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大西泰正氏のブログ「閑人贅言」でオンライン三成会編「三成伝説」を紹介していただき、また過分なるお言葉もたまわり、ありがたい限りです。「意表をつかれる知見や伝承」があったとも書かれており、こういう本を出版できて本当によかったとつくづく思いました。早いもので、関ヶ原の戦いに合わせて、去年の9月15日に出版してからまもなく一年が経とうとしています。これまで、いろいろな人に見ていただき、感謝の気持ちで一杯ですが、さらに多くの人に読んでもらえれば幸いに存じます。 大西泰正氏は「日本史研究」573号(2010年5月)に「宇喜多騒動をめぐってー光成準治著『関ヶ原前夜』第5章への反論ー」を掲載しておられます。この論考を読むと、「関ヶ原前夜」で展開された光成準治氏の大西説批判がいかに当を得ていないかよく分かります。光成準治氏によれば、大西氏が宇喜多騒動をめぐって、後世の編纂物を用いていることを批判し、自分(光成氏)は一次史料のみを用いて宇喜多騒動に再検討を加えたと云いますが、大西氏は編纂物も用いているが、基本的には一次史料に基づいて検討していると反論しておられます。光成氏が宇喜多騒動の経過と原因とを検討するに当たって用いた一次史料は、その大半がすでに大西氏が用いたものであり、特に「武家手鑑」の5月22日付前田利長書状は大西氏が宇喜多騒動に関係するものとして初めて紹介したものであることを明らかにされています。 さらに一次史料を用いて再検討してゆくとされた光成氏が、大西氏の用いた編纂物を用いて論を組み立てているのですから、矛盾した話です。大西氏の指摘はそれだけにとどまらず、光成氏が編纂物の記述について誤読をし、曲解していると述べておられます。例えば、宇喜多騒動を引き起こした4人が、編纂物に浮田左京亮屋敷に「引罷」ったとしか書いていないにもかかわらず、襲撃したと読み替えていることが問題として挙げられています。このような指摘は他の部分でもなされています。 大西氏の先行研究が無視されていることも述べられています。宇喜多騒動の原因として宗教対立があったとする俗説を「戸川記」を使用して再検討する方法を大西氏がすでに取られたにもかかわらず、光成氏はそういう大西説には触れず、独自の見解を示すようなことが書かれています。しかも、「戸川記」は編纂物ですから、一次史料のみによる再検討をする前提がすでに崩れており、光成氏は「自己撞着に陥っている」と大西氏は指摘しておられます。 光成準治氏の論は問題を含んでいることがうかがえます。むろん、光成氏に言い分はあるでしょうし、それに耳を傾けなければいけないでしょうが、大西氏のこの論考にはうなずかざるをえません。 大西氏は編纂物や二次史料であっても、十分に慎重な態度を失わなければ、これらを使って一次史料の情報を補完することは可能であると書いておられいます。宇喜多騒動については、一次史料のみではほとんどなんらの議論も成り立たず、宇喜多騒動の当事者の特定すらできないし、宇喜多騒動自体の検討も不可能に近いと云います。 こういう論考を拝見するにつれ、宇喜多家だけでなく、三成も含めた西軍武将たちの場合(特に家が取り潰された場合はとりわけ)、負けた側が書いた史料はわずかしか残っていないということから来る研究の難しさというものも改めて感じました。 |
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