テーマ:石田三成

石田三成の実像2880 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」22 毛利氏が出した「文禄元辰制…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、島津氏の次に毛利氏に関係したものが掲載されていますが、その中に、「文禄元辰制札写」があり、次のように解説されています。  「天正20年(1592)5月初旬に漢城が陥落した後、諸将は同地に集結して合議をおこない、朝…
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受贈御礼 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」 序章・関ヶ原合戦についての間違った通説が世間に広まってしまった要…

 白峰旬氏より編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)と論説「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」(併せて同「覚書」の原文のコピーも含めて)をご恵贈賜わりました。この場を借りてお礼申し上げます。  「関ヶ原大乱、本当の勝者」は、関ヶ原合戦についての白峰氏の見解が、序章や終章で改めて述べられており、間違った通説が世間に広まってしまった要…
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石田三成の実像2878 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」40 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の安濃津城攻めの後、龍造寺・鍋島軍は長島城に対する押さえとして能代に布陣しましたが、その戦いについて、次のように記されています。  「長島城へ…
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石田三成の実像2877 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」21 高麗陣敵味方戦死者供養碑拓…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、その続きです。「高麗陣敵味方戦死者供養碑拓本」が取り上げられ、次のように解説されています。  「大陸出兵から帰還した翌年にあたる慶長4年(1599)6月、島津義弘・…
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石田三成の実像2876 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」39 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の安濃津城攻めの後、龍造寺・鍋島軍は伊勢方面軍と共に、美濃方面に向かうために伊勢を北上したことが記されています。そのことに関して、白峰氏の「石…
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石田三成の実像2875 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」20 名簿「帖佐蒲生衆戦死衆」 …

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、その続きです。「帖佐蒲生衆戦死衆」という名簿が取り上げられ、次のように解説されています。  「島津氏の軍事機構は『外城』と呼ばれる分国内の支配拠点に配置された、『衆中…
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石田三成の実像2874 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」38 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城落城後の、龍造寺・鍋島連合軍の伊勢方面での活躍について、次のように述べられています。  「伊勢方面の経略のハイライトとなったのは、富…
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石田三成の実像2873 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」19 文禄3年10月4日付の島津…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、文禄3年(1594)10月4日付の島津豊久宛豊臣秀吉朱印状が取り上げられ、次のように解説されています。  「太閤検地の結果に基づき、島津豊久に与えられた知行判物。こ…
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自作小説の周辺1 二十年程前に書いた団塊の世代が活躍する「中年探偵団」・江戸川乱歩の「少年探偵団」への思い入れ

 中古ワープロのフロッピーディスクから以前書いた小説を呼び出し、フロッピーディスクドライブを使って、パソコンに取り込み、見直して再編集を少しずつ始めていますが、まず、手始めは二十年程前に書いた小説「中年探偵団」(仮題 「団塊の叫び」という名前も付けています)です。団塊の世代は、1947年から49年生まれですから(私より少し上の世代)、す…
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石田三成の実像2872 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」37 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城落城の後の龍造寺・鍋島連合軍の動きについて、次のように述べられています。  「龍造寺・鍋島軍は毛利秀元に従って8月中旬から伊勢方面…
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石田三成の実像2871 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」18 島津氏分国太閤検地尺・番組…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、島津氏分国太閤検地尺が取り上げられ、次のように解説されています。  「文禄出兵の負荷により、大名の財政基盤を支える蔵入地の不足や、梅北一揆に代表される家中の反発とい…
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石田三成の実像2870 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」36 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城攻防戦に加わった龍造寺・鍋島連合軍の活躍、及び三成の督戦について、次のように述べられています。  「7月25日から始まった」「伏見城…
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石田三成の実像2869 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」17 天正20年11月10日付の…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年11月10日付の島津豊久宛秀吉朱印状が取り上げられ、次のように解説されています。   「島津豊久は、義久および義弘の弟・家久の子であり、彼らにとっては甥に…
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石田三成の実像2868 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」35 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の関ヶ原の戦いを中心とした一連の戦いについて、「慶長庚子大乱」と称されていますが、これは白峰氏の見解に基づくもので、これからこの言い方が定着してゆくのではないか…
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石田三成の実像2867 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」16 天正20年5月4日付の町田…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年5月4日付の町田久倍等11名宛島津義久書状が取り上げられ、次のように解説されています。 「島津義久は、秀吉の九州出兵に際して出家し『龍伯』と号するが、分…
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石田三成の実像2866 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」34 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年、三成らが反家康の挙兵をし、三成の兄の正澄が愛知川の関所を閉ざして、会津攻めに行かないようにした時における、鍋島勝茂らの思いについて、次のように記されています。…
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石田三成の実像2865 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」15 慶長2年8月25日付の鍋島…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年8月25日付の鍋島勝茂宛早川長政・熊谷直盛・垣見一直連署状が掲載され、次のように解説されています。 「目付衆として、慶長出兵における在陣諸将を監督する早川長政・熊谷直盛・垣見一直によって鍋島勝茂に発給された請取状。届けられたのは、…
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石田三成の実像2864 秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構発見・秀吉の死後、北政所が移住・北政所が三成寄り…

秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構が発見されたという記事がネットニュースや新聞に出ていました。石垣や堀、金箔瓦などが発掘されました。「京都新城」があった場所は現在、仙洞御所になっています。秀吉の死後、未亡人の北政所(おね 高台院)が大坂城から移り住み、死ぬまでここで過ごしました。ドラマなどでは、北政所は淀殿が牛耳る大坂城にいる…
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石田三成の実像2863 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」33 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の家康による会津攻めにおける鍋島直茂・勝茂父子の動きについて、次のように記されています。  「直茂も当然の如く家康に従軍を願ったが、帰国して豊前中津に在国する…
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石田三成の実像2862 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」14 慶長2年2月21日付の小早…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年(1597)2月21日付の小早川秀秋宛豊臣秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「秀吉から発給された、慶長出兵の軍令書。本資料は小早川秀秋に宛てられたものだが、同内容の文書は陣立書とワンセットで様々な大名家に伝存し…
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石田三成の実像2861 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」32 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年における鍋島直茂・勝茂父子の動き、及び家康による会津攻めについて、次のように記されています。  「慶長5年の正月を、直茂・勝茂父子は従来から人質として…
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石田三成の実像2860 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」13 万暦23年付の豊臣秀吉宛の…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、万暦23年付の豊臣秀吉宛の明王贈豊太閤冊封文が掲載され、次のように解説されています。  「文禄4年(1595)、日本を訪れた明国皇帝の使者が携えてきた冊封文で、五行思想に基づく五色に織分けられた綾を用いた、非常に華麗なものとなっている。『冊封』…
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石田三成の実像2859 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」31 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長4年9月のいわゆる家康暗殺未遂事件の際における鍋島直茂・勝茂父子の動きについて、次のように記されています。  「9月に上方で家康暗殺の噂が広まり、京・伏見、大坂の…
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石田三成の実像2858 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」12 文禄2年6月9日付の北政所…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、文禄2年6月9日付の北政所宛豊臣秀吉自筆書状が掲載され、次のように解説されています。  「名護屋に滞在する秀吉から、正室の北政所(おね)に宛てた書状。『大めい国』すなわち明国から詫び言を申してきたため、高麗とともに許すこととした。そのため。1…
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石田三成の実像2857 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」30 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、島津家領内で起こった庄内の乱と鍋島直茂について、次のように記されています。  「庄内の乱は政権中央でも無視できない問題であり、最終的には家康が調停に乗り出すことになる…
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石田三成の実像2856 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」11 壬辰倭乱図屏風・第一次晋州…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、「壬辰倭乱図屏風」が掲載され、次のように解説されています。  「朝鮮の絵師によって手がけられたものと思われる、壬辰倭乱(=文禄出兵)をモチーフにした屏風。朝鮮軍が立てこもる堅牢な城砦を、刀を手にした日本勢が取り巻く光景が描かれている。ここで描…
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石田三成の実像2855 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」29 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、豊臣七将による、いわゆる石田三成襲撃事件について、次のように記されています。  「慶長4年(1599)閏3月、前田利家が死去すると、加藤清正・福島正則・細川忠興ら、い…
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石田三成の実像2854 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」10 天正20年のものと推定され…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年のものと推定される石田正澄・木下吉隆・長束正家宛石田三成・大谷吉継・増田長盛連署状が掲載され、次のように解説されています。  「石田三成・増田長盛・大谷吉継の3名は、なかなか渡海に踏み切れない秀吉に代わり、朝鮮在陣の武将たちを監督する…
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石田三成の実像2852 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」9 天正20年6月18日付の秀吉…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年6月18日付の隈本留守居中宛秀吉朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「大陸出兵が進行しつつある天正20年(1592)6月、日本国内で思いもよらない事件が発生する。島津氏の家臣として従軍する中途にあった梅北国兼が、突然に加…
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石田三成の実像2851 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」27 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、三成の佐和山隠居後の家康と鍋島直茂との関係について次のように記されています。  「慶長4年(閏)3月に家康が伏見城に移るや、直茂はその翌日に伏見城に登城して家康の警護の…
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