テーマ:京都探訪

京都探訪348 7日、御香宮神社に初詣・秀吉時代は小早川秀秋の屋敷・名水の御香水・鳥羽伏見の戦いで薩摩軍が陣を置く

1月7日、短歌誌の発行の最終打ち合わせのため、奈良の新大宮の近くにある印刷所まで行きました。家からそこまで行くには、JRか京阪に乗って、途中で近鉄に乗り換える必要があるのですが、今回はJR桃山駅で下車し、近鉄桃山御陵駅まで大手筋通を歩いて乗り換えました。その時、途中にある御香宮神社にお参りしました。これが遅まきながら、初詣になります。平…
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京都探訪347 「GO TO EAT」のポイントを使ってのランチ(ベトナム料理)・西本願寺の40年ぶりに修復された…

「GO TO EAT」のポイントの使用期限が昨年12月31日までだったので、その前日にポイントを使って妻と京都駅前の店までベトナム料理を食べに行きました。と言っても、1000ポイントだけなのですが、みすみす無駄にするのももったいないので、使いました。1昨年10月に「食べログ」で取得したものですが、「食べログ」に加盟しており、かつポイント…
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京都探訪346 和泉式部が初代住職になった誠心院・恋多き情熱的な歌人・愛する二人の親王と娘の小式部内侍の死

 昨年12月22日、われわれは最初は寺町通を歩き、途中から新京極通に入りましたが、誓願寺の南にある誠心院に少し立ち寄りました。誠心院は歌人であった和泉式部が初代住職を務めました。和泉式部は誓願寺に籠もって仏教に帰依し、尼となって、誠心院を開きます。誠心院の境内には、和泉式部の大きな墓が建っています。  和泉式部は恋多き情熱的な女性とし…
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京都探訪345 當麻曼荼羅ゆかりの天性寺・矢田地蔵尊の「代受苦地蔵」と「送り鐘」・京極龍子の庇護を受けた誓願寺、落…

 本能寺のすぐ南に、天性寺があります。いずれも寺町通に面していますが、寺町通にずらりと寺を集めたのは秀吉です。天性寺は大和の當麻寺の僧が創建した寺で、正式名は曼荼羅山當麻院天性寺と言います。伝説では、中将姫が當麻曼荼羅を一晩で織ったと言われています。折口信夫の小説「死者の書」の中で、中将姫が大津皇子の亡霊と交感して織ったというふうに描か…
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京都探訪344 浄教寺と合体した三井ガーデンホテルの店で結婚記念日に海鮮御膳・本能寺の信長廟・「麒麟がくる」の本能…

昨年12月22日は結婚記念日だったので、2人でレストランのランチを食べに行きました。京都の寺町通にある浄教寺と三井ガーデンホテルが合体した建物の中にある店ですが、新しい形態なので、マスコミでも取り上げられました。お寺の経営が苦しい中にあって、そういうホテルとの合体という形を取らざるをえなかったということですが、今後も生き残りのた…
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京都探訪343 源頼政の家臣が開いた宇治茶の老舗「通圓」・橋寺とも呼ばれる「放生院」・境内にある「宇治橋断碑」

京阪宇治駅のすぐ南の、宇治橋の東詰めに宇治茶の老舗「通圓(つうえん)」があります。興聖寺を拝観した帰りに、この店に寄って、土産の茶団子を買いました。普通の茶団子よりも、茶の味が濃く深みがあります。  初代通圓は、源頼政の家臣だった古川右内と名乗っていた武士でしたが、隠居してこの地に庵を結び、橋守をしていました。しかし、頼政が平家打…
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京都探訪342 宇治川太閤堤跡歴史公園 秀吉が伏見城へ物資などを運ぶために淀川や宇治川を改修し、大規模な築堤

先月の26日に宇治の興聖寺を訪ねる前、宇治川太閤堤跡歴史公園に少し立ち寄りました。今年、完成したばかりですが、公園を作るのに何十億円という市の税金が使われるので、建設反対運動も起こりました。私も手放しでは喜べず、複雑な思いを持っているのですが。  太閤堤の遺構が発見された時には、現地説明会に二度、足を運びましたし、その後も幾度か訪ね…
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古典文学探訪157 初めて発見された平安宮の内裏の弘徽殿や登華殿の遺構・「源氏物語」と弘徽殿・中宮定子が住んでいた…

平安宮の「内裏」の「弘徽殿(こきでん)」や「登華殿(とうかでん) 」の跡と見られる遺構が初めて発見されました。平安宮があった場所は、今は住宅地などになっており、周辺にはそれを示す碑などが建っているだけです。秀吉は平安宮があったあたりに、豪華な聚楽第(聚楽城)を建てましたが、後に壊されましたし、その遺構も残っていません。  「弘徽殿…
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京都探訪341 宇治の興聖寺1 山門までの琴坂の紅葉・ドラマ「京都人の密かな愉しみ」の重要な舞台の一つ

 11月26日、かかりつけの医院で診察と共にインフルエンザの予防接種も受けましたが、その前々日に電話した時には、ワクチンが入ってきていないということで、駄目でした。26日の朝に電話した時には打てるということで、急いで行ってきました。供給不足は続いているようです。妻子はその二週間前に済ませています。  接種後、紅葉も終わりに近づいている…
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京都探訪340 東福寺4 「退耕庵」戊辰戦争の菩提所・小野小町ゆかりの玉章地蔵・安国寺恵瓊や三成が密議をしたとされ…

 東福寺の塔頭である退耕庵の山門のそばには、「戊辰役殉難士菩提所」碑が建っています。幕末の鳥羽・伏見の戦いで、薩摩藩がここに陣を置いたので、退耕庵はその時の戦死者の菩提所となっています。もっとも、実際に戦いが行われたのは、南の伏見及び南西の鳥羽付近においてでしたが。   山門を入ったところにある、地蔵堂にも少し立ち寄りました。寺の中は…
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京都探訪339 東福寺3 三門の太閤柱と天正大地震 法堂に安置されている大仏の左手・藤原道長ゆかりの不動明王座像が…

 東福寺の三門は、室町時代に足利義持が再建したもので、国宝になっています。特別公開されていましたが、中には入りませんでした。天正13年に天正大地震が起こった時、被害を受けた三門を秀吉が修理して寄進しましたが、この際に四隅に柱を建てて補強もしています。この柱は「太閤柱」と呼ばれています。ちなみに、この年、秀吉は前年の小牧・長久手の戦いの巻…
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京都探訪339 東福寺3 光明院の主庭「波心亭」も重森三玲の作庭・2階からの眺めも格別

  19日、東福寺の南にある、塔頭の光明院も拝観しました。光明院が創建されたのは室町時代初期です。山門を入ったところにある、前庭の木も紅葉していました。奥に「摩利支尊天」が祀られています。   光明院の主庭「波心亭」を作ったのは、東福寺の方丈庭園と同じく重森三玲です。規模の大きな枯山水庭園で、大海を表す白砂に、立石が立ち並んでいますが…
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京都探訪338 東福寺2 重森三玲によって作庭された、方丈庭園の趣向の違う四つの庭 

 東福寺の方丈の庭園は東西南北に庭があり、それぞれに違うふうに作られて、その趣向の違いを楽しめます。いずれも重森三玲によって作庭されました。東福寺へはたびたび来ていますが、方丈庭園を見るのは約30年ぶりでした。  一番広い南庭は、巨石の列によって仙人が住む四つの「仙島」を、渦巻いた砂紋によって「八海」を、築山によって「五山」を表し…
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京都探訪337 東福寺1 臥雲橋と方丈の通天台からの通天橋の紅葉 番組「よ~いドン」で紹介されていた、東福寺の番頭…

 18日に夫婦で東福寺へ行き、方丈庭園と塔頭の光明院を拝観しました。紅葉の名所である通天橋は、密を避けて中には入りませんでしたが、通天橋の紅葉の様子は、行く途中の臥雲橋からと、方丈にある通天台から眺めることができ、その様子がわずかながらしのべました。臥雲橋からは通天橋がやや遠くに見える(1~3枚目の写真)のに比べて、方丈の通天台からは通…
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京都探訪336 時代祭の衣装展示・朝廷寄りの行列 

時代祭を初めて見たのは学生時代で、まだ大阪から京都に通学していた時期でした。平安時代から明治維新までの歴史的人物をはじめさまざまな人物に扮した人々の長い行列が続き、その変化に富んだ華やかな衣装や風俗の面白さに目を奪われ、最初から最後までずっと見続けていました。何年か前にも、行列を最後まで見ましたが、全部見たのは、学生時代以来のことかもし…
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京都探訪335 時代祭の日に平安神宮神苑の無料公開 京都御所から移築された泰平閣・尚美館

10月22日は時代祭の日でしたが、二年続けて中止になったものの、平安神宮の神苑が無料公開され、合わせて時代祭の衣装も一部展示されていたので、妻と見に行きました。神苑は人々で賑わっていましたが、それほど混んではいず、ゆっくりと見て回ることができました。あいにく花は咲いていませんでしたが、庭園や池の景色は楽しめましたし、なんといっても栖鳳池…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策4 茨田高校の閉校を知った衝撃と寂しさ・かつての五条通は今の松原通・五条大橋で…

 2年ぶりに大阪府立茨田高校の元同僚と会って、茨田高校が令和7年に閉校になるという話を初めて聞きました。宇治に住んでいると、大阪の学校の情報はあまり入ってこないので、全く知りませんでした。今回会ったメンバーは、開校した初年度か2年目に赴任した者ばかりで、しかもみんな新卒でしたから、それぞれ特別な思いがありますし、私もそれを聞いた時にはシ…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策3 六波羅蜜寺・宝物館の空也上人像、平清正像、運慶像、湛慶像、井伊直政像

 茨田高校の元同僚たちと六波羅蜜寺まで足を延ばしましたが、夕食まで時間があったことと、有名な空也上人像を見たかったのと、元同僚のAさんが六波羅蜜寺の隣の六原小学校の出身で、六波羅蜜寺の境内を小さい頃遊び場にしていた懐かしい場所であったことなどもあって、拝観しに行きました。Aさんは境内や周囲の様子は当時とは随分違っていると言います。六…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策2 狭くなった方広寺・大仏と大仏殿の悲哀の歴史・遺構が発見された大仏殿跡緑地公園

 豊国神社からそのすぐ北隣の方広寺を訪ね、大坂の陣のきっかけとなった、梵鐘の銘文の「国家安康」「君臣豊楽」の部分(そこだけ白色で四角く字が囲まれています)を見ました。本堂は公開されていませんでしたが、当時の大仏の10分の1のレプリカが安置されています。今の方広寺の境内は狭くなっていますが、かつては今の豊国神社から京都国立博物館、さらには…
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大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策1 正面通から耳塚、豊国神社へ かつて秀吉が建てた方広寺大仏殿があった場所

 9月30日、大阪府立茨田高校の元同僚3人と京阪七条駅で待ち合わせして、一緒に耳塚、豊国神社、方広寺、大仏殿跡緑地公園、六波羅蜜寺などを回ってきました。コロナ禍でなかなか会えず、ほぼ2年ぶりの再会でした。案内役は私が務めました。  まず正面通から東に真正面に見える豊国神社まで歩きましたが、その手前の右側(南側)に耳塚があります。耳塚は…
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京都市京セラ美術館の「フランソワ・ポンポン展」2 リニューアルされた京セラ美術館・ 人物彫刻「コゼット」・小学生の…

 リニューアルされた京都市京セラ美術館の中に入るのも初めてでした。エントランスは地下1階になっており、大階段を上って1階の中央ホールに出ます。そこから各会場に行くようになっていますが、「フランソア・ポンポン展」は2階で行われており、らせん階段を上って行きました。同時に「上村松園展」「ドラえもん展」も開かれており、他の展覧会も予定されてい…
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京都市京セラ美術館の「フランソワ・ポンポン展」1  67歳の時の動物彫刻「シロクマ」で一躍有名に・それまで人物彫刻…

 京都市京セラ美術館で開催されていた「フランソワ・ポンポン展」を夫婦で見に行ってきました。美術館へ行くのは今年初めてです。ポンポンの彫刻などが約90点展示されており、1時間半ほどかけてゆっくり鑑賞しました。  代表作の「シロクマ」は写真撮影OKだったので、いろいろな角度から撮りました。写実的ではなく、シロクマの姿を単純化させ様式化して…
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宇治市役所でマイナンバーカード受取・コンビニでマイナポイント申し込み手続き・「伊藤久右衛門」で昼食

 3週間前、夫婦でマイナンバーカードの受け取りに宇治市役所まで行きました。受け取り通知葉書は早くに届いていたのですが、行くのが延び延びになっていました。JR宇治駅までは電車、そこから歩いて15分ですから、全体で1時間近くかかります。曇りがちの1日だったので、強烈な日差しを浴びに済み助かりましたが、それでも汗だくになりました。国民総背番号…
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友人の新著「信心の再発見」2 「信仰」と「信心」の違い 京都探訪335 東本願寺の「涉成園」3 北大島に建てられた…

 N君の新著「信心の再発見」の中で、「信仰」と「信心」の違いについて論じられています。すなわち、「信仰」は「私が信じる」ということであるのに対して、「信心」は阿弥陀から与えられたもので、私はあくまで受け取る側であり、その到達点が親鸞の「絶対他力」だと指摘されています。もっとも、親鸞もすぐにはその境地に達したわけではなく、布教活動や「教行…
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友人の新著「信心の再発見」1 オウム真理教事件と「歎異抄」 京都探訪334 東本願寺の「涉成園」2 慶喜の癒やしの…

 N君の新著「信心の再発見」(幻冬舎ルネッサンス新書)の中で、オウム真理教の事件に関して言及されていますが、「歎異抄」の次のような一節が紹介されています。  親鸞が弟子の唯円に「わたしの言うことを信じて、何でも従うか?」と問うと、「はい」と答えたところ、親鸞は「往生のために人千人を殺してみよ」と言います。唯円は「一人も殺せません」と答…
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梅原猛氏の仏教観に共鳴 京都探訪333 東本願寺の「涉成園」1 高石垣・池に面している臨池亭、滴翠亭・印月池にかか…

 仏教や仏像に興味を持ち始めたのは、大学時代、梅原猛氏の著書を読んでからです。西洋哲学は、人間と自然は対立するものと捉えてきたのに対して、東洋の思想は人間と自然は共存するものと捉え、特に仏教には「生けとし生けるもの、みな仏性あり」という考え方があり、仏教や東洋の思想をもっと見直さねばならないという梅原氏の見解に、大いに共鳴しました。この…
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京都探訪332 西本願寺で1年半ぶりに友人と会う・本願寺内部の対立は、信長の本願寺攻めの時から始まっていた

大学時代からの友人N君(40年前に一緒にフランス旅行をした友)と、1年半ぶりに会いました。彼は福山で寺の住職をしており、西本願寺ブックセンターで経典をまとめて購入するために京都まで出て来たので、西本願寺(写真)で待ち合わせをしました。一緒に昼食を取ったあと、東本願寺に立ち寄ってさらに渉成園を見学し、喫茶店でゆっくり話しました。京都…
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京都探訪331 2年ぶりの醍醐寺の桜・「豊太閤花見行列」は今年も中止・三成の兄の正澄に扮した人が行列に参加・秀吉の…

  3月31日、醍醐にある皮膚科に通院する前、醍醐寺に少し立ち寄りましたが、はや花が散りかけている桜の木もあり、全体的に満開の時期はやや過ぎているという印象を持ちました。人出はありましたが、それほど混んではいませんでした。二年ぶりに見た醍醐寺の桜です。家から歩いて30分程の距離にあります。  「豊太閤花見行列」は、昨年に続いて、今年も…
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西笑承兌が大光明寺を再興する際の「伏見大光明寺勧進帳」・承兌が明の国書を読み上げた時に秀吉が激怒したというのは創作…

 相国寺承天閣美術館で開催中の展覧会に、「伏見大光明寺勧進帳」が展示されています。僧・西笑承兌(せいしょうじょうたい)が大光明寺を再興するため、諸堂を建築する工費を寄進した武将たちの花押を集めたもので、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝など122名の武将の名がずらりと並んでいます。秀吉は方丈を寄進しています。秀吉は大光明寺があった地付近に指月…
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信長の妻は「帰蝶」ではなく「胡蝶」だったとする松浦由起氏の新説・桐野作人氏の否定的見解・総見院にある墓は帰蝶とは断…

 大河ドラマ「麒麟がくる」では、斎藤道三の娘で信長の妻となった女性の名は「帰蝶」になっていましたが、「胡蝶」ではないかとする松浦由起氏の新説が新聞で紹介されていました。その説によれば、「帰蝶」と記されているのは、江戸時代の地誌である「美濃国諸旧記」だけで、その原本はみつかっておらず、現存するのは1915年に出版された活字の翻刻本のみで、…
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