テーマ:石田三成

旅行記202 11月2度目の近江旅行4 石田三成の実像2770 いしだみつにゃん誕生祭2・田附清子氏の講演「三成の…

 写真は11月23日の午後に彦根の佐和山会館で行われた、いしだみつにゃんの誕生祭のバースディーケーキです。みつにゃんには色紙やきつねのぬいぐるみもプレゼントされていました。家康が「たぬき」と呼ばれているのに対して、三成は「きつね」と言われることがよくあるのにちなんだ贈り物です。  さて、その時に行われた 田附清子氏の講演「三成の歌~辞…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2769 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」34 「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」1…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。 「大垣(城)に籠…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

旅行記200 今月2度目の近江旅行2 石田三成の実像2767 佐和山城跡でののろし駅伝

 昨年と同様、23日に行われた佐和山城跡ののろし駅伝、午後の佐和山会館でのいしだみつにゃんの誕生祭に参加しました。例年は山頂は寒い(4日に登った時も風が吹いて寒く、あまり長居はできない状態でした)ので、厚着をして登ったのですが、今日は天気がよく気温が上がり汗をかくほどでした。のろしが上がったのはちょうど正午で、三成の旗印が描かれた幕がか…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2766 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」33 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」13…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付で、家臣の松沢喜右衛門尉・丸山半右衛門尉・吉川織部佑に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「豊臣公儀の軍勢(…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

旅行記199 今月2度目の近江旅行1 石田三成の実像2765 妙源寺の山門・芹川のケヤキ道・宗安寺の赤門・木村重成…

また二泊三日で彦根に行ってきました。11月になって2度目です。23日は佐和山城でのろし駅伝、午後はいしだみつにゃんの誕生祭、24日は米原市柏原の成菩提院で三成会議主催の、三成を主人公にした甲冑劇、谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書」が行われ、それらに参加するためでした。  22日に泊まったホテルは、芹川沿いにあり、妙源寺の近くで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

受贈御礼 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」1 石田三成の実像2…

 高橋陽介氏より書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)をご恵贈賜りました。本多氏の同論考も併せてお送りいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。この高橋氏の書評報告は織豊期研究2019年10月例会で発表されたものです。  小山評定とは、上杉攻めに向った家康が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2763 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」5 関ヶ原合戦での論点 

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、関ヶ原合戦についての論点についてもいろいろ挙げられていました。  まず西軍の首謀者は三成ではなく、名実ともに毛利輝元とする指摘があり、研究者の間ではそれが主流になっていると説明されていました。しかし、西軍の構成が三…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2762 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」32 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」12…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた保科正光書状が取り上げられていますが、その内容の続きです。  この書状について、次のような記載があります(現代語訳)。  「去る(8月)22日・23日、合渡(川)…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2761 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」4 三成引退後の政局

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、秀吉死後の政治闘争について、石田三成が佐和山に退いた後、前田派VS家康派・三成派という構図が生まれたという指摘があるものの、良質の史料にはないので検討の必要があると述べられていました。  この点について、三成が家康…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

旅行記195 近江旅行4 「きのもと交遊館」・冨田酒造の「七本鎗」

滋賀県に行けば、「七本鎗」という日本酒を飲むことがよくあるのですが(三成祭の時は「石田三成」なる日本酒ですが)、木之本町の冨田酒造が作ったものであることを、今回、「きのもと交遊館」を訪ねて初めて知りました。冨田酒造について館の人に丁寧に説明していただきました。京極家の血を引く人が、天文年間にこの地で造り酒屋を開業して480年余りというこ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2760 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」31 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」11…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れてきましたが、これまで紹介してきたものは、「浜松城にいる保科正光が、江戸にいる家臣の黒河内長三に宛てた書状」ですが、もう一…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

旅行記194 近江旅行3 賤ヶ岳の戦いの際、秀吉の本陣となった木之本地蔵院

4日にオンライン三成会の人と佐和山に登りました(そのことについては後述します)が、その後、米原駅で別れ、一人で木之本駅まで行きました。数年前に木之本で講演会があった時、木ノ本駅に降り立ったことがあり、その時は駅の北にある黒田家御廟所を訪ねました。今回は駅の東にある木之本地蔵院や「きのもと交遊館」などを訪れました。そのずっと東に行ったと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2759 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」3 七将襲撃事件の論点2

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていましたが、その続きです。  「三成は伏見のどこに行ったのか?」ということに関して、小説やドラマでは三成は家康の屋敷に逃げ込んだと…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2758 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」30 大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」10…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「佐竹義宣・上杉景勝も少しは手出しをするのではないか」という記述があります。  この記述につ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2757 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」2 七将襲撃事件の論点

2日に米原市観音寺の三成ブックカフェで行われた中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の500日に関して」の中で、慶長4年閏3月に起こった七将による石田三成襲撃事件についての論点についても述べられていました。  そもそも、七将の武装襲撃はなく、集団訴訟であったという見解が水野伍貴氏や白峰旬氏によって出されていること、確かに一次…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2756 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」29  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に佐竹義宣・上杉景勝が攻めてくる場合のことについて、次のような記述があります。  「佐竹義宣より…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2755 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」28  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に次のような記述があります。  「もし万々一、美濃口に向い(敵が)後詰をしたならば、大垣の城が落…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

旅行記190 近江旅行1 四日間の概要 石田三成の実像2754 中井俊一郎氏の講演「三成研究最前線 主に三成最期の…

 1日から4日まで、彦根・米原・長浜方面に行ってきました。彦根のホテルに3泊しました。三成関係のイベントが連日あったからですが、1日は昼に彦根入りし、午後は三成に関係ないものの、蒲生野まで行ってきました。「万葉集」に出てくる額田王と大海人皇子(後の天武天皇)の相聞歌の舞台となったとされる場所ですが、このことについては後述します。  2…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2753 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」27  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。  書状の中に、「大垣(城)に籠っている軍勢が二万余いる、とのことなので、(大垣城のような)小城にて、そのよ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2752 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」26  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。。  書状の中に、大垣城の三成方の軍勢が少ないので毛利勢が後詰をする可能性が低いことについて言及されているの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2751 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」25  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れています。。  書状に、「(大垣城の)城中の衆より安芸の毛利方へ後詰をするように、という飛脚が来たところを虎口(こぐち)…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2750 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」25  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  書状に、「(大垣城の)城中の衆より安芸の毛利方へ後詰をするように、という飛脚が来たところを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2749 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」24  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  大垣城に籠っている武将の中に、「秀頼様の御馬廻衆の中で精鋭の衆数人」という記述(現代語訳…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2748 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」23  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられており、その内容について大事だと思われる点について触れていますが、その続きです。  書状に、小早川秀秋が大垣城に籠城していたという記述があることについて、白峰氏の同書には「8…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2747 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」22  第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーシ…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第四章「大垣城攻防戦に関する保科正光の戦局シミュレーション」の中で、慶長5年8月29日付の保科正光書状が取り上げられていますが、その内容について大事だと思われる点について触れていきます。  大垣城に籠城している武将の名に小早川秀秋の名が入っている点が挙げられ、白峰氏の同書では、次のように…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2746 「ザ・プロファイラースペシャル “関ヶ原三つのif”」3 橋場明氏「家康が描いた西軍孤立化…

NHKの番組「ザ・プロファイラースペシャル “関ヶ原三つのif”」の中で取り上げられていた、「石田三成がもしも大垣城で戦っていたら?」という仮定の話ですが、小和田泰経氏は家康方が大垣城の周りに堤防を築いて水攻めにする作戦を取ろうとしていたと述べられていました。  家康が大垣城を水攻めにしようと考えていたことについては、橋場明氏の「家康…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2745 「ザ・プロファイラースペシャル “関ヶ原三つのif”」2 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」21…

 NHKの番組「ザ・プロファイラースペシャル “関ヶ原三つのif”」の中で取り上げられていた、「石田三成がもしも大垣城で戦っていたら?」という仮定の話ですが、三成の秘策としては、家康方が大垣城を取り込んだ際、西の南宮山に布陣して後方として待機していた毛利勢が、山から降りて家康方を背後から襲い、大垣城からも軍勢を出して挟撃するという後詰戦…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2744 番組「ザ・プロファイラースペシャル “関ヶ原三つのif”」の「石田三成がもしも大垣城で戦っ…

今回の台風は土砂崩れ、川の氾濫など、広範囲に甚大なる被害を及ぼし、被災地の惨状には心が痛みます。信じられないほどの大雨が降りましたが、台風が超大型ということもあるものの、最近の気象の異常さ、それによる災害の大きさは地球温暖化が大いに影響しているという気がします。  義兄一家が岐阜神奈川県の藤沢市に住んでいるので、台風の被害を受けていな…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2743 母方の石田家本家の「石田家家譜」・初代は三成の子という伝承・初代の死は1653年・三成一族…

大垣市にある母方の石田家の本家を今まで二度訪ねていますが、最初に行ったのは本家に残る「石田家家譜」を見せてもらうためでした。母方の石田家の先祖(初代)は、三成の子だという伝承があり、何かそれを示すことが書かれていないか、確かめようと思い立ち、母と共に訪問しました。現在の当主は十代目で、母のいとこに当たります(当主の父が、母の父の兄になり…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

石田三成の実像2742 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」20  第二章「関ヶ原前夜ーイエズス会宣教師の透徹した政治分析…

 白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)の、 第二章「関ヶ原前夜ーイエズス会宣教師の透徹した政治分析」は、論考「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察(その1)ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原の戦い当日の実戦の状況」(『別府大学大学院紀要』17号、2015年)に基づいたものですが、大事な点…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more