テーマ:大河ドラマ探訪

大河ドラマ探訪89 石田三成の実像711 「江」第36回「男の覚悟」5「歴史秘話ヒストリア」の吉継 

 大河ドラマ「江」の原作では、囚われた三成に対して、家康が大谷吉継のことを言うところがあります。むろん、大河ドラマでは出て来ませんでしたが。吉継は戦いぶりも死にざまもあっぱれであり、首はまだ見つかっていないと告げます。三成はそれを聞いて唇を噛みうつむいたとありますが、こういう場面ではないにしても吉継が死んだことはどこかで伝え聞いたでしょ…
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大河ドラマ探訪88 石田三成の実像710 「江」第36回「男の覚悟」4 関ヶ原合戦前後の原作との違い

 大河ドラマ「江」の原作を見ると、三成挙兵の時に大谷吉継が思い止まるように促したり、関ヶ原の戦いの際に大谷吉継が奮戦したりするところが書かれていますが、ドラマでは大谷吉継は全く登場しませんでした。時間の関係でカットしたのでしょうが、戦いの経緯についてはもう少し時間を取ってでも触れるべきだったでしょう。代わりにドラマでは江戸城にいる江…
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大河ドラマ探訪87 石田三成の実像709 「江」第36回「男の覚悟」3 秀忠遅参の影響大・三成の器

 大河ドラマはすでに第38回「最強の乳母」まで進んでいますが、今日は第36回「男の覚悟」で描かれていた秀忠の関ヶ原遅参問題と三成の器の問題を取り上げます。  大河ドラマでは家康は大津城で秀忠に3日間会わなかったものの、対面した時、秀忠を叱らず、「まあ、よい」「(関ヶ原の)戦いには勝ったのだから」と言っていました。家康が秀忠にすぐには会…
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大河ドラマ探訪86 石田三成の実像707 「江」第36回「男の覚悟」2 勝の誕生は慶長5年?6年?

 大河ドラマ「江」第36回「男の覚悟」では、勝の誕生を秀忠が江戸に戻った後のこととして描いていました。これは勝の誕生を慶長6年5月12日とする説に基づいているものと思われます。しかし、そうだとするとその懐妊は秀忠が慶長5年7月前後のことであり、臨戦態勢のもとで秀忠が女性を伴ってゆっくりしていたとは考えられないと福田千鶴氏は「江の生涯」の…
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大河ドラマ探訪85 石田三成の実像705 「江」第35回「幻の関ヶ原」4・「歴史秘話 真田一族」2 

 大河ドラマ「江」第35回「幻の関ヶ原」における、上田城に籠る真田昌幸と幸村の台詞としては、幸村が「天下の徳川軍にしてはお粗末な戦いですな」と言ったのに対して、昌幸が「徳川が嫡男に真田の強さを思い知らせてくれようぞ」とみんなに呼びかけ、幸村が「徳川秀忠、か」とつぶやくところしかありませんでした。  秀忠軍による真田城攻撃の描き方にして…
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大河ドラマ探訪84 小和田哲男氏の講演「江姫のサバイバル」2  江の結婚など通説通りの捉え方

 小和田哲男氏は、大河ドラマで描かれていたように江の結婚を従来の通説通りに捉えておられました。すなわち、12才の時に佐治一成と結婚したものの、家康が佐屋の渡し(大野川という説もあることも述べられていました)を渡る時に一成が手助けした件に秀吉が怒って江を大坂城に呼び戻したまま帰さず離縁させたこと、2度目の結婚は文禄元年のことで、秀勝とは1…
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大河ドラマ探訪83 小和田哲男氏の講演「江姫のサバイバル」1 小谷城炎上は制作者側の強い要請

 大河ドラマ「江」の姿勢として、 史実は無視してドラマとして面白く見せたらいいというのが見え見えですが(面白くするどころか、現実味が薄れ、かえって興ざめをしてしまうのですが)、歴史上の人物を扱う以上、史実に配慮するのが制作者側の責務であり、モラルだと私は考えます。中村武生氏がブログで述べておられたように、大河ドラマの最後に「このドラ…
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大河ドラマ探訪82 石田三成の実像704 「江」第36回「男の覚悟」1・「歴史秘話 真田一族」1

 「江」第36回「男の覚悟」をもって、三成はドラマから退場しましたが、三成が豊臣家を守ってくれと秀忠に頼んでいたところ(むろん、創作ですが)はいいとしても、三成が淀殿に思いを持っていたことまで秀忠に明かすことはどうでしょう。関ヶ原の戦いの意味合いを矮小化するものですが、これは宝塚歌劇団の「美しき生涯」でも同じ傾向があります。もっとも、豊…
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大河ドラマ探訪81 石田三成の実像703 「江」・第35回「幻の関ケ原」3 大津城開城 三成の天衝兜

 跡部信氏が「図説 戦国女性と暮らし」の中で、関ヶ原の戦いの際に、おね(北政所・高台院)と淀殿が連携して尽力した事例として大津城開城のことを取り上げておられると、前に拙ブログで述べました(この点については福田千鶴氏の「淀殿」でも書かれていました)が、大河ドラマ「江」でも淀殿がおねに依頼して、双方が和議の使者(高台院側は孝蔵主)を大津城…
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大河ドラマ探訪80 石田三成の実像702 「江」・第35回「幻の関ケ原」2 小山会議の再検討

 細川忠興が妻のガラシャ自害の報を受け取ったのはやはり小山会議(評定)の後であり、大河ドラマの描き方はおかしいことがわかりました。桐野作人氏の「真説 関ヶ原合戦」の中に、忠興がガラシャ夫人の自害を知ったのは小山会議ののち上方に向けて出発した2日目の7月27日だと細川家の記録に書かれているとあります。  光成準治氏の「関ヶ原前夜」による…
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大河ドラマ探訪77 石田三成の実像697 「江」・第34回「姫の十字架」3・第35回「幻の関ケ原」1

 大河ドラマ「徳川の嫁」の最後の江紀行で、三成の居城であった佐和山城址、二つだけ残る石垣、龍潭寺の石田三成公像、佐和山城の大手門を移築したと伝わる宗安寺の三成ゆかりの仏像である千体仏が紹介されていました。佐和山城が質素であり、自分の生活にはぜいたくを求めなかった三成の人柄がうかがえるということ、千体仏には多くの人々を救いたいという三成の…
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大河ドラマ探訪76 石田三成の実像696 「江」第33回「徳川の嫁」2・第34回「姫の十字架」2

 大河ドラマ「江」第33回「徳川の嫁」で、江が慶長4年に生んだとされる姫を珠姫と紹介していました。父の秀忠も「珠」と書いた紙を大姥局に示していましたが、生まれた時に名づけられたのは子々(ねね)姫であり、珠と改名したのは子々姫が幼少にして前田家に嫁いだ時であり、最初から珠姫とするのは間違いです。大坂城の淀殿のところへも生まれた子の名前は珠…
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大河ドラマ探訪77 石田三成の実像699 「江」第34回1・秀頼は不義の子ではないとの小林千草論

 小林千草氏は「淀殿 戦国を終焉させた女」の中で、鶴松と秀頼ははっきり秀吉と淀殿の子だと書いておられます。 小林氏は茶々(淀殿)が父の浅井長政を失い、母のお市を失ってからは、両親の菩提を弔うために出家を考えていたと指摘しておられます。それほど信仰心が強かった淀殿が不義を働くはずがないこと、秀吉も身に覚えがあったから、秀頼を自分の子と信じ…
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大河ドラマ探訪76 石田三成の実像698 「江」第32回「江戸の鬼」2・第33回「徳川の嫁」1

 r大河ドラマ「江」第32回「江戸の鬼」で初めて、三成の家臣の島左近が出てきました。ドラマの冒頭、三成が家康の周りを探るよう島左近に命じていましたが、この回の島左近の登場はこれだけでした。  第33回「徳川の嫁」では、武断派7将による三成襲撃事件の時に屋敷内にいる人物として島左近は姿を見せていましたが、それだけでした。第34回「姫の十…
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大河ドラマ探訪75 信長の竹生島参詣・谷口克広氏の「江」批判・子々は江の子でないとする福田千鶴説

 拙ブログ8月6日付の記事で、大河ドラマ「江」第3回の「江紀行」で、信長が竹生島に来たと伝えられると述べられていたことに関して、史実として確かめられていることではないようだと書きましたが、谷口克広氏の「信長・秀吉と家臣たち」を読んでいましたら、信長の竹生島参詣について触れた個所が出てきました。出典は「信長公記」であり、私自身、「信長公記…
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大河ドラマ探訪74 石田三成の実像694 「江」第32回「江戸の鬼」1  江戸にはまだ行っていない江

大河ドラマ「江」では秀吉が亡くなった後、五大老五奉行制が秀頼の前で披露され(その場に家康と三成しかいないのも変ですが)、その場で、家康が朝鮮からの撤兵は三成に一任していると報告し、その後に秀忠と江を江戸にひそかに帰すという流れになっていました。   実際は秀吉の死の直後に、秀忠は伏見を発って江戸に向かっています。その日時は一次的な史…
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大河ドラマ探訪73 石田三成の実像691 「江」第31回「秀吉死す」4 秀吉遺言覚書と臨終

 大河ドラマ「江」では、秀吉が亡くなる前に遺言状を三成に書かせる際、家康、利家、秀忠の順に名前を挙げた時、三成は秀忠が大老でも奉行でもない者ということで不満を持っているかのように描かれていましたし、さらに秀吉が家康は大老で三成が奉行であることが面白くないかと訊ねた時に、面白くないと答えていました。相変わらず三成は嫉妬心の強い人物として描…
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大河ドラマ探訪72 石田三成の実像690 「江」第31回「秀吉死す」3 小林千草氏「淀殿」の秀吉の死

 大河ドラマ「江」では、慶長3年3月の醍醐の花見の直後に、秀吉は具合が悪くなり、桜の花が舞い散る中で人知れず喀血するという場面がありました。桜の花を巧みに使って、秀吉の死、豊臣家の将来を暗示してドラマとしての見せ場を作っていたと云えます。   もっとも、秀吉が発病したのは5月5日の端午の節句の祝いを行った後であると、桑田忠親氏の「石田…
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大河ドラマ探訪71 石田三成の実像689 「江」第31回「秀吉死す」2 蔚山城篭城戦の報告はできず

 前にも述べたように三成は朝鮮半島に出兵するということ自体に反対だったわけであり、秀吉にも諌言をいとわない人物でした。このことについて、小林千草氏の新著「淀殿 戦国を終焉させた女」の中で、ルイス・フロイスの「日本史」の中の一文が引用されています。  アゴスチイノ(小西行長)と彼に随伴した三奉行(石田三成・大谷吉継・増田長盛)は、日本人…
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大河ドラマ探訪70 石田三成の実像688 「江」第31回「秀吉死す」1 引見の場で激怒しなかった秀吉

 伏見大地震のことが気になりましたので、このあたりも原作に目を通しました(全部を読んだわけではありませんが)、やはり地震の時に、秀忠が江を救うということになっていました。しかし、火の中、完子の風車や亡き秀勝の刀を取りに戻る箇所は原作にはなく、脚本段階で取り入れたということが分かりますが、そういう小道具を使ったわざとらしい場面を設定するこ…
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大河ドラマ探訪69  「戦国武将の竹生島信仰」2 江が奉納した品はなし・淀殿・秀頼が復興

 大河ドラマ「江」の原作で織田信長が江を竹生島に案内する場面がどうなっているか確かめようとちらちら読んでいましたら、そういう場面はなく、お市たちが安土城を訪ねる際、お市が山の上から竹生島のことを指し、「来し方より善男善女の信仰を集めてきた」「北近江では最ももっとも大きい島」「小谷の城では、晴れた日、はっきりとあの島が見えた」と娘たちに言…
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大河ドラマ探訪68 「江」第30回「愛する人よ」 描かれなかった伏見大地震・江婚礼の前に秀吉重態 

 秀忠と江との婚礼があった後、関係が1年近くもなかったというふうに大河ドラマでは描かれていましたが、2人の関係がぎくしゃくしていたというふうに捉えるのはドラマの自由な発想の範囲ですから問題はないものの、第30回「愛する人よ」が大半そのことに費やされており、恋愛ドラマを見るようで、天下国家のことはほとんど取り上げられず、大河ドラマ全体を小…
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大河ドラマ探訪67  「戦国武将の竹生島信仰」1 浅井長政の竹生島信仰を示す資料の少なさ

 大河ドラマ「江」第3回で信長が子供の江(すでに上野樹里が演じていました)を竹生島に案内するという話が出ていましたし、この回の江紀行でも竹生島が紹介されていました。信長が竹生島に来たと伝えられると紀行では述べられていましたが、史実として確かめられていることではないようです。(この記事の後、「信長公記」に信長が竹生島参詣したという記述があ…
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大河ドラマ探訪66 石田三成の実像680 「江」第28回「秀忠に嫁げ」4・第29回「最悪の夫」2

  大河ドラマ「江」で気になるのは、秀忠の結婚は初婚、江の結婚が3度目としていることです。秀忠は最初上洛した時、秀吉の養女であった小姫(織田信雄の娘)と浅野長政邸で婚礼を挙げていますから、秀忠の結婚は2度目です。むろん、結婚の実態を伴わず、小姫も7歳で亡くなってしまいますから、秀忠にとっては、実質的な初婚と云ってもおかしくないかもし…
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大河ドラマ探訪66 石田三成の実像680 「江」第29回「最悪の夫」2  江が秀忠に嫁ぐ経緯

 江が秀忠に嫁ぐ経緯については、史実ではよく分からないので、大河ドラマでは田渕氏の自由な発想に基づいて描かれていますが、その内容は首を傾げたくなるようなことが少なくありません。秀吉が秀次や妻子を殺し、聚楽第を破却したことに憤った江は秀吉の養女をやめると言い、去りかけた江に対して、秀吉が徳川秀忠に嫁げと命じます。まず勝手に娘の方から養女を…
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大河ドラマ探訪65 石田三成の実像679 「江」第28回「秀忠に嫁げ」3 第29回「最悪の夫」1

 大河ドラマ「江」では第29回「最悪の夫」が放送され、江が秀忠に嫁ぐ経緯(これについては後述)が描かれていましたが、結婚した当初も今までと同様2人はもめるという流れであり、これまでもたびたび史実を無視した、必要以上に2人の絡みが用意されており、作為が目につきます。  そもそも、江と秀忠は出会いの時から最悪であり、互いに言い合い、それが…
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大河ドラマ探訪64 石田三成の実像678 「江」第28回「秀忠に嫁げ」2 秀次切腹事件の描き方2

 ドラマでは三成は江になぜ秀吉のためにここまで手を汚すのかと訊かれて、主君のためと答えていました。三成の忠義心から秀次を死にi追いこんだという捉え方ですが、この後の関ヶ原の戦いも三成が秀頼に対する忠義心から家康に対して無用ないくさを引き起こし、江はそれを問題視するというような描き方にならないかと案じています。  三成が作りごとで相手…
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大河ドラマ探訪63 石田三成の実像677 「江」第28回「秀忠に嫁げ」1 秀次切腹事件の描き方1  

  大河ドラマ「江」第28回「秀忠に嫁げ」で秀次切腹事件が描かれていましたが、案の上、三成が策謀を巡らせたという捉え方でした。ドラマでは公家や僧侶に気になる動きがあること、秀次が拾誕生後、関白の座を脅かされるのではないか恐れていること、秀次は朝廷や都の寺社に並々ならぬ人気があると漏れ聞こえていることなどを三成が秀吉に報告します。それを受…
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 大河ドラマ探訪62 「江」第26回「母になる時」2・第27回「秀勝の遺言」 大政所の死 

 大河ドラマ「江」で、秀勝が出陣する前、江と一緒に秀次のもとを訪ねていましたが、秀次は書物を読むなど文化人・教養人の面を示していました。秀次のそういう文化人・芸術家としての面は小和田哲男氏が「豊臣秀次」の中で詳細に書いておられます。  大河ドラマでは江が主要な登場人物の死の場面に立ち会うという場面が用意されており、大政所でも同様であり…
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大河ドラマ探訪61 信長が神になると言ったのは誤解だと司馬遼太郎は指摘(昭和47年の梅原猛との対談)

 拙ブログ1月31日付ブログで、信長が神になると言ったことに対して、子供の江が畏れ多いなどと批判している場面を取り上げました。昭和47年に行われた司馬遼太郎氏と梅原猛氏の対談(「考える愉しさ 梅原猛対談集」所収) で、2人は信長のことも少し語っていますし、司馬氏は信長が神になろうとしていると言ったことには誤解があると指摘しています。信長…
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