テーマ:評論探訪

大阪探訪71 全興寺の地獄堂も「ごぶこぶ」で訪問・冷やしあめ  評論探訪27 梅原猛氏「地獄の思想」

。 写真は大阪市平野区の全興寺の境内にある地獄堂を3月4日に撮ったものです。この地獄堂も昨年7月9日に放送された「ごぶごぶ」の「レトロな町平野でゆっくりしよ」と題する回の中で浜田さんと田村さんが訪ねていました。  お堂の中に、閻魔大王や地獄の鬼が安置されており、銅鑼をたたくと、閻魔大王の声と地獄の映像が流れるようになっています。もっと…
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評論探訪26  森本哲郎氏「不易流行」 今の日本は流行ばかりを追い求め、「古」を顧みることがない 

  森本哲郎氏の評論「不易流行」を教材で取り上げたことがありますが、その評論の趣旨は、これからの世の中には、不易(いつまでも変わらないこと)と流行の両方が大事であり、必要だということです。今の日本は流行ばかりを追い求め、「古」を顧みることがなくなっていると筆者は述べていますが、そういう傾向が大いにあります。  それは今に始まったことで…
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評論探訪25 今村仁司氏「市民社会化する家族」3 それぞれの世代の人がふさわしい生き方のリズムを保つ

 筆者は市場社会の闘争関係を家族に持ち込んだとして、市場経済上での利益を得るために、それぞれの人間が他との闘争状態に入ったことを人間関係の暴力化と言っています。子供も子供のままではいられず、早く市民になるよう強制され、老人は老人で、社会が加速度的に老人を生産しながら、その老人を排除するというパラドックスを生み出していると筆者は言っていま…
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評論探訪24 今村仁司氏「市民社会化する家族」2 家族の全面的な消滅が資本主義の理想

  筆者は家族と市民社会の関連を振り返る必要があるとして、そのことを次の段落で論じています。核家族化を若い世代は歓迎し、老年層は嘆かわしいと見なしますが、そういう当事者たちの見地から離れて、グローバルな視点から見た核家族化のプロセスを筆者は見ていっています。  近代の合理的な経済制度により共同体のメンバーや土地がばらばらにアトム化した…
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評論探訪23 今村仁司氏「市民社会化する家族」1 近代家族のあり方を反省する必要

 今村仁司氏の「市民社会化する家族」という評論を二度ばかり取り上げたことがあります。家族の問題を考えるのに格好の教材です。  筆者は第一段落で封建的な大家族制から近代家族である核家族への移行を、政治的経済的なデモクラシーの発展と共に進んできたこととして、一昔前までは肯定的に評価されてきたと述べた上で、大量消費社会を経験した今、近代家族…
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評論探訪22・古典文学探訪140  梅原猛氏「水底の歌」 柿本人麻呂の水死刑説・猿丸大夫と同一人物説

柿本  私は学生時代から梅原猛の本をたくさん読んできましたが、その手始めとなるのが「水底の歌」でした。この書では今まで身分が低く地方官を務めていたとしていたとされる柿本人麻呂が、本当は身分が高かったにもかかわらず、藤原氏によって官位を剥奪され、流罪となって、水死刑を与えられたとする新説が述べられています。  梅原氏によれば、人麻呂の…
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評論探訪21  梅原猛氏「聖徳太子Ⅱ」 江戸時代、悪い扱われ方をしていた聖徳太子

 聖徳太子もまた、江戸時代においては、三成と同様悪い扱われ方をしていたことを、梅原猛氏の「聖徳太子Ⅱ」を読み直して、改めて知らされました。  儒学者の林羅山が仏教と云う邪教を広めた責を太子に負わせています。崇仏派の蘇我馬子が、臣下の身分で天皇予定者の穴穂部王子を殺したのは許せないと林羅山は言い、聖徳太子は皇室の一員として穴穂部を殺した…
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評論探訪20  丸山真男氏「『である』ことと『する』こと」2 二つの行動様式の間で悩む日本人

 第三段落では、「である」社会と「である」道徳の典型的な例として、江戸時代のことを述べています。人間の身分によってどうふるまうかが決まり、討議の手続きやルールを作らなくても、「らしく」の道徳にしたがって、話し合いが成立すると言います。公共道徳などというアカの他人の間のモラルは発達しないし、発達する必要もないというわけです。   しかし…
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評論探訪19  丸山真男氏「『である』ことと『する』こと」1 「する」価値が侵入しているのが過近代的

 丸山真男氏の「『である』ことと『する」こと」は評論のオーソドックスなものであり、今まで授業で何回か扱いました。長い評論なので、途中で切り上げたこともありますが、その際も、最後の結論部分は説明を加えました。  筆者はまず第一段落で「である」ことに安住していると「する」ことを喪失してしまうと述べ、その例として時効、日本国憲法、社会的自由…
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評論探訪18  山崎正和氏「水の東西」 鹿おどしと噴水を対比させて日本と西洋との文化の違いを論じる

 「水の東西」は、鹿おどしと噴水を対比させながら、日本と西洋との文化の違い、伝統の違いというものにまで踏み込んでいる、短い評論です。高校の国語総合のほとんどの教科書に取り上げられており、定番の教材だと云え、私も今まで何回か授業で取り上げました。  鹿おどしは単純な緩やかなリズムが繰り返されるという点から、人生のけだるさが感じられると筆…
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評論探訪17  鷲田清一氏「自由の制服」 匿名の制服の中に隠れることができるプラス面

 鷲田清一氏の「自由の制服」は「制服」と「自由」という本来、正反対だと見られがちなものを見事に結びつけて、独自の制服論を展開しているところが光ります。  筆者はまず、制服というものは不自由の代名詞であり、画一性と没個性のしるしみたいに思われていると述べています。しかし、歴史的な経緯を見ると、もともと、制服は自由の象徴として作られたもの…
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評論探訪16  森本哲郎氏「やっぱり」2 世間体を気にする日本人・「受験生ブルース」の歌詞

 日本では民族と国民がほぼ一つになっていると筆者は述べていますが、実際はアイヌ民族もいて、単一民族ではないと私は言いました。在日外国人の人の存在も忘れてはならないでしょう。  同質社会のプラス面とマイナス面を筆者は明らかにしています。プラス面は気楽であり、暗黙の合意が成り立つという点であり、逆にマイナス面は、考え方まで同じでなければな…
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評論探訪15  森本哲郎氏「やっぱり」1 すべてにわたって予感に似たものを抱いている日本人

  森本哲郎氏の著書の中で私が特に興味を持ったのが「ある通商国家の興亡・カルタゴへの遺書」です。ローマ帝国に滅ぼされたので、カルタゴのことはすっかり忘れられていますが、文化水準の高い通商国家が形成されていたことがその書で明らかにされており、私自身、大いに目を開かされました。  その森本哲郎氏の「やっぱり」は五段落構成の短い評論で、授業…
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評論探訪14  村松貞次郎氏「私のモノ学」4 文化性を重視し、多様性、個性を生み出す手仕事

 村松貞次郎氏「私のモノ学」の続きですが、 第六段落では、具体例5として、モノの変化を敏感に聞き分ける伝統楽器の職人の耳が挙げられています。蚕が食べる桑の木の肥料が化学肥料に変わったため、その蚕が紡ぎ出した生糸で作った琴の音色が違うことを職人が聞き取ったということが書かれています。  その蚕ですが、昔は文房具屋で売っており、私も小学生…
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評論探訪13  村松貞次郎氏「私のモノ学」3  創意工夫を凝らした文化祭での取り組み

 筆者は、自然に対するナイーブな感性が麻痺するとしたら、それは文明にではなく、文化に影響を与えずにはおかないと主張しています。筆者は文明と文化を使い分けているのですが、文明は技術的、物質的発展にかかわるものであり、文化は精神の営みにかかわるものだと説明しました。  高校では文化祭というものがありますが、単なるお遊びではなく、精神の営み…
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評論探訪12  村松貞次郎氏「私のモノ学」2 木造建築の理想

 第三段落では具体例の2番目として、日本の木造建築を美しく維持してきた徹底的な手入れの伝統について述べられ、中でも拭き掃除の大切さが強調されています。俳句の季語に家屋のメンテナンスにかかわる言葉が多く、生活に根ざした年中行事が少なくない証拠だと言い、そういう季語として「炉開き」「障子貼る」などいろいろな挙げられています。  ここで生徒…
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評論探訪11  村松貞次郎氏「私のモノ学」1 職人の手仕事の生産知に学ぶ・躾は和製漢字

 建築史家の村松貞次郎氏が書いた評論であり、形式段落で八段落から成り立っています。  筆者は第一段落で、最近モノ離れという言葉がしきりに使われているが、それは使い捨ての、消費は美徳という魂胆、策略があるのではないかと分析し、モノを離してはならないと主張しています。モノとの心の交流が精神世界を高めるのであって、職人の手仕事に注目すること…
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評論探訪10 真木悠介氏「旅のノートから」 時間を生きるメキシコ人と時間を活用する日本人

真木悠介「旅のノートから」で述べられているのは、筆者がメキシコでの体験によって知った、時間に対する日本とメキシコとの考え方の違いです。メキシコ人は、列車を途中で止めてたっぷりと時間を取り、野外バーベキューを楽しんだり、売り手が買い手と長い間おしゃべりしながら、値段の駆け引きをしたりして、人と人との豊かな交流を生み出すゆったりとした時…
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評論探訪9 養老孟司氏 「個性とは何か」2 個性とはかけがえのない自分の存在そのもの

 筆者は日本人が評価する心的な自己について二つあると言っています。一つは自分が考える自分であり、もう一つは他人が見る自分です。前者がなぜ存在するかについて、筆者は異なった性質を持つ脳の機能を統一し、個体性を維持するためだと説明しています。脳の機能が複雑なため、それを統一する「考える自分」が人間には必要だというわけです。  人間の脳の素…
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評論探訪8 養老孟司氏 「個性とは何か」1 個性とは心の問題ではなく身体であるという独特な見方

 養老孟司氏はその著作である「バカの壁」の大ヒットで一躍有名になった解剖学者です。歯に衣を着せぬ言い方や、独特の発想で、一般の多くの人々を惹きつけていますが、この「個性とは何か」という評論ももユニークな捉え方がなされています。  養老孟司氏はまず冒頭で個性についての一般的な考えを明らかにしています。すなわち、個性とは心の属性であり、自…
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評論探訪7 杉本卓氏「メディアに軽重はあるか」2 この評論が書かれた当時の時代性

 杉本卓氏「メディアに軽重はあるか」の第四段落では、介在物の存在について述べられています。ある道具が親密なものであれば、その道具を使ったことは意識されないと述べ、その例として盲人にとっての杖や、ボールペンの手紙に慣れている人にとっての、ボールペンのインキの存在を挙げています。それらは介在物が存在しない例ですが、逆に介在物があると、相手と…
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評論探訪6 杉本卓「メディアに軽重はあるか」1 電子メールは優しいメディア

 筆者はまず、ある大学生が指導教授に就職の推薦状の依頼を電子メールでしたところ、ひどく怒られたという話から始めています。そんな依頼はメールでするようなものではないというのが、教授の言い分です。  私が生徒にそれをどう思うかと問うたところ、クラスで差はあるものの、半数以上の者が、電子メールでするべきではないという方に手を挙げました。直接…
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評論探訪5 中村明氏「ニュアンスの文法」1 変な日本語や、日本語の特徴的な表現の例

 この評論は国語学者の日本語論であり、日本語について生徒にいろいろ考えてもらうのも学習の目的の一つですから、この教材を扱った時(6年程前ですが)は、授業を進めながら、変な日本語や、日本語の特徴的な表現の例を考えて書いてもらいました。  まず私の方でいろいろ例を挙げました。店のレジ係の言葉「一万円からお預かりします」の「から」は変だとい…
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評論探訪4 東儀秀樹氏「雅楽のバイブレーション」2 雅楽を基盤にして感性と思考の広がりの輪を作ろう

 東儀秀樹氏の「雅楽のバイブレーション」の第三段落では雅楽の舞について述べられています。雅楽の舞にはあらすじや意味らしい意味はなく、抽象画を見た時と同じようなもので、気持ちよさを味わうものであり、雅楽の舞は動きとリズムを楽しむものだと言っています。  東儀秀樹氏が舞っている時、まばたきもしないし、黒目も動かないが、それは宇宙と一体化し…
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評論探訪3 東儀秀樹氏「雅楽のバイブレーション」1 人間の原始的な素であるときの感覚を思い起こさせる

 現代文の時間に扱った教材です。東儀秀樹氏が演奏する雅楽のテープを実際に流しながらの授業でした(雅楽を実際に聴くことで教材の内容の理解が深まると考えたからです)。雅楽だけではなく、東儀秀樹氏が新たな音楽を作ったり、有名な曲を雅楽器で演奏したりしているテープも流しましたし、文中にドビュッシーも登場しますので、「牧神の午後への前奏曲」や「月…
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評論探訪1 中村雄二郎氏「好奇心」2

  筆者は旅が私たちの好奇心を突き動かすと言い、好奇心は普通もの好きで、物事をやたら穿鑿するものというふうに悪くとられますが、そうではなく、人間の知的根源をなす情熱、つまり知的情熱だと第一段落を締めくくります。  第二段落では、情念、情熱の二面性を述べています。普通、これらのものははしたないもので、人間の心を乱し、真理から遠ざけるもの…
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評論探訪1 中村雄二郎氏「好奇心」1 旅は新鮮な驚きや強い感動を与え、未知と偶然の要素を多く含む

 今まで現代国語や現代文の授業で数々の評論を扱ってきました。評論の読解では筆者は何をどう言おうとしているのか、どういう論理展開で論を進めているのか、その内容をきちんと読み取ることが求められます。正確な読解ができているのか、それを確かめるためにいろいろと生徒に発問して、正解を引き出すことなどを通じて、授業を進めることを心がけました。しか…
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