テーマ:旅行記

旅行記318 佐和山と湖東三山の紅葉をめぐる旅1 のろし駅伝は中止・前々日に佐和山登山・百済寺の庭園

11月21日から彦根に2泊しました。3ヶ月ぶりのことです。23日に琵琶湖一周のろし駅伝があり、石田三成の居城であった佐和山でものろしが上がるので、それを見るためでしたが、残念ながら、当日は雨が降り、のろし駅伝は中止になりました。もっとも、出かける前から、23日は雨の予報が出ており、実際行われるかどうかは微妙な状況でしたが、あいにく予報通…
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旅行記317 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる10 大垣の「四季の広場」 美濃路の飯沼慾斎屋敷跡、大垣宿本陣…

 大垣の景色で一番気に入っているのは、水門川の「四季の広場」周辺です。このあたりは、京都アニメーション制作のアニメ映画「聲の形」でも描かれていましたが、滝のトンネルといい、水上ステージといい、美登鯛橋といい、時計台までが周囲と溶け合っている気がします。    10月22日、「奥の細道むすびの地」から「奥の細道むすびの記念館」、全昌…
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旅行記317 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる9 小原鉄心の別荘「無何有荘大醒榭」・大垣藩を新政府側に替える…

 旅行の順番が戻って恐縮ですが、初日の10月21日の午後、大垣入りし、ホテルに荷物を預けた後、まず水門川の「奥の細道むすびの地」のところまで行きました。芭蕉の「奥の細道」の旅が終わった地です。  そのそばに「奥の細道むすびの地記念館」がありますが、その敷地内に「無何有荘大醒榭(むかあそうたいせいしゃ)」があります。  「無何…
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旅行記316 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる8 石田三成の実像3432 関ヶ原古戦場記念館見学2  動く「…

関ヶ原古戦場記念館には、描かれた人物たちが動く「関ヶ原合戦図屏風」が展示されていました。なかなか面白い趣向だと思いましたし、しばし見入りました。これは写真OKでした。家康の養女の満天姫が津軽二代目藩主信枚に嫁ぐ時に家康が持たせたものをもとに作られています。信枚にはすでに石田三成の三女の辰姫が嫁いでいましたが、満天姫が信枚の正…
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旅行記315 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる7 石田三成の実像3431 通説で三成の陣跡とされる笹尾山・関…

10月24日、米原の梓河内から関ヶ原に戻り、通説で三成が陣を置いたとされる笹尾山に行きました。  千田嘉博氏が最近、三成らが陣を置いたという新説を出された玉城跡(城山)が、笹尾山から遠くに望めます。もし三成らが大垣城から玉城まで移動したとすれば、かなりの距離を夜中に歩いたことになります。三成が笹尾山に陣を置いたことは、一次史料にも…
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旅行記314 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる6 石田三成の実像3430 梓河内の石田家の菩提寺である常福寺…

 23日、みんなで梓河内に向かいました。石田三成が梓河内の石田家の血筋だと書かれているのは、妙心寺の寿聖院(三成の長男の重家が出家した寺)に伝わる「霊牌日鑑」であり、その書には、木曽義仲を討ち取った石田為久が、後に流浪して京極氏を頼り、梓河内の猪鼻城を預かり、それが三成の遠祖であると書かれています。そのことは、石田多加幸氏の「石田三成写…
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旅行記313 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる5 石田三成の実像3429 成菩提院・三成が出した「十三ヶ条の…

 22日、妙應寺から車でさらに西の米原市柏原にある成菩提院を訪ねました。ここも事前予約して、住職さんに丁寧な説明をしていただきました。この寺はイベントで何度か訪ねたことがあります。講演会、石田三成を主人公にした劇など。このお寺には、三成が領内の成菩提村に出した「十三ヶ条の掟書」が残っており、講演会も「掟書」に関するものでした。この時…
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旅行記311 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる3 石田三成の実像3427 高橋説による宇喜多・小西陣跡・三成…

 高橋陽介氏が宇喜多秀家・小西行長の陣跡とされている場所(写真は東端のあたりを撮ったもので、堀切があります)と、家康方の福島正則陣跡、井伊直政・松平忠吉陣跡とは近い距離にあり、彼らの間で戦いが始まったことがうなずけます。白峰旬氏と高橋氏は主戦場が関ヶ原エリアではなく、山中エリアであったという見解では一致していますが、三成ら豊臣公儀方…
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旅行記310 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる2 玉の火薬庫営門と立哨台 石田三成の実像3426 三成が陣を…

 11月22日、玉城跡を下った後、その近くにある玉の火薬庫営門と立哨台が立っているところに立ち寄りました。関ヶ原町の玉に東洋一の火薬庫が作られたのは、第一次世界大戦の途中のことでした。当時は立派で厳重な門が作られていました。そのそばに遺跡らしきものも残っていました。立哨台には、同行者の一人に中に入ってもらったので、感じがよくつかめま…
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旅行記309 高橋陽介氏の主催で大垣・関ヶ原をめぐる1 玉城登山・石田三成が陣を置いたとする千田嘉博氏の見解をめぐ…

 10月21日から23日にかけて大垣・関ヶ原方面へ行ってきました。大垣のビジネスホテルに2泊しましたが、22日から23日にかけて、高橋陽介氏が主催する、関ヶ原・大垣周辺の遺跡旧跡をめぐる旅に参加するため、前泊しました。高橋氏は一次史料の分析などによって関ヶ原合戦などに関する新説を次々出されています。  21日は昼過ぎに大垣に着き、駅の…
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旅行記308 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行10 日帰りでの長浜の講演会・羽柴秀勝(石松丸)の墓がある妙…

 8月21日、長浜で太田浩司氏の講演会「石田三成の生涯と業績」があったので、日帰りで聴きに行ってきました。近江での講演会は8月だけで3回目ですが、今回のは延期されていたものではなく、インターネットコミュニティ放送局「STUDIO こほく」の放送500回記念に開かれたものです。この講演の内容については、拙ブログで改めて取り上げる予定です。…
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旅行記307 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行9 宗安寺2 淀殿の念持仏であった阿弥陀如来像が本尊・木村重…

 8月14日、宗安寺を拝観した時、お寺の由緒書と木村重成首塚の由来書をいただきました。  井伊家が創建した宗安寺は、三成との関係だけでなく、豊臣家との関わりも浅からぬものがあります。本堂に安置されている阿弥陀如来像は淀殿の念持仏であったと伝えられるもので、大坂夏の陣の際、井伊家の家臣が大坂城から運び出したものです。また豊臣方の武将…
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旅行記306 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行8 「三成オレ」と「三成醤油プリン」 宗安寺の三成の念持仏と…

 彦根に2泊した8月14日は、前夜のリモート会の疲れがまだ残っており、天気もよくないので、行くところを絞りました。  まず夢京橋キャッスルロードへ行き、「近江や」で、「三成オレ」と「三成醤油プリン」を店先の椅子に座って食べました。「三成オレ」は三成が秀吉が仕えたきっかけとなったとされる「三献茶」にちなんで三種の抹茶が使われた抹茶オ…
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旅行記305 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行7 坂田駅周辺2 山内一豊・千代像 坂田神明宮 夜のリモート会

 坂田駅の前に山内一豊・千代夫妻の像が建っています。二人の間には、女子が生まれましたが、一豊が長浜城主をしていた時、天正大地震が起こり、その地震で幼くして亡くなっています。この時のことは大河ドラマ「功名が辻」でも描かれていましたが、痛ましい場面でした。それ以来、二人は子には恵まれず、養子を取り、後に山内家の家督を継いでいます。一豊は掛川…
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旅行記304 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行6 坂田駅周辺1 米原市飯の嶋氏館跡碑(嶋左近の館?)と若宮…

 13日、午前中に醒井宿を見た後、再びJRに乗り、坂田駅で降りました。北陸本線で、米原駅から北へ一駅ですが、降りるのは初めてでした。周辺を散策しましたが、一番の目的は、嶋氏館跡碑です。  嶋氏館跡碑は駅から南に10分あまり歩いて行った飯(い)地区にありますが、最初は表示板もないので、少し迷いました。民家が建ち並ぶ一角に春日神社があ…
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旅行記303 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行5 醒井宿2 問屋場・十王水・西行水・食堂で「三成めし」は食…

13日の午前中、醒井宿を散策しましたが、江戸時代の問屋場が残っています。問屋場とは、宿場町を通行する大名や役人に人足や馬を提供し、荷物を積み替えるなどの引き継ぎ事務を行っていたところで、醒井宿には問屋場が7~10軒あったと、説明掲示板に記されていました。   ヴォーリズが設計に携わった旧醒井郵便局が現在、資料館になっています。創建され…
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旅行記302 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行4 仙琳寺の竹林・三成の屋敷があったモチノキ台・翌日は醒井宿…

 12日、仙琳寺の表門を出て、竹林のそばを通りましたが、この竹林は「ひこねキャンドルナイト」のイベントの際、切り出されてその竹の中にキャンドルが灯されています。仙琳寺の竹林が使われているのは、このイベントのメイン会場が、石田三成に縁のある宗安寺であり、仙琳寺には、かつて三成の茶室や井戸があったことにちなむそうです。このイベントは夢京橋キ…
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旅行記301 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行3 もとは佐和山城に勧請されていた八千代稲荷・新しく出来てい…

 9日の午後は、長純寺のすぐ北隣にある慈眼寺の境内の八千代稲荷(大明神)にお参りしました。八千代稲荷はもとは佐和山城に勧請されていましたが、佐和山廃城の後は、慈眼院の境内に移されたようです。彦根市役所の近くです。この日は、これで彦根散策は止めて、早めに家に帰りました。  もっとも、この3日後の12日、再び彦根で、これも延び延びになって…
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旅行記300 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行2 「寝弘法さん」がある大師寺・森川許六の墓所がある長純寺・…

 9日の昼に米原から彦根に戻りましたが、午後は、あまりに暑いので、彦根駅近くを散策しただけでした。大師寺、八千代稲荷などを回りました。  大師寺は、前にもお参りしたことがありますが、空海の寝姿の像である「寝弘法さん」があることで有名です。頭や体を撫でて願い事をすると御利益があるというので、私も撫でました。「井伊家ゆかりの社寺めぐり」の…
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旅行記299 講演会出席を兼ねての5ヶ月ぶりの近江旅行1 早めにホテルにチェックイン・夜に講演会・翌日の午前は米原へ

 8日、石田三成に関する大石学氏の講演会「急ぎすぎた中央集権化~官僚の悲劇~」に参加するために、五ヵ月ぶりに彦根に行きました。本来、昨年に行われる予定でしたが、コロナ禍のため延び延びになっていました。講演会は夜なので、その日は彦根のホテルに泊まりました。12日にも同じく延期されていた中野等氏の講演会「三成と関ヶ原」が行われるため、再び彦…
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昔の8ミリフィルムをDVDにダビング・1979年に友人と深草散歩して撮ったのが最初・1980年のフランス旅行の際は…

 昔撮った8ミリフィルムを写真屋さんにDVDにダビングしてもらいましたが、6本のテープに計2時間20分程録画されていました。8ミリカメラを買ったのが今から43年前のことで、それから8年間使用し、フランス旅行、中国旅行、新婚旅行などの映像、娘の誕生から一歳近くまでの様子が写っています。しかし、なにぶん長い年数が経っているので、フィルムが劣…
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旅行記298 講演会出席を兼ねての近江旅行6 石田三成の実像3227 佐々木道誉が創建した青岸寺・開国記念館は彦根…

 19日の近江巡りは、長浜の後、米原の青岸寺を訪ねましたが、拝観の終了時間の4時ぎりぎりだったので、庭園は見学できませんでした。10年ぐらい前に一人で訪ねたことがありますが、近江鉄道1日乗車券を利用してのことでした。終点の米原駅の近くにありますが、枯山水庭園は見応えも趣きもありました。寺を創建したのは、婆娑羅(ばさら)大名として有名な佐…
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旅行記297 講演会出席を兼ねての近江旅行5 石田三成の実像3225 大通寺と三成の関わり合い・文泉堂のカフェ

 19日、長浜で「のっぺいうどん」を食べた後、大通寺を久しぶりに訪ねました。拙ブログでも述べたことがありますが、2009年に大通寺の大広間で「石田三成公一代絵巻」の展示がされていました。この年、大河ドラマ「天地人」が放送され、主人公の直江兼続の盟友として石田三成にもスポットが当たっていたため、この展示もその関連イベントの一つとして行われ…
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旅行記296 講演会出席を兼ねての近江旅行4 石田三成の実像3223 「のっぺいうどん」で昼食・2004年の大手前…

 19日、オンライン三成会の会員二人と車で米原市の観音寺を訪ねた後、長浜の大手前通りにある「茂美志屋」で「のっぺいうどん」と豆腐の田楽を食べました。  「のっぺいうどん」は、2000年の三成祭の時にオンライン三成会の会員の人々と来て以来、今までたびたび食べに行っています。あんかけうどんで出汁の味もいいし、体も温まります。何より大きな椎…
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旅行記295 講演会出席を兼ねての近江旅行3 石田三成の実像3222 オンライン三成会の人と佐和山城大手口、石田一…

 谷口徹氏の講演「佐和山城の絵図を読む」(拙ブログでの報告が途中になっていますが、続きは後述します)の翌日(19日)は、オンライン三成会の会員二人と車で、まず佐和山城大手口へ行きました。昨年一人で来た時は、草がぼうぼうに伸びて、山頂がよく見えないほどでしたが、彦根に大雪が降り積もったために、なぎ倒されて、見通しがよくなっていました。佐和…
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旅行記293 講演会出席を兼ねての近江旅行1 石田三成の実像3219 谷口徹氏の講演「佐和山城の絵図を読む」1 佐…

 「彦根ヒストリア講座2021」が、コロナ禍のため、延び延びになっていますが、18日に「戦国編」の谷口徹氏の講演「佐和山城の絵図を読む」が開かれたので行ってきました。この講演は当初の予定通りの日程ですが、他の講演が延期されているので、念のため、講演の2日前、事務局に電話して開催されることを確認しました。その上で、ようやくいつものビジネス…
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謹賀新年 旅行記292 講演会出席を兼ねての彦根旅行9 佐和山に登った後、城下町跡の本町筋、大手口あたりを散策・中…

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。  昨年12月の彦根旅行ですが、もう1泊し、12日に佐和山に登りました。10月にも登っていますが、今回はルートを替え、太鼓丸口、千貫井戸、本丸、西の丸を見た後、かもう坂往還道を下って、内堀跡を渡って、l佐和山城の城下町があった時のメインストリートだった本町筋あたり(今は田畑や…
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秀吉が赤松氏の娘との間に儲けた「太郎」? 旅行記291 講演会出席を兼ねての彦根旅行8 竹生島の八大龍王拝所からの…

 昨日の拙ブログで、和田裕弘氏の「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」(『天下布武』第28号所載)について触れましたが、この論考をご紹介していただいたのは、桐野作人氏です。改めてお礼申し上げます。  和田氏の同論考で、石松丸が朝倉景鏡の子であり、秀吉の養子になったという説が唱えられていることは前述しましたが、合わせて、秀吉が赤…
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旅行記290 講演会出席を兼ねての彦根旅行7 竹生島の宝厳寺の本堂への石段・「竹生島奉加帳」の「石松丸」は秀吉の実…

 竹生島の宝厳寺の本堂へ行くまで165段の石段を登らねばなりませんが、30年近く前、まだ小さかった娘を連れて苦労して家族で登ったことを思い出します。  本堂には弁才天が本尊として祀られています。お寺の歴史は古く、聖武天皇の勅願により行基が開基しました。戦国時代、浅井氏が信仰し、浅井三姉妹も帰依しています。信長の家臣だった明智光秀が竹生…
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旅行記289 講演会出席を兼ねての彦根旅行6 竹生島の唐門は大坂城の豪華な極楽橋の遺構 舟廊下は秀吉の御座船の骨組…

 竹生島の宝厳寺の唐門は、大坂城の極楽橋の一部で、秀吉の死後、京都の豊国廟の極楽門に移築されました。さらに秀頼の命により、竹生島に移り、唐門になりました。大坂城の極楽橋の豪華さは、2006年にオーストリアのエッゲンベルグ城で発見された「豊臣期大坂図屏風」によってその様子が明らかになりました。極楽橋については、ルイス・フロイスが、屋根は鍍…
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