石田三成の実像2984 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」31 本間宏氏「上杉景勝の戦い」11 「内府ちがひの… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康が自分に対する弾劾状である「内府ちがひの条々」が出されていることを知った前後の動きについて、次のように記されています。 「7月29日、徳川家康は、家康の所業を弾劾する『内府ちがひの条々』および7月17日付豊臣氏三奉行副状が全国に発送されてい… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月13日 続きを読むread more
石田三成の実像2983 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」10 秀… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、書状の記述から秀忠の出陣目的が上田城攻めであったことが指摘されているのは前述しましたが、その解説の続きです。 「徳川秀忠が信濃国に向けて宇都宮城(下野国)から出陣したのは8月24日である。『… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月11日 続きを読むread more
石田三成の実像2982 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」3 大谷吉継が松尾山の麓に布陣した痕… 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」の中で、小早川秀秋の裏切りを察知した大谷吉継は、松尾山の麓に布陣したという説が出されていました。その根拠となるのは、やはり赤色立体図であり、千田嘉博氏は、その陣跡を実際に探索し、急ごしらえで作った堀の跡などを確認されていました。 番組で関ヶ原の戦いの経緯は、家康方軍勢がまず、松… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月09日 続きを読むread more
石田三成の実像2981 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち各人物の表記が表3としてまとめられ、次のように記されています。 「『本城惣右衛門覚書』では、各人物の表記について、『様付』、『殿付』、… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月07日 続きを読むread more
石田三成の実像2980 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」30 本間宏氏「上杉景勝の戦い」10 伊達政宗による… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康の会津攻め中止の報を受け取った伊達政宗のその直後の動きについて、次のように記されています。 「家康からの一報が、最上義光を経由して伊達政宗に届いたのは8月3日であった。家康の方針転換を知らなかった伊達政宗は、7月24日に家康に無断のまま白石… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月05日 続きを読むread more
石田三成の実像2979 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」2 松尾山城の布陣の仕方で小早川秀秋… 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」では、小早川秀秋が布陣したとされる松尾山にも、千田嘉博氏が登ってその遺稿を確認し、次のような見解を示されていました。尾根を平らに削り取って、陣小屋を建てて大軍を配備していたこと、しかし、不可解なことに、陣小屋があるのは切岸の外側であり、守りを考えるなら普通は切岸の内側に布陣するはず… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月03日 続きを読むread more
今年の干支を折り込んだ折句歌・石田三成の実像2978「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状… 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 う(憂)きことの しき(頻)りなる世に のぞ(望)み持ち とき(時)に流されず しんじつ(真実)見極む ※「うしのとし」を折り込んだ「折句歌」です。 さて、白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大… トラックバック:0 コメント:0 2021年01月01日 続きを読むread more
石田三成の実像2977 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」29 本間宏氏「上杉景勝の戦い」9 7月23日付の最… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、会津攻めのために江戸を7月21日に出立した家康のその直後の動きについて、次のように記されています。 「7月23日、石田三成と大谷吉継(吉隆)の決起を伝える情報が徳川家康のもとに届いた。大坂城の淀殿と豊臣氏奉行衆(長束正家・増田長盛・前田玄以)は… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月30日 続きを読むread more
石田三成の実像2976 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」1 山中エリアで発見された玉城跡・三… NHKの「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」という番組で、航空機からレーザーを照射して、地表の凹凸を計測し、そのデーターを処理して作られた赤色立体地図から、関ヶ原の山中エリアに「玉城」という巨大な山城の跡があったことが明らかにされていました。千田嘉博氏らが実際に現地に足を運んで、切岸、竪堀、土塁、200メートルもの平坦な… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月28日 続きを読むread more
石田三成の実像2975 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」8 家康は遠山利… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 第15条の「(家康が)東美濃への軍勢を遣わすことは、のちにおこなう予定とのことである。遠山利景(美濃国明知城… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月26日 続きを読むread more
石田三成の実像2974 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「良い首と悪い首の基準」について、次のようにまとめられています。 「良い首は武功のあ… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月24日 続きを読むread more
石田三成の実像2972 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」7 金森長近は木… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 第14条の「金森長近(飛騨国高山城主)も、その谷(=木曽谷)を固く守っていることについて、(家康は)御満足し… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月22日 続きを読むread more
石田三成の実像2971 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「首取りと褒美」について、次のように記されています。 「①すべての戦いで、本城惣右衛… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月20日 続きを読むread more
石田三成の実像2970 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」6 家康も江戸に… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 第13条の「石川康長(信濃国松本城主)の人質が家中共々、昨(8月)20日に私(大久保長安)の代官所の日野(武… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月18日 続きを読むread more
石田三成の実像2969 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」28 本間宏氏「上杉景勝の戦い」8 指揮を取った兼続… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝に代わって、直江兼続が軍事・外交を指揮したことについて次のように具体的に述べられています。 「徳川家康が江戸城を進発した翌日の7月22日、兼続は若松城から出陣した。兼続は出陣に先立ち、南会津を守備する大国… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月16日 続きを読むread more
石田三成の実像2968 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。 「本城惣右衛門は取った首を藤堂高虎のところへ… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月14日 続きを読むread more
石田三成の実像2967 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」5 家康方軍勢の… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 第11条の「清須城(尾張国)までの道筋(の諸城)は確実に(徳川方が)受け取った」と現代語訳されている部分につ… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月12日 続きを読むread more
石田三成の実像2966 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」27 本間宏氏「上杉景勝の戦い」7 防御に徹する景勝… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、実際の上杉氏の動きについての高橋明氏の見解が紹介されていることは拙ブログで前述しましたが、その上杉氏の動きについ… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月10日 続きを読むread more
石田三成の実像2965 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。 「藤堂高虎の母衣(ほろ)の衆の青木忠兵衛と大… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月07日 続きを読むread more
石田三成の実像2964 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」4 豊臣公儀方の… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 第6条の 「鉄炮・玉薬(=火薬)以下を付けさせて(そちら[=木曽谷]へ)送った。(それらはそちら[=木曽谷… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月05日 続きを読むread more
石田三成の実像2963 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」26 本間宏氏「上杉景勝の戦い」6 捏造された「革籠… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、次のように記されています。 「景勝は若松から動かず、兼続もこの方面には出陣していない(高橋明 2009c)。… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月03日 続きを読むread more
石田三成の実像2962 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。 「『惣右衛門覚書』によれば、この戦い(八尾・… トラックバック:0 コメント:0 2020年12月01日 続きを読むread more
石田三成の実像2961 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」3 東美濃への侵… 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 「小笠原長巨(ながなお)を、そちら(=木曽谷)への加勢として人数(=軍勢)を遣わした」と現代語訳されてい… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月29日 続きを読むread more
石田三成の実像2960 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」25 本間宏氏「上杉景勝の戦い」5 会津征討直前の上… 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年の会津攻めのきっかけとなった、いわゆる「直江状」と、6月10日付の上杉景勝書状の内容が酷似していることが指摘されていることは前述しましたが、この書状についての解説の続きです。 「重臣に宛てた景勝のこの書状は、家中の結束を求めるものであった… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月27日 続きを読むread more
石田三成の実像2959 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか… 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方の藤堂高清の指揮下で戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。 「藤堂高清は大坂夏の陣の時に、… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月25日 続きを読むread more
石田三成の実像2958 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」2 東美濃への侵攻 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。 「5月中には遠山友政はそちら(=木曽谷)へ行く予定である」と現代語訳されている部分について、次のように指摘さ… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月23日 続きを読むread more
石田三成の実像2957 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」24 本間宏氏「上杉景勝の戦い」4 直江状をめぐって 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年の会津攻めのきっかけとなったとされる.、いわゆる「直江状」の存在について、肯定的な見解が示され、次のように記されています。 「相国寺の日記『鹿苑日録』をみる限り、西笑承兌と直江兼続との間で書状が交換されていたのは確実である。また、『直江状… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月21日 続きを読むread more
石田三成の実像2956 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」1 反家… 白峰旬氏よりご恵贈賜りましたご論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されています。 まず「上方(=豊臣公儀方)の石田三成・大谷吉継・石川光吉(尾張国犬山城主)の書状を(山村良勝・千村良重の… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月19日 続きを読むread more
大阪探訪46 備前島があったあたりを散策5 大坂冬の陣では徳川方が大砲を放つ・リニューアル工事中の藤田美術館・「曜… 備前島は、大坂冬の陣の際、徳川方が大砲を据えて、大坂城に砲撃を加えたところです。砲撃は四日間にわたって行われ、そのうちの一発が城の一部を破壊し、淀殿の侍女七、八人が亡くなりました。豊臣側はこれに恐れをなして、和平に応じました。豊臣政権を支えた宇喜多秀家や石田三成の屋敷があった備前島(大坂城の北の守りを固めていました)から、徳川方が豊臣家… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月18日 続きを読むread more
石田三成の実像2955 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 … 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、拙ブログで前述した四つの疑問点を挙げた上で、「福島氏系譜」所収の慶長5年7月19日付の「福島正則宛家康書状」について、次のような解釈が可能だとされています。 「7月19日、徳川家康は上方… トラックバック:0 コメント:0 2020年11月16日 続きを読むread more