テーマ:大阪探訪

大阪探訪41 番組「ラニーノーズ&野性爆弾くっきー!が大阪を元気にする曲を本気で作ってみた」 大阪的な言葉を取り入…

  毎日放送の番組「ラニーノーズ&野性爆弾くっきー!が大阪を元気にする曲を本気で作ってみた」でラップ調の言葉遊び的な、なかなかユニークな曲「大阪ええ街シシNon Nоn」を作って披露していました。漫才コンビ「見取り図」も作成にかかわり、盛山さんも歌に加わっていました。  「ラニーノーズ」は昨年の歌ネタ王ですが、新たな音曲漫才の世界を開…
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大阪探訪40 落語探訪 月亭方正さんが初めて演じた落語「阿弥陀池」の舞台となった和光寺と阿弥陀池・方正さんも落語を…

朝日放送テレビの番組「やすとものいたって真剣です」に月亭方正さんかゲスト出演し、落語家になったきっかけ、途中から落語家になる大変さなどについて話していました。その話は、他の番組でも今まで聞いたことがありますが、お笑い芸人として行き詰っていた時に、東野幸治さんが古典落語を勧めたところ、桂枝雀さんの落語を聴いて、その面白さのとりこになり、自…
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音楽探訪39 上沼恵美子さんの新曲「時のしおり」・天童よしみさんの「道頓堀人情」をコラボして歌う

 上沼恵美子さんが歌う新曲の「時のしおり」は、心に沁みます。共に昭和、平成、令和を生きてきただけに、大いに共感でき、その時々の思いがよみがえります。昭和の時代について、「みんな熱くて不器用だった」という一節がありますが、言い得て妙だという感じがします。むろん、そうでなかった人も多くいると思いますし、昭和二十年までは戦争の時代でしたから、…
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自作小説の周辺4 高校の落語研究部を舞台にした小説2 「天王寺詣り」の舞台である四天王寺に部員を案内するのもフィク…

 高校の落語研究部を題材にした小説では、顧問が部員たちを自分が生まれ育った長屋に案内した後、一緒に四天王寺に行く場面を用意しましたが、これも全くのフィクションです。 四天王寺は落語「天王寺詣り」の舞台になったところであり、部員たちもその内容をよく知っており、亀の池では、「亀」は「固いものをかめへんから、亀という」という一節や…
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四天王寺の境内は子供の頃の遊び場・四歳の時の稚児行列の写真

 四天王寺は、新型コロナウイルス拡大防止のため、閉鎖されていましたが、6月8日から再開されます。閉鎖されたのは、聖徳太子が建てて以来のことだと、マスコミでも話題になりました。四天王寺のそばで生まれ育ったので、小さい頃から馴染みの場所で、境内を遊び場にしていました。子供の頃は昆虫採集もして、蝉、蝶、とんぼ、バッタなどをよく捕った場所ですが…
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唐突だった住吉高校の国際教養科設置・巻き起こった反対運動も実を結ばず・国際理解という専門科目を担当・民話から国民性…

 普通科だけだった大阪府立住吉高校に国際教養科が併設されたのは、平成2年のことですが、教員にそのことが知らされたのは前年の9月でした。全く寝耳に水の話で、校内で反対運動が起こりましたし、準備が整いそうになく少なくとももう1年延ばしてほしいと府教委や府会議員に陳情に行きました。しかし、そういう反対運動も空しく、そのまま強行されてしまいまし…
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漫才探訪 「シャンプーハット」「ミルクボーイ」・大学時代とりわけ好きだった「海原千里・万里」・大阪の代表曲「大阪ラ…

今年の上方漫才大賞を受賞した「シャンプーハット」が、新型コロナウイルス拡大の影響で、オリックス劇場で漫才を披露できなかったのは残念で気の毒です。大阪に拠点を置いている漫才師を特に私は応援しているのですが(東京に進出してしまうと、バラエティー番組などが中心になり漫才をあまりしなくなってしまいがちです)、「シャンプーハット」の漫才はツッ…
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大阪探探146 今年は中止された造幣局の通り抜け・昨年の写真・造幣局と大阪遷都論

4月の造幣局の桜の通り抜けは中止になりましたが、その時、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で特別に中継されているのを見ました。あいにくの雨でしたが、雰囲気は伝わってきたものの、誰もいないというのが奇異な感じでしたし、寂しく思いました。   昨年は通り抜けに行きましたが、写真はその時のものです。毎年、「今年の桜」というものが選ばれています…
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大阪探探145 上方漫才師の東京進出や漫才の持ち時間の少なさを憂う・大阪で漫才を究める人々 

 年末年始は、上方漫才の番組をよく見ていますが、一組の漫才時間が三、四分程しかないのが、いつも物足りなく思っています。真夜中に放送していた毎日放送の「オール・ザッツ漫才」は一組一分の持ち時間しかなく、それで会場の人などの投票によって、準決勝、決勝へと駒を進めるという仕組みです。これでは多分にコント的、一芸的になって、まともな漫才はできな…
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酒樽を割るのは、「鏡開き」ではなく、「鏡抜き」 大阪探訪145 元日は白みそ仕立て、二日目以降はすまし仕立ての雑煮

樽を割って出演者がみなで分け合って飲む場面が、正月番組でよく出てきていましたが、それを「鏡開き」や「鏡割り」と呼ぶのは、本来間違いだということを、毎日放送の番組「コトノハ図鑑」で明らかにされていました。「鏡開き」や「鏡割り」は、鏡餅を割る時に使用する言葉で(「鏡割り」というのは縁起が悪いので、専ら「鏡開き」と呼ばれています)、酒樽を割る…
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大阪探訪144 大阪外国語大学跡地に建つ大阪国際交流センター・回想  二期校で受験する予定だった大学

 上六界隈散策は、上六から上町筋を南下しましたが、上本町八丁目にある大阪国際交流センターの敷地に何十年ぶりかで少し立ち寄りました。ここにはかつて大阪外国語大学がありました。後に箕面市に移り、さらに大阪大学と統合しました。私が受験生の頃、国立大学は一期校、二期校に分かれて大阪外国語大学は二期校でした。浪人した時、二期校は大阪外大に願書を出…
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大阪探訪143 映画探訪  半世紀前、上六映画劇場・上六地下劇場・上六大映で見た映画

 半世紀前、上六でよく通った映画館がありました。一つは今の新歌舞伎座付近にあった、一階の上六映画劇場(洋画)、地階の上六地下劇場(邦画)です。小学生新聞を取っていた時、日曜の朝に使える子供用の映画割引券が付いており、それでたくさん見ましたが、その時代でよく覚えているのは、「妖星ゴラス」(星が地球に衝突しそうになり、それをどう防ぐかという…
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大阪探訪142 大学合格報告のため清風学園に勤めていた中学校時代の担任を親友と訪ねる・過分なご馳走にあずかって恐縮…

 上六散策をした時に、久しぶりに清風学園中学・高校の前を通りました。昔と校舎がすっかり建て替わっていました。F君と自転車で大阪府立高津高校まで通学していた時は、この前を通っていましたし、二人が浪人して大学に合格した時、当時、清風学園に勤めていた、大阪市立天王寺中学校時代の担任だった林野彰先生(クラス替えがありませんでしたから、三年間担任…
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大阪探訪141 子供の頃から馴染みの上六・近鉄上本町駅、近鉄デパート、結婚式を挙げた教育会館、その夜泊まった都ホテル

 小学校時代時代からの親友であるF君の家に行く前に、上六界隈をぶらりと散策しました。近鉄の上本町駅は、高校時代、F君と一緒に歩いて大阪府立高津高校に通う時、前をいつも通っていましたし(後半は自転車通学に切り替えたため、清風学園の前を通る別ルートになりましたが)、植村武先生の奈良・西ノ京の家での歌会に参加する際、F君と一緒にこの駅から電車…
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大阪探訪140 地蔵盆で踊った子供の頃・軒先に掛かっていた四角い行燈・「線香買うて」と子供が回ったという短歌

 今、パソコンを使って短歌誌の次号の編集に取り組んでいますが、短歌会の会員の作品に、地蔵盆を詠んだものがあります。昔は子供たちが家々を回って「線香買(こ)うて」と言ってきたが、今はそういう風習がなくなってしまった寂しさが歌われている歌です。  私も子供の頃は、町内で地蔵盆があり、お地蔵さんのところで、盆踊りを踊るとお菓子がもらえ、それ…
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三成の実像2426 大阪探訪137 大坂の寺町形成

義母の三回忌法要が、10月7日に妻の実家の菩提寺である大阪市天王寺区下寺町の金台寺で営まれましたが、生まれて4ヶ月余りの甥も義妹夫妻に伴われてアメリカから参列していました。その時のことはフェイスブックの方で記しています(https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7?ref=brem)。 …
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石田三成の実像1818 堺めぐり4「山上宗二供養塔 一会塚」・南宗寺と大徳寺からわかる利休との関係

写真は堺の南宗寺の塔頭の天慶院の前にある「山上宗二供養塔 一会塚」を5日に撮ったものです。山上宗二は千利休の高弟でしたが、小田原攻めの際、秀吉によって惨殺されました。利休が切腹させられるのは、その翌年のことです。 南宗寺に千利休一門の供養塔があり、山上宗二の供養塔も南宗寺の塔頭の天慶院にありますし、南宗寺を再建した(創建した…
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石田三成の実像1817 堺めぐり3 「さかい利晶の杜」・秀吉が利休の娘に懸想した話の疑問点

 写真は堺の千利休屋敷跡のすぐ西隣に建つ「さかい利晶(りしょう)の杜」の施設を撮ったものです。昨年オープンしたばかりで、このような建物ができているのは知りませんでした。千利休茶の湯館、与謝野晶子記念館などが中に入っていますが、今回は時間がなくて、観覧できませんでした。堺が生んだ二大偉人に関する施設ですから、近々改めて訪ねたいと思います。…
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石田三成の実像1816 堺めぐり2 公開されている千利休屋敷跡・切腹理由についてのガイドさんの説明

  写真は堺の宿院の千利休屋敷跡にある井戸を5日に撮ったものです。千利休屋敷跡に行ったのは数年ぶりのことですが、驚いたことは、敷地の中に入れ、井戸のそばまで近づけることができるようになっていたことであり、ガイドさんも待機していて、詳しい説明を受けることが出来たことです。以前には柵があって、遠くからしか眺めることしかできませんでした。 …
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石田三成の実像1815 堺めぐり1 三成と南宗寺を再建した沢庵、大仙公園の茶室、行長ゆかりの松

   写真は堺の南宗寺の拝観入口(入って右に行ったところに受付があります)を5日に撮ったものです。今回は残念ながら、時間の関係で中の拝観はしませんでした。私は今までに何回も拝観しています。  南宗寺は、大坂夏の陣で焼け、沢庵和尚が再建しました。沢庵和尚は三成と親しく、三成が奉行職を解かれて佐和山に隠居後、母の菩提を弔うために佐和山に瑞…
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大阪探訪138 天王寺公園にあった図書館 大坂の陣52 方広寺鐘銘事件の前に家康は戦い準備

  写真は天王寺公園の芝生広場からあべのハルカスを4月29日に撮ったものです。広場は、家族連れで大いに賑わっていました。  かつては天王寺公園の中に図書館があり、子供の時からたびたび通っていました。最初、行った時には、大人たちに交じって入口に並んでいたところ、係員が児童館は別のところだと言ってくれて、そこまで案内してもらったことを思…
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大阪探訪137 黒田藩蔵屋敷長屋門 大河ドラマ探訪364「軍師官兵衛」109  左手の逸話の出典不明

写真は天王寺公園内にある黒田藩蔵屋敷長屋門を4月29日に撮ったものです。もとは中之島にありましたが、昭和8年にここに移築されました。   写真を撮った背に大阪市立美術館があり、写真の左側に慶沢園があります。長屋門の向こう(南側)に芝生広場があり、レストランなども設けられており、昔の天王寺公園の雰囲気とは大分違っていますが、長屋門…
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大阪探訪136 大河ドラマ探訪361「真田丸」26  大坂の陣茶臼山史跡碑・新史料による信繁の最期

写真は「大坂の陣茶臼山史跡碑」を4月29日に撮ったものです。碑には、冬の陣では家康が本陣を置き、夏の陣では真田幸村が本陣を置いたという記載があります。この碑は2014年9月9日、「大坂の陣400年記念モニュメント」として設置されたものであり、前に茶臼山を訪ねた時には建っていませんでした。このあたりで歴史散策をしているグループを見かけ…
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三成の実像1610 大河ドラマ探訪359「真田丸」24三成の描き方9 堺奉行3 玉造とフランク三浦

 昨日の関西テレビの番組「よーいどん」の「となりの人間国宝さん」のコーナーで、織田信成さんが、真田幸村で盛り上がる玉造の町を歩いていました。「真田丸」のジオラマが置いてある店の人に、「真田幸村と織田信長はどちらが強いんですか」という無茶な問いを発していました。店の人は時代が少し違うとことわりながらも、「織田信長」と答えていました。…
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大阪探訪135  ドラマ探訪43「あさが来た」17 セット公開1 白岡家の庭・浅子の碁の堅実な打ち筋

写真はNHK大阪放送局で公開されていた朝ドラ「あさが来た」のスタジオセットのうち、白岡家の庭を3月末に撮ったものです。もうすでに公開は終わっていますが、行った時はドラマ人気も手伝って大いに賑わっていました。白岡家、加納銀行などのセットの他、ドラマで使われた衣装、小道具も多く展示されており、ドラマの場面をいろいろと思い出させる工夫がさ…
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大阪探訪134 芝川ビル  ドラマ探訪41「あさが来た」16 女子大学の候補地だった府立清水谷高校

 写真は芝川ビルを2月に撮ったものです。外観は何度も見ていますが、「船場のおひなさま」展の際に初めて中に入りました。館内も昭和レトロが漂っており、四階のテラスも趣きがありました。雛人形は4階の部屋に飾られていました。  朝日新聞夕刊に連載されている「大峰伸之のまちだね」には芝川又右衛門が、日本女子大学創設に関して、5年間で2000円…
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大阪探訪133  ドラマ探訪40「あさが来た」15 「金銀貨売買之義に付き嘆願書」 広岡信五郎の実像

 写真は大阪取引所のギャラリーに展示されていた「金銀貨売買之義に付き嘆願書」を2月に撮ったものです。明治17年(1884)のもので、署名欄に「広岡信五郎」の名が記されています。朝ドラ「あさが来た」のあさの夫である白岡新次郎のモデルになった人物です。  ドラマでは、最初の頃こそ、商売もせず、三味線などのあそび事にふける人物として描いてい…
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大阪探訪132ドラマ探訪39「あさが来た」14五代友厚製藍所西朝陽館跡・五代の生涯4 ニュービジネス

 写真は五代友厚製藍所西朝陽館跡碑(写真に向かって一番左側)を1月に撮ったものです。堂島川の北側にあり、福沢諭吉誕生地碑・中津藩蔵屋敷跡碑を東に行ったところにあります。写真に向かって一番右側には、大村藩蔵屋敷跡碑が建っており、このあたりは江戸時代はずらりと各藩の蔵屋敷が立ち並んでいました。そのさまを想像すると、当時の活気がよみがえってく…
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大阪探訪131 過激な本音トークの「わざわざ言うテレビ」・メッセンジャーの漫才・黒田さんの破局

写真はテレビ大阪付近を2月6日に撮ったものです。豊臣期大坂城の発掘調査の現地説明会を行く時に通りました。「わざわざ言うテレビ」の番組の宣伝看板が飾られていました。以前は「たかじんのNOマネー」の看板が掲げられていましたが、番組が終わり、昨年新しく始まったこの番組の看板に変わっていました。  「わざわざ言うテレビ」は、メッセンジャーの…
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大阪探訪131 「船場のお雛さま」展 生駒家の雛人形にまつわる話・ 船場の商家の雰囲気

 写真は生駒ビルヂングに飾られている、小さな雛飾りを2月27日に撮ったものです。「船場のお雛さま」展の会場の一つでしたが、残念ながら、ビルの中には入れず、外から眺められるだけでした。しかし、幸いなことに、ひな人形は撮影できました。その点、伏見ビル、柴川ビルのひな人形は撮影禁止でした。生駒家の雛飾りについて、そばの説明版には、次のような悲…
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