テーマ:戦国史

石田三成の実像2774 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」1 農民支配の集大成

11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、三成が湖北四郡19万4000石を領する佐和山城主になったのは、文禄4年(1595)8月、三成が領内に掟書を発布したのは、翌文禄5年3月1日のことであり、この掟書は、「豊富な検地奉行の経験などを通して民心を熟知した石田三成が、…
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旅行記205 11月2度目の近江旅行7 石田三成の実像2773 徳源院・京極家墓所

 11月24日、米原市の成菩提院での三成会議のイベントは午前中だったので(谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」の内容については後述します)、その後、一人、京極家の墓所がある徳源院を訪ねました。歩いて二十分余りですが、何年か前にも訪ねたことがあります。紅葉を見に来ている人々もいましたが、はや散り始めていました   京極家初代の氏信が…
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旅行記204 11月2度目の近江旅行6 石田三成の実像2772 成菩提院の「三成会議」1「乙訓戦国つつじ」のメンバ…

 佐和山城跡ののろし駅伝・いしだみつにゃん誕生祭の翌日は、米原市柏原の成菩提院で三成会議のイベントが開かれました。私が行った時には、三成マンホールデザイン表彰式は終わっており、「乙訓戦国つつじ」のメンバーによる甲冑劇が始まっていました。三成の少年期から、成長して秀吉のもとで活躍し、関ヶ原の戦いで敗れて処刑されるまでを三十分という短い枠の…
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旅行記203 11月2度目の近江旅行5 石田三成の実像2771 いしだみつにゃん誕生祭3・田附清子氏の講演「三成の…

  写真はいしだみつにゃん誕生祭の際の時の昼食を撮ったものです。売り切れているかと思ったのですが、まだありました。かやくご飯(全国的には炊き込みご飯と言いますが)、しじみ汁、お茶のペットボトル、それに三成の辞世の歌とされる「散り残る紅葉」の和歌が記されたボールペンが付いていました。  誕生祭の〇✕クイズで、「近江鉄道のいしだみつにゃ…
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石田三成の実像2771  高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」2 …

高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説では家康が諸将と小山評定を開き、上杉攻めを中止して上方にいる三成らを討つことを決めたとされる日には宇都宮に在陣していたとする白峰氏の見解について、家康が江戸を出発してから再び江戸に戻るまでの15日までの日…
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旅行記202 11月2度目の近江旅行4 石田三成の実像2770 いしだみつにゃん誕生祭2・田附清子氏の講演「三成の…

 写真は11月23日の午後に彦根の佐和山会館で行われた、いしだみつにゃんの誕生祭のバースディーケーキです。みつにゃんには色紙やきつねのぬいぐるみもプレゼントされていました。家康が「たぬき」と呼ばれているのに対して、三成は「きつね」と言われることがよくあるのにちなんだ贈り物です。  さて、その時に行われた 田附清子氏の講演「三成の歌~辞…
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石田三成の実像2769 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」34 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」14…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。 「大垣(城)に籠…
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旅行記200 今月2度目の近江旅行2 石田三成の実像2767 佐和山城跡でののろし駅伝

 昨年と同様、23日に行われた佐和山城跡ののろし駅伝、午後の佐和山会館でのいしだみつにゃんの誕生祭に参加しました。例年は山頂は寒い(4日に登った時も風が吹いて寒く、あまり長居はできない状態でした)ので、厚着をして登ったのですが、今日は天気がよく気温が上がり汗をかくほどでした。のろしが上がったのはちょうど正午で、三成の旗印が描かれた幕がか…
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石田三成の実像2766 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」33 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」13…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「豊臣公儀の軍勢(…
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旅行記199 今月2度目の近江旅行1 石田三成の実像2765 妙源寺の山門・芹川のケヤキ道・宗安寺の赤門・木村重成…

また二泊三日で彦根に行ってきました。11月になって2度目です。23日は佐和山城でのろし駅伝、午後はいしだみつにゃんの誕生祭、24日は米原市柏原の成菩提院で三成会議主催の、三成を主人公にした甲冑劇、谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書」が行われ、それらに参加するためでした。  22日に泊まったホテルは、芹川沿いにあり、妙源寺の近くで…
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受贈御礼 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」1 石田三成の実像2…

 高橋陽介氏より書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)をご恵贈賜りました。本多氏の同論考も併せてお送りいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。この高橋氏の書評報告は織豊期研究2019年10月例会で発表されたものです。  小山評定とは、上杉攻めに向った家康が…
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石田三成の実像2763 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」5 関ヶ原合戦での論点 

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、関ヶ原合戦についての論点についてもいろいろ挙げられていました。  まず西軍の首謀者は三成ではなく、名実ともに毛利輝元とする指摘があり、研究者の間ではそれが主流になっていると説明されていました。しかし、西軍の構成が三…
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石田三成の実像2762 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」32 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」12…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「去る(8月)22日・23日、合渡(川)…
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石田三成の実像2761 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」4 三成引退後の政局

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、秀吉死後の政治闘争について、石田三成が佐和山に退いた後、前田派VS家康派・三成派という構図が生まれたという指摘があるものの、良質の史料にはないので検討の必要があると述べられていました。  この点について、三成が家康…
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旅行記195 近江旅行4 「きのもと交遊館」・冨田酒造の「七本鎗」

滋賀県に行けば、「七本鎗」という日本酒を飲むことがよくあるのですが(三成祭の時は「石田三成」なる日本酒ですが)、木之本町の冨田酒造が作ったものであることを、今回、「きのもと交遊館」を訪ねて初めて知りました。冨田酒造について館の人に丁寧に説明していただきました。京極家の血を引く人が、天文年間にこの地で造り酒屋を開業して480年余りというこ…
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石田三成の実像2760 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」31 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」11…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れてきましたが、これまで紹介してきたものは、「浜松城にいる保科正光が、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた書状」ですが、もう一…
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石田三成の実像2759 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」3 七将襲撃事件の論点2

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていましたが、その続きです。  「三成は伏見のどこに行ったのか?」ということに関して、小説やドラマでは三成は家康の屋敷に逃げ込んだと…
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石田三成の実像2758 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」30 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」10…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「佐竹義宣・上杉景勝も少しは手出しをするのではないか」という記述があります。  この記述につ…
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石田三成の実像2757 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」2 七将襲撃事件の論点

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていました。  そもそも、七将の武装襲撃はなく、集団訴訟であったという見解が水野伍貴氏や白峰旬氏によって出されていること、確かに一次…
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石田三成の実像2756 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」29  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に佐竹義宣・上杉景勝が攻めてくる場合のことについて、次のような記述があります。  「佐竹義宣より…
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石田三成の実像2755 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」28  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に次のような記述があります。  「もし万々一、美濃口に向い(敵が)後詰をしたならば、大垣の城が落…
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旅行記190 近江旅行1 四日間の概要 石田三成の実像2754 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の…

 1日から4日まで、彦根・米原・長浜方面に行ってきました。彦根のホテルに3泊しました。三成関係のイベントが連日あったからですが、1日は昼に彦根入りし、午後は三成に関係ないものの、蒲生野まで行ってきました。「万葉集」に出てくる額田王と大海人皇子(後の天武天皇)の相聞歌の舞台となったとされる場所ですが、このことについては後述します。  2…
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旅行記189 出雲旅行5 出雲大社の一の鳥居から四の鳥居まで・四の鳥居(銅鳥居)は毛利輝元が最初に寄進

  旧大社駅が駅として機能していた時には、宇迦橋を渡り、一の鳥居である宇迦橋の大鳥居を通って、神門通りを歩き、二の鳥居である勢溜(せいだまり)の大鳥居、祓橋(はらえのはし)、三の鳥居である松の参道の鳥居、四の鳥居である銅鳥居をそれぞれ通って、出雲大社にお参りできたわけです。   今は一畑電車の出雲大社前駅は一の鳥居の内側にありますから…
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石田三成の実像2753 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」27  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「大垣(城)に籠っている軍勢が二万余いる、とのことなので、(大垣城のような)小城にて、そのよ…
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石田三成の実像2752 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」26  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。。  書状の中に、大垣城の三成方の軍勢が少ないので毛利勢が後詰をする可能性が低いことについて言及されているの…
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石田三成の実像2751 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」25  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。。  書状に、「(大垣城の)城中の衆より安芸の毛利方へ後詰をするように、という飛脚が来たところを虎口(こぐち)…
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石田三成の実像2750 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」25  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  書状に、「(大垣城の)城中の衆より安芸の毛利方へ後詰をするように、という飛脚が来たところを…
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石田三成の実像2749 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」24  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  大垣城に籠っている武将の中に、「秀頼様の御馬廻衆の中で精鋭の衆数人」という記述(現代語訳…
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石田三成の実像2748 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」23  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  書状に、小早川秀秋が大垣城に籠城していたという記述があることについて、白峰氏の同書には「8…
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石田三成の実像2747 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」22  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられていますが、その内容について大事だと思われる点について触れていきます。  大垣城に籠城している武将の名に小早川秀秋の名が入っている点が挙げられ、白峰氏の同書では、次のように…
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