テーマ:石田三成

三成の実像2729 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」7「戦争論」での指摘を関ヶ原合戦に当てはめる3

白峰氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、プロイセンの将校だったクラウゼヴィッツの書いた「戦争論」の記載内容を関ヶ原合戦に当てはめて論じられており、一昨日のブログ記事の続きですが、次のように記されています。  「戦争論」では、「戦争とは独立した事象ではなく、『常に政策のための手段』であるから、この視点から戦史を考察する必要…
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受贈御礼 白峰旬氏・中西豪氏「最新研究 江上八院の戦い」 三成の実像2728 白峰氏「新視点関ヶ原合戦」6「戦争論…

白峰旬氏より新著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)をご恵贈賜わりました。この場を借りてお礼申し上げます。中西豪氏との共著で、この戦いに関するはじめての研究書です。この戦いについて、一般の人はあまりよく知らないのではないでしょうか。関ヶ原の戦い後一ヶ月余りして起こった、九州での龍造寺氏・鍋島氏と立花氏との戦いです。中西氏は龍…
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石田三成の実像2727 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」5 クラウゼヴィッツ「戦争論」での指摘を関ヶ原合戦に当てはめる1

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、プロイセンの将校だったクラウゼヴィッツの書いた「戦争論」の記載内容を関ヶ原合戦当てはめて論じられていますが、次のように記されています。  「敵国(敵勢力)と武力行使を伴わない政治交渉が行き詰まった場合は、他の政治交渉の形である戦争という手段がとられる」という「戦争論」の指摘を、「…
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石田三成の実像2726 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」4 統一国家成立のための戦争・三成の戦後構想・三成が主導的役割…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、「関ヶ原合戦が、統一国家成立のための戦争であった」という藤田達生氏の見解を立証するものとして、白峰氏は三成の戦後構想を挙げておられます。  すなわち、「石田三成は戦後構想として、家康の領国である関東を制圧したのち、慶長5年(1600)暮から翌6年(1601)春にかけて、関東の仕置…
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石田三成の実像2723 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」1 江戸時代の軍記物によって捏造された家康レジェンドが未だに浸透

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)は、最近のご論考に加筆・修正を加えられ、新たに執筆されたプロローグとエピローグを付け加えられたものです。ご論考は今まで拙ブログで紹介させていただいたものも多く含まれています。  たとえば、この本の第1章は、「豊臣七将襲撃事件(慶長3年閏3月)は『武装襲撃事件』ではなく単なる『訴訟騒動』であるー…
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石田三成の実像2722 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」48

高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の「⑱慶長4年1月9日、徳川家康は、島津忠恒を少将に任じ、5万石を加増した」の中で、1月9日付の島津忠恒宛五大老連署状、同日付の五奉行が島津忠恒に宛てた「御知行方目録」が取り上げられ、次のように解説されています。  「慶長4…
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石田三成の実像2721 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」47

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の「⑱慶長4年1月9日、徳川家康は、島津忠恒を少将に任じ、5万石を加増した」の中で、同年1月5日付の島津忠恒・立花親成・小早川秀兼・高橋元種・筑紫広門宛寺沢正成書状が取り上げられ、次のように解説されています。  「1月7日…
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石田三成の実像2717 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」43

 随分間があいて申し訳ありませんが、高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の続きです。「⑰慶長4年1月3日、島津龍伯は島津忠恒・島津義弘らに起請文をさしだした」の中で、史料としてその起請文・覚書が取り上げられ、その内容について、次のように記されています。  「徳…
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石田三成の実像2716 白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の「おわり」の中で、次のように記されています。  「本稿での検討の結果、『山口県史』史料編・中世3の30号、43号、44号、45号、46号、47号の各文書のうち、慶長4年閏3月に…
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石田三成の実像2715 白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がE文書(45号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動…
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石田三成の実像2714 白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がE文書(45号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動…
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石田三成の実像2713  白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がE文書(45号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動…
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石田三成の実像2712  白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がA文書(46号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒…
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旅行記171 彦根旅行2 石田三成の実像2706 三成ブックカフェ さらに充実した内容

 米原市の大原観音寺で行われた「三成ブックカフェ」のオープニング・イベントの後、ブックカフェの方へ行って、アイスコーヒーを飲み(三成の旗印「大一大万大万吉」の焼印の入った煎餅が付いていました)、幅広く集められた三成に関連する本を見て回りました。映画「関ヶ原」も上映されていましたし、ゲーム類も並べられていました。本にはコメントのようなもの…
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旅行記170 彦根旅行1 石田三成の実像2705「三成ブックカフェ」のイベント 前田鎌利氏による「大一大万大吉」の…

フェイスブックの方でも記しましたが、3日に米原市の大原観音寺で行われた、「石田三成ブックカフェ」のオープニングイベントに参加しました。前日の昼に彦根入りし、午後は、仙琳寺(江戸時代、石田三成や一族の供養のために、入山禁止の佐和山に領民たちが入って置いたとされる石田地蔵が並べて置かれていますが、残念ながら門が閉まっていました)の竹林のそば…
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石田三成の実像2703  白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)…

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がA文書(46号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動…
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石田三成の実像2683 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」38

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の、⑬「慶長3年12月2日、加藤清正ら東目衆が博多に到着した」の中で、姜沆の「看羊録」の記述が史料として取り上げられ、「加藤清正・黒田長政らは、12月15日すぎに伏見に到着し、豊臣秀頼のもとへ伺候し、徳川家康へ戦果報告した」…
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石田三成の実像2682 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」37

  高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の、⑬「慶長3年12月2日、加藤清正ら東目衆が博多に到着した」の中で、11月27日付の加藤家家臣の加藤喜左衛門尉・下川又左衛門尉宛加藤清正書状が取り上げられ、同日に、清正は「壱岐勝本に着岸し」、「領国肥後の内政について細か…
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石田三成の実像2681「歴史通」8 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」8

  「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の中で、「『家康を討つ!』西軍戦略の要衝にある上田城・真田を誘った熱意溢れる書状」」という題で、三成が挙兵した後の慶長5年7月30付で真田昌幸宛三成書状が取り上げられ、次のように解説されています。  東の…
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石田三成の実像2680  大河ドラマ「葵 徳川三代」6 家康暗殺計画

 大河ドラマ「葵 徳川三代」では、慶長4年9月、徳川家康が大坂城に入城した時、家康暗殺計画があったとして、前田利長や大野治長に疑いをかけるものの、それは家康自身が仕組んだ謀略であったという捉え方がされていました。利長が計画者とされたのは、利長と三成と通じていると考えられたからで、大野治長は淀殿と密通しているとの噂があったからだという描き…
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三成の実像2679「歴史道」7 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」7

「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の中で、「徳川の天下になっても三成の手紙を捨てなかった信幸」という題で、真田信幸宛三成書状が取り上げられ、「織田秀信の湯治の案内役を信幸の家臣に依頼したとする内容」だと説明されています。  中井氏の同書には、…
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石田三成の実像2677 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」36

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の、⑫「慶長3年11月30日、石田三成は撤退の様子を島津龍伯にしらせた」の中で、その三成書状の内容について次のように記されています。  「明との和平交渉は、島津義弘主導によって成立しました。朝鮮在陣の諸将は、10月30日、…
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石田三成の実像2676  大河ドラマ「葵 徳川三代」5 五奉行の剃髪・三成の失脚後

 大河ドラマ「葵 徳川三代」では、徳川家康の婚姻問題の決着として、三成ら五奉行は剃髪して謹慎、家康は誓紙を五大老に提出したというふうに描かれていました。もっとも、五奉行の剃髪については、中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、謹慎という意味合いではなく、次のような見解が示されています。  「秀吉の遺言に従ったものとされるが、こう…
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三成の実像2675 「歴史道」6 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」6 

 「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の中で、「鷹狩についての愛情とこだわり、そして三成の意外な諧謔精神も垣間見える手紙」という題で、中納言宛三成書状が取り上げられ、その内容について次のように解説されています。  「進上する鷹の素晴らしさをこと…
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三成の実像2674 「歴史道」5 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」5   

 「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の中で、「所領加増を自ら辞退!『私』より『公』に徹した」という題で。慶長3年5月22日付の家臣の大音新介宛の三成書状が取り上げられていますが、その解説の続きです。  「三成自身も近江の小大名にとどまるか、鎮…
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三成の実像2673 「歴史道」4 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」4   

  「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の中で、「所領加増を自ら辞退!『私』より『公』に徹した」という題で。慶長3年5月22日付の家臣の大音新介宛の三成書状が取り上げられています。小早川秀秋が転封されたのに伴い、三成にその旧領である筑前筑後を秀吉…
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三成の実像2672 「歴史道」3 中井俊一郎氏「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」3   

 「週刊朝日ムック 歴史道 その漢(おとこ)、石田三成の真実」の中に、中井俊一郎氏の「五通の直筆書状から読み解く三成の『人間力』」の「関白秀吉の意向に逆らっても忍城水攻め反対を直言した三成」の中で、秀吉が忍城を水攻めにすることに拘った理由として、次のように指摘されています。  「そこには一種の政治的思惑があったように思われる。水攻めは…
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石田三成の実像2671 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」35

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の、⑪「慶長3年11月25日、黒田如水は徳川家康のもとに参上した」の中で、11月28日の家康の行動について次のように記されています。  「徳川家康は黒田長政から、『小西行長が順天を引き払った』という報告を受け、返書を書き送…
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石田三成の実像2670  大河ドラマ「葵 徳川三代」4 家康の薩摩邸訪問を糾弾?家康を討つ?

 大河ドラマ「葵 徳川三代」では、博多から伏見城に戻ってきた三成は、自分が博多にいた間に、家康が薩摩屋敷を訪れたことで島津義弘を詰問し、家康との間に約束事がないことを誓紙で明らかにするように要求する場面がありました。ドラマでは、この後、家康が義弘を詰問し、「三成に誓紙を出すなら、構えて、わしにも出してもらうぞ」と要求しています。  こ…
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石田三成の実像2669高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」34

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の、⑪「慶長3年11月25日、黒田如水は徳川家康のもとへ参上した」の中で、同日の家康の動向について、次のように解説されています。  「徳川家康は、黒田如水と会い、朝鮮における状況の報告をうけました。また、黒田長政から贈り物…
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