ別の飛行機は見つからず、夜10時半に離陸するカンタス航空…
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旅行記241 35年前の12日間の新婚旅行4 パリのデバートで買物・ローマ空港に着いた前日にテロ事件・コロッセオで…

 新婚旅行は、パリに2泊した後、12月28日、夕方の飛行機でローマに行きました。ドゴール空港から2時間のフライトでした。ちなみに、スペインからフランスに入国する時は、オルリー空港からでしたが、その5年前に友達とフランスに入国したのもオルリー空港でした。   その日の午前中はパリで自由行動だったので、地下鉄でデパート「プランタン」へ行っ…
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旅行記240 35年前の12日間の新婚旅行3 パリ二日目の市内観光、午後は自由行動・夜は「ムーラン・ルージュ」でナ…

 85年の新婚旅行の際、パリ二日目の午前中は、市内観光ツアーで、エッフェル塔がよく見える場所、モンマルトルの丘、サクレクール寺院などを回りましたが、いずれも5年前に友達と巡ったところだけに、懐かしさに駆られました。  昼からは自由行動だったので、二人で地下鉄に乗りコンコルド広場に出て、オランジュリー美術館を見学しました。オランジュリー…
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旅行記238 35年前の12日間の新婚旅行1 1月3日に帰国・マドリッドでクリスマスを迎えたものの、雰囲気はあまり…

  昨年の12月22日で結婚して35年になりました。最初は記念日に外でちょっとしたランチを食べることも考えたものの、コロナの感染拡大で先延ばしにし、京都の「若菜屋」の栗菓子を買ってきて、夕食のデザートに食べるというささやかなものになりました。栗入り抹茶饅頭の「抹茶栗璞(りつぼく)」を口にしましたが、栗の入った独特のあんの味が絶妙でした。…
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京都探訪325 百万遍の「吉野屋」で夕食・大学時代はよく通っていた中華料理店があった場所・学生時代からあるクラシッ…

 11月29日の夕方に北白川を散策した後、夕食を百万遍の交差点の北西角のところにある「吉野屋」で取りました。冷え込みが厳しいので、牛すき鍋膳を食べて体を温めました。ごはんのお替わりは無料ですが、私はカロリー制限中なので、頼みませんでした。しかし、学生の中には、ごはん大盛りのお替わりを二度している人もいて、さすが学生の食欲は旺盛だと感心し…
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京都探訪324 大学時代、友達が下宿していた北白川近辺を散策・下宿で議論しながら飲み明かした日々・「紅白」を見なが…

 京都新祝祭管弦楽団のコンサートへ行く前、北白川のあたりを歩いてみました。北白川には大学時代、友達の下宿が二軒あり、よく訪ねていましたが、40年余りも経っていますから、建て替わっている家も多く、どこが友達の下宿だったのか判然としませんでした。夕方で次第に暗くなってきたということもあります。そのうちの一軒で、ドイツ文学を専攻していたH君の…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策11 ラッシュ時は満員だった阪堺電車・子供の頃から馴染み深かった大阪市電・…

 阿倍王子神社から安倍晴明神社の道は、熊野街道の一部で、その雰囲気が今もなんとなく残っています。安倍晴明神社のすぐ近くに阪堺電車の東天下茶屋駅があり、そこから電車に乗って天王寺に戻りました。  阪堺電車は、大阪で唯一残る路面電車であり、子供の頃から大阪市電に馴染みが深かった自分にとっては、ノスタルジーを誘われる電車です。天王寺区の椎寺…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策9 熊野王子社の一つとなった阿倍王子神社・同じ年に入った教員同士の結びつき

 阿倍野の鎮守の社である阿倍王子神社を訪ねたのはほぼ40年ぶりのことです。なにしろ住吉高校に転任した時に、社会科の先生に案内されて行って以来ですから。  この神社は仁徳天皇によって創建されたとも、阿倍野の地を本拠としていた古代の豪族「安倍氏」が創建したとも言われています。平安時代になり、熊野信仰が盛んになると、この場所が四天王寺と住吉…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策8・旧制大阪高校跡・よく通っていた店は見当たらず・「雲海」でランチ・北畠公…

  晴明丘公園を東に歩いて行くと、あべの筋に突き当たりますが、そのあたりは大正時代に創立された旧制大阪高等学校があったところで、現在、跡碑が建っています。この近辺、今はスーパーやマンションが建っており、当時と雰囲気は変わっていました。旧制大阪高等学校は、後に大阪大学に包括されました。   このあたりにあった飲食店で、住吉高校勤務当時は…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策7 北畠顕家と北畠親房が祀られている阿部野神社・同人誌発行のための初会合を…

 阿倍野区北畠の地名は、南北朝時代に南朝方として活躍し、若くして戦死した北畠顕家にちなみます。あべの筋沿いにある北畠公園に顕家の供養塔があり、住吉高校の西にある阿部野神社に、北畠顕家とその父親の北畠親房(「神皇正統記」を書いたことで有名です)が祭神として祀られています。住吉高校に勤めていた当時は、阿部野神社にお参りしたことはありませんが…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策6 よく昼食を取りに行っていた相生通の店はほとんど残っていず・今もレトロな…

住吉高校は、住宅街の中にあるので、飲食店が近くにありません。そのため、在任当時、昼食は専ら校内食堂で取っていましたが、土曜日などは授業が昼までなので、同僚と外に食事に行くことがよくありました。行くとするなら、北西の相生通へ行くか、東のあべの筋の方に出るかのどちらかでした。今回、どちらの方面へも回ってみましたが、まず相生通の方へ行きました…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策5 当時の周辺住民からの苦情・「闇チャリ」という言葉・西隣は今は空き地

 大阪府立住吉高校の周辺の回りを歩いて一周してみましたが、在任当時、教員親睦のテニスをしている時、2コートしかないため、ダブルスの試合で8名までしかできず、人数が多いと待たねばならなりませんでした。冬場はその間寒いので、学校の回りを同僚とランニングして一周していました。   写真は校舎の南側を撮ったものです。高校は当時から住宅街の中…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策4 卒業式で君が代が流された際、教職員や生徒が退出した時代・卒業証書をハン…

 いわゆる国旗・国歌法ができたのは、1999年のことですが、それより数年前に卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を流すという問題で、住吉高校も混乱したことがあります。校長が文部省や教育委員会の意向を受けて、教職員や生徒に強制してきました。大半の教職員や生徒の自治会、生徒の部落解放研究会などが反対し、校長交渉をしたにもかかわらず、校長は強行しま…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策3 創立60年記念に建てられた伊東静雄の詩碑・旧制中学教員当時の伊東・同人…

 大阪府立住吉高校の旧正門と正門の間ぐらいに、伊東静雄の詩碑が建っています(「住吉の森」と呼ばれる木立の中)。コロナ禍で校内には入れないので、柵越しに写真を撮りました。  碑には「わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ」で始まる「曠野(こうや)の歌」と題する詩が刻まれていますが、創立60年記念に建立され…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策2 スポーツや読書会・同人誌発行などを通じた教員の親睦・高津高校と同じよう…

写真は住吉高校の正門です。旧正門(1昨日の写真)から西に少し行ったところにあります。正門を入って右側(西側)が理科棟、左側が体育館(一階は下足室)、奥が玄関、本館です。この景観は、当時とほとんど同じです。    正門の北側に道を挟んで北グラウンドがあり(もっと大きな東グラウンドは校舎のそばにありますが)、部活動の部室も建っています。…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策1 レトロな電停の雰囲気も校舎の様子もあまり変化なし・赴任する前に校長・教…

  大阪府立住吉高校の周辺を20数年ぶりに散策してきました。天王寺から阪堺電車に乗り、北畠駅に降り立った時から、周囲の様子は当時とあまり変わっていなかったため、時が戻ったようで、懐かしさに駆られました。レトロな電停の雰囲気と云い、そのすぐそばの道を西に入ってゆくと、すぐ左側に校門や校舎が見えるところと云い、道の右側にテニスコートが二面並…
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大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・…

 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようで…
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大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行し…

 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに…
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奈良町にぎわいの家での、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」・大阪府立住吉高校の自由な校風・初めて3年間担任した38…

10月に奈良町にぎわいの家で開かれていた、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」を見に行きました。大阪府立住吉高校の38期生ですが、最近、巻雲短歌会に再入会され、個展の案内をいただきました。現代アートの世界で活躍し、各地で個展を開かれています。二階の二間を使い、手前の部屋には川が流れているように見えていますが、よく見ると小さな舟の造形物が…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策7 ⼤阪中央環状線の道路の信号から鴻池新⽥駅までは⼀本道・最初の担任は…

 ⼤阪中央環状線の道路の信号のところから鴻池新⽥駅までは⼀本道で、上にJR⽚町線(学研都市線)が⾛っています。道沿いに大阪府立城東⼯科⾼校(当時は城東工業高校)があるのは、当時も今も変わりません。鴻池新⽥駅は当時と⽐べて随分開けたところになっていました。⼟曜⽇の昼までの授業が終わった帰りに、よく寄っていたハンバーグの店はなくなっていまし…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策6 今も変わらぬ中央環状線の信号・密かに進めた教職員組合作り

 茨田高校の周辺を散策して、鴻池新田駅へ向かいましたが、田んぼはなくなっていたものの、寝屋川を越えて大阪中央環状線の広い道路を渡らねばならないのは、当時と一緒でした。二つ信号があって、走って一気に渡らねばなりませんでした。ゆっくり歩いていると、次の信号でひっかかり、青に変わるまで三分ほど待たねばならないからです。その状況は、今も変わって…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策5 白内障でみんなに迷惑をかけた3年間・「安田」近辺でよく通っていた飲…

 茨田高校に勤務していた6年間のうち、3年間は白内障を患っていたため、その間はみんなに迷惑をかけ、あまり学校に貢献できなかったのを今でも申し訳なく思っています。答案の字が読めず、採点の丸付けを教科の先生方に手伝ってもらいましたし、教科書の字もよく読めなかったため、現代国語の授業は持てず、古典の授業ばかりを担当させてもらいました。古典なら…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策4  当時は田園地帯だった地に立つ大阪市立茨田小学校・若い教員同士の交流

 大阪府立茨田高校の南に、今は大阪市立茨田小学校が建っていますが、私が勤務していた時は、そのあたりは田園地帯でした。もっとも、今も鴻池新田駅からの通学路になっていますが。茨田小学校は1998年に開設されただけに、校舎も新しく瀟洒なたたずまいでした。  茨田高校に勤務したのは六年間でしたが、教員としていろいろと学ばせてもらいました。若い…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策3 赴任前の教科の打ち合わせと入試の手伝い・当時はなかった南側の通用門

 大阪府立茨田高校に赴任したのは1976年のことですが、3月8日に国語科の打ち合わせがあり、国語科の先生方と初めて顔合わせしました。総勢は八名であり、前年から勤めているのは四人で、しかも新しく入った四人は私も含めていずれも新卒でした。教員の平均年齢は二十代でしたが、当時、新設校はどこも似たような年齢構成だったのではないでしょうか。  …
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策2 創立二年目に赴任・内々の通知が校長からあったのは1月9日・正式の内…

 大阪府立茨田高校のたたずまいはあまり変わっていませんでした。校舎の外装は私が勤務していた時と違っていましたが。一番変わっていたのは周囲の景色です。学校の周囲は四十年前は田畑が多かったのですが、今は住宅などが建ち並んでいて、田畑は見当たらず、隔世の感がありました。正門に行く道も、両側に住宅がずらりと建っていて、その奥に校舎が見えるという…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策1 徳庵駅から四十年ぶりに歩く 商店街や寝屋川に架かる橋に当時をしのぶ

教員時代、最初の勤務校であった大阪府立茨田高校の周辺をほぼ四十年ぶりに歩き回ってきました(創立十周年記念の時に一度訪ねたことはありますが)。校内も見てみたかったところですが、コロナ禍のもとでは、仕方ありません。茨田高校へ行くには三つのコースがあります。高校に一番近いのは、バス停の「安田」というところで、そこから歩いて五分程で行けますが、…
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