関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 大阪探訪97 夏の陣28 極楽橋・「歴史秘話ヒストリア 戦国のプリンスいざ天下取りへ」2 淀殿が授乳

<<   作成日時 : 2015/05/23 19:11   >>

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 写真は大阪城の極楽橋を5月16日に撮ったものです。本丸広場のイベントを見た後、大阪城の後ろ側の山里丸の方から下ってきました。後ろに大阪城が写っています(上の方がかけていますが)
 この後、「大阪くらし今昔館」の特別企画展を見に行きましたが、エッゲンベルグ城で発見された「豊臣期大坂図屏風」の複製が展示されていました。この発見については、新聞やテレビで取り上げられましたが、発見された時には、各扇はばらばらになっていました。むろん、展示されていたものは本来の屏風の形に復元されていました。
 この図屏風は、以前の「歴史秘話」でも取り上げられ、大阪城天守閣発行の図録「豊臣期大坂図屏風」に掲載され、詳細な解説がされていますし、拙ブログでも触れたことがあります。
 その時の記事でも触れたことですが、「豊臣期大坂図屏風」に描かれている極楽橋はきらびやかな装飾が施され、二階建てになっています。それを改めて図屏風の複製を見て確かめました。
 この図屏風は20日に放送された「歴史秘話ヒストリア 戦国のプリンスいざ天下取りへ〜大坂の陣400年・豊臣秀頼」でも紹介されていました。
 秀吉時代の大坂の姿を描いた絵などはほとんど失われてしまったため、庶民の生活を知るうえでとても貴重なものであること。この頃の大坂は水運の町。もともと流れていた川に加えて新たに掘られた水路が縦横に走っていたこと。全国各地の物資が集まり、町は大賑わいして、国の富の三分の二が集まったともいわれ、日本経済の中心として栄えたことなど。
 また「太閤下水」も合わせて紹介され、それまでほとんど世界にも見られなかった下水施設も完備し(現在も改良を加えられて、利用されていることも取り上げられていました)、秀吉の町づくりは時代を先取りするものだったということも説明されていました。
 番組では、乳母が育てる当時の慣習を破り秀吉は淀殿が秀頼を直接育てるように命じたが、世継ぎとして無事に育て上げたい一心だったと説明されていました。淀殿が秀頼を自分の乳で育てたことは、福田千鶴氏の「豊臣秀頼」(吉川広文館)で指摘されていますが、この根拠として、同書には「拾の乳児期に秀吉が茶々に送った書状には、乳が足りているかどうかを尋ね、茶々の乳がよく出るよう食事をよくとるように指示したり、茶々の乳が足りないと拾の授乳に支障が出ることを心配したりしている(森文書・大橋文書)」ことが挙げられています。

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