テーマ:思い出

音楽探訪56 「加山雄三ラストショー」の半月前の「24時間テレビ」で歌われた曲・阿久悠さんが若い加山さんに抱いた印…

 「加山雄三ラストショー」の半月前の日本テレビ系列局による「24時間テレビ」に加山雄三さんが出演し、いずれも自分が作曲した「旅人よ」「君といつまでも」「サライ」(「24時間テレビ」テーマソング)を歌っていましたが、胸にじーんと来ました。「サライ」は、一緒に歌っていた、作詞者の谷村新司さんが途中感極まって、歌えなくなっていましたが、その場…
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昔の8ミリフィルムをDVDにダビング・1979年に友人と深草散歩して撮ったのが最初・1980年のフランス旅行の際は…

 昔撮った8ミリフィルムを写真屋さんにDVDにダビングしてもらいましたが、6本のテープに計2時間20分程録画されていました。8ミリカメラを買ったのが今から43年前のことで、それから8年間使用し、フランス旅行、中国旅行、新婚旅行などの映像、娘の誕生から一歳近くまでの様子が写っています。しかし、なにぶん長い年数が経っているので、フィルムが劣…
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大阪探訪67 庶民的だった「天王寺ステーションデパート」・駅の構内が見えるすぐ北側の道・バリ島の雰囲気が漂う「ホテ…

 天王寺の駅ビルは子供の頃から「天王寺ステーションデパート」として親しんできました。デパートとは言え、すぐ南の近鉄デパートと比べて、より庶民的な感じがしたものです。今は「天王寺ミオプラザ」と名前が変わり、随分オシャレな店が増えました。  住高同窓会音楽家連盟のコンサートの前に立ち寄った時は土曜日だったので、飲食店はどこも混んでおり、外…
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奈良在住の元同僚との奈良公園散策3  東大寺ミュージアム・東大寺参道

初めて東大寺ミュージアムに入りました。誕生釈迦仏立像、千手観音菩薩立像、日光菩薩立像、月光菩薩立像、四天王立像などをはじめとする国宝・重要文化財の仏像が間近に眺められ、四天王立像は後ろからも見ることができました。伎楽面や古文書、絵図などさまざまな貴重なものも展示されていました。1200年以上の歴史の重みを改めて感じました。ホールや研究所…
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旅行記288 講演会出席を兼ねての彦根旅行5 彦根港から竹生島へ・「琵琶湖周航の歌」の歌碑・学生時代歌っていた歌 

 11日は彦根港から船に乗って、1人で竹生島へ行きました。彦根港には、「琵琶湖周航の歌」の碑が建っています(五番の歌詞に「古城」が出てきます)。旧第三高等学校(現・京都大学)のボート部員によって作詞され歌われたもので、第三高等学校の学生歌になりました。私も学生時代、真如堂の友達の下宿で歌いましたし(離れだったので、気兼ねなく歌えました)…
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旅行記284 講演会出席を兼ねての彦根旅行1 石田三成の実像3172 仙琳寺の石田地蔵・江戸時代に領民が石田一族を…

 10日の夜、彦根で中野等氏の講演会「秀吉と三成」(当初は10月に行われる予定でしたが、コロナの影響で延期されました)があったので、昼頃、彦根入りしました。午後に、三成ゆかりの場所や彦根城の玄宮園などを廻ってきましたが、まず仙琳寺の石田地蔵を久しぶりに訪ねました。門が閉まっているので、2、3度引き返したことがありますが、裏手の鉄道をまた…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策4 茨田高校の閉校を知った衝撃と寂しさ・かつての五条通は今の松原通・五条大橋で…

 2年ぶりに大阪府立茨田高校の元同僚と会って、茨田高校が令和7年に閉校になるという話を初めて聞きました。宇治に住んでいると、大阪の学校の情報はあまり入ってこないので、全く知りませんでした。今回会ったメンバーは、開校した初年度か2年目に赴任した者ばかりで、しかもみんな新卒でしたから、それぞれ特別な思いがありますし、私もそれを聞いた時にはシ…
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京都市京セラ美術館の「フランソワ・ポンポン展」2 リニューアルされた京セラ美術館・ 人物彫刻「コゼット」・小学生の…

 リニューアルされた京都市京セラ美術館の中に入るのも初めてでした。エントランスは地下1階になっており、大階段を上って1階の中央ホールに出ます。そこから各会場に行くようになっていますが、「フランソア・ポンポン展」は2階で行われており、らせん階段を上って行きました。同時に「上村松園展」「ドラえもん展」も開かれており、他の展覧会も予定されてい…
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笑福亭仁鶴さんの落語「青菜」に出てくる「アンケラソウ」「腸チビス」「おてしょ」「むらさき」「柳蔭」などの語・仁鶴さ…

 よみうりテレビの番組「平成紅梅亭」で、仁鶴さんの落語「青菜」「不動坊」「つぼ算」が放送され、久しぶりに聴きました。「青菜」は植木屋と旦那、植木屋と女房、植木屋と友達の大工、それぞれのやりとりが面白く、その世界に引き込まれました。植木屋の女房の「おさき」さんが、長屋に帰ってきた植木屋に対して、「このアンケラソウ」「この腸チビス」「この九…
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「探偵ナイトスクープ」 大学の同窓生である貝の研究家の矢野重文さん出演・彼の下宿を訪ねた思い出・「おはよう朝日です…

ABC朝日放送の番組「探偵ナイトスクープ」に、大学の同窓生の矢野重文さんが出演していました(先月再放送されていました)。本人からの依頼でうんこ座りできないので、奥さんやお孫さんから笑われているので、なんとかできるようにしてほしいという内容でした。45年以上もお会いしていませんが、お顔に当時の面影が残っており、名前も出ていたので、すぐにわ…
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追悼・笑福亭仁鶴さん ラジオの深夜番組で三枝さんと共に絶大な人気・最初に覚えた落語は仁鶴さんの「青菜」・絶妙なやり…

 笑福亭仁鶴さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り致します。  笑福亭仁鶴さんと桂三枝さんは、高校生の頃、若者たちの間では関西の深夜のラジオ番組などで絶大な人気があり、彼らの軽妙で面白いトークを聴くのが楽しみでした。私が落語を覚えたのは、仁鶴さんの落語のテープやレコードなどによってでした。最初に覚えて演じたのは「青菜」で、大阪府…
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旅行記264 1983年の中国研修旅行17 天壇公園、王府井などを見て、午後の便で帰国・夜に解散・記念誌「朱華」の…

1983年8月10日(中国旅行14日目・最終日)は、午前中に天壇公園、王府井などを見て、昼食を取り、北京空港から午後の便で帰国の途に就きました。 天壇は、明・清の皇帝が天を祭り、五穀の豊穣を祈ったところです。旅行団の最後の全体写真をここで撮りました。  ところで、奈良の菅原遺跡で奈良時代の円形建物跡が発見され、高僧・行基の供…
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旅行記263 1983年の中国研修旅行16 万里の長城、十三陵、定陵などを廻り、夜は北京ダック

1983年8月9日(中国旅行13日目)は、万里の長城、十三陵、定陵、天安門広場などを廻り、夜は北京ダックを食べました。  万里の長城で見学できるところは一部です(われわれが行ったのは八達嶺)が、それでもその壮大さを改めて実感しました。遠くはるかなところまで、延々と長城が続いているのが、目でも確認でき、よくもこれほど大きなものを作ったも…
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旅行記262 1983年の中国研修旅行15 泰山から寝台車で北京へ・午後から頤和園、故宮(紫禁城)、日壇公園などを…

1983年8月8日(中国旅行12日目)、泰山から北京に列車で移動しましたが、泰山のホテルを出発したのは、夜中の1時半でしたから、ホテルで少し仮眠を取った程度でした。列車は寝台車でしたが、よく眠れたかどうかは覚えていません。この日もハードなスケジュールでした。正午に北京駅に着き、昼食を取った後、北京大学、頤和園(いわえん)、故宮(紫禁城…
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旅行記260 1983年の中国研修旅行13  孔子の故郷の曲阜・祀られている孔廟・一族の墓がある孔林・屋敷跡であっ…

  1983年の中国研修旅行10日目、孔子の故郷である曲阜へ行きました。 兗州駅からバスで30分程です。 孔子が祀られている孔廟、孔子や子孫の墓などがある孔林、子孫などがかつて住んでいた屋敷跡である孔府などがあり、全部合わせると広大な敷地です。 屋敷跡がホテルになっていて、そこに泊まりましたが、中庭を囲むように部屋が並んでおり、中庭には…
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大阪探訪64 リーガロイヤルホテル 2006年の大阪府立大手前高校創立120周年記念式典・メインロビーの大絨毯・就…

 ワクチン接種を大阪国際会議場で受けた際、隣のリーガロイヤルホテルのロビーにも少し立ち寄りました。大阪府立大手前高校で勤務していた2006年、創立120周年記念式典が国際会議場で、祝賀会がリーガロイヤルホテルで行われました。記念式典の際の記念演奏会では、大手前卒業生のオーボエ奏者の古部賢一氏の独奏、オーケストラや合唱団とのコラボもあり、…
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大阪探訪61 医学部跡に建つ大阪大学中之島センター・大学生のモニュメント・現役の時、阪大本部まで合格発表を見に行っ…

 2回目ワクチン接種の前に、大阪大学中之島センターへ行きました。目下、改修工事中でした。ここにはかつて大阪大学の医学部がありました。本部もかつては中之島にあり、現役の時、受験した阪大の合格発表は中之島の本部構内でありました。理学部物理学科を受けました(受験会場は豊中市の理学部キャンパスでした)が、肝心の物理の新傾向の問題が全く解けなかっ…
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1964年の東京五輪6 記念切手・夏休みの自由研究も五輪・芸術的な市川崑の記録映画を大臣らが批判し修正

 前回の東京五輪の際は、オリンピックが中学校の夏休みの自由研究の課題にもなりました。自分が何を調べて何を書いたかは覚えていませんが、模造紙に記念切手を貼り付けたことはよく覚えています。この記念切手は、前もって6回にわたって発行されました。5円切手ですが、寄付金が5円付いて10円で販売されました(3枚1組のものは30円、4枚1組のものは4…
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1964年の東京五輪5 男子体操の遠藤幸雄選手は3個の金メダル・流行語「ウルトラC」 体育館でテレビ観戦したマラソ…

 写真は前回の東京五輪の際に、毎日新聞から発行された絵葉書の第五集で、これが最後です。   男子体操もレスリングと同じく5個の金メダルを獲得し、中でも遠藤幸雄選手は、団体、個人総合も含めて3個獲得しています。写真は個人総合で、鉄棒の演技をしている時の遠藤選手です。当時、最高難度の演技はCでしたが、男子日本の体操の演技はそれ以上だという…
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1964年の東京五輪4 依田郁子選手の80メートルハードル走・ヘイズ選手の100メートル走優勝・棒高跳びの9時間の…

 前回の東京五輪の頃は、アマチュア選手の大会でしたが、いつしかプロの選手も参加するようになり、日程も放映権を持つアメリカのテレビ局などの意向で、今の時期に設定されてしまい、今回の大会は酷暑の中でやらざるをえなくなりました。商業主義に毒され、「五輪貴族」という言葉も生まれ、彼らの横暴ぶりが目に余ります。  私は医療逼迫を招き命の危険も伴…
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1964年の東京五輪3 金メダル第1号は重量挙げの三宅選手・レスリングで金メダルを獲得した渡辺選手・体操と同様5個…

  前回の東京五輪の際に発行された絵葉書第三集です。最初は開会式の前に発行され、開会式が始まり、競技が進んでいくたびに発行され、計五回出されました。第三集の表紙は武道館で、東京オリンピックで新しい競技として取り入れられた柔道を行うために作られました。もっとも、この時は柔道は男子だけで、女子柔道がオリンピックの公開競技になったのは、198…
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コロナ禍の中、長すぎた今回の開会式 1964年の東京五輪2 日本選手団の行進、選手宣誓、聖火台への点火、クーベルタ…

 写真は当時の東京五輪の絵葉書第2集です。表紙が代々木選手村、絵葉書は開会式の日本選手団の行進(しんがりで94番目でした)、選手宣誓、聖火台への点火、電光掲示板に映しだされたクーベルタン男爵の言葉です。  今回の、コロナ禍の中での四時間近くのオリンピックの開会式は長すぎたという印象を持ちます。パフォーマンスはもっと短くすべきでしたし…
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1964年の東京五輪1  中学1年当時の自分も異様に興奮・開会式の様子を録音・今回、国立競技場を建て替えたことに疑…

前回の東京五輪は大いに盛り上がって、当時中学1年の私も異様に興奮していましたが、今回は全く違います。緊急事態宣言が出され、コロナの感染が急拡大しこのままでは医療崩壊も招きかねない状況の中で、巨大イベントであるオリンピックだけ特別扱いで行われることに疑問、矛盾を感じていました。実際、恐れていた通りの最悪の状態になりつつあります。開催中止を…
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大阪府立住吉高校国際教養科の専門科目「国際理解」を担当 童話・民話から国民性を探る、「人魚姫」と「リトル・マーメイ…

  大阪府立住吉高校の国際教養科の専門科目で「国際理解」を担当しましたが、これも貴重な経験になりました。国語、社会、英語科の教員が一学期ずつ担当しましたが、教科書もなく、どういう授業をするのかは担当者に任されました。私は各国の文化に対する理解を深めるために、童話や民話に着目し、それぞれどういう特徴や国民性がうかがえるのか、考察しました。…
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大阪府立住吉高校国際教養科設置をめぐって4 2年目の国際教養科案内パンフレット(1990年) 8倍の競争率になった…

 写真は大阪府立住吉高校の国際教養科の2期生を募集した時の案内パンフレットです。2年・3年次のカリキュラムの専門科目の内容が初年度に比べてかなり変更されていますが、1年間、教員間で議論を重ねた結果です。入試方法も大きく変わり、一般入試の前に、一次入試が加わりました。これも府教委の意向で決められたことです。  80名の定員の3割を一次入…
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大阪府立住吉高校国際教養科設置をめぐって(1989年)3 初年度の国際教養科案内パンフレット 未定の部分の多さ

 森友文書改竄問題でもそうですが、省庁では、おかしなこともおかしいと云えない空気があるのではないかと思ってしまいます。  大阪府立住吉高校に国際教養科が設置がされることを校長が突然発表した時(前述したように、府教委出身の校長は赴任する時から、設置することを府教委から言い含められていたようですが、そういうことを教職員には全く明かしません…
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大阪府立住吉高校国際教養科設置をめぐって(1989年)2 設置を一年延期してほしいという「要請書」を府庁に持って行く

 写真は1989年10月に、大阪府立住吉高校の教職員が府庁に持って行った、国際教養科の設置を一年延期してほしいという「要請書」(案)の内容です。これでよいか全体に諮ったので、一部修正されたかもしれません。職員会議の決定事項なので、議長団三名の名前と印鑑が押されています(その部分は省略)。すでに9月18日の職員会議で来年度の開設を延期する…
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赤木ファイルを残したことに感銘 大阪府立住吉高校の国際教養科設置をめぐって(1989年)1 半年前に校長が通告・1…

 森友文書改竄の経緯を詳細に記した赤木俊夫さんの誠実さには改めて感銘します。佐川理財局長の言いなりになる役人が大半だった中で、その理不尽な指示に最後まで抵抗した良識ある人がいたことを忘れてはいけないと思います。それと共に、記録しておく必要性も痛感しました。  森友問題に関しては、3月に赤木さんの妻が立ち上げたプロジェクト「私の夫、赤木…
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旅行記249 1983年の中国研修旅行2 まず上海へ・昭和30年代前半の大阪に似た雰囲気・魯迅の墓・シルク工場

1983年(昭和58年)の中国研修旅行は、まず上海から入りました(大阪空港から日本航空便)が、私が子供の頃の昭和30年代前半の大阪に似た雰囲気がありました。人で溢れ、雑然として、エネルギッシュで陽気な町といった印象でした。暑いので、夜になると外に縁台を出してみんなが涼んでいるのも、懐かしい気がしました。自転車の荷台に扇風機を乗せて持ち帰…
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6月に一度だけあった休日は何の日だったかという村瀬哲史氏のクイズ・ 「結婚の儀」の日の日記の記述

「なにわの地理博士」こと、予備校講師の村瀬哲史氏がラジオ番組「ええなぁ」で、以前、休日に関する問題を出していましたが、その中に6月に一度だけ休日になったことがあったが、それは何の日だったかという問題がありました。私も完全に何の日だったかは忘れていましたが、当時の皇太子と雅子さんの結婚の儀の日だったという答えを聞いて、そうだったと改めて思…
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