テーマ:歴史

旅行記148 壱岐対馬を経て韓国へ7 原の辻一支国王都復元公園・一支国博物館・月讀神社・少弐公園

  4月28日、壱岐の勝本城跡を訪ねた後、原の辻にある一支国(いきこく)王都復元公園へ行きました。「一支国」は、「魏志倭人伝」に登場しており、その王都のさまざまな建物や施設が大規模な敷地に復元されています。まずすぐそばにある「原の辻ガイダンス」の建物の展示室へ行き(ここは無料)、原の辻遺跡の発掘調査や整備の記録についての展示を見ました。…
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旅行記93  姫路・赤穂旅行7「忠臣蔵」4 赤穂城跡2 枡形石垣・討ち入り決定の円山会議

  写真は赤穂城の大手門を中側から2月12日に撮ったものです。  大手門をくぐったところに、枡形(ますがた)の石垣がありますが、こういう形になっているのは、攻め込む敵をこの狭い場所に閉じ込めて逆に攻撃したり、味方の兵をここで待機させて外に打ち出すためでした。  そこを通ると、目の前に番所跡があり、さらに進むと、大石邸長屋門がありま…
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三成の実像1861 中野氏「石田三成伝」18 九州攻めの際の役割8 義久歓待・秀吉に近侍

 中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、「天正15年(1587)6月25日には、三成は細川幽斎とともに、上洛のため博多まで北上してきた島津義久を訪ね」、「ほどなく義久をともなって西上し、6月29日に下関を経て、7月10日に堺へ到着した」と記されています。  下関に来た時のことについて、白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社…
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旅行記92  姫路・赤穂旅行6 「忠臣蔵」3 赤穂城跡1 大手隅櫓・大手門 刃傷事件の原因

 写真は赤穂城跡の大手隅櫓を12日に撮ったものです。奥に見えているのが大手門であり、それに架かる橋です。  赤穂めぐりは、昼食後に、赤穂城跡に行きました。歩いて10分足らずでたどり着きました。大手門のところで、義士の姿をしたポランティアの人々にわれわれ一行の全体写真を撮ってもらいました。櫓や門は再現されたものですが、「忠臣蔵」の場…
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旅行記91  姫路・赤穂旅行5 「忠臣蔵」2 浅野家の菩提寺の花岳寺と泉岳寺 上杉家の追手を待つ

 写真は赤穂の花岳寺にある二代目大石なごりの松を12日に撮ったものです。  赤穂めぐりは、息継ぎ井戸を見た後、花岳寺通り商店街を通って、そこから数分の距離にある、浅野家の菩提寺である花岳寺を訪ねました。山門は赤穂城の門だと云われています。境内には上記の写真の二代目の大石なごりの松が建っていました。初代の大石なごりの松の切株は別のとこ…
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京都探訪257 旅行記37天橋立旅行7 大頂寺の綱吉直筆の軸・綱吉の狂気・徳川家の位牌・風神雷神図

 写真は大頂寺の寺宝として展示されていた徳川五代将軍綱吉の直筆の軸を8月27日に撮ったものです。「うやまはざることなかれ」と読むと、そばにある説明パネルに記されています。ちなみに、「毋」は「母」ではなく、「なかれ」と読み、「莫」「無」「勿」という語と同様、禁止の意味を表す否定の助辞です。  説明パネルには次のようなことも記されています…
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京都探訪256 旅行記36  天橋立旅行6 大頂寺からの眺望・本庄家・桂昌院の御霊屋

  写真は宮津の大頂寺の本堂から天橋立方面を8月27日に撮ったものです。  2泊3日の天橋立旅行の最終日、ホテルの送迎バスで宮津駅に送ってもらった後、特急「はしだて」の乗車時刻まで3時間程あったので、荷物をコインロッカーに預け、家族で宮津市内を散策しましたが、駅から西に進んで宮津城の復元城壁、太鼓門、カトリック宮津教会、和貴宮神社な…
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大阪探訪87 大坂夏の陣400年19 「真田幸村公戦没400年慰霊祭」2 家康狙撃の銃と澤田平氏

 旧暦の5月8日が豊臣秀頼、淀殿が自害した日と言われていますが、7日説もあることが、福田千鶴氏の「豊臣秀頼」(吉川広文館)に記されており、確かなことはわからないと指摘されています。いずれにせよ、豊臣家滅亡から400年経ったことに改めて感慨を覚えます。   さて、写真は「真田幸村公戦没400年慰霊祭」の際に展示されていた、「真田幸村公 …
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大阪探訪86 大坂夏の陣400年18 「真田幸村公戦没400年慰霊祭」1 

旧暦の5月7日は真田幸村(信繁)が大坂夏の陣で戦死した日です。一昨日、戦死した場所である安居神社で行われた「真田幸村公戦没400年慰霊祭」に行って来ました。  写真はその「真田幸村公戦没400年慰霊祭」の様子を撮ったものです。参加者が多くてスペースがなかったので、仕方なく裏側に回りました。真ん中に写っているのが宮司さんです。写真に向…
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大阪探訪85 夏の陣400年17 大坂城跡発掘調査7 福田千鶴氏「豊臣秀頼」3 茶々の名護屋での懐妊

 写真は大坂城の発掘調査で出土した石材を、現地説明会が行われた4月18日に撮ったものです。地上に展示されていましたが、写真に向かって左側の石材に墨書符合があるのがわかりますし、右側の石材には矢穴列痕があるのが見えます。  矢穴列痕がある石材について、公益財団法人大阪府文化財センター発行の小冊子「大坂城跡の発掘調査」には、「0.8~1.…
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大阪探訪84大坂夏の陣400年16 大坂城跡発掘調査6 福田千鶴氏「豊臣秀頼」2 秀頼の最初の挑戦状

 写真は大坂城跡の発掘調査で出土した国産の陶磁器類を4月18日の現地説明会の際に撮ったものです。大坂夏の陣で豊臣期大坂城が落城した後、徳川期大坂城を築城する際の盛土の中から出土したものです。丹波焼、備前焼、唐津焼、美濃焼などさまざまな陶器が出土しています。  公益財団法人大阪府文化財センター発行の小冊子「大坂城跡の発掘調査」には、「徳…
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石田三成の実像1399 大坂城跡の発掘調査5 福田千鶴氏「豊臣秀頼」1 秀頼四人衆のうち三人は三成派

 写真は大坂城跡の発掘調査で出土した下駄(向かって右側)、羽子板状木製品(向かって左側)などを4月18日の現地説明会の折に撮ったものです。前述したように、これらのものは大坂冬の陣の後に堀を埋め立てた土砂の中から出土したものです。豊臣時代に使われていたものだと思うと、感慨を覚えると共に、滅んだ者たちへの哀惜の念が感じられてなりませんでし…
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大河ドラマ探訪330「花燃ゆ」21 杉家旧宅・低視聴率は俳優のせいではない・松陰と玄瑞の再会

 写真は松陰神社にある杉家旧宅を3月19日に撮ったものです。「花燃ゆ」第16回の「花燃ゆ紀行」でもこの家が取り上げられていました。  大河ドラマの視聴率の低さを、主演の井上真央さんのせいにする声が聞かれますが、俳優のせいにするのは酷というものです。井上真央さんはよくやっていると思いますし、それは同じく低視聴率だった「平清盛」でも松山ケ…
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大阪探訪83 大坂夏の陣400年15 大坂城跡の発掘調査4 堀や盛土からの豊臣期の出土品

 写真は大坂城の堀の遺構から出土した箸、ヘラ状木製品、徳川期の盛土から出土した金箔を貼った瓦を3月18日に撮ったものです。さまざまな出土品が、二ヶ所にわたって並べられていました。  公益財団法人大阪府文化財センター発行の小冊子「大坂城跡の発掘調査」には、「堀からは陶磁器以外に、箸や下駄などの日常使いの品から建築部材などの多様な木製品…
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大阪探訪82 大坂夏の陣400年14 大坂城跡の発掘調査3 すべての堀の埋め立ては家康の謀略か否か

 写真は今回発見された大坂城の堀の遺構のうち、落ち込み、廃棄された石材、徳川期の石材、豊臣期の石材などを4月18日に撮ったものです。「落ち込み」とは、小冊子「大坂城跡の発掘調査」によれば、「徳川大坂城築城に伴うと考えられる大規模な造成工事の跡」の「深い部分」です。この「落ち込みからは、大きな石材が40点近く見つかり」、「豊臣期の石材は…
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大阪探訪81 大坂夏の陣400年13 大坂城跡の発掘調査2 大手口の西側の堀・斜面と堀障子による防御

 写真は今回新たに発見された大坂城の堀の発掘現場を4月19日に撮ったものです。昨日の拙ブログで触れたように、この鉄骨の下に堀の遺構があります。発掘現場は府庁舎などのビル群に囲まれた地域であり、この発掘現場も調査が済めば埋め戻されて、施設が建てられます。  現地説明会の折に配布された公益財団法人大阪府文化財センター発行の小冊子「大坂城跡…
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大阪探訪80大坂夏の陣400年12 大坂城跡の発掘調査1 記事「冬の陣後に消えた堀 大阪城西で出土」

  写真は今回発見された大坂城の堀を昨日撮ったものです。現地説明会があったので、行ってきました。場所は大阪府庁のすぐ南側で、重粒子線がん治療施設整備運営事業に伴う発掘調査で発見されました。  今回の発見は、16日付の朝日新聞朝刊に掲載された「冬の陣後に消えた堀 大阪城西で出土」と題する記事で知りました。  その記事には、「約400年…
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大阪探訪78 大坂夏の陣400年10 志紀長吉神社大鳥居 新聞記事「幸村 大阪人に愛されて」 結婚1

 写真は志紀長吉神社の大鳥居を撮ったものです。真田幸村休憩地碑のすぐ北にあり、さらにその北には幸村が大坂夏の陣の際、軍旗や刀を奉納した志紀長吉神社(写真のずっと奥)があります。いずれも最寄り駅は地下鉄谷町線長原駅から西に歩いて5分程のところにあります。  朝日新聞夕刊に「探訪夢のまた夢 豊臣滅亡400年」と題する記事が連載されています…
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京都探訪224  琵琶湖疏水がいかに難工事だったか「歴史秘話ヒストリア」で紹介

 写真は琵琶湖疏水のインクライン(傾斜軌道)の運搬舟(再現したもの)を4月2日に撮ったものです。  琵琶湖疏水については、前述したように、NHKの番組「ブラタモリ」で取り上げられていましたが、「歴史秘話ヒストリア 明治の京都へおこしやす」でも、いかに難工事だったかについて詳しく説明されていました。  田邊朔郎が東京の工部大学校で…
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大阪探訪77 大坂夏の陣400年9 志紀長吉神社 石田三成の実像1394 幸村と最初に会ったのは?

 写真は、大坂夏の陣の道明寺の戦いの後、真田幸村が引き上げる途中、刀剣と軍旗を奉納した志紀長吉神社を撮ったものです。六連銭の家紋が入った赤い幟がたくさん建っています。  幸村は豊臣家に殉じた形ですが、それは三成も同様でした。もっとも、三成の場合は、関ヶ原の戦いが豊臣家家臣同士の争いという構図になったために、敗れた三成たちは奸臣扱いされ…
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大阪探訪76 大坂夏の陣400年8 真田幸村休憩地3 石田三成の実像1394 幸村と三成の交流は? 

写真は奥まったところにある真田幸村休憩地の石碑を撮ったものです。前述したように、幸村は慶長20年(1615)、夏の陣で道明寺の戦いの後、大坂城に引き上げる前にここに立ち寄って、すぐ北にある志紀長吉神社に刀剣と軍旗を奉納しました。  「戦国無双」などのゲームでは幸村と三成が兼続も含めて義の関係で結ばれていたという扱いがされていますが、…
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京都探訪223 南禅寺水路閣 京都復興の大工事・サスペンスドラマのロケ地となっている意味

写真は南禅寺の境内の水路閣を4月2日に撮ったものです。名前の通り、頭上に疏水が流れています。ここも人気スポットで、写真を撮る人が多くいました。NHKの番組「ブラタモリ」では、琵琶湖疏水をたどるのにこの水路閣から始めていました。そこから上に上り、線路の方へ出ていましたが、われわれは逆の道をたどりました。 水路閣は私が学生の頃は…
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京都探訪222 大坂夏の陣400年7 南禅寺三門  多くの犠牲者を出した藤堂高虎一門衆の供養の場

 写真は南禅寺の三門を4月2日に撮ったものです。山門の付近の桜も満開で、人々で賑わっていました。三門も特別公開されており、上っている人々の姿が見えます。三門へは何年か前に上ったことがあります。  山門の堂内の様子が、京都テレビで放送された「京都・国宝浪漫 春の南禅寺」で写っていました。藤堂高虎が大坂夏の陣の犠牲者の菩提を弔うために、寛…
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大河ドラマ探訪328「花燃ゆ」19 杉家旧宅の幽囚室・安政5年に再び野山獄に入れられるまでの経緯

写真は萩の松陰神社にある杉家旧宅の幽囚室を3月19日に撮ったものです。「安政2年→3年・安政5年 松陰先生が再度幽囚せられた室」という説明文が掲げられています。  萩市観光課発行の小冊子「萩まちあるきマップ 維新の先覚者 吉田松陰ゆかりの地を巡る」には、この幽囚室について、「下田での海外渡航に失敗した松陰は、安政元年(1854)野山…
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大阪探訪75 大坂夏の陣400年6 真田幸村休憩地2 真田丸に関しての千田嘉博氏の新たな見解

  写真は真田幸村休憩地を一昨年の6月に撮ったものです。2日付の拙ブログ記事で門扉前の休憩地跡碑の写真を添付しましたが、扉を開けると中に入ることができます。最初はそのことを知らなかったので、前でうろうろしていたら、近所の人に扉を開けて自由に中に入っていいと言われたので、中に入り細長い石畳をたどると、大きな石碑にたどりつけます。写真でず…
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大阪探訪74 大坂夏の陣400年5 真田幸村休憩地 幸村の名をめぐって

  写真は真田幸村休憩所を一昨年の6月に撮ったものです。その後もう一度訪ねました。地下鉄谷町線の長原駅から西に歩いて5分余りの距離にあります。幸村が5月6日、道明寺で戦った後、大坂城に引き上げる際、ここに立ち寄ったと云われています。ここから北に志紀長吉神社があり、この時、幸村は軍旗や刀剣を奉納しています。   3月31日の毎日放送の…
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大阪探訪72 大坂夏の陣400年3 平野郷樋ノ尻口門跡・富商を移住させ環濠を埋めさせた秀吉への恨み?

 写真は平野郷樋ノ尻口門跡を3月4日に撮ったものです。樋ノ尻口地蔵堂のすぐ横(東側)にあります。今は平野公園の敷地内であり、公園の北西に当たります。  毎日放送の深夜番組「ごふごぶ」で、平野の店「おもろ庵」の「ひやしあめ」が出て来るまで、平野は戦国時代から自治都市として有名だと番組のスタッフから紹介されていました。この点について、写真…
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大河ドラマ探訪321 「花燃ゆ」13 高杉晋作入塾の紹介者は?塾生たちの入門時期・最初は子供の指導

 家族で3月中旬に萩へ2泊3日で出かけることになりました。自分にとっては、三十数年ぶりの萩旅行であり、大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となっている萩城下のいろいろな史跡をじっくり回るのを今から楽しみにしています。  さて、「花燃ゆ」第9回「高杉晋作、参上」では、吉田松陰の松下村塾に、後に維新の志士となる若者たちがいろいろ入塾し、さらに高杉…
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大阪探訪68 大坂夏の陣400年1 真田幸村ゆかりの全興寺と樋之尻口地蔵堂 地雷で地蔵の首が飛んだ?

  写真は大阪市平野区にある樋之尻口地蔵堂を昨日に撮ったものです。  昨日は大阪に住む母のもとを訪ね、一緒に昼食を取り、父の霊前にもお参りし、母といろいろと話した後、一人地下鉄で平野駅に出て、真田幸村ゆかりの全興寺(せんこうじ)と樋之尻口地蔵堂を訪ねました。全興寺と樋之尻口地蔵堂は毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」の中のコーナー「昔…
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石田三成の実像1369 松原内湖遺跡発掘調査現地説明会1 信長の佐和山城攻めの遺構

 写真は先週の今日、1月25日に行われた松原内湖遺跡発掘調査現地説明会の様子を撮ったものです。地図で見ると、佐和山の北1、6キロの地にありますが、場所がよくわからず、佐和山城研究会の代表でオンライン三成会の会員でもある田附清子氏に車で連れて行ってもらいました。説明会は一時半からの予定でしたが、参加者の数が多く、10分程早く始まりました。…
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