テーマ:旅行記

旅行記163 三成の実像2641 壱岐対馬を経て韓国へ22 碧蹄館の戦いの跡碑・仁川から帰国

 5月2日、ソウル郊外の幸州山城跡に行った後、昼食を取り、碧蹄館の跡地と碧蹄館の戦いの跡碑を訪ねました。ここも17年前にも訪ねていますが、最初、碧蹄館の跡地がなかなかわからず、車で少しうろうろしました。碧蹄館は中国使節の宿泊地だったところで、以前はその跡地の中に入れましたが、今は柵があり、中に立ち入ることができません。今は礎石などが残っ…
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旅行記162 三成の実像2640 壱岐対馬を経て韓国へ21 朝鮮側が勝利した幸州山城の戦い

 5月2日、景福宮を見学した後、ソウル郊外の幸州山城に行きました。ここは17年前にも訪ねましたが、一段と整備され、花などもきれいに咲いていました。幸州山城は文禄の役の際、明・朝鮮側が勝ったところで、三大戦捷地の一つです。勝利した権慄将軍の像が建ち、救国の英雄として「忠荘祠」に祀られています。山頂には高い大捷碑が建って、威容を誇っています…
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旅行記161 三成の実像2639 壱岐対馬を経て韓国へ20 三成が来た時には焼けていた景福宮

  釜山の倭城めぐり2日目、釜山子城台跡、釜山母城跡、北東の西生浦倭城跡、蔚山倭城へ行った後、蔚山駅から今度は韓国高速鉄道(KTX)でソウルに向かいました。所要時間は2時間20分でした。そこから地下鉄に乗り換え、東大門にあるホテルに着いたのは8時半でした。夕食は駅で買った巻き寿司を車内で食べて済ませました。もっとも、ホテルに着いて荷物を…
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旅行記160 三成の実像2638 壱岐対馬を経て韓国へ19 籠城戦が行われた蔚山城

  山の倭城めぐり2日目は、釜山子城台跡、釜山母城跡、北東の西生浦倭城跡を訪ねた後、さらにその北東にある蔚山倭城へ行きました。  蔚山倭城も、公園になっていますが、本丸、二の丸跡などが残っており、ところどころに石垣もあり、当時の雰囲気がわずかにしのべます。ここは慶長の役の際、熾烈な籠城戦が行われた場所ですが、今は公園だけに、穏やかな平…
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旅行記159 三成の実像2637 壱岐対馬を経て韓国へ18 加藤清正が築いた西生浦倭城

  釜山の倭城めぐり2日目は、釜山子城台跡、釜山母城跡をめぐった後、石焼ビビンバで昼食を取り、釜山の北東の西生浦倭城跡へ行きました。  西生浦倭城は、17年前に訪れていますが、西の熊川倭城と並んで、大規模な城跡です。築城したのは、加藤清正です。前回と違って、整備が随分進んでいるという印象を受けました。パンフレットを入口の案内所でもらい…
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旅行記158 三成の実像2636 壱岐対馬を経て韓国へ17 毛利輝元が築城した釜山倭城(母城)

 5月1日の釜山東方の倭城めぐりは、釜山駅の北東に位置する釜山子城台倭城に訪ねた後、すぐ近くにある釜山倭城(母城)へ行きました。ここは今は体育公園になっており、テニスコートもありますし、やはり健康器具などもあります。しかし、周囲のところどころに石垣などが数多く残っています。毛利輝元が築城した倭城です。ここも今回、初めて訪ねました。釜山子…
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旅行記157 三成の実像2635 壱岐対馬を経て韓国へ16 釜山子城台倭城

 令和最初の日の5月1日の釜山東方の倭城めぐりは、最初に釜山駅の北東に位置する釜山子城台倭城に行きました。今は公園化されていますが、周囲に石垣などが数多く残っています。市民憩いの場所になっており、ウォーキングする人、健康器具を使っている人もいました。  山頂(丘の上)が本丸跡ですが、それをしのぶものはなく、鎮南台などが建っており(上の…
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旅行記156 三成の実像2634 壱岐対馬を経て韓国へ15 サムギョプサル・釜山の東の倭城めぐり

  4月30日の釜山西方の倭城めぐりを終えた後、5時に一旦ホテルに戻り、入浴して汗を流した後、6時にロビーに再集合し、倭城ガイドの植本有里さんの案内で、南浦洞の店に行き、サムギョプサルを食べました(上の写真)。釜山駅から地下鉄で二駅です。切符の自動販売機には、日本語表示ボタンがあって、それを押すと、ハングル文字表示が漢字表示に変わ…
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旅行記155 三成の実像2633 壱岐対馬を経て韓国へ14 島津氏が使用していた旧永登城

  4月30日の釜山西方の倭城めぐりですが、巨済島にある長門浦倭城を訪ねた後、やはり巨済島にある旧永登城跡へ行きました。島津義弘・忠恒親子が築いた永登浦倭城の山裾にあります。永登浦倭城まで登りたかったのですが、時間的に 無理だったので、旧永登城跡を訪ねたのを最後に、釜山のホテルまで引き返しました。旧永登城は、朝鮮側が築いた城ですが、文禄…
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旅行記154 三成の実像2632 壱岐対馬を経て韓国へ13 長門浦倭城の独立した曲輪群

  4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしましたが、熊川倭城のあと、途中で倭城ガイドの植本友里さんお勧めの店で韓国冷麺を食べてから(日本人観光客はほとんど来ない店で、落ち着いて味わうことができました)、巨済島にある長門浦倭城へ行きました。  文禄2年に築かれたもので、築城者や城主についてはいろいろな説があります。「蜂須賀家政・生駒親正が…
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旅行記153 三成の実像2631 壱岐対馬を経て韓国へ12 17年ぶりの熊川倭城

 4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしましたが、熊川邑城の次に熊川倭城へ行きました。熊川倭城は17年前にも登りました。写真は山頂の様子を撮ったものです。石がゴロゴロしてしているのは、以前と変わりません。山の上から海が見えましたが、埋め立てが進んでおり、海岸線が随分後退したという印象を持ちます。  熊川倭城は小早川隆景が築城し、このあと…
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旅行記152 三成の実像2630 壱岐対馬を経て韓国へ11 復元された熊川邑城

 平成最後の日の4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしました。ワゴン車をチャーターして、8時半ホテルを出発しました。釜山に住んでいる倭城に詳しい、日本人女性の植本友里さんに案内していただきました。彼女はすべての倭城を踏破したというつわもので、黒田慶一氏の薫陶を受けており、2日間に渡ってガイドを頼みました。彼女は日本での倭城イベントに出演さ…
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旅行記151 三成の実像2629 壱岐対馬を経て韓国へ10 釜山で豚クッパ・三成が到着した期日は不明

 4月29日の夕方、釜山港に着きました。対馬の比田勝港から高速船で一時間余りでしたが、今度は入国手続をしなければならず、書類も書く必要がありました。外国に行くのは、7年前のスイス旅行以来です。もっとも、手続き自体はそれほど時間がかかりませんでしたが。船は満員でした。  港から歩いて釜山駅前のホテルまで15分かかって歩きました。まだ雨が…
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旅行記150 三成の実像2628 壱岐対馬を経て韓国へ9 対馬の伝・嶋左近の墓

  4月29日の対馬めぐりですが、そば屋で昼食を取った(対州そばと信州そばの両盛りで、味の違いを楽しめました)あと、島左近の墓と伝わるところに行きました。説明掲示板が建っていたので(上の写真)、それに従って雨の降る中、山の中に入って行ったのですが、途中で道が切れており、行く道がわからず、結局引き返しました。時間があれば、探索を続けたので…
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旅行記149 三成の実像2627 壱岐対馬を経て韓国へ8 清水山城登山断念・宗義智と雨森芳洲の墓

  4月29日朝、対馬のホテルの近くにある清水山城に登る予定でしたが、本格的な雨が降っており、私は危ないので登るのを断念しました。しかし、他の人は、登山に出発して、途中まで登って引き返す人あり、果敢に山頂まで登る人などさまざまでした。もっとも、ホテルに戻った後、入浴して服を着替えたそうですが。雨は1日降り続きました。  清水山城は、対…
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旅行記148 壱岐対馬を経て韓国へ7 原の辻一支国王都復元公園・一支国博物館・月讀神社・少弐公園

  4月28日、壱岐の勝本城跡を訪ねた後、原の辻にある一支国(いきこく)王都復元公園へ行きました。「一支国」は、「魏志倭人伝」に登場しており、その王都のさまざまな建物や施設が大規模な敷地に復元されています。まずすぐそばにある「原の辻ガイダンス」の建物の展示室へ行き(ここは無料)、原の辻遺跡の発掘調査や整備の記録についての展示を見ました。…
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旅行記147 石田三成の実像2626 壱岐対馬を経て韓国へ6 勝本城跡・御座所予定・三成も立ち寄る

  4月28日の午前9時過ぎ、壱岐に着きました。博多から高速船で一時間余りです。レンタカーでまず勝本城跡に行きました。今は城山公園になっていますが、石垣などの遺構が残っており、城山稲荷神社も祀られています。説明掲示板には次のように記されています。  「豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に築城した出城で、国の史跡に指定されています…
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旅行記146 石田三成の実像2625 壱岐対馬を経て韓国へ5 波戸の生駒親正陣跡が三成陣跡か

  4月27日の午後、名護屋城跡を見た後、そこから北東に当たる波戸の生駒親正陣跡あたりに車で行き、さらにその先端の波戸岬まで足を延ばしました。突風で、帽子が飛ばされたこともありました。  写真は生駒親正陣跡の近くで東の海の方を向いて撮ったものです。位置から言えば、生駒陣跡は写真のすぐ右側、すなわち南側にあります。当時の船は、写真の右側…
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旅行記145 石田三成の実像2624 壱岐対馬を経て韓国へ4 4年ぶりの名護屋城跡

  写真は名護屋城跡の天守台から、壱岐・対馬方面を4月27日に撮ったものです。壱岐・対馬ははるか先で、かすかに見える程度でした。  名護屋城跡は4年前にも訪ねましたが、途中までは前回と同じコースをたどりました。大手口、東出丸、三ノ丸、本丸、天守台、馬場と廻りましたが、この後、前回は二ノ丸、遊撃丸、水手口を経て、秀吉が住んでいた山里丸の…
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旅行記144 石田三成の実像2623 壱岐対馬を経て韓国へ3 東長寺・神屋宗湛の墓・三成との交流

 写真は博多の櫛田神社の境内に展示されている、飾り山笠「如水九州平定功」を4月27日に撮ったものです。関ヶ原の戦いの際、九州では黒田如水(官兵衛)が毛利・三成ら豊臣公儀方に属する武将の城を次々に攻略してゆく場面を描いたものです。  この日は、櫛田神社の次に東長寺を訪ねましたが、空海が日本で最初に創建した寺です。赤い五重塔が目を引きます…
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旅行記143 石田三成の実像2622 壱岐対馬を経て韓国へ2 櫛田神社・飾り山笠

 博多で一泊した次の日(4月27日)の午前中は、櫛田神社、東長寺、妙楽寺の神屋宗湛の墓を訪ね、その後、地下鉄、JRと乗り継いで、集合場所である唐津駅に向かいました。  櫛田神社、東長寺、神屋宗湛の墓は4年前にも訪れています。博多祇園山笠は、櫛田神社の奉納神事ですが、その飾り山笠の一つに、「太閤博多の町割」があり、華やかな博多の街の中心…
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旅行記142 石田三成の実像2621 壱岐対馬を経て韓国へ1 まずは博多へ

 4月26日から5月2日まで、博多、名護屋、壱岐、対馬、韓国の釜山、ソウルと、三成関連遺跡を中心に巡ってきました。三成は、文禄の役の際、秀吉の代わりに、増田長盛・大谷吉継と共に奉行として渡海しています。その足取りをたどってみようというので、オンライン三成会の人々と一緒に、博多から船で壱岐対馬を経由して韓国に行きました。韓国にある、日本軍…
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旅行記141 最初のフランス旅行(1980年)9 最後にスイスへ  

 最後の二日間はスイスで過ごしました。帰りの便がチューリッヒ空港からの出発だったので、そこまでたどりつく必要がありました。  グルノーブルからの電車でジュネーブに入りました。ジュネーブはフランス語圏で、フランス語が通用したので、不自由しませんでしたが、驚いたのはフランスと比べて、かなり物価が高かったことです。レートも当時は、700フ…
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旅行記139 最初のフランス旅行(1980年)7 パリに12日間滞在後、南仏アルルへ  

 当時の日記を読み直してみると、パリには十二日間滞在していました。今から思うと随分ゆっくり過ごしていたものですが、それでもまだまだ見たいところはたくさんありました。しかし、最後はスイスのチューリッヒから飛び立たねばならず、南仏に旅立つことにしました。  まず、アルルに向かいました。切符を買うとき、このアルルという発音がうまく通じるか…
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旅行記138 最初のフランス旅行(1980年)6 アンバリッドのナポレオンの墓  

 テレビや新聞に、ナポレオン毒殺説が紹介されていましたが、大いに興味を持ちました。ナポレオンの髪の毛を調べると、大量のヒ素が検出され、致死量を超えていたため、彼の死因はヒ素中毒であると法医学者が断定したといいます。もっとも、その髪の毛がナポレオン自身のものかを疑う人もおり、この論争はまだ続くものと思われます。  さて、ナポレオンの墓…
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旅行記137 最初のフランス旅行(1980年)5 バカンスの季節でパリは観光客ばかり  

 初めてのフランス旅行は夏の季節でしたから、フランス人自身はバカンスの最中であり、南フランスなどに出かけていて、パリの店も半分近く閉まっていました。パリの街はフランス人より、外国から来た観光客で溢れていました。勢い、日本人の観光客も多く、有名な観光地に行くと、必ずと言っていいほど、日本のツァー客に遭遇しました。二十年前でもこのような状況…
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旅行記136 最初のフランス旅行(1980年)4 ゆったりとした時間を過ごす  

 自由旅行は自分でゆったりとした時間を過ごすことができ、その点でもパックやツァーの旅行では味わえない良さがあります。特にフランスでは、時間に追われず、ゆっくりと過ごして欲しいものですし、実際私も初めてのフランス旅行ではその醍醐味を充分に味わうことができました。  夏に行きましたから、昼が長くて、なかなか夜になりません。八時でもまだ明…
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石田三成の実像2594 厳島と三成2 秀吉は朝鮮出兵の際、参詣

 秀吉の厳島神社の参詣入口のそばの階段を登ったところに、五重塔と千畳閣が建っています。千畳閣は、秀吉が九州攻めをした天正15年(1587)に、安国寺恵瓊に命じて大経堂(読経所として)建てたものですが、秀吉の死によって未完成のまま残されました。明治時代になって、安置されていた仏像は大願寺に移され、千畳閣は豊国神社になりました。加藤清正もこ…
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旅行記135 最初のフランス旅行(1980年)3 昔ながらのパリの街並み・地名もそのまま  

 パリの中心は昔ながらの街並みをとどめています。それはローマの町でも同じで、どんどん街の様子が変わってゆく日本の都市とは根本的に違います。  モンパルナスのあたりは超高層ビルが建っていましたが、他の地区は昔ながらの景観を保っていました。自分の国の伝統文化を大事に守ろうという姿勢をありありと感じました。  現在、フランス文学を読む…
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石田三成の実像2593 厳島と三成1 九州攻めの際の和歌・秀吉の死の直前の参詣

 3月25日から2泊3日の家族旅行で、広島の宮島に行って来ました。その詳しい内容については、フェイスブックの方で写真入りで紹介していますので、興味のある方はそちらの方を御覧ください。  https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7 真ん中の日に1日かけて厳島神社や宮島…
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