テーマ:京都探訪

京都探訪320 朝日新聞の「古都ものがたり」の「藤山扇治郎 なじみ深い知恩院」 松竹新喜劇の盛り返しに期待

 知恩院の三門の前の駐車場はガラガラでした。コロナ禍の前は、バスがずらりと並び、入り切れないバスは路上に駐車していました。今は団体客の姿は全く見かけません。  二年前の朝日新聞の「古都ものがたり」の欄に「藤山扇治郎 なじみ深い知恩院」と題する記事が出ていました。扇治郎さんは藤山寛美さんの孫(藤山直美さんは伯母)で、若手ながら松竹新喜劇…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪319 古門前橋 ドラマ探訪 「なめとんか やしきたかじん誕生物語」のロケ地の一つ ・京都での下積み生活

  白川から知恩院に通じる華頂道のところに、「古門前橋」が架かっていますが、このあたりは、関西テレビ制作のドラマ「なめとんか やしきたかじん誕生物語」のロケ地の一つになっています。  このドラマは、たかじんさんの若い頃の京都での下積み生活を中心に描いたものですが、駿河太郎さん(父親は笑福亭鶴瓶さん)が熱演していました。鶴瓶さんとの交…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪318 円山公園にある祇園祭の山鉾の収納庫・円山公園の名前の由来

 京都の七月は、祇園祭一色になると言っても過言ではありませんが、今年は山鉾巡行などの行事が行われないので、いつもの賑わいがなくなるのは残念なことです。もっとも、神事は行われるので、祇園祭自体がなくなるわけではありませんが。疫病退散などのために始まった祇園祭が、大幅に縮小されるのはなんともやりきれませんが、一番残念に思っておられるのは、祇…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

大河ドラマ探訪473 明智光秀役のキャスティングに二系統あるとのペリー荻野さんの見解 京都探訪318 光秀が討たれ…

「朝日新聞」土曜版の「みちのものがたり」のコーナーに、愛宕山に上る山道「明智越」が紹介されていましたが、その記事の中で、大河ドラマの明智光秀役のキャスティングに二系統あるとの時代劇研究家のペリー荻野さんの見解が掲載されていました。  すなわち、一つは「正統派二枚目路線」、「基本、知的で屈折した正義漢で、信長の非道に憤った反逆者として描…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪317 明智光秀の首塚 粟田口で首をさらされた後、その近くに埋められ、江戸中期に現在地に移される

 柚子屋旅館の昼食を取りに行った時は、地下鉄東山駅で降りて、白川沿いに南下して、知恩院から円山公園・八坂神社と歩いていきましたが、白川沿いの道を少し東に入ったところに、明智光秀の首塚があります。  ここも「麒麟がくる」のおかげで、ちょっした観光スポットになっているようで、新しい説明掲示板も建っています。それには、光秀は天正10年(15…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪316 柚子屋旅館の「一心居」の柚子雑炊鍋膳・「蘇民将来子孫也」と書かれた疫病除けのちまき・十五種類のおば…

 五ヶ月ぶりに京都で妻と外食しました。いつも互いの誕生日祝いに、ちょっとしたランチを食べることをここ何年か続けてきましたが、今年は外出自粛要請のため、延び延びになっていました。  八坂神社のすぐ南にある柚子屋旅館のレストラン「一心居」でドリンク付きの柚子雑炊鍋膳を食べました。6月中は、20パーセント近い割引料金になっていてお得です。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2865 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」15 慶長2年8月25日付の鍋島…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年8月25日付の鍋島勝茂宛早川長政・熊谷直盛・垣見一直連署状が掲載され、次のように解説されています。 「目付衆として、慶長出兵における在陣諸将を監督する早川長政・熊谷直盛・垣見一直によって鍋島勝茂に発給された請取状。届けられたのは、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2864 秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構発見・秀吉の死後、北政所が移住・北政所が三成寄り…

秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構が発見されたという記事がネットニュースや新聞に出ていました。石垣や堀、金箔瓦などが発掘されました。「京都新城」があった場所は現在、仙洞御所になっています。秀吉の死後、未亡人の北政所(おね 高台院)が大坂城から移り住み、死ぬまでここで過ごしました。ドラマなどでは、北政所は淀殿が牛耳る大坂城にいる…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

通院の帰りに見た山科川の桜 フランス文学探訪103 カミュの小説「ペスト」不条理なものに反抗して立ち向かう

関西医大への通院の際は、六地蔵から山科川沿いに歩いて帰宅しましたが、桜が満開でした。もっとも、散瞳剤の影響で、まぶしくぼんやりとしか見られませんでした。今年のささやかな花見です。  カミュの小説「ペスト」が読まれているそうですが、学生時代、サルトルとカミュはフランス文学の最先端の作家でした。「ペスト」は、翻訳書でも原書でも読みました。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪315 本能寺 高橋幸治さんの信長 本能寺の変の原因についての桐野作人氏の見解

「京都の若冲とゆかりの寺」展を見て、「晦庵 河道屋」で昼食を取ったその帰り、本能寺に少し立ち寄りました。いつもより人が多いようでしたが、これも大河ドラマの影響でしょうか。本堂にスロープが付いていましたが、車椅子で参詣する人のためでしょうか。ゲームの武将キャラの看板が立っているのは今どきのことだという気がします。  本能寺の変が起こ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪314 「晦庵 河道屋」の鍋料理「芳香炉」

「京都の若冲とゆかりの寺」展を見た後、「晦(みそか)庵 河道屋(かわみちや)」で鍋料理である「芳香炉」を夫婦で食べました。一ヶ月遅れの、結婚記念日を兼ねての昼食でした。妻は独身時代に、同僚たちと一度食べたことがありますが、私は初めてでした。二人前からで、予約が必要、三十年前発行の「あまから手帖が薦める 京都うまい店100選」でも紹介され…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪313 「京都の若冲とゆかりの寺」展 仏教思想を具現化した、芸術性の極めて高い宗教画

京都高島屋で開催中の「京都の若冲とゆかりの寺」展を見に行ってきました。先週の木曜、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で紹介され、20日までと聞いて、最終日に行きましたが、人気の画家の展覧会とあって混みあっていました(この後、大阪、東京、横浜と巡回されます)。細見美術館、若冲の菩提寺である宝蔵寺や、相国寺、金閣寺、銀閣寺など八ヶ寺が所蔵す…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

音楽探訪37 京都コンサートホールの「おんがくア・ラ・カルト 『華ひらくチェンバロ演奏』」 濱田あやさんの優雅な演奏

  17日、京都コンサートホールのコンサート「おんがくア・ラ・カルト」を聴きに行ってきました。今回は濱田あやさんによるチェンバロ演奏でしたが、そのバロック調の優雅な音色に酔いしれました。アンコールで、「オーバー・ザ・レインボー」の編曲を演奏されましたが、濱田さんは芦屋市の出身で、阪神・淡路大震災25年の日ということもあって、思いを込めた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪312 舎人親王が祭神の神足神社・そばの勝竜寺城の土塁、空堀跡・藤孝が改修し、神足屋敷(城)も城内に取り込む

 山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳から引き返し、勝竜寺城公園を経て、長岡京駅に戻りましたが、その途中、神足(こうたり)神社に寄り、お参りしました。  神足神社の祭神は、天武天皇の子の舎人(とねり)親王と云われています。舎人親王は「日本書紀」を編纂した人物として有名ですが、淳仁天皇は舎人親王の子です。淳仁天皇は、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪311 勝竜寺城の西側の沼田丸跡・細川藤孝夫人の麝香は沼田氏の出身・ガラシャの自害の翌年キリスト教入信・ガ…

 勝竜寺城公園の西側の駐車場のあたりは、沼田丸があったところ(本丸の西側にあった曲輪になります)で、細川藤孝の妻の麝香(じゃこう)が沼田氏の出身であったところから、名付けられました。藤孝と麝香との間に生まれたのが忠興ですが、忠興夫人のガラシャが自害した翌年、麝香もキリシタンとなり、マリアという洗礼名を与えられます。麝香の入信は、ガ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪310 恵解山古墳 五世紀前半の前方後円墳・山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされるところ

 5日、勝竜寺城公園からさらに十数分程南に歩いて、恵解山(いげのやま)古墳へ行きました。ここは山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたところとされています。史料には「御坊塚」という名前で出てくるのですが、それは恵解山古墳のさらに南にある境野一号墳という説もあるものの、恵解山古墳という説が今は有力のようです。  光秀はこの場所で陣頭指揮を…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪309 勝龍寺城公園3 藤孝と光秀は本能寺の変までは親密・石垣の遺構・山崎の合戦後、城の北門から光秀は逃亡

細川藤孝が、信長によって勝竜寺城の城主に任じられたのは、元亀2年(1571)のことであり、藤孝は城を整備しますが、藤孝は天正9年(1581)、丹後に転封になります。その翌年、本能寺の変が起こりますが、細川藤孝・忠興は、光秀の味方をせず、藤孝は剃髪しますし、家督を忠興に譲ります。それまで、藤孝と光秀の関係は親密だったことが、資料館の映像で…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2794 勝竜寺城公園2 三成の軍勢がガラシャを自害に追い込んだとするのは誤り・忠興とガラシャとの…

 勝竜寺城公園の模擬櫓のような建物が資料館になっているのですが、館内で流れていた映像は、忠興と玉の夫婦の仲むつまじさが強調され過ぎているような気がしました。確かに、勝竜寺城で新婚生活を送った時代は幸せだったものの、光秀が本能寺の変を起こして謀反人となった後は、玉は謀反人の娘の烙印を押されますし、忠興は独占欲が強く嫉妬深い人物であり、ガラ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

音楽探訪36 京都新祝祭管弦楽団の演奏会・プラハでの「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際の支援に感謝の意を込めて

 長岡京記念文化会館での京都新祝祭管弦楽団の演奏会を聴きに行ってきました。「サンクスコンサート」と題するもので、昨年3月にプラハで開催した「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際に支援や共演をしてもらった音楽家たちを招いて開かれましたが、第一部から第三部まである、全3時間に及ぶコンサートでした。 大阪府立住吉高校の元同僚でチェロ奏…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪306 初詣は一言寺・建礼門院に最期まで仕えた阿波内侍が創建と伝わる・寺の名前が入った御詠歌

 今年の初詣は、歩いて二十分程の一言寺(いちごんじ)へ行きました。坂を上り、さらに階段を上がれば、境内です。門のところからの眺望もよく、京都の街も望めます。坂を上がらず、さらに北に十五分程歩けば醍醐寺に行き着けます。  一言寺の創建については、寺の掲示板に次のように記されています。  「高倉天皇の中宮・建礼門院徳子に仕え、『大原女(…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2780 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り2 治部池・伏見城の大手門跡・明治天皇陵・天皇、皇…

 11月26日、伏見桃山城の紅葉を見た後、伏見城内の石田三成の屋敷である治部少丸があったそばを通りましたが、屋敷の北側にあった堀の遺構と思われる、治部池を柵越しに見て(わずかに見えるだけですが)、そのことを説明しました。  この治部池が見える道は、今まで 二十回以上は通っているのですが、28日に天皇・皇后が明治天皇陵に参拝される際には…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2779 大阪府立茨田高校の元同僚との伏見城跡巡り1・丹波橋駅から下板橋通を東へ・伏見桃山城の紅葉

 拙ブログで何回か伏見城跡や模擬天守の伏見桃山城を取り上げてきましたが、11月26日に大阪府立茨田高校の元同僚三人と木幡山伏見城跡・城下町跡を少し巡ってきました。私が案内役を務めました。午後、京阪丹波橋駅で集合し、下板橋通を東に進み、まず伏見桃山城運動公園へ行きました。   丹波橋駅付近は秀吉の時代に田中吉政の屋敷があったところです。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪305「ヌーベルバーグKYOTO」のランチ・グラノーラコーンに入っている京野菜・名物のタルトタタン・皿に往…

 京都国立近代美術館の「円山応挙から近代京都画壇へ」展を見に行く前に、先に夫婦で昼食を取りました。地下鉄京都市役所前駅近くにある「ヌーベルバーグKYOTO」のランチです。まず京野菜のオードブルが出ましたが、グラノーラコーンに入っており、こういうオードブルは見たことないので、新鮮に映りました。メインは選べたので、白身魚のドリアのグラタンに…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪304 「円山応挙から近代京都画壇へ」展 応挙の襖絵・呉春から始まる四条派

京都国立近代美術館で開催中の「円山応挙から近代京都画壇へ」展を夫婦で見に行ってきました。会場はたいそう賑わっていました。応挙から始まる円山派、呉春から始まる四条派の画風は、京都近代画壇に受け継がれ、竹内栖鳳、上村松園などを生みましたが、それらの数々の画家の作品が多数展示されていました。とりわけ目を引いたのは、兵庫県美方郡香美町香住の大乗…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪303 「開晴亭」のランチ・一口カレー・パンは「進々堂」のもの

 京都コンサートホールでのコンサートは午前中だったので、その後、近くの北山通の「開晴亭」に夫婦で入り昼食を取りました。以前も訪ねたのですが、満員で待っている人も多いため諦めました。今回は時間が少し遅めだったせいか、すぐに入れました。  リーズナブルなランチを食べましたが、アミューズ(ワカサギのエスカベッシュ【洋風南蛮漬け】)、マッシュ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪301 大学時代からの友人と西大谷本廟・清水寺・円山公園・知恩院などを散策

  先週の水曜日、福山で寺の住職をしている、大学時代からの友人N君と一年半ぶりに会いました。NHK京都の文化センターで仏教に関する講座を受講するために京都に来たので、四条通りにある文化センターで待ち合わせをしました。講座が正午までだったので、そのあと寺町通の店で食事をし、タクシーで西大谷本廟まで行きました。寺で必要なものを買うためですが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪300 石清水八幡宮3 エジソン記念碑・宇宙桜・中学生の時に興味を持った相対性理論

石清水八幡宮のそばにはエジソン記念碑が建っています。エジソンが炭素白熱電球を発明し、石清水八幡宮の竹がフィラメントの材料として最も適していることを知り、この竹を数十年にわたって使い続けたことに由来しています。  その近くに「宇宙桜」と呼ばれるひょうたん桜の木が建っていました。説明掲示板によれば、高知県のひょうたん桜の種が、スペースシャ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪299 石清水八幡宮2 信長塀・楠木正成が奉納したと伝わる楠 皇室・武将に崇高されてきた歴史

石清水八幡宮は平安時代初期、平安京の裏鬼門にあたる西南の位置に、都を守護するために八幡大神を招いたことに始まるとされています。 平安時代の平将門・藤原純友の乱の平定を朝廷が祈願し、それがかなったことから、国家鎮護の宮として皇室の崇高がますます厚くなり、また清和源氏をはじめとして全国の武士からの崇拝を受けてきました。 織田信長が社殿…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪298 石清水八幡宮1 四十年前、今は消息不明の友と八ミリ撮影に行った場所

 夫婦で石清水八幡宮へ参詣に行ってきました。妻は初めて、自分は40年ぶりに訪れました。行きはケーブルで、帰りは裏参道を歩いて下ってきました。  最初来た時は、大学時代の友人であるドイツ文学専攻のH君と一緒でしたが、買ったばかりの八ミリカメラで撮影するためでした。社殿などを背景にH君が歩く姿を撮りましたが、これが初めての撮影だったので、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

京都探訪297  ねじりまんぽ・インクライン(傾斜鉄道)の台車・二番目に下宿していた民家

「泉屋博古館」へは、京都地下鉄で蹴上駅へ出、そこから北へ歩いて、東天王町の交差点に出、そこを東に折れました。徒歩で20分ほどかかります。蹴上駅から南禅寺や、そこから北へ歩いて永観堂、哲学の道へ行く時は、いつも「ねじりまんぽ」(「まんぽ」はトンネルの意)を通り抜けるのですが、「泉屋博古館」へ行く時に久しぶりに前を通ったら、そばに説明掲示板…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more