テーマ:旅行記

謹賀新年 旅行記292 講演会出席を兼ねての彦根旅行9 佐和山に登った後、城下町跡の本町筋、大手口あたりを散策・中…

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。  昨年12月の彦根旅行ですが、もう1泊し、12日に佐和山に登りました。10月にも登っていますが、今回はルートを替え、太鼓丸口、千貫井戸、本丸、西の丸を見た後、かもう坂往還道を下って、内堀跡を渡って、l佐和山城の城下町があった時のメインストリートだった本町筋あたり(今は田畑や…
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秀吉が赤松氏の娘との間に儲けた「太郎」? 旅行記291 講演会出席を兼ねての彦根旅行8 竹生島の八大龍王拝所からの…

 昨日の拙ブログで、和田裕弘氏の「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」(『天下布武』第28号所載)について触れましたが、この論考をご紹介していただいたのは、桐野作人氏です。改めてお礼申し上げます。  和田氏の同論考で、石松丸が朝倉景鏡の子であり、秀吉の養子になったという説が唱えられていることは前述しましたが、合わせて、秀吉が赤…
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旅行記290 講演会出席を兼ねての彦根旅行7 竹生島の宝厳寺の本堂への石段・「竹生島奉加帳」の「石松丸」は秀吉の実…

 竹生島の宝厳寺の本堂へ行くまで165段の石段を登らねばなりませんが、30年近く前、まだ小さかった娘を連れて苦労して家族で登ったことを思い出します。  本堂には弁才天が本尊として祀られています。お寺の歴史は古く、聖武天皇の勅願により行基が開基しました。戦国時代、浅井氏が信仰し、浅井三姉妹も帰依しています。信長の家臣だった明智光秀が竹生…
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旅行記289 講演会出席を兼ねての彦根旅行6 竹生島の唐門は大坂城の豪華な極楽橋の遺構 舟廊下は秀吉の御座船の骨組…

 竹生島の宝厳寺の唐門は、大坂城の極楽橋の一部で、秀吉の死後、京都の豊国廟の極楽門に移築されました。さらに秀頼の命により、竹生島に移り、唐門になりました。大坂城の極楽橋の豪華さは、2006年にオーストリアのエッゲンベルグ城で発見された「豊臣期大坂図屏風」によってその様子が明らかになりました。極楽橋については、ルイス・フロイスが、屋根は鍍…
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旅行記288 講演会出席を兼ねての彦根旅行5 彦根港から竹生島へ・「琵琶湖周航の歌」の歌碑・学生時代歌っていた歌 

 11日は彦根港から船に乗って、1人で竹生島へ行きました。彦根港には、「琵琶湖周航の歌」の碑が建っています(五番の歌詞に「古城」が出てきます)。旧第三高等学校(現・京都大学)のボート部員によって作詞され歌われたもので、第三高等学校の学生歌になりました。私も学生時代、真如堂の友達の下宿で歌いましたし(離れだったので、気兼ねなく歌えました)…
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旅行記287 講演会出席を兼ねての彦根旅行4 「石田三成ゆかりの宮」の千代神社・もともと佐和山の麓にあったのを三成…

10日の午後、彦根散策の最後に、千代神社を訪ねました。何年かぶりですが、「石田三成ゆかりの宮」ということが前面に出されていたのに驚く一方、嬉しくも思いました。三成の姿を描いた幟や看板が立ち、御朱印もありました。千代神社は、もともと佐和山の麓にありましたが、三成が佐和山城の城主になった時に、山の上から神社を見下ろすのは畏れ多いということで…
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旅行記286 講演会出席を兼ねての彦根旅行3 彦根城の馬屋・夢京橋キャッスルロードの「あかり館」、酒「鬼の左近」、…

 彦根城の玄宮園を見た後、開国記念館の前を通り(石田三成と佐和山城に関する展示がされていた時には、何十度となく見学していますが、今回はパスしました、佐和口多聞櫓の中にあります)、すぐ隣の馬屋跡を少し見学しました。L字形になっており、21頭の馬立場(うまたちば)・馬繋場(うまつなぎば)が設置されています。当時は藩主の馬などが常備されていま…
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旅行記285 講演会出席を兼ねての彦根旅行2 紅葉が残っていた彦根城の玄宮園

 仙琳寺の石田地蔵を見た後、講演会場である商工会議所まで行って場所を確認した後、彦根城の玄宮園まで足を延ばしました。紅葉がまだ残っているかどうか確かめに行きましたが、幸いところどころで見られました。玄宮園を初めて訪ねたのは三十年近くも前で、家族連れでしたが、突然雨が降り出し、茶亭に逃げ込み、雨宿りをしたことを思い出します。三成にとっては…
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旅行記284 講演会出席を兼ねての彦根旅行1 石田三成の実像3172 仙琳寺の石田地蔵・江戸時代に領民が石田一族を…

 10日の夜、彦根で中野等氏の講演会「秀吉と三成」(当初は10月に行われる予定でしたが、コロナの影響で延期されました)があったので、昼頃、彦根入りしました。午後に、三成ゆかりの場所や彦根城の玄宮園などを廻ってきましたが、まず仙琳寺の石田地蔵を久しぶりに訪ねました。門が閉まっているので、2、3度引き返したことがありますが、裏手の鉄道をまた…
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旅行記283 海外への初めての家族旅行(1996年) マカオ・香港4 3日目は黄大仙祠参拝・午後はショッピング中心…

 1996年3月、香港で二泊したホテルは「パンダホテル」という名で、ロビーにはレゴで作られたパンダが展示されていました。旅行3日目はバイキング形式の朝食を取り、9時にホテルを出発しましたが、車の渋滞に巻き込まれて、黄大仙祠にたどり着くまで1時半以上かかりました。黄大仙祠は道教、仏教、儒教が融合した寺院で、お参りする人で大いに賑わっていま…
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旅行記282 海外への初めての家族旅行(1996年) マカオ・香港3 2日目の午後に香港のオウ・ブンホウ・ガーデン…

 1996年のマカオ・香港旅行ですが、2日目の午後、マカオから香港に戻り、オウ・ブンホウ・ガーデン、レパルスベイを観光し、ジャッキー・チェンの店に連れて行かれました。  オウ・ブンホウ・ガーデンは「タイガーバーム」の軟膏をはじめとした医薬品で財をなしたオウ・ブンホウの別荘で、庭園に色鮮やかなさまざまな彫像が置かれており、目を引きました…
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旅行記281 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣14 「奥の細道むすびの地」 最後の句「蛤のふたみにわかれ行秋…

「奥の細道」の旅は大垣で終わりますが、芭蕉はこの後、伊勢神宮へ向かいます。水門川の船町港から乗船しますが、大垣の商人で芭蕉と親交を結んでいた谷木因が同船して、伊勢の長島大智院まで見送りました。現在、船町港があったところには、芭蕉と木因の銅像が建っています。大垣市はここを「奥の細道むすびの地」と名付け、そばに「記念館」も建っています。いろ…
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旅行記280 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣13 芭蕉句碑「荒海や佐渡によこたふ天河 」「一家に遊女も寝た…

10月10日の大垣の水門川めぐりですが、武者溜橋と花月橋の間には、「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは) 」の句碑が建っています。雄大で荒々しい自然が詠まれていますが、佐渡島が罪人が流された島であることを念頭に置く必要があります。人の悲しさ、ちっぽけさと自然の大きさが対比されているわけです。これは実景ではなく、句が詠まれた越後の出…
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旅行記279 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣12 芭蕉句碑「閑さや岩にしみ入蝉の声」「さみたれをあつめて早…

  大垣の水門川の新大橋と東外側橋の間に「閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声」という芭蕉の句碑が建っています。大垣駅から大通りを南に歩くと、最初に出会う句碑です。句碑のそばに説明掲示板があり、この句が詠まれた立石寺や山形市のことが紹介されています。  この句の初案が、「山寺や石にしみつく蝉の声」であったことが、旅に同行した曾良の…
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旅行記278  7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣11 京アニ「聲の形」の舞台となった水門川の美登鯉橋付近・「…

 大垣の水門川に沿って散策するのは趣きがあって気に入っており、今まで何度が歩いています。川の景色、それぞれ色形が違う橋、数々の芭蕉の句碑などがあって、目を楽しませてくれます。  京アニ制作のアニメ映画「聲の形」を見たのは最近ですが、大垣が主な舞台となっており、中でも、水門川にかかる美登鯉(みどり)橋や「四季の広場」、滝のトンネル付近な…
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旅行記277 石田三成の実像3147 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣10 杭瀬川の戦い・レトロな美濃赤坂駅…

 10月10日、案楽寺から美濃赤坂駅の方に戻り、今度は東の方にある杭瀬川のところに行きました。関ヶ原の戦いの前日、杭瀬川で戦いが行われ、三成の重臣の嶋左近などの活躍によって、家康方軍勢を打ち破ったとされています。高橋陽介氏は一次史料に杭瀬川の戦いについての記述がないことからこの戦いがあったことに対して否定的見解を示されていますが、白峰旬…
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旅行記276 石田三成の実像3145 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣9 関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が…

 お茶屋屋敷を見学した後、南に歩き、岡山(後に勝山と命名)にある安楽寺まで行きました。岡山は、関ヶ原の戦いの前日まで家康方軍勢が陣を置いていたところです。今回は山頂までは登りませんでしたが、墓地のところを登っていけば、山頂にある岡山本陣跡碑まで行き着けます。岡山のふもとに、関ヶ原合戦慰霊碑が建っています。このあたりも以前、三成会の人々と…
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旅行記275 石田三成の実像3143 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣8 美濃赤坂へ・家康が築いた将軍宿泊用…

 大垣に泊まった夜にオンライン三成会のリモート会があり、ホテルの部屋から参加しました。玉城跡の報告もしましたが、三成らがその城に入ったのかどうか、実際に関ヶ原の戦いがどこで行われたのか、さまざまな意見が出ました。今の通説を見直さねばならないという点では一致していたように思いますが。個人的には、三成らが玉城付近で戦った可能性は高いと思って…
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旅行記274 石田三成の実像3141 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣7 新しく生まれ変わった関ヶ原古戦場記…

 関ヶ原駅に戻る途中、以前は関ヶ原町歴史民俗資料館があった場所に、もっと大きな規模の関ヶ原古戦場記念館が建っていました。その日(9日)はコロナ禍の影響で予約制になっていましたが、館内がどう変わっているのかまた訪ねたいと思っています。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の本には、関ヶ原古戦場史跡(通説に基づくものですが)めぐり…
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旅行記273 石田三成の実像3139 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣6 関ヶ原北小学校跡地に笹尾山交流館・…

   2000年の関ヶ原合戦400年祭の時に合戦の場面が再現されていたのは笹尾山の隣の関ヶ原北小学校のグラウンドにおいてであり、私は笹尾山の馬防柵のところからずっと見ていました。しかし、今は北小学校は南小学校と統合され、閉校となり、今は校舎の一部は笹尾山交流館になっており、グラウンドは広場になっています。笹尾山の三成陣跡の麓におかれて…
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旅行記272 石田三成の実像3137 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣5  通説では三成が陣を置いたとされる…

 9日の午後、玉城跡から、通説では関ヶ原の戦いで石田三成が陣を置いていたとされる笹尾山まで歩いて30分以上かかりました。2000年に関ヶ原合戦400年祭が行われた時、笹尾山のそばの関ヶ原北小学校のグラウンドで合戦の様子が再現されましたが、私は初めてその時に関ヶ原を訪ねました。笹尾山には馬防柵が造られ、旗印がなびいていますが、こういう光景…
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旅行記270 石田三成の実像3133 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣4 三成らが関ヶ原の戦いの本陣として考…

1泊した彦根を後にして、9日は電車で関ヶ原駅に移動し、まず関ヶ原の西にある玉城跡へ登りました。玉城は、千田嘉博氏が関ヶ原の戦いの時に三成ら豊臣公儀側が本陣として考えていた城であったという新見解を示され、NHKの歴史番組でも紹介されました。千田氏は秀頼や毛利輝元をこの巨大城郭に迎え入れる予定だったとされていますが、実際には、秀頼も毛利輝元…
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旅行記268 石田三成の実像3129 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣2 佐和山城跡 山頂に立ち敗者の悲哀を…

 8日、大洞弁財天の奥の院から東山ハイキングコースを通って、佐和山城跡まで歩きましたが、かもう坂通り往還と佐和山山頂への分岐点まで30分近くかかりました。以前歩いた時より、長く感じましたが、山登り自体、2年ぶりだったので、体力が落ちているのかもしれません。   西の丸跡を通り、山頂まで登りました。それまで人の姿はほとんど見かけませんで…
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旅行記267 石田三成の実像3127 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣1 大洞弁財天から佐和山城跡へ

7ヶ月ぶりの旅行で、彦根・関ヶ原・大垣方面に2泊3日で行って来てした。本来なら8日の夜に彦根市内で石田三成に関する中野等氏の講演会がある予定だったのですが、コロナの影響で、12月に延期されました。しかし、ホテルはすでにカード払いしていますし、ポイントも使っており、緊急事態宣言も解除されたので、ホテルはキャンセルせずに、行きたいと思ってい…
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旅行記266 初めての海外への家族旅行(1996年) マカオ・香港2 2日目の午前中にマカオ観光・中国返還前のマカ…

  マカオ・香港旅行2日目は、泊まったマカオのホテルでバイキングの朝食を取った後、午前中マカオを回りました。まず中国との国境にある門の前へ行きました。当時、マカオはポルトガル領でした。こちら側のポールには、ポルトガルの国旗が、向こう側のポールには中国の国旗がはためいていました。  モンテの砦(17世紀イエズス会によって作られた要塞)、…
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旅行記265 初めての海外への家族旅行(1996年) マカオ・香港1 子供連れのハードスケジュールなツァー旅行は間…

香港の自由は、中国による国家安全維持法の施行などによって全く失われてしまった感があります。中国の今の体制が変わらない限り、以前のような香港の姿には戻らないでしょうし、失望した人々が香港から離れていきかねません。ひいては、国際金融都市としての香港の地位の低下につながっていく気がします。  海外への家族旅行で最初に行ったのが香港でしたが、…
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旅行記264 1983年の中国研修旅行17 天壇公園、王府井などを見て、午後の便で帰国・夜に解散・記念誌「朱華」の…

1983年8月10日(中国旅行14日目・最終日)は、午前中に天壇公園、王府井などを見て、昼食を取り、北京空港から午後の便で帰国の途に就きました。 天壇は、明・清の皇帝が天を祭り、五穀の豊穣を祈ったところです。旅行団の最後の全体写真をここで撮りました。  ところで、奈良の菅原遺跡で奈良時代の円形建物跡が発見され、高僧・行基の供…
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旅行記263 1983年の中国研修旅行16 万里の長城、十三陵、定陵などを廻り、夜は北京ダック

1983年8月9日(中国旅行13日目)は、万里の長城、十三陵、定陵、天安門広場などを廻り、夜は北京ダックを食べました。  万里の長城で見学できるところは一部です(われわれが行ったのは八達嶺)が、それでもその壮大さを改めて実感しました。遠くはるかなところまで、延々と長城が続いているのが、目でも確認でき、よくもこれほど大きなものを作ったも…
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旅行記262 1983年の中国研修旅行15 泰山から寝台車で北京へ・午後から頤和園、故宮(紫禁城)、日壇公園などを…

1983年8月8日(中国旅行12日目)、泰山から北京に列車で移動しましたが、泰山のホテルを出発したのは、夜中の1時半でしたから、ホテルで少し仮眠を取った程度でした。列車は寝台車でしたが、よく眠れたかどうかは覚えていません。この日もハードなスケジュールでした。正午に北京駅に着き、昼食を取った後、北京大学、頤和園(いわえん)、故宮(紫禁城…
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旅行記261 1983年の中国研修旅行14 泰山登山・行きは日本人が開発したロープウェイ・帰りは長い階段を下る 

コロナが収束しても、中国の今の体制が変わらない限り、中国へ行くつもりはありませんが、1983年当時は、日中友好ムードに包まれていました。 それが天安門事件で大きく変わり、言論の自由もなくなってきました。最近、とみにその傾向が強まり、香港の状況を見てもそれがよくわかります。   夏休みを利用しての2週間の研修旅行(費用は個人持ちでしたが…
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