テーマ:戦国史

石田三成の実像2954 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についてまず次のように解説されています。  「本城惣右衛門は、藤堂高清(『…
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石田三成の実像2953 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、白峰氏と本多氏の小山評定に関する議論について、高橋氏は疑問点を4点挙げられていますが、その3点目として「福島正則はどこで家康書状を受け取ったのか」という点が挙げられています。  白峰氏は「…
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石田三成の実像2952 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」3 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、拙ブログで前述しましたが、もう一つの論点は、小山評定があっ…
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石田三成の実像2951 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」23 本間宏氏「上杉景勝の戦い」3 神指城築城は数年…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年2月に、上杉景勝が若松城(鶴ヶ城 )の北西に、面積が約二倍になる、新たな居城の神指(こうざし)城を構築し始めたことに関して、次のように記されています。  「発掘調査の結果、堀の掘削はきわめて不十分で、必然的に土塁も未完成とみなされることや…
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石田三成の実像2950 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正9年の明智光秀方による山家城攻めに、明智方の一員として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述について次のように解説されています。  「丹波国天田郡(何鹿【いかるが】郡ヵ)の山家【やま…
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石田三成の実像2949 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」44 慶長3年1月21日付の蜂須…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月21日付の蜂須賀家政宛徳川秀忠書状が掲載されており、次のように解説されています。  「蔚山城の戦いの終結後、徳川秀忠から家政に送られた書状。救援軍として合戦…
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石田三成の実像2948 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」2 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、福島正則が7月19日に西上したとする白峰氏の説に関する議論…
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石田三成の実像2947 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」44 慶長3年1月4日付の蜂須賀…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月4日付の蜂須賀家政等一五名連署法度が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長3年(1598)正月4日、蔚山城の救援に集結した日本勢が、明軍・朝…
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石田三成の実像2946 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正7年に明智光秀方になった村の上にある城への攻撃に加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述について次のように解説されています…
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石田三成の実像2945 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」43 蔚山城の戦いを描いた「朝鮮…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、明治19年に描かれた「朝鮮軍陣図屏風」が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長2年(1597)12月22日、加藤清正の指揮で築城が進められていた慶尚道蔚山城に、明軍…
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受贈御礼 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」1 石田三成の実像…

 高橋陽介氏よりご論考「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」をご恵贈いただきました。この場を借りてお礼申し上げます。このご論考は、以前お贈りいただき、拙ブログでも紹介させていただいた書評報告を再構築して書かれたもので、織豊期研究会発行の「織豊期研究 第22号」に掲載されています。  慶長5年(16…
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石田三成の実像2943 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正6年から7年の間と比定される明智光秀方の金山(きんざん)城攻めに加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述について次のように…
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石田三成の実像2942 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」22 本間宏氏「上杉景勝の戦い」2 会津転封をめぐっ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長3年1月10日、上杉景勝が会津に転封になったことについて、さらに次のような見解も示されています。  「一方、景勝に従ってきた在来の国衆たちは、会津移封によって先祖伝来の土地から切り離され、新たな知行地を景勝から拝領することとなった。これにより景…
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石田三成の実像2941 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」21 本間宏氏「上杉景勝の戦い」1 会津転封をめぐっ…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長3年1月10日、上杉景勝が会津に転封になったことについて、まず次のように解説されています。  「豊臣政権が景勝に期待したものは関東と奥羽の安寧であり、具体的には徳川氏と伊達氏、最上氏を牽制する役割であったと考えられる」と。  この見解は、妥…
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石田三成の実像2940 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正6年から7年の間と比定される明智光秀方の「しめ」城攻めに加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述について次のように解説されて…
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石田三成の実像2939 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」42 慶長2年(1597)9月付…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長2年(1597)9月付の慶尚道霊山宛蜂須賀家政等六名連署榜状が掲載されており、次のように解説されています。  「宇喜多秀家を大将とする、慶長出兵の『左軍』に属する諸将によって作…
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石田三成の実像2938 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」20 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」18 奉行衆が有す…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、「関ヶ原大乱は、家康にとって誤算の連続であったと指摘されていることは前述しましたが、それについて次のようにまとめられています。  「豊臣秀頼の意思を代弁する三奉行が西軍に味方したことによって、理論上、三成ら西軍は『公儀』となり、一方の家康は、三奉…
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石田三成の実像2937 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正3年(1575)から7年の間と比定される明智光秀方になった長田(おさだ)村攻めに加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、この戦いの記述に…
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石田三成の実像2936 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」41 慶長2年11月11日付の加…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長2年(1597)11月11日付の加藤嘉明宛蜂須賀家政書状が掲載されており、次のように解説されています。  「慶長出兵の際、家政が同じ四国衆の加藤嘉明に宛てた書状。熊谷直盛ら目付衆…
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石田三成の実像2935 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」19 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」17 家康にと…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、「関ヶ原大乱は、家康にとって誤算の連続であったと指摘され、具体的には次のように記されています。  「家康の方針は大老衆一人ひとりを豊臣公儀ら孤立させ、排斥していくものであり、毛利輝元と宇喜多秀家が上方で挙兵し、大老衆を三人同時に相手にすることな…
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石田三成の実像2934 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正6年の明智光秀の荒木城(細工所城)攻めに対する戦いに加わっていることが記されており、この戦いでも明智方ではなく、敵として戦ったことがわかりますが、次のように述べられています。  「丹波国『…
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石田三成の実像2933 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」40 「阿淡年表秘録」 文禄の役…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、「阿淡年表秘録」が掲載されており、次のように解説されています。  「本資料は、蜂須賀家政が阿波に入国する天正13年(1585)から、幕末の天保14年(1843)まで、258年間にお…
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石田三成の実像2931 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、前述したように、本能寺の際、明智光秀側の軍勢に加わったことが記されていますが、それまでの明智軍による丹波攻めにも加わったことも述べられています。もっとも、最初は天正3年以前の丹波国の小室城攻めと…
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石田三成の実像2930 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」39 文禄2年7月12日付の蜂須…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、文禄2年(1593)7月12日付の蜂須賀家政宛徳川家康書状が掲載されており、次のように解説されています。  「徳川家康から蜂須賀家政に宛てられた書状。第二次晋州城の戦いの直後にあた…
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石田三成の実像2929 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」17 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」15 江戸にとどま…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、小山から8月5日に江戸に戻った家康の動きについて、次のように記されています。  「家康は江戸に帰還した後もすぐには西上を開始せず、西上を開始するのは岐阜城攻略の報せを受けた後の9月1日である。徳川秀忠の中山道進軍の目的が、信州上田の真田昌幸をは…
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石田三成の実像2928 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、天正12年の小牧・長久手の戦いにおける伊勢亀山城攻撃に従軍したことについて、次のように記されています。  「攻める秀吉方の部将は、中川秀政、高山右近、堀尾吉晴であり、守城側は織田信雄の家臣の滝…
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石田三成の実像2927 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」38 天正20年6月3日付の蜂須…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、天正20年(1592)6月3日付の蜂須賀家政宛豊臣秀吉朱印軍令書が掲載されており、次のように解説されています。  「天正20年(1592)に開始される『唐入り』において、家政は阿波の…
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石田三成の実像2926 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」16 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」14 小山評定はあ…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、家康は諸将と軍議を開いた上、会津攻めを中止して西上することを決めた「小山評定」について、拙ブログ記事で前述したように、白峰氏が否定的な見解が示されているのに対して、水野氏は本多隆成氏と同様、肯定的な見解が示され、それに関して福島正則宛徳川家康書状…
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石田三成の実像2925 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、天正13年の羽柴秀長の紀伊攻略に従軍したことについて、次のように記されています。  「天正13年(1585)の羽柴秀長の紀伊攻略では、本城惣右衛門は羽柴秀長の指揮下において戦闘行動をおこなって…
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石田三成の実像2924 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」37 蜂須賀蓬庵(家政)像 慶長…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、「蜂須賀蓬庵像」が掲載されており、次のように解説されています。  「蜂須賀氏は尾張を出自とし、織田信長に仕えた正勝が秀吉の与力に付属されたことで、秀吉の右腕として力量を発揮し、彼と…
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