テーマ:京都探訪

京都探訪313 「京都の若冲とゆかりの寺」展 仏教思想を具現化した、芸術性の極めて高い宗教画

京都高島屋で開催中の「京都の若冲とゆかりの寺」展を見に行ってきました。先週の木曜、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で紹介され、20日までと聞いて、最終日に行きましたが、人気の画家の展覧会とあって混みあっていました(この後、大阪、東京、横浜と巡回されます)。細見美術館、若冲の菩提寺である宝蔵寺や、相国寺、金閣寺、銀閣寺など八ヶ寺が所蔵す…
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音楽探訪37 京都コンサートホールの「おんがくア・ラ・カルト 『華ひらくチェンバロ演奏』」 濱田あやさんの優雅な演奏

  17日、京都コンサートホールのコンサート「おんがくア・ラ・カルト」を聴きに行ってきました。今回は濱田あやさんによるチェンバロ演奏でしたが、そのバロック調の優雅な音色に酔いしれました。アンコールで、「オーバー・ザ・レインボー」の編曲を演奏されましたが、濱田さんは芦屋市の出身で、阪神・淡路大震災25年の日ということもあって、思いを込めた…
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京都探訪312 舎人親王が祭神の神足神社・そばの勝竜寺城の土塁、空堀跡・藤孝が改修し、神足屋敷(城)も城内に取り込む

 山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳から引き返し、勝竜寺城公園を経て、長岡京駅に戻りましたが、その途中、神足(こうたり)神社に寄り、お参りしました。  神足神社の祭神は、天武天皇の子の舎人(とねり)親王と云われています。舎人親王は「日本書紀」を編纂した人物として有名ですが、淳仁天皇は舎人親王の子です。淳仁天皇は、…
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京都探訪311 勝竜寺城の西側の沼田丸跡・細川藤孝夫人の麝香は沼田氏の出身・ガラシャの自害の翌年キリスト教入信・ガ…

 勝竜寺城公園の西側の駐車場のあたりは、沼田丸があったところ(本丸の西側にあった曲輪になります)で、細川藤孝の妻の麝香(じゃこう)が沼田氏の出身であったところから、名付けられました。藤孝と麝香との間に生まれたのが忠興ですが、忠興夫人のガラシャが自害した翌年、麝香もキリシタンとなり、マリアという洗礼名を与えられます。麝香の入信は、ガ…
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京都探訪310 恵解山古墳 五世紀前半の前方後円墳・山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされるところ

 5日、勝竜寺城公園からさらに十数分程南に歩いて、恵解山(いげのやま)古墳へ行きました。ここは山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたところとされています。史料には「御坊塚」という名前で出てくるのですが、それは恵解山古墳のさらに南にある境野一号墳という説もあるものの、恵解山古墳という説が今は有力のようです。  光秀はこの場所で陣頭指揮を…
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京都探訪309 勝龍寺城公園3 藤孝と光秀は本能寺の変までは親密・石垣の遺構・山崎の合戦後、城の北門から光秀は逃亡

細川藤孝が、信長によって勝竜寺城の城主に任じられたのは、元亀2年(1571)のことであり、藤孝は城を整備しますが、藤孝は天正9年(1581)、丹後に転封になります。その翌年、本能寺の変が起こりますが、細川藤孝・忠興は、光秀の味方をせず、藤孝は剃髪しますし、家督を忠興に譲ります。それまで、藤孝と光秀の関係は親密だったことが、資料館の映像で…
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石田三成の実像2794 勝竜寺城公園2 三成の軍勢がガラシャを自害に追い込んだとするのは誤り・忠興とガラシャとの…

 勝竜寺城公園の模擬櫓のような建物が資料館になっているのですが、館内で流れていた映像は、忠興と玉の夫婦の仲むつまじさが強調され過ぎているような気がしました。確かに、勝竜寺城で新婚生活を送った時代は幸せだったものの、光秀が本能寺の変を起こして謀反人となった後は、玉は謀反人の娘の烙印を押されますし、忠興は独占欲が強く嫉妬深い人物であり、ガラ…
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音楽探訪36 京都新祝祭管弦楽団の演奏会・プラハでの「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際の支援に感謝の意を込めて

 長岡京記念文化会館での京都新祝祭管弦楽団の演奏会を聴きに行ってきました。「サンクスコンサート」と題するもので、昨年3月にプラハで開催した「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際に支援や共演をしてもらった音楽家たちを招いて開かれましたが、第一部から第三部まである、全3時間に及ぶコンサートでした。 大阪府立住吉高校の元同僚でチェロ奏…
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京都探訪306 初詣は一言寺・建礼門院に最期まで仕えた阿波内侍が創建と伝わる・寺の名前が入った御詠歌

 今年の初詣は、歩いて二十分程の一言寺(いちごんじ)へ行きました。坂を上り、さらに階段を上がれば、境内です。門のところからの眺望もよく、京都の街も望めます。坂を上がらず、さらに北に十五分程歩けば醍醐寺に行き着けます。  一言寺の創建については、寺の掲示板に次のように記されています。  「高倉天皇の中宮・建礼門院徳子に仕え、『大原女(…
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石田三成の実像2780 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り2 治部池・伏見城の大手門跡・明治天皇陵・天皇、皇…

 11月26日、伏見桃山城の紅葉を見た後、伏見城内の石田三成の屋敷である治部少丸があったそばを通りましたが、屋敷の北側にあった堀の遺構と思われる、治部池を柵越しに見て(わずかに見えるだけですが)、そのことを説明しました。  この治部池が見える道は、今まで 二十回以上は通っているのですが、28日に天皇・皇后が明治天皇陵に参拝される際には…
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石田三成の実像2779 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り1・丹波橋駅から下板橋通を東へ・伏見桃山城の紅葉

 拙ブログで何回か伏見城跡や模擬天守の伏見桃山城を取り上げてきましたが、11月26日に大阪府立茨田高校の元同僚三人と木幡山伏見城跡・城下町跡を少し巡ってきました。私が案内役を務めました。午後、京阪丹波橋駅で集合し、下板橋通を東に進み、まず伏見桃山城運動公園へ行きました。   丹波橋駅付近は秀吉の時代に田中吉政の屋敷があったところです。…
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京都探訪305「ヌーベルバーグKYOTO」のランチ・グラノーラコーンに入っている京野菜・名物のタルトタタン・皿に往…

 京都国立近代美術館の「円山応挙から近代京都画壇へ」展を見に行く前に、先に夫婦で昼食を取りました。地下鉄京都市役所前駅近くにある「ヌーベルバーグKYOTO」のランチです。まず京野菜のオードブルが出ましたが、グラノーラコーンに入っており、こういうオードブルは見たことないので、新鮮に映りました。メインは選べたので、白身魚のドリアのグラタンに…
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京都探訪304 「円山応挙から近代京都画壇へ」展 応挙の襖絵・呉春から始まる四条派

京都国立近代美術館で開催中の「円山応挙から近代京都画壇へ」展を夫婦で見に行ってきました。会場はたいそう賑わっていました。応挙から始まる円山派、呉春から始まる四条派の画風は、京都近代画壇に受け継がれ、竹内栖鳳、上村松園などを生みましたが、それらの数々の画家の作品が多数展示されていました。とりわけ目を引いたのは、兵庫県美方郡香美町香住の大乗…
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京都探訪303 「開晴亭」のランチ・一口カレー・パンは「進々堂」のもの

 京都コンサートホールでのコンサートは午前中だったので、その後、近くの北山通の「開晴亭」に夫婦で入り昼食を取りました。以前も訪ねたのですが、満員で待っている人も多いため諦めました。今回は時間が少し遅めだったせいか、すぐに入れました。  リーズナブルなランチを食べましたが、アミューズ(ワカサギのエスカベッシュ【洋風南蛮漬け】)、マッシュ…
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京都探訪301 大学時代からの友人と西大谷本廟・清水寺・円山公園・知恩院などを散策

  先週の水曜日、福山で寺の住職をしている、大学時代からの友人N君と一年半ぶりに会いました。NHK京都の文化センターで仏教に関する講座を受講するために京都に来たので、四条通りにある文化センターで待ち合わせをしました。講座が正午までだったので、そのあと寺町通の店で食事をし、タクシーで西大谷本廟まで行きました。寺で必要なものを買うためですが…
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京都探訪300 石清水八幡宮3 エジソン記念碑・宇宙桜・中学生の時に興味を持った相対性理論

石清水八幡宮のそばにはエジソン記念碑が建っています。エジソンが炭素白熱電球を発明し、石清水八幡宮の竹がフィラメントの材料として最も適していることを知り、この竹を数十年にわたって使い続けたことに由来しています。  その近くに「宇宙桜」と呼ばれるひょうたん桜の木が建っていました。説明掲示板によれば、高知県のひょうたん桜の種が、スペースシャ…
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京都探訪299 石清水八幡宮2 信長塀・楠木正成が奉納したと伝わる楠 皇室・武将に崇高されてきた歴史

石清水八幡宮は平安時代初期、平安京の裏鬼門にあたる西南の位置に、都を守護するために八幡大神を招いたことに始まるとされています。 平安時代の平将門・藤原純友の乱の平定を朝廷が祈願し、それがかなったことから、国家鎮護の宮として皇室の崇高がますます厚くなり、また清和源氏をはじめとして全国の武士からの崇拝を受けてきました。 織田信長が社殿…
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京都探訪298 石清水八幡宮1 四十年前、今は消息不明の友と八ミリ撮影に行った場所

 夫婦で石清水八幡宮へ参詣に行ってきました。妻は初めて、自分は40年ぶりに訪れました。行きはケーブルで、帰りは裏参道を歩いて下ってきました。  最初来た時は、大学時代の友人であるドイツ文学専攻のH君と一緒でしたが、買ったばかりの八ミリカメラで撮影するためでした。社殿などを背景にH君が歩く姿を撮りましたが、これが初めての撮影だったので、…
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京都探訪297  ねじりまんぽ・インクライン(傾斜鉄道)の台車・二番目に下宿していた民家

「泉屋博古館」へは、京都地下鉄で蹴上駅へ出、そこから北へ歩いて、東天王町の交差点に出、そこを東に折れました。徒歩で20分ほどかかります。蹴上駅から南禅寺や、そこから北へ歩いて永観堂、哲学の道へ行く時は、いつも「ねじりまんぽ」(「まんぽ」はトンネルの意)を通り抜けるのですが、「泉屋博古館」へ行く時に久しぶりに前を通ったら、そばに説明掲示板…
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大阪探訪140 地蔵盆で踊った子供の頃・軒先に掛かっていた四角い行燈・「線香買うて」と子供が回ったという短歌

 今、パソコンを使って短歌誌の次号の編集に取り組んでいますが、短歌会の会員の作品に、地蔵盆を詠んだものがあります。昔は子供たちが家々を回って「線香買(こ)うて」と言ってきたが、今はそういう風習がなくなってしまった寂しさが歌われている歌です。  私も子供の頃は、町内で地蔵盆があり、お地蔵さんのところで、盆踊りを踊るとお菓子がもらえ、それ…
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京都探訪296「泉屋博古館」の「中国青銅器の時代」展と「文化財よ、永遠に」展 住友春翠の青銅器の収集 「明月記」「…

京都・鹿ケ谷にある「泉屋博古館」へ行ってきました。「中国青銅器の時代」展と「文化財よ、永遠に」展が開催されています。「中国青銅器の時代」展は住友家が収集した青銅器が展示されており、第1室から第4室まで、多種多様の、用途や文様もさまざまなものが並べられ、よくもこれだけ数多くの青銅器を集めたものだと驚嘆しました。古くは商(殷)の時代の紀元…
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京都探訪295「京博寄託の名宝」展3 海北友松の「雲龍図」・死ぬ直前の後鳥羽上皇宸翰・承久の変

「京博寄託の名宝」展には、関ヶ原の戦い関係のものは何も展示されていませんでした(島根の清水寺所蔵の徳川家康所用胴服はありましたが。 関ヶ原の戦いの前年のものでは、建仁寺所蔵の海北友松が描いた「雲龍図」、隣華院所蔵の長谷川等伯が描いた「山水図襖」が展示されていました。「雲龍図」は、八幅のうち4幅でしたが、それでも圧倒的な迫力がありました…
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京都探訪294「京博寄託の名宝」展2 俵屋宗達「風神雷神図」・秀吉関連のもの・方広寺の石垣跡

「京博寄託の名宝」展に、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」も展示されていました。建仁寺の所蔵ですが、京博に寄託され、建仁寺にあるのは複製品です。    京博の一階の写真撮影コーナーには、俵屋宗達と尾形光琳の「風神雷神図屏風」の複製が並んで置かれており、その違いを間近で見ることができました。光琳は宗達の「風神雷神図屏風」を約百年後に模写しま…
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京都探訪293「京博寄託の名宝」展1 伝源頼朝像・宝誌和尚立像・伝野々村仁清作の香炉・狩野正信作の図屏風

 先週、京都国立博物館の平成知新館で開催中の「京博寄託の名宝」展を見に行きました。各地の神社仏閣などから寄託されている国宝、重要文化財を中心に約140点展示されていました。3階から1階にかけて見ごたえのあるものがずらりと並んでおり、一通り見て回るだけでも2時間近くかかりました。京都で国際博物館会議が開かれたのを記念して開かれていたもので…
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京都探訪292「千總展」と「龍村美術織物展」 京伝統工芸の技と美・進取の精神で生き抜く

8月に京都高島屋で開催されていた「千總展」を、次いで9月にやはり高島屋で開催されていた「龍村美術織物展」を見に行きました。朝日新聞にこれらの展覧会のことが紹介されていたからですが、むろん、京の伝統工芸の技と美の世界を見に行きたいということもありました。  「千總展」は、華麗で繊細な京友禅の着物や、日本画家の岸竹堂や今尾景年が描いた下…
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京都探訪290 吉田家住宅の特別公開 風の通りをよくする部屋の配置と土間の通り庭  

「京の夏の旅」の文化財特別公開中の吉田家住宅の見学に行ってきました。祇園祭の「北観音山」の町内に建っていて、昭和26年まで白生地問屋として営業されていました。店舗は新町通に面していました。  店舗の奥に中庭があり、中の間、奥の間(床の間がついています)と続き、さらに奥庭があります。風の通りをよくするための造りです。また夏向けにすだれを…
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石田三成の実像2667 半年ぶりの伏見城跡巡り

18日に、大阪府立大手前高校で同僚だった人と、伏見城跡などを巡ってきました。3時間、途中休憩もなく案内しましたが、よく付き合っていただきました。この日のことは、フェイスブックの方でも、写真入りで記しています。 https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7  大手筋通の店でま…
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三成の実像2425 京都探訪289 太閤堤跡歴史公園の事業計画

フェイスブック(https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7?ref=brem)でも記しましたが、宇治市で、今、大きな問題となっているのは、「太閤堤跡歴史公園」の建設です。88億円という巨額な費用がかかり、2業者の応募の末、業者は決まったものの、審査も不透明で、批判を浴びています。  歴…
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石田三成の実像2188 水野伍貴氏「秀吉死後における家臣間の対立構造と推移」6

 水野伍貴氏の「秀吉死後における家臣間の対立構造と推移」(渡辺大門氏編『戦国・織豊期の諸問題』【歴史と文化の研究所】所載)の中で、前述したように、慶長4年(1599)1月中旬に、家康と伊達政宗の間の縁辺問題が浮上したことが取り上げられていますが、それに関して「慶長年中ト斎記」に、「三成が徳川邸を襲撃するという風聞があり、徳川邸では備えを…
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石田三成の実像2186 水野伍貴氏「秀吉死後における家臣間の対立構造と推移」4 寺沢正成書状

 水野伍貴氏の「秀吉死後における家臣間の対立構造と推移」(渡辺大門氏編『戦国・織豊期の諸問題』【歴史と文化の研究所】所載)の中で、家康の多数派工作に関して、慶長4年(1599)1月5日付の島津忠恒・立花宗茂・小早川秀包・高橋直次・筑紫広門に宛てた寺沢正成(広高)書状が取り上げられています。この書状は、「家康が催す茶会への参加を促し、『明…
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