テーマ:戦国史

石田三成の実像2991 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。 「③『太閤』は、通説では『たいこう』という読み方であるが、当時は『たいこ』と読んだ可能性がある、…
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石田三成の実像2990 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」33 本間宏氏「上杉景勝の戦い」13 越後一揆に対す…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、直江兼続が越後一揆に対する指示を与えていることについて、次のように記されています。 「兼続は7月28日以降、若松にいる山田喜右衛門尉(秀次)に対して、越後一揆に関する指示を連日のように下している。8月4日の書状では、一揆は堀氏の領内に限定し、豊臣…
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石田三成の実像2989 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方についての指摘の続きです。   「②増田長盛の読み方は、通説では『増田』は『ました』という読み方であり、『ました』であれば通説…
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石田三成の実像2988 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」12 石…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第20条の「(大久保長安から)深志(=松本)への書状(=松本城主・石川康長への書状)を遣わしたので 安心するように」、第21条の「松本(城主の石川康長)へは何事も大久保長安次第に申し付けるべき旨…
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石田三成の実像2987 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」32 本間宏氏「上杉景勝の戦い」12 菅原義勝氏「最…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康に対する弾劾状である「『内府ちがひの条々』は、兼続を介して奥羽諸将に伝送されたのである」と記されていることは前述しましたが、それを知った奥羽諸将の動きについて、次のように記されています。  「最上義光のもとに参陣していた秋田氏、南部氏、仙北衆…
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石田三成の実像2986 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」11 …

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、第19条の「浅野幸長(=この時点で清須城[尾張国]に在陣していたか?)から念を入れて、一つ書き(の書状)をもって家康に申し上げた」と現代語訳されている部分について、「このことは、『(慶長5年)8…
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石田三成の実像2985 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち人名の読み方について、まず次のように指摘されています。  「①滝川一益の読み方は、通説では『滝川』は『たきがわ』と読んでいるが、通説とは…
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石田三成の実像2984 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」31 本間宏氏「上杉景勝の戦い」11 「内府ちがひの…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康が自分に対する弾劾状である「内府ちがひの条々」が出されていることを知った前後の動きについて、次のように記されています。  「7月29日、徳川家康は、家康の所業を弾劾する『内府ちがひの条々』および7月17日付豊臣氏三奉行副状が全国に発送されてい…
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石田三成の実像2983 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」10 秀…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、書状の記述から秀忠の出陣目的が上田城攻めであったことが指摘されているのは前述しましたが、その解説の続きです。  「徳川秀忠が信濃国に向けて宇都宮城(下野国)から出陣したのは8月24日である。『…
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石田三成の実像2982 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」3 大谷吉継が松尾山の麓に布陣した痕…

 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」の中で、小早川秀秋の裏切りを察知した大谷吉継は、松尾山の麓に布陣したという説が出されていました。その根拠となるのは、やはり赤色立体図であり、千田嘉博氏は、その陣跡を実際に探索し、急ごしらえで作った堀の跡などを確認されていました。  番組で関ヶ原の戦いの経緯は、家康方軍勢がまず、松…
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石田三成の実像2981 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち各人物の表記が表3としてまとめられ、次のように記されています。  「『本城惣右衛門覚書』では、各人物の表記について、『様付』、『殿付』、…
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石田三成の実像2980 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」30 本間宏氏「上杉景勝の戦い」10 伊達政宗による…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康の会津攻め中止の報を受け取った伊達政宗のその直後の動きについて、次のように記されています。  「家康からの一報が、最上義光を経由して伊達政宗に届いたのは8月3日であった。家康の方針転換を知らなかった伊達政宗は、7月24日に家康に無断のまま白石…
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石田三成の実像2979 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」2 松尾山城の布陣の仕方で小早川秀秋…

 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」では、小早川秀秋が布陣したとされる松尾山にも、千田嘉博氏が登ってその遺稿を確認し、次のような見解を示されていました。尾根を平らに削り取って、陣小屋を建てて大軍を配備していたこと、しかし、不可解なことに、陣小屋があるのは切岸の外側であり、守りを考えるなら普通は切岸の内側に布陣するはず…
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今年の干支を折り込んだ折句歌・石田三成の実像2978「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状…

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。  う(憂)きことの  しき(頻)りなる世に  のぞ(望)み持ち  とき(時)に流されず  しんじつ(真実)見極む            ※「うしのとし」を折り込んだ「折句歌」です。  さて、白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大…
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石田三成の実像2977 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」29 本間宏氏「上杉景勝の戦い」9 7月23日付の最…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、会津攻めのために江戸を7月21日に出立した家康のその直後の動きについて、次のように記されています。  「7月23日、石田三成と大谷吉継(吉隆)の決起を伝える情報が徳川家康のもとに届いた。大坂城の淀殿と豊臣氏奉行衆(長束正家・増田長盛・前田玄以)は…
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石田三成の実像2976 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」1 山中エリアで発見された玉城跡・三…

 NHKの「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」という番組で、航空機からレーザーを照射して、地表の凹凸を計測し、そのデーターを処理して作られた赤色立体地図から、関ヶ原の山中エリアに「玉城」という巨大な山城の跡があったことが明らかにされていました。千田嘉博氏らが実際に現地に足を運んで、切岸、竪堀、土塁、200メートルもの平坦な…
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石田三成の実像2975 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」8 家康は遠山利…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第15条の「(家康が)東美濃への軍勢を遣わすことは、のちにおこなう予定とのことである。遠山利景(美濃国明知城…
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石田三成の実像2974 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「良い首と悪い首の基準」について、次のようにまとめられています。  「良い首は武功のあ…
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石田三成の実像2972 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」7 金森長近は木…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第14条の「金森長近(飛騨国高山城主)も、その谷(=木曽谷)を固く守っていることについて、(家康は)御満足し…
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石田三成の実像2971 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「首取りと褒美」について、次のように記されています。  「①すべての戦いで、本城惣右衛…
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石田三成の実像2970 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」6 家康も江戸に…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第13条の「石川康長(信濃国松本城主)の人質が家中共々、昨(8月)20日に私(大久保長安)の代官所の日野(武…
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石田三成の実像2969 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」28 本間宏氏「上杉景勝の戦い」8 指揮を取った兼続…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝に代わって、直江兼続が軍事・外交を指揮したことについて次のように具体的に述べられています。  「徳川家康が江戸城を進発した翌日の7月22日、兼続は若松城から出陣した。兼続は出陣に先立ち、南会津を守備する大国…
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石田三成の実像2968 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「本城惣右衛門は取った首を藤堂高虎のところへ…
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石田三成の実像2967 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」5 家康方軍勢の…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第11条の「清須城(尾張国)までの道筋(の諸城)は確実に(徳川方が)受け取った」と現代語訳されている部分につ…
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石田三成の実像2966 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」27 本間宏氏「上杉景勝の戦い」7 防御に徹する景勝…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、実際の上杉氏の動きについての高橋明氏の見解が紹介されていることは拙ブログで前述しましたが、その上杉氏の動きについ…
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石田三成の実像2965 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「藤堂高虎の母衣(ほろ)の衆の青木忠兵衛と大…
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石田三成の実像2964 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」4 豊臣公儀方の…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。   第6条の 「鉄炮・玉薬(=火薬)以下を付けさせて(そちら[=木曽谷]へ)送った。(それらはそちら[=木曽谷…
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石田三成の実像2963 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」26 本間宏氏「上杉景勝の戦い」6 捏造された「革籠…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、次のように記されています。  「景勝は若松から動かず、兼続もこの方面には出陣していない(高橋明 2009c)。…
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石田三成の実像2962 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「『惣右衛門覚書』によれば、この戦い(八尾・…
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石田三成の実像2961 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」3 東美濃への侵…

白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  「小笠原長巨(ながなお)を、そちら(=木曽谷)への加勢として人数(=軍勢)を遣わした」と現代語訳されてい…
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