テーマ:大阪探訪

ドラマ探訪46 「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子さんが演じていた「細うで繁盛記」の祖母・花登筺氏の原作を天…

 朝ドラ「おちょやん」のモデルとなっている浪花千栄子さんの演技で、一番印象に残っているのは、かつて読売テレビで放送された「細うで繁盛記」のヒロイン、加代の祖母役でした。祖母は大阪の料亭「南地楼」の女将で、加代に商いの心得、経営の精神というものを加代に教え、加代は祖母の言葉を胸に刻んで、熱川温泉の旅館「山水館」の主人に嫁ぎ、数々の苦難を乗…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策11 ラッシュ時は満員だった阪堺電車・子供の頃から馴染み深かった大阪市電・…

 阿倍王子神社から安倍晴明神社の道は、熊野街道の一部で、その雰囲気が今もなんとなく残っています。安倍晴明神社のすぐ近くに阪堺電車の東天下茶屋駅があり、そこから電車に乗って天王寺に戻りました。  阪堺電車は、大阪で唯一残る路面電車であり、子供の頃から大阪市電に馴染みが深かった自分にとっては、ノスタルジーを誘われる電車です。天王寺区の椎寺…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策10 安倍晴明神社・晴明の生誕地という伝承・「葛乃葉」「信太妻」伝説

 安倍晴明神社を訪ねたのもほぼ40年ぶりです。ここが安倍晴明の生誕地という伝承があり、「安倍晴明伝承地碑」も建っています。境内には、本殿、安倍晴明の銅像、晴明の母という伝説がある白狐の像、白狐が変身した女性「葛乃(の)葉」の絵、晴明の産湯の井跡などがあります。小さな神社であったという記憶がありますが、その通りでした。  「葛乃葉」は、…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策9 熊野王子社の一つとなった阿倍王子神社・同じ年に入った教員同士の結びつき

 阿倍野の鎮守の社である阿倍王子神社を訪ねたのはほぼ40年ぶりのことです。なにしろ住吉高校に転任した時に、社会科の先生に案内されて行って以来ですから。  この神社は仁徳天皇によって創建されたとも、阿倍野の地を本拠としていた古代の豪族「安倍氏」が創建したとも言われています。平安時代になり、熊野信仰が盛んになると、この場所が四天王寺と住吉…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策8・旧制大阪高校跡・よく通っていた店は見当たらず・「雲海」でランチ・北畠公…

  晴明丘公園を東に歩いて行くと、あべの筋に突き当たりますが、そのあたりは大正時代に創立された旧制大阪高等学校があったところで、現在、跡碑が建っています。この近辺、今はスーパーやマンションが建っており、当時と雰囲気は変わっていました。旧制大阪高等学校は、後に大阪大学に包括されました。   このあたりにあった飲食店で、住吉高校勤務当時は…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策7 北畠顕家と北畠親房が祀られている阿部野神社・同人誌発行のための初会合を…

 阿倍野区北畠の地名は、南北朝時代に南朝方として活躍し、若くして戦死した北畠顕家にちなみます。あべの筋沿いにある北畠公園に顕家の供養塔があり、住吉高校の西にある阿部野神社に、北畠顕家とその父親の北畠親房(「神皇正統記」を書いたことで有名です)が祭神として祀られています。住吉高校に勤めていた当時は、阿部野神社にお参りしたことはありませんが…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策6 よく昼食を取りに行っていた相生通の店はほとんど残っていず・今もレトロな…

住吉高校は、住宅街の中にあるので、飲食店が近くにありません。そのため、在任当時、昼食は専ら校内食堂で取っていましたが、土曜日などは授業が昼までなので、同僚と外に食事に行くことがよくありました。行くとするなら、北西の相生通へ行くか、東のあべの筋の方に出るかのどちらかでした。今回、どちらの方面へも回ってみましたが、まず相生通の方へ行きました…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策5 当時の周辺住民からの苦情・「闇チャリ」という言葉・西隣は今は空き地

 大阪府立住吉高校の周辺の回りを歩いて一周してみましたが、在任当時、教員親睦のテニスをしている時、2コートしかないため、ダブルスの試合で8名までしかできず、人数が多いと待たねばならなりませんでした。冬場はその間寒いので、学校の回りを同僚とランニングして一周していました。   写真は校舎の南側を撮ったものです。高校は当時から住宅街の中…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策4 卒業式で君が代が流された際、教職員や生徒が退出した時代・卒業証書をハン…

 いわゆる国旗・国歌法ができたのは、1999年のことですが、それより数年前に卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を流すという問題で、住吉高校も混乱したことがあります。校長が文部省や教育委員会の意向を受けて、教職員や生徒に強制してきました。大半の教職員や生徒の自治会、生徒の部落解放研究会などが反対し、校長交渉をしたにもかかわらず、校長は強行しま…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策3 創立60年記念に建てられた伊東静雄の詩碑・旧制中学教員当時の伊東・同人…

 大阪府立住吉高校の旧正門と正門の間ぐらいに、伊東静雄の詩碑が建っています(「住吉の森」と呼ばれる木立の中)。コロナ禍で校内には入れないので、柵越しに写真を撮りました。  碑には「わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ」で始まる「曠野(こうや)の歌」と題する詩が刻まれていますが、創立60年記念に建立され…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策2 スポーツや読書会・同人誌発行などを通じた教員の親睦・高津高校と同じよう…

写真は住吉高校の正門です。旧正門(1昨日の写真)から西に少し行ったところにあります。正門を入って右側(西側)が理科棟、左側が体育館(一階は下足室)、奥が玄関、本館です。この景観は、当時とほとんど同じです。    正門の北側に道を挟んで北グラウンドがあり(もっと大きな東グラウンドは校舎のそばにありますが)、部活動の部室も建っています。…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策1 レトロな電停の雰囲気も校舎の様子もあまり変化なし・赴任する前に校長・教…

  大阪府立住吉高校の周辺を20数年ぶりに散策してきました。天王寺から阪堺電車に乗り、北畠駅に降り立った時から、周囲の様子は当時とあまり変わっていなかったため、時が戻ったようで、懐かしさに駆られました。レトロな電停の雰囲気と云い、そのすぐそばの道を西に入ってゆくと、すぐ左側に校門や校舎が見えるところと云い、道の右側にテニスコートが二面並…
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大阪探訪46 備前島があったあたりを散策5 大坂冬の陣では徳川方が大砲を放つ・リニューアル工事中の藤田美術館・「曜…

備前島は、大坂冬の陣の際、徳川方が大砲を据えて、大坂城に砲撃を加えたところです。砲撃は四日間にわたって行われ、そのうちの一発が城の一部を破壊し、淀殿の侍女七、八人が亡くなりました。豊臣側はこれに恐れをなして、和平に応じました。豊臣政権を支えた宇喜多秀家や石田三成の屋敷があった備前島(大坂城の北の守りを固めていました)から、徳川方が豊臣家…
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大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・…

 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようで…
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大阪探訪44 備前島があったあたりを散策3  今はレストランと結婚式場になっている旧大阪市公館 付記・大阪都構想雑感

 藤田邸の西邸だった旧大阪市公館は、最初は迎賓館、大阪市長公館として建てられましたが、橋下市長の時代に、民間に貸与され、今はレストランと結婚式場になっています。チャペルの中ものぞいてきました。ちょうど、若いカップルが下見に来ていました。コロナ禍で結婚式も挙げるのが大変な状況になっていますが、めげずに新たな門出を飾ってほしいものだと感じま…
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大阪探訪43 備前島があったあたりを散策2 宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいると思われる備前島・旧藤田邸跡…

大阪市都島区網島町あたりに、かつてあった備前島の名前の由来は、秀吉の時代に宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいるものと思われます。宇喜多秀家は備前宰相と呼ばれていました。秀家は京都にも屋敷を持っていましたが、そのあたりは現在、備前町という名前になっています。   網島町にある旧藤田邸跡公園のあたりもかつては備前島の一部だったと考え…
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大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行し…

 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策7 ⼤阪中央環状線の道路の信号から鴻池新⽥駅までは⼀本道・最初の担任は…

 ⼤阪中央環状線の道路の信号のところから鴻池新⽥駅までは⼀本道で、上にJR⽚町線(学研都市線)が⾛っています。道沿いに大阪府立城東⼯科⾼校(当時は城東工業高校)があるのは、当時も今も変わりません。鴻池新⽥駅は当時と⽐べて随分開けたところになっていました。⼟曜⽇の昼までの授業が終わった帰りに、よく寄っていたハンバーグの店はなくなっていまし…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策6 今も変わらぬ中央環状線の信号・密かに進めた教職員組合作り

 茨田高校の周辺を散策して、鴻池新田駅へ向かいましたが、田んぼはなくなっていたものの、寝屋川を越えて大阪中央環状線の広い道路を渡らねばならないのは、当時と一緒でした。二つ信号があって、走って一気に渡らねばなりませんでした。ゆっくり歩いていると、次の信号でひっかかり、青に変わるまで三分ほど待たねばならないからです。その状況は、今も変わって…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策5 白内障でみんなに迷惑をかけた3年間・「安田」近辺でよく通っていた飲…

 茨田高校に勤務していた6年間のうち、3年間は白内障を患っていたため、その間はみんなに迷惑をかけ、あまり学校に貢献できなかったのを今でも申し訳なく思っています。答案の字が読めず、採点の丸付けを教科の先生方に手伝ってもらいましたし、教科書の字もよく読めなかったため、現代国語の授業は持てず、古典の授業ばかりを担当させてもらいました。古典なら…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策4  当時は田園地帯だった地に立つ大阪市立茨田小学校・若い教員同士の交流

 大阪府立茨田高校の南に、今は大阪市立茨田小学校が建っていますが、私が勤務していた時は、そのあたりは田園地帯でした。もっとも、今も鴻池新田駅からの通学路になっていますが。茨田小学校は1998年に開設されただけに、校舎も新しく瀟洒なたたずまいでした。  茨田高校に勤務したのは六年間でしたが、教員としていろいろと学ばせてもらいました。若い…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策3 赴任前の教科の打ち合わせと入試の手伝い・当時はなかった南側の通用門

 大阪府立茨田高校に赴任したのは1976年のことですが、3月8日に国語科の打ち合わせがあり、国語科の先生方と初めて顔合わせしました。総勢は八名であり、前年から勤めているのは四人で、しかも新しく入った四人は私も含めていずれも新卒でした。教員の平均年齢は二十代でしたが、当時、新設校はどこも似たような年齢構成だったのではないでしょうか。  …
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策2 創立二年目に赴任・内々の通知が校長からあったのは1月9日・正式の内…

 大阪府立茨田高校のたたずまいはあまり変わっていませんでした。校舎の外装は私が勤務していた時と違っていましたが。一番変わっていたのは周囲の景色です。学校の周囲は四十年前は田畑が多かったのですが、今は住宅などが建ち並んでいて、田畑は見当たらず、隔世の感がありました。正門に行く道も、両側に住宅がずらりと建っていて、その奥に校舎が見えるという…
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最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策1 徳庵駅から四十年ぶりに歩く 商店街や寝屋川に架かる橋に当時をしのぶ

教員時代、最初の勤務校であった大阪府立茨田高校の周辺をほぼ四十年ぶりに歩き回ってきました(創立十周年記念の時に一度訪ねたことはありますが)。校内も見てみたかったところですが、コロナ禍のもとでは、仕方ありません。茨田高校へ行くには三つのコースがあります。高校に一番近いのは、バス停の「安田」というところで、そこから歩いて五分程で行けますが、…
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大阪探訪41 番組「ラニーノーズ&野性爆弾くっきー!が大阪を元気にする曲を本気で作ってみた」 大阪的な言葉を取り入…

  毎日放送の番組「ラニーノーズ&野性爆弾くっきー!が大阪を元気にする曲を本気で作ってみた」でラップ調の言葉遊び的な、なかなかユニークな曲「大阪ええ街シシNon Nоn」を作って披露していました。漫才コンビ「見取り図」も作成にかかわり、盛山さんも歌に加わっていました。  「ラニーノーズ」は昨年の歌ネタ王ですが、新たな音曲漫才の世界を開…
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大阪探訪40 落語探訪 月亭方正さんが初めて演じた落語「阿弥陀池」の舞台となった和光寺と阿弥陀池・方正さんも落語を…

朝日放送テレビの番組「やすとものいたって真剣です」に月亭方正さんかゲスト出演し、落語家になったきっかけ、途中から落語家になる大変さなどについて話していました。その話は、他の番組でも今まで聞いたことがありますが、お笑い芸人として行き詰っていた時に、東野幸治さんが古典落語を勧めたところ、桂枝雀さんの落語を聴いて、その面白さのとりこになり、自…
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音楽探訪39 上沼恵美子さんの新曲「時のしおり」・天童よしみさんの「道頓堀人情」をコラボして歌う

 上沼恵美子さんが歌う新曲の「時のしおり」は、心に沁みます。共に昭和、平成、令和を生きてきただけに、大いに共感でき、その時々の思いがよみがえります。昭和の時代について、「みんな熱くて不器用だった」という一節がありますが、言い得て妙だという感じがします。むろん、そうでなかった人も多くいると思いますし、昭和二十年までは戦争の時代でしたから、…
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自作小説の周辺4 高校の落語研究部を舞台にした小説2 「天王寺詣り」の舞台である四天王寺に部員を案内するのもフィク…

 高校の落語研究部を題材にした小説では、顧問が部員たちを自分が生まれ育った長屋に案内した後、一緒に四天王寺に行く場面を用意しましたが、これも全くのフィクションです。 四天王寺は落語「天王寺詣り」の舞台になったところであり、部員たちもその内容をよく知っており、亀の池では、「亀」は「固いものをかめへんから、亀という」という一節や…
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四天王寺の境内は子供の頃の遊び場・四歳の時の稚児行列の写真

 四天王寺は、新型コロナウイルス拡大防止のため、閉鎖されていましたが、6月8日から再開されます。閉鎖されたのは、聖徳太子が建てて以来のことだと、マスコミでも話題になりました。四天王寺のそばで生まれ育ったので、小さい頃から馴染みの場所で、境内を遊び場にしていました。子供の頃は昆虫採集もして、蝉、蝶、とんぼ、バッタなどをよく捕った場所ですが…
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唐突だった住吉高校の国際教養科設置・巻き起こった反対運動も実を結ばず・国際理解という専門科目を担当・民話から国民性…

 普通科だけだった大阪府立住吉高校に国際教養科が併設されたのは、平成2年のことですが、教員にそのことが知らされたのは前年の9月でした。全く寝耳に水の話で、校内で反対運動が起こりましたし、準備が整いそうになく少なくとももう1年延ばしてほしいと府教委や府会議員に陳情に行きました。しかし、そういう反対運動も空しく、そのまま強行されてしまいまし…
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