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関ヶ原の残党、石田世一の文学館
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三成の実像2098 大西泰正氏「シリーズ【実像に迫る】宇喜多秀家」1 秀吉遺品の初花肩衝
 大西泰正氏の「シリーズ【実像に迫る】 宇喜多秀家」(戎光祥出版)を読みました。大西氏には、これまでもご著書や玉稿をいただき、いろいろとお世話になっています。「宇喜多秀家」は写真が多数掲載され、一般読者に向けて内容的にもわかりやすく、宇喜多秀家の事績を知るにはふさわしいものになっています。  同書では、宇喜多秀家が、これまで考えられてきたような「貴公子」ではなく、特に関ヶ原の戦い以後は、「案外したたかな人物であった」ことが指摘され、また秀家の父親の直家についても、「梟雄(きょうゆう)」といった... ...続きを見る

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2017/11/20 10:44
三成の実像2097 真如堂の海北友松の墓 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記」81
三成の実像2097 真如堂の海北友松の墓 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記」81   写真は京都の真如堂にある海北友松の墓(向かって右側)を一昨日撮ったものです。左隣は信長の重臣だった斎藤利三の墓です。三成と海北友松とは親しい関係であり、慶長3年(1598)5月29日から7月15日にかけて友松は、三成の九州下向に同行しています。秀吉が亡くなったのは8月18日ですから、その直前のことです。拙ブログで前述したように、その時の様子を記した「兼如筑紫道中記」が、「海北友松展」に展示されていました。兼如とは連歌師の猪苗代兼如のことです。  友松は斎藤利三や真如堂の東陽坊長盛とも親しい... ...続きを見る

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2017/11/19 10:33
三成の実像2096 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」80
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「言経卿記」の9月29日条には、「安国寺恵瓊・石田三成・小西行長等が大坂・堺等で引き回された」と記されています。  わざわざ「引き回された」というのは、見せしめのためでしょう。三成は大坂城で政務を執り、堺奉行を務めた人物であり、小西行長も豊臣政権のもとで朝鮮の役などで活躍し、堺に屋敷を... ...続きを見る

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2017/11/18 18:08
三成の実像2095 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」79
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「左大史孝亮記」の9月27日条には、「この度、家康の敵となった者を預かり置く人がいるかどうか、という吟味があったので、ない旨を申し遣わした」と記されています。  これと関連して、「時慶記」の同日条にも、「家康は敵方の預り物が無い旨の書状を出すように求めてきたので、その書状を遣わした」と... ...続きを見る

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2017/11/17 19:04
三成の実像2094 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」78
 先週の金曜日、紫式部の邸宅跡に建つ京都の盧山寺の特別公開に行ってきましたが、フェイスブックの方でそのことを「源氏物語」の内容などと絡めて数回にわたって写真入りで記しています。  https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7 ...続きを見る

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2017/11/16 10:36
三成の実像2093 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」77
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「言経卿記」の9月25日条には、次のような記載があります。  「毛利輝元が大坂城から退いて(大坂の)木津(の毛利家屋敷)に向った、ということである」と。  木津に移住したことは、拙ブログで前述したように、「島村淡路守覚書」に記されています(穴井綾香氏「毛利輝元の居所と行動」)。  ... ...続きを見る

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2017/11/15 21:45
三成の実像2092 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」76
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「義演准后日記」の9月24日条には、次のような記載があります。  「義演が家康への礼のため大津城へ行く。山科七郷は目の及ぶところすべて陣取りをしているので、不便である。徳川秀忠が伏見へ来た、ということである」と。  豊臣政権とつながりの深い醍醐寺の義演までが、家康にお礼の挨拶に行って... ...続きを見る

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2017/11/14 10:18
三成の実像2091 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」75
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「左大史孝亮記」の9月24日条には、石田三成についての記載もあります。  すなわち、「極攝エ(清極揩フ誤記ヵ)少納言と予(小槻[壬生]孝亮)は同道して大津へ向かい、家康へ御礼を申し上げた。越前国において石田三成を搦め取り、(家康がいる)大津城のあたりに置いた、と今日聞いた。また、小西行... ...続きを見る

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2017/11/13 10:24
三成の実像2090 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」74
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、いくつかの日記の9月23日条には、安国寺恵瓊の捕縛についての記載があります。  「左大史孝亮記」には、「白昼、(京都の)六條において安国寺恵瓊を搦め取り、(家康がいる)大津に引き渡した」と記されています。  「言経卿記」には、「安国寺恵瓊が寺内にて生け捕られた。興門内の端坊において生... ...続きを見る

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2017/11/12 10:38
三成の実像2089 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」73
 4日の佐和山登山や妙源寺の法要、5日の三成祭については、写真入りでフェイスブックの方でも紹介しています(現在進行形で、まだ途中ですが)ので、興味のある方はそちらの方もご覧ください。  https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7    さて、白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていま... ...続きを見る

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2017/11/11 00:12
石田三成の実像2088 三成祭5 下高大輔氏講演「豊臣政権が完成させた佐和山城」4 彦根城との比較
 5日に石田会館で行われた、下高大輔氏の講演会「豊臣政権が完成させた佐和山城」では、彦根城における佐和山城の面影についても触れられ、佐和山の石垣が彦根城の鐘の丸西面石垣に、佐和山城の瓦は彦根城の太鼓丸出土瓦に使われていると述べられていましたが、配布資料に、使われている場所や出土状況の写真が掲載されていました。両城の曲輪の名称や配置に共通するところが多いが、決定的に違うのは、大手道の向きであり、佐和山城の大手が東国を向いているのに対して彦根城の大手が大坂の方を向いていると述べられていました。  ... ...続きを見る

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2017/11/10 10:15
石田三成の実像2087 三成祭4 下高大輔氏講演「豊臣政権が完成させた佐和山城」3 二度の大改修
 5日に石田会館で行われた、下高大輔氏の講演会「豊臣政権が完成させた佐和山城」で、佐和山が国の史跡指定を受けていないという話がありました。指定を受けるためには報告書を書かなければいけないが、その段階でとどまっていると述べておられました。指定を受けなければ、開発が進んいき、大事な遺構も失われていく可能性があり、史跡指定が急務だと思いました。  講演会の題名に「豊臣政権が完成させた佐和山城」とありますが、佐和山城は三成の居城として有名なものの、佐和山城を大改修して完成させたのは堀尾吉晴と三成だった... ...続きを見る

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2017/11/09 18:45
石田三成の実像2086 三成祭3 下高大輔氏講演「豊臣政権が完成させた佐和山城」2 三成屋敷と米蔵
5日に石田会館で行われた、下高大輔氏の講演会「豊臣政権が完成させた佐和山城」で、モチノキ谷にあった三成屋敷の跡が赤色立体図の平坦な広い場所と推定されていましたが、その屋敷は三成が代官として入った蔵入地(城米蔵)管理屋敷の可能性があるとも指摘されていました。  三成は天正19年(1591)4月頃、三成は美濃に所領を持ち、近江湖北・美濃で4万5千石の蔵入地を管理する代官として佐和山に入ったと述べられていました。三成の屋敷は城米蔵のそばにあったことについては、米蔵跡がモチノキ谷にあったと「沢山古... ...続きを見る

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2017/11/08 11:31
石田三成の実像2085 三成祭2 徳明寺の資料展2 織部から贈られた茶碗と書状 下高大輔氏の講演1
 三成の出生地である長浜市石田町の徳明寺で5日に開かれていた「石田三成公関連資料展」ですが、展示されていた3点のうち、もう1点は、井戸茶碗であり、寺では古田織部から三成に贈られたものだと伝わっているそうです。 その古田織部の書簡が3点目ですが、次のような内容です。  「近日は(御無沙汰しているが)、何の花でもよいので一本いただきたいと思います。また、そちらへ参るので、相談させてもらいたいことがあります。あなたの意見を聞きたいと思っています」と。  その書簡の解説は次の通りです。  「江戸時... ...続きを見る

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2017/11/07 11:55
石田三成の実像2084 三成祭1 法要 徳明寺の資料展1 慶長6年の三成縁者の書簡
 昨日は三成の出生地である長浜市石田町で行われた三成祭に参加しました。私は2000年に初めて参加して以来、2回程用事で行けなかったことがありますが、ここ何年かは毎年行っています。今年は映画「関ヶ原」が公開し大ヒットし、三成の描き方も好評だったということもあってか、参加者の数も多く、例年以上に模擬店も多く、大いに賑わっていました。午前中の三成公417回忌法要も、参列者が多く、焼香する人々が後を絶ちませんでした。若い人が増えているのもここ何年かのことです。  法要終了後、石田会館で抹茶をいただい... ...続きを見る

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2017/11/06 18:42
三成の実像2083 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」72
 昨日は、佐和山城跡へ登り、彦根の妙源寺での三成と嶋左近の法要に参列し、今日は長浜市石田町での三成祭(法要と講演会)に参加しましたが、その報告は改めて詳述します(フェイスブックの方でも)。  さて、白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「北野社家日記」の9月22日条には、次のような記載があります。  「今朝、北野天満宮の祠... ...続きを見る

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2017/11/05 21:37
三成の実像2082 白峰旬氏「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」71
 白峰旬氏の「在京公家・僧侶などの日記における関ヶ原の戦い関係等の記載について」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、その「時系列データベース」(慶長5年3月〜同年12月)がまとめられていますが、「義演准后日記」の9月21日条には、次のような記載があります。  「陣替えがあり、急に逗留があった。大坂(城)の毛利輝元の和睦(『アツカ(『ヒ』脱ヵ)』)について風聞がある」と。  この記載についての白峰氏の解説は次の通りです。  「このことは、この時点(9月21日)でも毛利輝元と... ...続きを見る

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2017/11/04 00:04
石田三成の実像2081 「諸説あり!関ヶ原の戦い 第二弾」5 白峰旬氏の見解3
 今日から彦根入りしています。昼間は「ひこねの城祭りパレード」を見てきましたが、詳細はフェイスブックの方で写真入りで紹介しています。興味のある方はご覧ください。  https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7 ...続きを見る

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2017/11/03 20:22
石田三成の実像2080 「諸説あり!関ヶ原の戦い 第二弾」4 白峰旬氏の見解2
 BSで放送された「諸説あり!関ヶ原の戦い 第二弾」の中で、関ヶ原の戦いは政治的に追い込まれて絶体絶命だった家康にとって大きな賭けだったという白峰氏の見解が取り上げられていました。  家康の人物像は徳川幕府の治世下で神格化されたため、家康は勝つべくして勝ったというイメージが定着してきたが、一次史料を読み解くと、必ずしも家康に戦う大義名分はなかったと白峰氏は説き、その根拠として二つ挙げられていました。  一つ目は、東軍結成のきっかけとなった小山評定の信憑性です。小山評定の史跡碑には、東軍の勝利... ...続きを見る

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2017/11/02 10:40
石田三成の実像2079 「諸説あり!関ヶ原の戦い 第二弾」3 高橋陽介氏の見解3 白峰旬氏の見解1
 BSで放送された「諸説あり!関ヶ原の戦い 第二弾」の中で、一次史料から家康は通説とは違って桃配山に布陣していず、関ヶ原に来ていなかったため、家康の見せ場は一切なかったという高橋陽介氏の新解釈も取り上げられて、その根拠として二つ挙げられていました。  その一つ目の根拠は、9月17日付吉川広家自筆書状案に、関ヶ原に向った東軍の先陣の武将として、福島正則、黒田長政、加藤嘉明、藤堂高虎の名が記されているものの、徳川家家臣や家康の名は記されていないことです。また梵舜の日記「舜旧記」にも、東軍の先陣は、... ...続きを見る

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2017/11/01 10:28

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