テーマ:石田三成

石田三成の実像2891 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」4 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」2 家康の政権簒奪の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、通説通り、家康はかねてより豊臣政権を簒奪しようという野望を抱いていたという見解が示され、その根拠がいろいろ示されていますが、その一つとしてフランシスコ会宣教師ヒエロニモ・デ・ジエズスの西暦1598年12月20日付の書簡の内容が挙げられています。 …
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石田三成の実像2890 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」26 文禄2年8月6日付の毛利秀…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄2年(1593)8月6日付で出された毛利秀元宛豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。   「朝鮮半島に渡った秀元は、文禄出兵で最後の激戦となる文禄2年(15…
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石田三成の実像2889 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」3 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」1 家康の政権簒奪の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、「家康が最初から豊臣政権を簒奪しようとしていたとするのはおかしい」という新説に対して、通説通り、家康はかねてより野望を抱いていたという見解が示されています。  その根拠として、まず次のような史料が挙げられています。  「豊臣秀吉の死から10日後…
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石田三成の実像2888 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」44 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、大坂に戻って家康の沙汰を待っていた龍造寺・鍋島氏のことについて、次のように記されています。 「大坂城下の屋敷周辺にも…
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石田三成の実像2887 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」2 序章2・「慶長庚子の大乱」という名称を提唱・タイ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の序章で、白峰氏はかねてより、慶長5年の関ヶ原の戦いを本戦とする全国レベルで起こった争乱を、「慶長庚子の大乱」と命名されていますが、「本書では書名に使用するため、便宜上、『慶長庚子の大乱』を『関ヶ原大乱』と名付けた」と記されています。  確かに一般の人々には、「慶長庚子の大乱」という名…
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石田三成の実像2886 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」25 文禄5年5月23日付で出さ…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄5年(1596)5月23日付で出された「毛利輝元法度」が掲載されており、次のように解説されています。 「毛利輝元が、大陸出兵の休戦期に分国内で制定した掟書。毛利氏内部における…
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白峰旬氏「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」1 本能寺の変の際、家康への援軍のため光秀軍は京に進軍したと思ったと解…

 白峰旬氏よりご恵贈賜わりました「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」(併せて同「覚書」の原文のコピーも含めて)ですが、本城惣右衛門が後年になって自分がこれまでしてきたことを書いたものです。 惣右衛門は本能寺の変、明智光秀方として、信長のいる本能寺を攻めましたが、この時のことも記していて、光秀軍が京へ進軍したのは、上洛している徳川…
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石田三成の実像2885 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」43 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、伊勢の野代に陣を置いていた龍造家・鍋島軍は、大坂に戻りますが、大坂でのことについて、次のように記されています。  「…
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石田三成の実像2884 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」24 万暦23年(1595)2月…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、万暦23年(1595)2月付の毛利輝元宛の「明朝箚付写」が掲載されており、次のように解説されています。 「文禄4年(1595)、秀吉を日本国王に冊封するため訪れた明使は、同時に豊臣政…
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石田三成の実像2883 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」42 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、伊勢の野代に陣を置いていた龍造家・鍋島軍は、大坂に戻りますが、そのルートについて、次のように記されています。  「龍…
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石田三成の実像2882 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」23 文禄2年8月6日付の安国寺…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄2年(1593)8月6日付の安国寺恵瓊宛の豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。  「毛利氏の顧問僧であり、豊臣政権とも近しい安国寺恵瓊宛に対し、秀吉から送ら…
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石田三成の実像2881 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」41 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦を知った時の、伊勢の野代に陣を置いていた勝茂の行動について、次のように記されています。 「勝茂は己の無思慮を悔い、そ…
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石田三成の実像2880 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」22 毛利氏が出した「文禄元辰制…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、島津氏の次に毛利氏に関係したものが掲載されていますが、その中に、「文禄元辰制札写」があり、次のように解説されています。  「天正20年(1592)5月初旬に漢城が陥落した後、諸将は同地に集結して合議をおこない、朝…
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受贈御礼 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」 序章・関ヶ原合戦についての間違った通説が世間に広まってしまった要…

 白峰旬氏より編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)と論説「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」(併せて同「覚書」の原文のコピーも含めて)をご恵贈賜わりました。この場を借りてお礼申し上げます。  「関ヶ原大乱、本当の勝者」は、関ヶ原合戦についての白峰氏の見解が、序章や終章で改めて述べられており、間違った通説が世間に広まってしまった要…
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石田三成の実像2878 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」40 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の安濃津城攻めの後、龍造寺・鍋島軍は長島城に対する押さえとして能代に布陣しましたが、その戦いについて、次のように記されています。  「長島城へ…
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石田三成の実像2877 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」21 高麗陣敵味方戦死者供養碑拓…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、その続きです。「高麗陣敵味方戦死者供養碑拓本」が取り上げられ、次のように解説されています。  「大陸出兵から帰還した翌年にあたる慶長4年(1599)6月、島津義弘・…
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石田三成の実像2876 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」39 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の安濃津城攻めの後、龍造寺・鍋島軍は伊勢方面軍と共に、美濃方面に向かうために伊勢を北上したことが記されています。そのことに関して、白峰氏の「石…
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石田三成の実像2875 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」20 名簿「帖佐蒲生衆戦死衆」 …

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、その続きです。「帖佐蒲生衆戦死衆」という名簿が取り上げられ、次のように解説されています。  「島津氏の軍事機構は『外城』と呼ばれる分国内の支配拠点に配置された、『衆中…
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石田三成の実像2874 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」38 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城落城後の、龍造寺・鍋島連合軍の伊勢方面での活躍について、次のように述べられています。  「伊勢方面の経略のハイライトとなったのは、富…
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石田三成の実像2873 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」19 文禄3年10月4日付の島津…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、文禄3年(1594)10月4日付の島津豊久宛豊臣秀吉朱印状が取り上げられ、次のように解説されています。  「太閤検地の結果に基づき、島津豊久に与えられた知行判物。こ…
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自作小説の周辺1 二十年程前に書いた団塊の世代が活躍する「中年探偵団」・江戸川乱歩の「少年探偵団」への思い入れ

 中古ワープロのフロッピーディスクから以前書いた小説を呼び出し、フロッピーディスクドライブを使って、パソコンに取り込み、見直して再編集を少しずつ始めていますが、まず、手始めは二十年程前に書いた小説「中年探偵団」(仮題 「団塊の叫び」という名前も付けています)です。団塊の世代は、1947年から49年生まれですから(私より少し上の世代)、す…
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石田三成の実像2872 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」37 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城落城の後の龍造寺・鍋島連合軍の動きについて、次のように述べられています。  「龍造寺・鍋島軍は毛利秀元に従って8月中旬から伊勢方面…
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石田三成の実像2871 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」18 島津氏分国太閤検地尺・番組…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、島津氏分国太閤検地尺が取り上げられ、次のように解説されています。  「文禄出兵の負荷により、大名の財政基盤を支える蔵入地の不足や、梅北一揆に代表される家中の反発とい…
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石田三成の実像2870 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」36 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の伏見城攻防戦に加わった龍造寺・鍋島連合軍の活躍、及び三成の督戦について、次のように述べられています。  「7月25日から始まった」「伏見城…
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石田三成の実像2869 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」17 天正20年11月10日付の…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年11月10日付の島津豊久宛秀吉朱印状が取り上げられ、次のように解説されています。   「島津豊久は、義久および義弘の弟・家久の子であり、彼らにとっては甥に…
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石田三成の実像2868 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」35 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の関ヶ原の戦いを中心とした一連の戦いについて、「慶長庚子大乱」と称されていますが、これは白峰氏の見解に基づくもので、これからこの言い方が定着してゆくのではないか…
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石田三成の実像2867 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」16 天正20年5月4日付の町田…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、まず島津氏に関係したものが掲載されていますが、天正20年5月4日付の町田久倍等11名宛島津義久書状が取り上げられ、次のように解説されています。 「島津義久は、秀吉の九州出兵に際して出家し『龍伯』と号するが、分…
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石田三成の実像2866 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」34 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年、三成らが反家康の挙兵をし、三成の兄の正澄が愛知川の関所を閉ざして、会津攻めに行かないようにした時における、鍋島勝茂らの思いについて、次のように記されています。…
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石田三成の実像2865 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」15 慶長2年8月25日付の鍋島…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、慶長2年8月25日付の鍋島勝茂宛早川長政・熊谷直盛・垣見一直連署状が掲載され、次のように解説されています。 「目付衆として、慶長出兵における在陣諸将を監督する早川長政・熊谷直盛・垣見一直によって鍋島勝茂に発給された請取状。届けられたのは、…
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石田三成の実像2864 秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構発見・秀吉の死後、北政所が移住・北政所が三成寄り…

秀吉が最晩年に築いた「京都新城」の遺構が発見されたという記事がネットニュースや新聞に出ていました。石垣や堀、金箔瓦などが発掘されました。「京都新城」があった場所は現在、仙洞御所になっています。秀吉の死後、未亡人の北政所(おね 高台院)が大坂城から移り住み、死ぬまでここで過ごしました。ドラマなどでは、北政所は淀殿が牛耳る大坂城にいる…
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