テーマ:日記

阪神・淡路大震災から20年 当時の2月6日・17日の日記 

 東日本大震災の余震と見られる地震が発生し、地震活動が活発であることを改めて思い知りました。もっとも、日本全体が地震の活発な時期に入っており、地震への警戒、防災の準備を怠らないことが必要だと感じます。  20年前の今日が、阪神・淡路大震災から一ヶ月でした。当時の日記に次のようなことを記していました。  「大震災から1ヶ月。正午、妻と…
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阪神・淡路大震災から20年 当時の1月31日の日記 大河ドラマ探訪315「花燃ゆ」8 新聞記事より

 20年前の今日の日記に、阪神・淡路大震災について次のようなことを記していました。  「(前略) 地震から2週間。今朝は氷点下で、日中も時おり雪が舞う。朝田んぼはうっすらと白かった。そんな厳しい寒さの中、暖房もない避難所で生活を送っている人々のつらさはいかばかりか。仮設住宅の申し込みや抽選が各地で行われているが、どこも入居できるのは何…
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石田三成の実像1365 桐野作人氏講演・信長遺構 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月26日の日記

  写真は長浜市の北ビワコホテルグラツィエの玄関に建つ「友の会創立30周年記念事業会場」の案内板を24日に撮ったものです。友の会とは「長浜城歴史博物館友の会」のことであり、記念事業の第2部として桐野作人氏の講演会「石田三成と関ヶ原合戦~西軍はいかに戦おうとしたか~」、第3部として桐野氏と太田浩司氏の対談「石田三成の生涯と人物評価」が行わ…
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石田三成の実像1364 大坂城の地滑り跡 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月25日の日記

 三成が体験した、文禄5年(1596)閏7月13日の深夜に起こった伏見大地震ですが、伏見城は倒壊したものの、大坂城はそれほどの被害はありませんでした。しかし、寒川旭氏の「秀吉を襲った大地震」(平凡社新書)には、この時の地震による大坂城の地滑り跡が取り上げられ、写真も掲載されています。この地滑り跡について、寒川氏の同書には、「大坂城の敷地…
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石田三成の実像1363 伏見大地震後の雨  阪神・淡路大震災から20年 当時の1月24日の日記 

 三成も経験した伏見大地震が起こったのは、文禄5年(1596)閏7月13日の深夜のことですが、寒川旭氏の「秀吉を襲った大地震」(平凡社新書)には、「18日に強い風が吹き、まとまった量の雨が降ったことは確かで、夜には強い余震があった」こと、18日に「台風が近くを通過した可能性が高」いことなどが記されています。その典拠として、「言経卿記」、…
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石田三成の実像1362 伏見大地震時 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月23日の日記 入試日変更

 石田三成は24歳の時に天正大地震を体験していますが、その13年後の文禄5年(1596)閏7月13日に伏見大地震に遭っています。この地震によって、指月伏見城は倒壊し、秀吉は木幡山に新たな伏見城を築きました。地震が起こった時、秀吉は伏見城にいましたが、三成が地震の際、伏見にいたかどうかについてははっきりしないところがあります。中野等氏の「…
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石田三成の実像1361 天正大地震を経験 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月22日の日記

 阪神・淡路大震災から20年ということで、当時の日記を紹介していますが、石田三成も生涯二度大地震を経験しています。一つは天正大地震であり、もう一つは、伏見大地震です。天正大地震は天正13年(1583)11月29日に起こりましたが、秀吉はこの時、坂本城にいました。三成のこの時の居所は確定されていませんが、秀吉に近侍していたものと思われます…
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阪神・淡路大震災から20年 当時の1月21日の日記 日本の建造物は大丈夫だという安全神話が崩れる

 阪神・淡路大震災に関することが、20年前の1月21日(大地震が発生してから5日目)の日記の後半に記されていますので、紹介します。前半はその日の自分の行動が綴られているため、その部分は省略します。  「避難者は31万人を超えているという。300人で簡易トイレが一つしかないとか、体育館には暖房がなく、寒さと余震とで熟睡できないとか、疲労…
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阪神・淡路大震災から20年 転落を免れたバスの運転手 当時の1月20日の日記 被災地に出かけた浪人生

 17日に放送された読売テレビの番組「阪神淡路大震災20年 キミに伝えたい」の中で、壊れかけた高速道路の端に引っかかってかろうじて転落を免れたバスの運転手だった福本さんが出演していました。福本さんが今どうしているかは、去年の関西テレビの「よーいドン」で月亭八光さんが龍谷大学平安高校を訪ね、硬式野球部の部員をグラウンドまで送迎するバスの運…
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阪神・淡路大震災から20年 当時の1月19日の日記 佐川満男さんの体験談 上沼恵美子さんの怒りに同感

 今朝の毎日放送ラジオの番組「ありがとう 浜村淳」に、襲名したばかりの四代目中村鴈治郎さんが出演していました。この番組には今まで二代目、三代目も出演しており、40年続くこの番組の息の長さを改めて感じました。四代目中村鴈治郎さんが五代目中村翫雀を襲名したのは、阪神・淡路大震災が起きた1995年のことだったと語っていました。中村鴈治郎襲名に…
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阪神・淡路大震災から20年 初めて公開されたビデオの映像 20年前の1月18日の日記 生徒に地震の話

 阪神・淡路大震災20年の特集番組や新聞記事がここのところ多く見られ、これも大震災を風化させてはならず、記憶にとどめて後世に受け継いでいかねばならないという思いの表れです。  15日の毎日放送の番組「ちちんぷいぶい」で、20年経って初めて、大地震が起こった当日の朝に、神戸市の職員の松崎氏(当時35歳)が撮ったビデオの映像が公開され,放…
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阪神・淡路大震災から20年 自作短歌の周辺24 震災のことを詠んだ歌 20年前の今日の日記の記述

 阪神淡路大震災から今日で20年です。はやそんなに月日が経ったのかという思いですが、被災地の人々にとっては、逆に長く感じられた日々だったのではないでしょうか。家族や大切な人を亡くした人、家が倒壊した人、家を焼失した人、その喪失感が完全に消えることはないでしょう。それは東日本大震災でも他の災害でも変わりありません。  人としての優し…
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