テーマ:日本文学

旅行記175 小倉旅行9 鴎外橋・鴎外文学碑・常盤橋と広告塔

小倉城庭園のすぐ東側を紫川が南北に流れていますが、その川に架かっているのが、鴎外橋で、そのたもとに森鴎外の文学碑が建っています。生誕百年を記念して昭和37年に建てられましたが、この文学碑はこの北にある常盤橋にあった広告塔を模したものです。この広告塔のことは、鴎外が書いた小説「独身」の中にも出てきており、文学碑にその一節が刻まれています。…
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日本文学探訪124 拙文「漱石と白百合」4  漱石の恋人とされた大塚楠緒子の歌と詩

 夏目漱石の小説「道草」の中の行方不明だった自筆原稿18枚が見つかったという記事が新聞に出ました。「道草」は自伝的な小説であり、養父が主人公に金をせびるどろどろした内容には嫌な思いをしたものでした。漱石の小説には珍しく、「道草」では三角関係は描かれていません。  さて、昭和50年12月に同人雑誌に掲載した「白百合と題して」の第2章の「…
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京都探訪283 日本文学探訪123 平八茶屋と漱石3 「門」における描写・拙文「漱石と白百合」3

 写真は平八茶屋を庭のところから昨年4月に撮ったものです。昼食を取ったのは1階の広間であり、ガラス戸越しにテープルが見えています。2階は和室になっているものと思われます。広間のすぐ向こうに高野川が流れており、川の流れを見ながら食事を楽しむことができました。  朝日新聞に昨月まで連載されていた夏目漱石の「門」にも、平八茶屋が出ていました…
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京都探訪282 日本文学探訪122 平八茶屋と漱石2 明治40年の日記 拙文「漱石と白百合」2

 写真は平八茶屋の入口を昨年4月に撮ったものです。古式ゆかしき風情のある入口です。  夏目漱石の小説「虞美人草」では、最初男二人が比叡山に登ろうとして、その険しさに「今日は山端の平八茶屋で一日遊んだほうがよかった」と言う場面があります。  角川書店版「夏目漱石全集4 虞美人草」に明治40年の「日記」の一部が掲載されていますが、「4月…
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京都探訪281 日本文学探訪121 平八茶屋と漱石1 麦飯とろろ膳 拙文「漱石と白百合」1

写真は平八茶屋の麦飯とろろ膳を昨年4月24日に撮ったものです。妻と一緒にここで昼食を取りに行きました(翌日が妻の誕生日であり、その祝いも兼ねてのことです)。料理が2段重ねになっていますが、写真では横に並べています。料理に舌鼓をうった後、最後に麦飯にとろろ汁をかけて食べます。  平八茶屋までは地下鉄松ヶ崎駅から歩きましたが、20分…
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日本文学探訪120 山川登美子の日本女子大学校停学処分 「『明星』における白百合」6

 歌人の山川登美子は、成瀬仁蔵(朝ドラ「あさが来た」の成澤泉のモデルとなっている人物)に憧れて日本女子大学校に入学しましたが、合同歌集「恋衣」を出版しようとした時に、停学処分を受けましたから、憧れの大学にどれだけ幻滅を感じたことでしょう。それをうかがわせる歌も詠んでいます(拙ブログでも紹介しました)が、坂本政親氏編「山川登美子全集」(光…
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日本文学探訪119 広岡浅子と山川登美子の接点?2 「『明星』における白百合」5  晩年の歌

 写真は土佐堀川から大同生命本社ビル(正面に見えているビル)方面を見て撮ったものです。高速道路が走っていて、ビルが見えにくくなっています。前に見える橋は渡辺橋であり、南北に四つ橋筋が通っています。今の四つ橋筋をはさんで、かつて東に広岡浅子が嫁いだ加島屋(現大同生命ビル)、西の少し南側に歌人の山川登美子が通った梅花女学校がありました。 …
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日本文学探訪118 山川登美子記念館5 昭和50年の拙文「『明星』における白百合」4 身の不幸を歌う

 写真は山川登美子記念館の表座敷の床の間付近を昨年12月24日に撮ったものです。登美子が住んでいた当時のままではないかもしれませんが、格式のある旧家であることを感じさせます。  さて、昭和50年12月に書いた拙文「白百合と題して」の第1章「『明星』における白百合」を随時紹介していますが、その続きです。  ライバル登美子が退いて…
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日本文学探訪117梅花女学校発祥の地碑 広岡浅子と山川登美子の接点? 「『明星』における白百合」3

 写真は梅花女学校発祥の地碑を昨日に撮ったものです。昨日は新たに豊臣期大坂城の石垣内側から見つかった大坂夏の陣の焼け土の層などについての現地説明会に行った(こについては後述します)あと、肥後橋に足を伸ばしてこの碑を見て、近くにある大同生命大阪本社ビル(加島屋跡地)で開かれている「広岡浅子の生涯」展を見学(二度目)して、その後、玉造へ行き…
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日本文学探訪116 山川登美子記念館4 梅花高校 昭和50年の拙文「『明星』における白百合」2 

  写真は山川登美子記念館の入口の門を昨年12月24日に撮ったものです。 山川登美子は大阪の梅花女学校を卒業していますが、昨日の毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」の「たむらけんじの学校へ行こッ!」のコーナーで、梅花高校が取り上げられていました。大阪で最初に作られた女学校であると紹介され、たむらさんが舞台芸術コースのクラス(夢多き女生…
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日本文学探訪115  山川登美子記念館3 辞世の歌碑 昭和50年の拙文「『明星』における白百合」1

 写真は小浜にある山川登美子記念館にある山川登美子の辞世の歌碑を昨年12月24日に撮ったものです。「父君に召されていなむとこしへの夢あたたかき蓬莱のしま」と書かれていますが、前に拙ブログで紹介したものと、一部字句が違っています。  今から40年前の昭和50年12月に、謄写版刷りして出した雑誌「巻雲短歌会文月会支部報第2号」に、「白百合…
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日本文学探訪114 山川登美子記念館2 「白百合の君」と呼ばれた登美子・意に染まぬ結婚をする前の歌

  写真は小浜の山川登美子記念館の庭園を昨年12月24日に撮ったものです。終焉の間の廊下から座敷の方を向いて撮っています。登美子が亡くなった終焉の間自体は撮影禁止でした。   登美子は自ら「白百合」と署名し、他の仲間から「白百合の君」と呼ばれていました。登美子が「白百合」を詠んだ有名な歌があります。  髪ながき少女(をとめ)とう…
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日本文学探訪113 山川登美子記念館1 与謝野鉄幹・晶子との出会い・日本女子大停学処分・終焉の間

 写真は山川登美子記念館を昨年の12月24日に撮ったものです。この日は午前中に北の庄城址・福井城址を回った後、JRに乗り、再び敦賀に戻り、小浜線に乗り換え、小浜を訪ねました。小浜もいろいろ回りたかったのですが、クリスマス・イブとあって夜には家に戻らねばならなかったので、山川登美子記念館にだけ行きました。ここはかねてから訪ねたいと思ってい…
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日本文学探訪112 山愛美氏の講演「村上春樹の創作活動と心理療法」1 心理療法家として創作過程に関心

 8月30日に、京都学園大学で「『語り』の力」と題する講演会が行われましたが、それは山愛美氏の「村上春樹の創作活動と心理療法」と森岡正芳氏の「人が語り始めるときーナラティヴ心理学の道しるべー」及びパネルディスカッションから成り立っており、興味ある内容なので聴きに行きました。この講演会も人文学部の開設記念講演会の一環で、「『源氏物語』の真…
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京都探訪159 日本文学探訪111 漱石の句碑・朝日新聞「漱石 川を隔てて一句」・「こころ」再連載 

  写真は御池大橋の西側に建つ夏目漱石の句碑を5月30日に撮ったものです。拙ブログ昨日付の記事で述べたように、一昨日にこの句碑を見た後、山科へ出て、琵琶湖疏水沿いから毘沙門堂あたりを散策しました。  漱石の句碑の存在については、朝日新聞5月20日付「京ものがたり 漱石 川を隔てて一句」という記事で知りました。この石碑には「木屋町に宿を…
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日本文学探訪99 井上靖「北の海」1 極楽とんぼの浪人生活・教師が生徒を家に呼んでご馳走

 井上靖の小説「北の海」を読み直しました。「しろばんば」「夏草冬濤」に続く自伝的な小説です。主人公の伊上洪作は、幼い時から伊豆の土蔵でおぬい婆さんと暮らすという特異な経験をしましたが、その時のことを叙情性豊かに描いたのが「しろばんば」です。お婆さんといっても本当の祖母ではなく、曾祖父の妾だった人であり、洪作とは血がつながっていませんが…
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日本文学探訪98  尾崎放哉の自由律俳句の「入れ物がない両手で受ける」 すべてに感謝する気持ちになる

 尾崎放哉の自由律俳句の「入れ物がない両手で受ける」も好きな作品の一つです。托鉢生活に入った作者でしたが、鉢も用意しておらず、施しを受ける容器がないため、両手で受けてもらったというような句意です。もらったものが何かは書いていませんが、普通考えると食べ物ではないかと思われますし、伊沢元美氏の「俳句シリーズ 人と作品 尾崎放哉」でもそう推定…
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日本文学探訪97  尾崎放哉の自由律俳句「せきをしてもひとり」 咽頭結核に苦しむ

尾崎放哉の自由律俳句の中で私が一番気に入っているのが「せきをしてもひとり」です。孤独感がにじみ出ている俳句であり、一人きりの生活をしていて、咳をしてもそばには誰もおらずに寂しさを覚えたというような句意です。  この句は初版では「咳をしても一人」と表記されていますが、再刻版で全部ひらがなになっています。  咳の程度は軽くても激しく…
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日本文学探訪96  正岡子規の俳句「鶏頭の十四五本もありぬべし」 授業では通説通り・分かれる評価

  正岡子規の俳句「鶏頭の十四五本もありぬべし」を授業で取り上げたことがあります。「坂の上の雲」がまだドラマ化されていない時です。もっとも、子規の短歌や俳句は中学校の教科書でも取り上げられていますから、その時の生徒にとっては全く名前を知らない文学者ではなかったはずです。当時からこの俳句をめぐってはさまざまな解釈がされており、評価も分かれ…
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日本文学探訪95 石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて」「人がみな同じ方角に向いてゆく」

 石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」を授業で取り上げたことがあります(今まで啄木の短歌は何度か扱いました)。これは三行書きの短歌で、土岐善麿が始めて啄木が受け継いだ独特のスタイルです。  歌の意味は、「盛岡城の草の上に寝転んで大空に夢を描いていた十五才の頃の私の心よ」ということですが、現在進行形の歌では…
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日本文学探訪94 石田三成の実像728  関根和美歌集「呂宋へ」の終章「右近百首」2 26聖人殉教

 関根和美氏の「右近百首」は作者自身が右近の身になって、その気持ちを連作短歌に詠んでいますが、最後は作者の立場に戻ってその心情を歌にしています。  「右近像ディラオの広場に立つと言う寄りゆくままに高鳴るこころ」  「三成伝説」でも取り上げさせていただきました大阪カテドラル聖マリア大聖堂(関ヶ原の戦いの前、細川ガラシャが自刃した細…
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日本文学探訪93 関根和美歌集「呂宋へ」の終章「右近百首」1 マニラ追放の高山右近の身になって

 日本歌人クラブの会誌「風」に関根和美歌集「呂宋へ」の書評が載っていました。飛高敬氏によるその書評で、関根氏がキリシタン武将であった高山右近を題材にした歌を詠み続けておられること、平成15年には「私の高山右近」という本を刊行されていること改めて知りました。  「呂宋へ」は関根氏の四番目の歌集であり、ライフワークとして追求してきたキリシ…
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日本文学探訪92 中島敦「山月記」4 カフカの「変身」と比較

 私はこの小説と、カフカの「変身」とを少し対比させて、述べました。「変身」の方は、普通のサラリーマンであるザムザが、ある朝、何の理由もなく、ベッドの中で大きな毒虫になっているのに気づきますが、「山月記」の方は、自分の中に悪いところがあり、虎になったのも仕方がないと思っていますから、大きな違いです。  李徴はしゃべれますが、「変身」…
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日本文学探訪91 中島敦「山月記」3 人間に戻れない悲しみを誰にも分かってもらえないという孤独感

 芸術とその人となりは別物だということを一昨日の拙ブログで述べましたが、それらが結びついている芸術家もいます。音楽家で云えば、ベートーベンがその代表的な人ではないでしょうか。耳が聞こえないという、音楽家にとって致命的な状況に追い込まれたにもかかわらず、苦悩の末に第九の「歓喜の歌」が生み出されたのであり、あの曲は彼の人生と切り離しては考え…
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日本文学探訪90 中島敦「山月記」2 理由もなく生きてゆくのがわれわれ生物の定め

李徴は虎に変身した時の様子を旧友に語ります。初めは自分の目を疑い、次に夢ではないかと思ったが、それが現実だと知った時、彼は茫然として深く恐れました。ここで李徴は自分の人生観、運命観を語ります。理由も分からずに押しつけられたものを受け取って、理由もなく生きてゆくのがわれわれ生物の定めだと言っているのですが、これは李徴ならずとも、人間が…
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日本文学探訪89 中島敦「山月記」1 デーモン小暮さんの朗読・詩で名を成せず虎に変身する主人公

 現代国語の教材として、中島敦の小説「山月記」を扱ったことがあります。授業で5時間ぐらいかかる小説ですが、漢語がたくさん入った格調の高い文章なので、それを少しでも味わってもらおうとして、朗読テープを使いました。それもロック・ボーカリストのデーモン小暮さんの朗読であり、彼の名前を出しただけで、生徒の中からどっと笑いが起こりましたが、朗読は…
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日本文学探訪88  宮沢賢治の小説「なめとこ山の熊」3 熊に許しを請いながら死んでゆく小十郎 

 命を助けられた熊は約束通り、2年後に、小十郎の家の前で死んでいました。小十郎はそれを見て、熊を拝むようにします。猟師として自分がしていることの正当性を失って、罪深さを自覚したわけです。  そんなことがあって、しばらくして、小十郎は家を出る前に、母親に生まれて初めて水に入るのが嫌になったとこぼします。老いを自覚した言葉であり、彼の死を…
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日本文学探訪87  宮沢賢治の小説「なめとこ山の熊」2 猟師は旦那に負ける「狐けん」 

 山では豪儀な小十郎でしたが、町の荒物屋に熊の皮を売りに行く時は、みじめな姿に変貌します。主人に買ってくださいと頭を下げて頼みますが、相手は小十郎の足元を見て要らないと突っぱねます。しかし、本当に要らないのではなく、安く買い叩こうとする作戦です。小十郎の方は、売らないでは生活できませんから、いくら安くてもいいから買ってくださいと懇願しま…
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日本文学探訪86  宮沢賢治の小説「なめとこ山の熊」1 動植物も主人公も山の恩恵を受けている

 宮沢賢治の小説「なめとこ山の熊」を授業で扱ったことがあります。本文朗読は長岡輝子さんのものを使いました。東北弁による彼女の作品朗読は味わいがありますし、生徒も、その朗読に聞き入っていました。通しで流すと、三十分ぐらいかかります。   この小説の主人公淵沢小十郎は、なめとこ山の熊を捕っている猟師です。なめとこ山は実際にある山ですが、川…
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日本文学探訪85 津島佑子「級友」2 喪失感と喜びがない交ぜになって心の整理がつかない状態  

 フグボーのことを今日知ったばかりの「私」は今は混乱状態にあり、「どうしたらいいのかわからなくて」、レポート用紙に書き出しますが、フグボーのことを書き綴っているのでしょうから、それが小説の冒頭部分というわけであり、そういうところにもこの小説の構成の巧みさが現れています。  具体的に「私」がどのように整理のつかない気持ちになっているのか…
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