テーマ:旅行記

「歴史秘話ヒストリア」 比叡山焼き討ちは一部だったという発掘調査結果・実際は坂本の町が焼き討ちされたという見解

 NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」の中で、信長が行った比叡山焼き討ちについて、発掘調査によって、比叡山で焼けたのは根本中堂や大講堂などの限られたところであり、大部分の場所は火事の痕跡がなかったことが明らかになったと説明されていました。焼き討ちを行って根絶やしにしたのは、比叡山の拠点であるふもとの坂本だったという新説についても紹介されて…
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古代史 番組「諸説あり 邪馬台国スペシャル」 畿内説・九州説・移動説それぞれの根拠 37年前の中国研修旅行で泊まっ…

 TBSの番組「諸説あり 邪馬台国スペシャル」(昨年の再放送)で、畿内説の根拠、九州説の根拠がそれぞれ挙げられていましたが、興味深いのは中国の研究者の大半は、邪馬台国は当然のように九州にあったと考えていることでした。中に一人、陳教授は邪馬台国は九州から畿内に移動したという説を唱えていました。その根拠として、九州の北部と畿内に同じ地名があ…
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旅行記224 37年前の中国研修旅行 その時に発行した文集「朱華」・「古都西安」と題する拙文

 亡父が太平洋戦争の時、兵隊として武漢に行ったので、かねがね一度訪れたいと思いながら、果たせないままです。新型コロナウイルスは、武漢で発生したと云われていますが、中国当局が最初のうちはそのことを隠蔽していたため、感染が広がってしまったという見方が専らです。これも一党独裁の弊害で、最近、ますますその傾向が強くなっています。 もっと…
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旅行記223 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行18 洲本城に柴右衛門狸を祀る祠 落語探訪 桂米朝さんの「…

洲本城の本丸跡に芝右衛門狸を祀る祠があります。芝右衛門狸はこの山に住んでいたとされる狸で、次のような伝説があります。この狸は人に化けて浪速の中座まで船で芝居見物に行き、木の葉で木戸銭を払っていましたが、芝居小屋の人の知るところとなり、番犬に襲われて殺されてしまいます。その後、中座の人の入りが悪くなったので、中座に芝右衛門狸を祀ると…
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旅行記222 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行17 興源寺の蜂須賀墓所・正勝は野盗だったというのは作り事

2月24日、徳島市内めぐりの最後に、興源寺の蜂須賀家墓所を訪ねました。徳島城跡の北側を東西に流れているのが助任川ですが、そこを越えて、さらに北に十分程歩いて行ったところにあります。   蜂須賀家の家祖の正勝と松夫妻の墓だけ離れたところにありますが、徳島藩の藩祖である家政や初代藩主の至鎮をはじめとして歴代藩主などの墓は、広い敷地の中に…
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旅行記221 日本文学探訪128 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行16 阿波踊りのモニュメント・阿波踊り…

徳島と云えば阿波おどりが有名ですが、それにちなんだモニュメントが市内にいろいろあります。阿波おどり会館の前には、編み笠の形をしたへんろ小屋(お遍路さんの休憩所)、そこから東南に十分足らず歩くと、阿波おどりからくり時計があります。残念ながら、その時間ではなかったので、見られませんでしたが、文字通り人形が阿波おどりを踊るというからくりになっ…
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旅行記220 日本文学探訪127 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行15 瀬戸内寂聴さんの実家・記念碑「い…

先月24日、阿波おどり会館から南に歩き、瀬戸内寂聴さんの実家である仏壇屋の前を通ってから、新町川沿いにある寂聴記念碑を見に行きました。記念碑の建っているあたりは、寂聴さんが子供の頃に遊んだところだそうです。記念碑は「いっちょら」と名付けられており、彫刻家の流政之氏の作品です。「いっちょら」は徳島弁で一番の晴れ姿の意味で、関西では「い…
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旅行記219 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行14 眉山ふもとの寺町・湧き水の錦竜水、春日井・瀧薬師

 眉山は徳島駅の西にありますが、ふもとの阿波おどり会館からロープウェイが出ています(その時は運休。眉山山頂へは拙ブログで前述の通り、前日に車で山頂まで行きました)。24日は会館のところから山麓沿いに北に寺町界隈まで歩きましたが、文字通り寺や神社がたくさん並んでいます。ここに寺社を集めたのは江戸時代、藩主だった蜂須賀家です。   眉山の…
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旅行記218 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行13 阿波木偶資料館・新町川沿い・ひょうたん島の形をした中州

  先月24日、ホテルをチェックアウトしてから、徳島駅前のコインロッカーに荷物を預け、まず歩いて十分程の距離にある、あわぎんホール内の「阿波木偶(でこ)資料館」を見学しました。「阿波木偶」と呼ばれる人形浄瑠璃の人形や衣装、小道具類などが多数展示されていました。淡路島の人形浄瑠璃に似ていると思ったら、徳島に人形浄瑠璃が入ってきたのは、蜂須…
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旅行記217 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行12 車で眉山山頂へ・モラエス像、洋風あずまや「ガゼボ」、…

 先月23日、淡路島めぐりの後、徳島に戻り、眉山の山頂に行きました。ロープウェイは運休していたので、車で上がりました。山頂には、モラエス像、洋風あずまやである「ガゼボ」などがあり、290メートルの高さから市街地や瀬戸内海、山々を望むことができます。徳島城跡のある城山は随分低く見えます。  ポルトガル人のモラエスは神戸・大阪で領事を務め…
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旅行記216 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行11 三成の子孫の米田文郎氏の元住居・三成の淡路島出身の側…

司馬遼太郎の小説「関ヶ原」の初芽のモデルとされる、淡路島出身の石田三成の側室の子孫の一人に、京大薬学部名誉教授だった米田文郎氏がおられましたが、昨年亡くなられました。その住居であった米田家が、洲本市の本町七丁目センター街に残っていますが、今はNPO法人の管理になっており、地域創生や交流の場所として使われています。先月23日に訪ねた…
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旅行記215 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行10 洲本城4 東の丸・東二の門・武者溜・東一の門 

 洲本城の本丸の東側に東の丸があり、そこを東に進むと、東二の門があり、虎口の石垣が残っています。   そこを通り抜けると、広大な武者溜が広がっています。言葉通り、武士が集合する場所です。その東南に東一の門があり、下に通じるようになっています。  洲本城主であった脇坂安治は、文禄の役の際は、最初は対馬の船奉行に任じられていましたが、朝…
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旅行記214 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行9 洲本城3 西の丸までかなりの距離・秀吉の意向で大規模に?

洲本城の本丸を見た後、搦手(からめて)口の階段を下りて西の丸の方に向かいました。  途中、籾蔵跡のところを通りましたが、西の丸までは十分近くかかり、かなり距離がありました。 西の丸も広く平坦で、西側の石垣が残っていました。西の丸のところから天守を眺めると、かなり遠くに見えましたから、その距離が実感できました。この後、本丸の東側に…
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旅行記213 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行8 洲本城2 本丸・模擬天守・李舜臣に敗れた脇坂安治・芝右…

洲本城は本丸大石段を登って、本丸虎口を経て、本丸、天守台へと行きました。模擬天守は昭和3年に再建されたものです。天守台からの眺望の素晴らしさにも目を見張りました。  洲本城主であった脇坂安治は、文禄の役の際に、対馬で船奉行を務め、次いで水軍を率いて朝鮮半島に渡りますが、李舜臣によって閑山島沖におびき出されて、壊滅的な打撃を受けて…
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旅行記212 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行7 洲本城1 脇坂安治が総石垣の城に

 洲本市立淡路文化史料館を見た後、車で山上にある洲本城へ行きました。車で大手門跡、馬屋(月見台)のところまで行けます。馬屋のところからも眺望がよくききます。近くには、日月の池もありますが、このあたりが東の丸です。  案内説明版を見ても、城の大きさがわかりますし、実際、東西にひろがる城跡を時間をかけて見て回りました。本丸、天守台から、少…
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旅行記211 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行6 淡路文化史料館・24歳の時の三成書状・直原玉青記念美術館

 洲本市立淡路文化史料館は三階建てで、一階は淡路人形浄瑠璃関係、淡路島の原始古代から近代に至る歴史に関するさまざまな資料、二階には漁具、農具、生活用具、洲本出身の作家である岩野泡鳴関係の資料、高田屋嘉兵衛に関する資料、淡路島の焼き物である珉平焼の作品、淡路島ゆかりの芸術家の作品などが展示されています。三階は岡山県の生まれで淡路島で幼少期…
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旅行記210 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行5 淡路島出身の三成の側室・岸河神社そばの三成供養塔は見当…

 司馬遼太郎の小説「関ヶ原」に石田三成に思いを寄せる初芽という女性が登場していますが(映画では有村架純さんが演じていました)、淡路島の洲本市納地区出身の三成の側室がモデルだという説があります。納地区には石田姓の集落があり、三成の側室の子孫と言われています。淡路島に三成の子孫の方がおられることは、白川亨氏の「石田三成とその一族」(新人物往…
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旅行記209 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行4 変化に富んだ旧徳島城表御殿庭園・夕方に合流

2月22日、徳島城博物館を見学した後、すぐ隣にある旧徳島城表御殿庭園も見てまわりましたが、壮大かつ繊細で見ごたえがありました。博物館のチケットで庭園にも入れました。  庭園は「利休七哲」の一人である上田宗箇が1600年頃に作ったと伝えられる桃山様式のもので、枯山水と池・築山を備える泉水庭が組み合わせられており、阿波特産の「青石」(緑…
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旅行記208 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行3 徳島城博物館・企画展「ひな人形の世界」・常設展に蜂須賀…

徳島城本丸跡、東二の丸跡、天守跡を見た後、城山を降りて、徳島城公園内にある徳島城博物館を見学しました。雨が降ってきたため、雨が止むるまで館内で二時間近く過ごしました。   徳島城博物館では企画展「ひな人形の世界」が開かれていましたが、立雛がひな人形の源流であったこと、庶民の間で丸い顔の次郎左衛門雛、袖のつっぱった享保雛、新式の古今雛…
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旅行記207 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行2 徳島城本丸・天守跡は東二の丸・蜂須賀家政像・慶長の役の…

ホテルに泊まった翌日の2月22日に、まず駅の北側にある徳島城跡へ行きました。ホテルは駅の南側にあったので、線路をまたぐ歩道橋を渡りました。徳島城の石垣や堀などの遺構は残っているものの、天守などの建物は残っていません。   山の高さは61メートルで、山頂が本丸跡ですが、平坦でかなりの広さがあります。徳島市街が一望のもとに見えますし、眉山…
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旅行記206 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行1 京都駅前から高速バスで徳島駅前へ

2月上旬に、大阪府立住吉高校の元同僚の人たちと、富山旅行に行く予定だったのですが、昨年末に施設に入居している93歳の母親が倒れて救急車で病院に運ばれたため、何が起こるかわからない状況になり、年末の段階で参加を見合わせました。特急サンダーバードの予約の関係で、早く連絡しなければ、他の方々にも迷惑がかかると思って、判断しました。  幸い、…
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旅行記205 11月2度目の近江旅行7 石田三成の実像2773 徳源院・京極家墓所

 11月24日、米原市の成菩提院での三成会議のイベントは午前中だったので(谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」の内容については後述します)、その後、一人、京極家の墓所がある徳源院を訪ねました。歩いて二十分余りですが、何年か前にも訪ねたことがあります。紅葉を見に来ている人々もいましたが、はや散り始めていました   京極家初代の氏信が…
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旅行記204 11月2度目の近江旅行6 石田三成の実像2772 成菩提院の「三成会議」1「乙訓戦国つつじ」のメンバ…

 佐和山城跡ののろし駅伝・いしだみつにゃん誕生祭の翌日は、米原市柏原の成菩提院で三成会議のイベントが開かれました。私が行った時には、三成マンホールデザイン表彰式は終わっており、「乙訓戦国つつじ」のメンバーによる甲冑劇が始まっていました。三成の少年期から、成長して秀吉のもとで活躍し、関ヶ原の戦いで敗れて処刑されるまでを三十分という短い枠の…
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旅行記203 11月2度目の近江旅行5 石田三成の実像2771 いしだみつにゃん誕生祭3・田附清子氏の講演「三成の…

  写真はいしだみつにゃん誕生祭の際の時の昼食を撮ったものです。売り切れているかと思ったのですが、まだありました。かやくご飯(全国的には炊き込みご飯と言いますが)、しじみ汁、お茶のペットボトル、それに三成の辞世の歌とされる「散り残る紅葉」の和歌が記されたボールペンが付いていました。  誕生祭の〇✕クイズで、「近江鉄道のいしだみつにゃ…
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旅行記202 11月2度目の近江旅行4 石田三成の実像2770 いしだみつにゃん誕生祭2・田附清子氏の講演「三成の…

 写真は11月23日の午後に彦根の佐和山会館で行われた、いしだみつにゃんの誕生祭のバースディーケーキです。みつにゃんには色紙やきつねのぬいぐるみもプレゼントされていました。家康が「たぬき」と呼ばれているのに対して、三成は「きつね」と言われることがよくあるのにちなんだ贈り物です。  さて、その時に行われた 田附清子氏の講演「三成の歌~辞…
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旅行記198 出雲旅行9 松江城の興雲閣・大正天皇の皇太子時代の御宿所

松江城の二の丸に建っている興雲閣も趣きがありました。鳥取城跡の一角に建つ仁風閣と似たような雰囲気があります。もっとも仁風閣には、そばに庭園があり、その眺めも美しいのですが、興雲閣には庭園はありません。  興雲閣は、松江市工芸品陳列所として明治時代に建てられました。もともと、明治天皇の行在所(あんざいしょ)として使うのに建てられたため、…
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旅行記197 小倉旅行19 下関の赤間神宮の「芳一堂」 日本文学探訪 小泉八雲「耳なし芳一」・八雲の来日・漱石との…

  小泉八雲の小説、「耳なし芳一」の舞台となった、赤間神宮の「抱一堂」を7月の下関散策の時に訪ねました。小説では、阿弥陀寺として出てきます。盲目の琵琶法師の抱一が、知らずに安徳天皇の墓地に連れていかれ、「平家物語」の壇ノ浦の一節を、滅亡した平家の怨霊たちに聴かせたところ、怨霊に気に入られ憑りつかれてしまいます。それを知った和尚が芳一を救…
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旅行記196 出雲旅行8 松江の「蓬莱吉日庵」の「魚一復刻ランチ」

 松江散策の際の昼食は、松江城を見学する前に取りましたが、城の南に位置する「蓬莱吉日庵」で、情報誌に載っていた店です。母屋は明治時代に建てられたもので、昭和の最初に離れが増築され、料亭「常乃家」として創業されました。 松の間のテーブル席で広い庭の風情を楽しみながら食べました。頼んだのは、リーズナブルな価格の「魚一復刻ランチ『湖月』…
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旅行記195 近江旅行4 「きのもと交遊館」・冨田酒造の「七本鎗」

滋賀県に行けば、「七本鎗」という日本酒を飲むことがよくあるのですが(三成祭の時は「石田三成」なる日本酒ですが)、木之本町の冨田酒造が作ったものであることを、今回、「きのもと交遊館」を訪ねて初めて知りました。冨田酒造について館の人に丁寧に説明していただきました。京極家の血を引く人が、天文年間にこの地で造り酒屋を開業して480年余りというこ…
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旅行記194 近江旅行3 賤ヶ岳の戦いの際、秀吉の本陣となった木之本地蔵院

4日にオンライン三成会の人と佐和山に登りました(そのことについては後述します)が、その後、米原駅で別れ、一人で木之本駅まで行きました。数年前に木之本で講演会があった時、木ノ本駅に降り立ったことがあり、その時は駅の北にある黒田家御廟所を訪ねました。今回は駅の東にある木之本地蔵院や「きのもと交遊館」などを訪れました。そのずっと東に行ったと…
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