テーマ:戦国史

石田三成の実像2800 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」3 真田信幸宛書状2 慶長2年のものと推…

昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」で、真田信幸宛書状三通が取り上げられていましたが、二通目として8月20日付の書状について解説されていました。  「(大意訳)先日は書状をいただき、早々に御返事すべきところ、御使者が見られたように路地の途中…
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石田三成の実像2799 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」3 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察3

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「江上八院の戦いについての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状」の中で、立花宗茂が12月2日付で発給した感状のうち、着到文言がある感状(残存する30例の感状のうち15例)の一例が挙げられ、次のように現代語訳されています。  「この度(た…
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京都探訪312 舎人親王が祭神の神足神社・そばの勝竜寺城の土塁、空堀跡・藤孝が改修し、神足屋敷(城)も城内に取り込む

 山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳から引き返し、勝竜寺城公園を経て、長岡京駅に戻りましたが、その途中、神足(こうたり)神社に寄り、お参りしました。  神足神社の祭神は、天武天皇の子の舎人(とねり)親王と云われています。舎人親王は「日本書紀」を編纂した人物として有名ですが、淳仁天皇は舎人親王の子です。淳仁天皇は、…
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石田三成の実像2798 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」2 真田信幸宛書状1

 昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」で、真田信幸宛書状三通が取り上げられていましたが、まず次の書状について解説されていました。  「(大意訳)書状拝見、承りました。このところ御城番にて宿へ帰ることもなく、御意を得ることもできませんでした。…
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京都探訪311 勝竜寺城の西側の沼田丸跡・細川藤孝夫人の麝香は沼田氏の出身・ガラシャの自害の翌年キリスト教入信・ガ…

 勝竜寺城公園の西側の駐車場のあたりは、沼田丸があったところ(本丸の西側にあった曲輪になります)で、細川藤孝の妻の麝香(じゃこう)が沼田氏の出身であったところから、名付けられました。藤孝と麝香との間に生まれたのが忠興ですが、忠興夫人のガラシャが自害した翌年、麝香もキリシタンとなり、マリアという洗礼名を与えられます。麝香の入信は、ガ…
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石田三成の実像2797 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」5 「…

  高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説通り小山評定があったとする本多氏の見解と、小山評定は創作だとする白峰旬氏の見解の相違について、「2015年本多論文以降、その論点はおおむね二つにしぼられている」として、まず一点目として白峰氏の「福島正…
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石田三成の実像2796 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」8 年貢米の運搬費用を出す 年貢率の決定の仕方

 昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第十二条 年貢米の上納について  年貢上納については、一石について二升の口米を出す。俵は二重にして、五里以内…
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京都探訪310 恵解山古墳 五世紀前半の前方後円墳・山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされるところ

 5日、勝竜寺城公園からさらに十数分程南に歩いて、恵解山(いげのやま)古墳へ行きました。ここは山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたところとされています。史料には「御坊塚」という名前で出てくるのですが、それは恵解山古墳のさらに南にある境野一号墳という説もあるものの、恵解山古墳という説が今は有力のようです。  光秀はこの場所で陣頭指揮を…
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石田三成の実像2795 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」2 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察2

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「江上八院の戦いについての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状」の中で、立花宗茂が12月2日付で立花家家臣の佐田清兵衛尉に発給した感状が、一例として挙げられ、次のように現代語訳されています。  「この度(たび)の江上表における一戦の時に、佐田清…
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京都探訪309 勝龍寺城公園3 藤孝と光秀は本能寺の変までは親密・石垣の遺構・山崎の合戦後、城の北門から光秀は逃亡

細川藤孝が、信長によって勝竜寺城の城主に任じられたのは、元亀2年(1571)のことであり、藤孝は城を整備しますが、藤孝は天正9年(1581)、丹後に転封になります。その翌年、本能寺の変が起こりますが、細川藤孝・忠興は、光秀の味方をせず、藤孝は剃髪しますし、家督を忠興に譲ります。それまで、藤孝と光秀の関係は親密だったことが、資料館の映像で…
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石田三成の実像2794 勝竜寺城公園2 三成の軍勢がガラシャを自害に追い込んだとするのは誤り・忠興とガラシャとの…

 勝竜寺城公園の模擬櫓のような建物が資料館になっているのですが、館内で流れていた映像は、忠興と玉の夫婦の仲むつまじさが強調され過ぎているような気がしました。確かに、勝竜寺城で新婚生活を送った時代は幸せだったものの、光秀が本能寺の変を起こして謀反人となった後は、玉は謀反人の娘の烙印を押されますし、忠興は独占欲が強く嫉妬深い人物であり、ガラ…
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石田三成の実像2793 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」1 「人間力」の定義

昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」ですが、まずこの講演会の要旨として次のように述べられていました。  「三成の人柄を知る逸話は多いが、確かな史料から裏付けられるものは、ほとんどない」  「そこで三成が生きた同時代の書状のみから、その人間…
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石田三成の実像2792 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」7 「目安」(直訴)を認める

 昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第九条 徴発物資について  糠(ぬか)や藁(わら)などにいたるまで、所用あって代官より上納を命じた場合に、も…
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石田三成の実像2791 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」6 農民の離村や他村からの逃亡人を召し使うことを禁止

昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第七条 農民が奉公人や町人になって離村することの禁止について  小田原の陣以降、百姓が村を離れて奉公人・町人に…
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石田三成の実像2790 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」1 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察1

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)は、慶長5年(1600)10月20日に、龍造寺氏・鍋島氏と立花氏との間で起こった江上八院の戦いについて、中西氏は龍造寺氏・鍋島氏側から、白峰氏は、立花氏側から論じたものです。  関ヶ原の戦い(実際は山中の戦いだったというのが白峰氏の見解ですが)が起こったのは、…
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謹賀新年 「ねずみどし」の折句歌 石田三成の実像2789 三成の人望のなさが関ヶ原の戦いの敗因になったとする通説

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  ね(根)を張りて  ずしりと重き  みき(幹)のごと  どんと構へて  しん(芯)強く生く  「ねずみどし」を織り込んだ折句歌です。  令和二年の最初の仕事は、巻雲短歌会の会誌の発行です。1月25日の発行を予定しており、目下初校の校正中ですが、…
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石田三成の実像2788 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」4 「…

高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説通り小山評定があったとする本多氏の見解と、小山評定は創作だとする白峰旬氏の見解の相違について、「2015年本多論文以降、その論点はおおむね二つにしぼられている」として、まず一点目として白峰氏の「福島正則の…
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石田三成の実像2787 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」5 三成の判のある升を使うこと

11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第六条 升について  来秋からはただいま遣わす三成の判のある升を用い、従来の升を用いてはならない。先年検地衆から出…
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自作短歌の周辺38 石田三成の実像2786 連作短歌「歪められた歴史」 白峰氏の新説に基づく関ヶ原合戦・権力者によ…

 軍記物による創作を真実と思ひ込みたり今に至るも  家康を活躍させむ場を無理に作り上げたり関ヶ原合戦  主戦場は関ヶ原にあらず三成ら主力部隊は「山中」に陣す  次号の短歌誌に掲載する拙歌の一部です。関ヶ原の戦いに関する新説や石田三成を題材にした歌を多数詠み、一連の短歌に「歪められた歴史」という題をつけました。新説は、専ら白峰旬…
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石田三成の実像2785 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」7 豊臣政権における三成

11月2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、「豊臣政権の三成」について、「上杉氏、真田氏、島津氏、佐竹氏、相良氏ら『取次』大名との強固な関係」、「堺奉行・博多奉行治政にみる都市プランナーとしての能力」、「掟書にみる実務能力」、「豊臣政権諸政策と三成の関…
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石田三成の実像2784 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」4 出作・入作の場合の夫米の高を規定・田畑放棄の禁止

11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第四条 出作・入作の場合に相手の村に出す夫米について 給人方の百姓が蔵入地の田地を入作したときは、一石に…
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石田三成の実像2783 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」36 「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」1…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年(1600)9月26日頃のものとされる片倉景綱宛伊達政宗消息における大垣城攻城戦の状況について、次のようにまとめられています。  「①大垣城に石田三成・宇喜多秀家・島津義弘・小西行長が籠城していることは間違いない …
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NHKの番組「昭和の選択」山本五十六の苦悩・石田三成の実像2782 文禄の役の際の三成の苦悩

NHKの番組「昭和の選択」で連合艦隊司令長官・山本五十六の苦悩が取り上げられていました。アメリカとの戦争を回避しようとしながら、一方で奇襲作戦を立案をし、それを実行しなければならなかったこと、アメリカに打撃を与えることで半年ぐらいで講和に持ち込みたかったこと、そもそも山本はアメリカに留学してアメリカの国力を熟知しており、ロンドン軍縮条…
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石田三成の実像2781  高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」3 …

 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説通り小山評定があったとする本多氏の見解と、小山評定は創作だとする白峰旬氏の見解の相違について、「2015年本多論文以降、その論点はおおむね二つにしぼられている」として、まず白峰氏の「福島正則の7月19日…
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石田三成の実像2780 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り2 治部池・伏見城の大手門跡・明治天皇陵・天皇、皇…

 11月26日、伏見桃山城の紅葉を見た後、伏見城内の石田三成の屋敷である治部少丸があったそばを通りましたが、屋敷の北側にあった堀の遺構と思われる、治部池を柵越しに見て(わずかに見えるだけですが)、そのことを説明しました。  この治部池が見える道は、今まで 二十回以上は通っているのですが、28日に天皇・皇后が明治天皇陵に参拝される際には…
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石田三成の実像2779 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り1・丹波橋駅から下板橋通を東へ・伏見桃山城の紅葉

 拙ブログで何回か伏見城跡や模擬天守の伏見桃山城を取り上げてきましたが、11月26日に大阪府立茨田高校の元同僚三人と木幡山伏見城跡・城下町跡を少し巡ってきました。私が案内役を務めました。午後、京阪丹波橋駅で集合し、下板橋通を東に進み、まず伏見桃山城運動公園へ行きました。   丹波橋駅付近は秀吉の時代に田中吉政の屋敷があったところです。…
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石田三成の実像2778 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」3 夫役の基準の明確化・触れ歩きの者を使用する規定…

 11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていました。  「第一条 夫役(ふえき)としての詰夫(つめふ)について  詰夫は高千石について一人の割合で出す。これ以上に人夫を遣うときは、必要な…
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石田三成の実像2776 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」35 「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」1…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の二通の保科正光書状が取り上げられ、その内容について次のようにまとめられています。  「8月末の時点における石田三成方の軍勢と家康方の軍勢の極度に緊張した軍事状況下において、大垣城攻城戦が今後どのよう…
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石田三成の実像2775 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」2 太閤検地に若い頃から携わる・施策が幕府に受け継…

 11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、三成も深く関わった太閤検地について、次のように述べられていました。  「刀狩令などとともに秀吉政権が実施した重要施策の一つ。これまでの『村の武士』などの中間得分(ちゅうかんとくぶん)を否定して、耕作者と領主との1対1の関…
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石田三成の実像2774 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」1 農民支配の集大成

11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、三成が湖北四郡19万4000石を領する佐和山城主になったのは、文禄4年(1595)8月、三成が領内に掟書を発布したのは、翌文禄5年3月1日のことであり、この掟書は、「豊富な検地奉行の経験などを通して民心を熟知した石田三成が、…
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