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石田三成の実像754 中野等氏「文禄・慶長の役」2「石田三成の居所と行動」3 上陸前後
中野等氏は「戦争の日本史16 文禄・慶長の役」の中で、秀吉が朝鮮半島上陸に先行する事前交渉を小西行長と宗義智に委ねており、事前交渉は3月中をめどとしており、それまでの軍令はいずれも対朝鮮交渉が順調に進むことを前提にしていたと論じておられます。 小西行長は事前交渉のため、名護屋をいち早く発し、3月12日(1592年)には対馬に入っているものの、この滞在はひと月に及んだと指摘されています。この間の直接的な史料はないものの、行長は書を託した景轍玄蘇を使者として朝鮮に派遣し、「仮途入明」(「仮道入... ...続きを見る |
2012/01/30 23:20 |
古典文学探訪140・石田三成の実像753 「木曽の最期」5 今井の自害・為久が三成の先祖だとする説
石田次郎為久が放った矢が木曽義仲に当たりましたが、致命傷なので、木曽殿が甲の正面を馬の頭に当ててうつぶせになっておられるところへ、石田の家来二人が駆け寄って、とうとう木曽殿の首を取ってしまいました。ここのところ、本来の言い方だと「取りてけり」ですが、「取つてんげり」と言い方になっており、リズム感が生みだされていますし、とうとうあの名高い英雄の木曽殿の首を討ち取ったという高揚感も表れています。 普通なら甲を射抜かれることはなかったでしょうが、木曽殿が振り向いて顔を上げたその一瞬のすきを突いた... ...続きを見る |
2012/01/29 22:11 |
評論探訪22・古典文学探訪140 梅原猛氏「水底の歌」 柿本人麻呂の水死刑説・猿丸大夫と同一人物説
柿本 私は学生時代から梅原猛の本をたくさん読んできましたが、その手始めとなるのが「水底の歌」でした。この書では今まで身分が低く地方官を務めていたとしていたとされる柿本人麻呂が、本当は身分が高かったにもかかわらず、藤原氏によって官位を剥奪され、流罪となって、水死刑を与えられたとする新説が述べられています。 梅原氏によれば、人麻呂の死んだ場所とされているのが、石見国の高津川の河口にあった鴨島であり、その地に神社が建てられ人麻呂は神と崇められましたが、鴨島は万寿元年(1026年)の大津波で海中... ...続きを見る |
2012/01/28 23:52 |
評論探訪21 梅原猛氏「聖徳太子U」 江戸時代、悪い扱われ方をしていた聖徳太子
聖徳太子もまた、江戸時代においては、三成と同様悪い扱われ方をしていたことを、梅原猛氏の「聖徳太子U」を読み直して、改めて知らされました。 儒学者の林羅山が仏教と云う邪教を広めた責を太子に負わせています。崇仏派の蘇我馬子が、臣下の身分で天皇予定者の穴穂部王子を殺したのは許せないと林羅山は言い、聖徳太子は皇室の一員として穴穂部を殺した馬子の罪を問い、馬子を殺すべきだったのに、それをせず、かえって廃仏派の物部守屋を殺してしまったことを問題視しています。林羅山は聖徳太子が仏教ではなく儒教を広めたと... ...続きを見る |
2012/01/27 23:56 |
大河ドラマ探訪113「平清盛」6第2回「無頼の高平太」2・第3回「源平の御曹司」1 崇徳は不倫の子?
ドラマでは崇徳天皇は白河法皇と待賢門院との不倫の子であるという描き方になっており、第3回「平清盛」では鳥羽上皇が待賢門院に向かって、「自分の種ではない、先の院(白河法皇)の子であるみかど(崇徳天皇)をわが子のように慈しめとでも申すか」と言ったのに対して、待賢門院は、「叔父子(おじこ)とでもお思いになればいかがです。」と開き直って答えていました。これは「古事談」に載っている、鳥羽上皇が崇徳を嫌って「叔父子」と呼んでいたという話であり、ドラマでは逆に待賢門院が使うということに変えた形です。 私... ...続きを見る |
2012/01/26 23:57 |
石田三成の実像752 今回の「集中セミナー講座」16 真田昌幸と三成の義兄弟説に対する否定的見解
集中セミナーの講座で使ったプリントには、三成・真田・石川・大谷家略関係図も以前のように載せているのですが、その関係図では真田昌幸の妻と三成の妻は共に、これまでの通説通り宇多頼忠の娘だと記載しています。オンライン三成会編「三成伝説」の「紀伊・高野山」の章でも、真田昌幸夫人と三成夫人は姉妹であり、宇多頼忠が父親であると書かせていただきました(講座でも今まで時間がある時には、そういうふうに説明してきました)が、この通説には、拙ブログでも以前に触れたように、異論が出されていますので、今回のプリントには... ...続きを見る |
2012/01/25 23:19 |
古典文学探訪139 「平家物語」の「木曽の最期」4 今井の勇猛な戦いぶり・甲の内側を射抜かれる木曽
教科書で取り上げられている「平家物語」の「木曽の最期」の本文も小学館の「日本古典文学全集」によるものであり、高野本が底本として使われています。 今井四郎が木曽殿に「ただただ粟津の松原へお入りください」と申し上げ促したので、木曽殿は「それならば」と言って松原へ馬を走らせなさると書かれています。その後、今井四郎が大活躍する場面が描かれています。今井はただ一騎で、敵の50騎ほどの中に駆け入り、鐙を踏ん張って立ち上がり、大音声を挙げて名乗ります。ここが当時の武士らしいところであり、まず相手に自分の... ...続きを見る |
2012/01/24 23:56 |
評論探訪20 丸山真男氏「『である』ことと『する』こと」2 二つの行動様式の間で悩む日本人
第三段落では、「である」社会と「である」道徳の典型的な例として、江戸時代のことを述べています。人間の身分によってどうふるまうかが決まり、討議の手続きやルールを作らなくても、「らしく」の道徳にしたがって、話し合いが成立すると言います。公共道徳などというアカの他人の間のモラルは発達しないし、発達する必要もないというわけです。 しかし、アカの他人同士の間に関係を取り結ぶ必要が増大してくると、「である」価値だけではすまなくなり、社会関係が複雑多様になるにしたがって、「である」論理から「する」論理... ...続きを見る |
2012/01/23 23:30 |
石田三成の実像751 今回の「集中セミナー講座」15 与次郎や捕縛状況についても言及できず
今回の講座では古橋で三成を匿ったとされる与次郎についても語る時間はあく、捕縛状況についても言及できませんでした。今まで時間がある際には、与次郎のことを少し語り、三成を匿った人物がいたことについて、領民に慕われていたことを示すものだというふうに述べてきました。与次郎については、オンライン三成会編「三成伝説」の「近江・古橋」の章でも詳しく述べられています(前述した地域情報紙「長浜みーな」でも取り上げられています)。 三成が捕縛されたのは9月21日ですが、これも前に拙ブログで取り上げたように、... ...続きを見る |
2012/01/22 23:59 |
大河ドラマ探訪112 「平清盛」5 第2回「無頼の高平太」1 「平家物語」「源平盛衰記」の記述
大河ドラマ「平清盛」第2回「無頼の高平太」は清盛が11歳から12歳のころを描いていました。このあたりは本当は子役を立てるべきでしょうが、早く松山ケンイチに演じてほしいという製作者の意図があるからか、早い登場となりましたが、これは最近の大河ドラマに共通する特徴です。 清盛が高平太と呼ばれていたことについては、「平家物語」やその異本の一つである「源平盛衰記」に記載があります。治承元年(1177年)、平氏打倒を企てた西光が捕らえられた(鹿ヶ谷の陰謀)時、清盛のことを面前で「14、5歳までは朝廷に... ...続きを見る |
2012/01/21 23:40 |
石田三成の実像750 今回の「集中セミナー講座」14 三成敗走経路図
プリントには三成の敗走経路図も載せてあるのですが、それに触れる時間的な余裕はありませんでした。もっとも、その地図に記されている、三成が隠れたと云われる岩窟を訪ねたことは講座の最初の方でオンライン三成会の活動に触れた際に述べました。 この地図ですが、三成が遠回りした敗走経路図を載せており、2009年3月に発行された地域情報誌「長浜みーな」の「特集 石田三成ふたたび」に掲載されている敗走の地図も合わせて載せておけばよかったとも思っています。これは拙ブログで前にも取り上げたことがありますが、高木... ...続きを見る |
2012/01/20 23:54 |
評論探訪19 丸山真男氏「『である』ことと『する』こと」1 「する」価値が侵入しているのが過近代的
丸山真男氏の「『である』ことと『する」こと」は評論のオーソドックスなものであり、今まで授業で何回か扱いました。長い評論なので、途中で切り上げたこともありますが、その際も、最後の結論部分は説明を加えました。 筆者はまず第一段落で「である」ことに安住していると「する」ことを喪失してしまうと述べ、その例として時効、日本国憲法、社会的自由を挙げて論じています。すなわち、債権者であるという位置に安住していると、債権を喪失するし、主権者であることに安住していると主権を喪失するし、自由であることを祝福し... ...続きを見る |
2012/01/19 23:51 |
石田三成の実像749 今回の「集中セミナー講座」13 三成家臣団も載せておけばよかったと反省
関ヶ原の戦いでの三成隊の奮戦についても語りたいところでしたが、今回は時間がありませんでした。もっとも、最初の方で秀次事件に触れた際、秀次の家臣たちを三成が召抱え、彼らが関ヶ原の戦いで活躍したことについては述べましたが。 島左近については三成が四万石を与えられた時に一万五千石ないし二万石で召し抱えたという話はしましたし、杭瀬川の戦いで活躍したことは述べましたが、肝心の関ヶ原の戦いでの奮戦ぶりについては語る余裕はありませんでした。三成の陣を攻めた黒田長政の家臣たちが、後に関ヶ原の戦いの思い... ...続きを見る |
2012/01/18 23:33 |
石田三成の実像748 今回の「集中セミナー講座」12 吉川広家や毛利秀元の南宮山への布陣
南宮山に陣を敷く吉川広家が家康に内応して軍を動かさなかったということについても、今回ほとんど触れる余裕はありませんでした。むろん、今までの講座で時間がある時には、吉川や毛利秀元たちが南宮山に布陣している状態で、家康たち東軍が関ヶ原に入ってゆくのはある意味、冒険だったに違いないということを、関ヶ原の戦いの布陣図をもとに語りました。いくら兵を動かさないと約束していたとは云え、戦況によってはその約束が反故にされる可能性が全くないとは言い切れないからです。 光成準治氏は「関ヶ原前夜」の中で、西軍の... ...続きを見る |
2012/01/17 23:59 |
石田三成の実像747 大西泰正氏「明石掃部の基礎的考察」4 秀家の義兄弟・「石田三成の居所と行動」
永岡慶之助氏の「大坂の陣名将列伝」の「明石全登」では、掃部は家老ではあったが、秀家の姉を妻にしていたので、宇喜多一族の大名といった方がいいかもしれないと書かれています。掃部の妻については、森本氏の小説でも、掃部が宇喜多家に臣従(客分というのとはニュアンスが異なる気がします)する時、宇喜多直家から娘(秀家の腹違いの姉)を妻として与えられたと云われていると書かれていますが、小説の別の部分では掃部の妻は秀家の姉とも田中吉政の娘とも伝わるが定かではないと書かれており、はっきりしていません。 大西... ...続きを見る |
2012/01/16 23:56 |
大河ドラマ探訪111 「平清盛」4 第1回「ふたりの父」2 清盛を称える頼朝・正盛の時代に軍事貴族に
大河ドラマ「平清盛」はすでに第2回「無頼の高平太」が放送されましたが、録画はしているものの、まだ見ていないので、後日取り上げます。 第1回「ふたりの父」のプロローグで、源頼朝(ドラマでは語り手として設定されています)が出てきて、北条政子から壇ノ浦で平家が滅亡したという知らせを聞くところが描かれていました。その時、頼朝が「清盛なくして武士の世は来なかった」「海に生き、海に栄え、海に沈んだ平家という巨大な一門、その平家一門を築き上げた清盛こそが、乱世を生き抜いた、まことの武士だった」と清盛を評... ...続きを見る |
2012/01/15 22:27 |
石田三成の実像746 大西泰正氏「明石掃部の基礎的考察」3 「石田反逆ノ時」という記載
大西泰正氏は「明石掃部の基礎的考察」の中で、明石掃部の宇喜多氏における立ち位置・役割について、「浦上宇喜多両家記」の記述から、家老の立場にあったが、領国支配には携わらなかったということかと述べておられます。むろん、これが編纂物であることに充分留意すべきだと断っておられますが。 ところで、「浦上宇喜多両家記」で大西氏が引用されている個所には、「石田反逆ノ時」という記載があり、江戸時代に三成が反逆者扱いされていたことがわかりますが、江戸時代には概してこういう見方でした。この書の成立は17世紀後... ...続きを見る |
2012/01/14 23:01 |
韓国ドラマ探訪306 「チャンファ、ホンリョン」1 交通事故の罪を友に着せ、社長と結婚し姑を捨てる
韓国ドラマ「イヴのすべて」では、ヨンミという悪女が登場していましたが、そのヨンミに負けず劣らずなのが、「チャンファ、ホンリョン」のチャンファです。チャンファはホンリョンとは高校の同級生でありながら、自分の運転する車で人を轢いて死なせた時に、その罪を泥酔していた同乗のホンリョンにかぶせ、ホンリョンは自分がしたことと思い込み、有罪判決を受けました。しかも、チャンファは本来会うはずであったホンリョンの代わりに会社社長のテユンと知り合い、彼の心を射止めて彼と結婚します。 チャンファによって、人生を... ...続きを見る |
2012/01/13 23:58 |
石田三成の実像745 今回の集中セミナー講座11 駆け足の説明になった関ヶ原の戦い
高校生に対して行った今回の集中セミナー講座「石田三成の実像」では、時間が押してきたので関ヶ原の戦いについても詳しい説明ができず駆け足で走ってしまったのがなんとも心残りです。関ヶ原の戦いは徳川対豊臣という構図ではなく、豊臣家臣団対豊臣家臣団という位置づけであり、家康は豊臣家臣団の武断派たち大名を取り込んで反豊臣という形にせず、秀頼様のために自分に弓引く三成たちを打つという名目を立てたのが巧みなところですが、そういうことは今回は述べる時間がありませんでした(むろん、今までの講座で時間がある時はその... ...続きを見る |
2012/01/12 23:39 |
大河ドラマ探訪110 「平清盛」3 清盛の生母が白河法皇の前で殺されるというおかしな場面
大河ドラマがいよいよ始まりましたが、初回の最大のおかしな点は清盛の生母の舞子(俳優は吹石一恵)が、白河法皇(俳優は伊藤四朗)の前で殺されるという場面でした。清盛が白河上皇の落胤だという説は研究者の中にも支持する人が多くいますから問題ないとしても、白河法皇がまじないを信じて、舞子との子が将来皇室(ドラマでは王家という言われ方をしており、これはおかしいと、ネット上でも批判が加えられています。天皇も皇帝も英語ではエンペラーであり、キングである王の上に位置しますが、歴史的に見れば、天皇と名乗ったのも王... ...続きを見る |
2012/01/11 23:52 |