関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 追悼・市野澤永さん 三成会を通じてのつながり・前田攻めの際の三成の出兵を裏付ける史料をご教示

<<   作成日時 : 2015/07/23 21:48   >>

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 歴史研究者としてご活躍中であり、オンライン三成会の会員としてもいろいろお世話になった市野澤永さんが逝去されました。謹んでご冥福をお祈り致します。
 突然の訃報に信じられない思いがしました。42歳という若さでの急死には、ご本人が何より無念な思いをされたことでしょう。結城氏研究が専門で、歴史学会で発表もされ、これからの研究成果に大いに期待がかかる時だっただけに、残念でなりません。
 市野澤さんとは最後までインターネット上での付き合いだけ(電話では三度程お話したことがありますが)であり、直接お目にかかったことはありません。市野澤さんとの出会いは今から15年前、オンライン三成会の掲示板においてであり、活発に書き込みをしておられました。市野澤さんから最初に直接メールをいただいたのは5年程前のことであり、それ以来たびたびメールの交換をするようになりましたが、その博識には大いに驚嘆させられました。
 3年前、市野澤さんが企画された、東京での桐野作人氏の講演会に誘われたのですが、あいにくその時は別の予定が入り、行けませんでした(その一ヶ月ぐらい後、彦根での桐野氏の講演会に参加して、桐野氏にお目にかかることはできましたが)。市野澤さんには拙ブログにも何度かコメントを書き込んでいただきました。
 市野澤さんからいろいろなアドバイスを受けた中でも、カンハンの「看羊録」の史料の重要性を指摘してもらったことが一番の思い出です。それで自分も初めて「看羊録」に目を通しましたが、その書の中に家康暗殺の疑いが前田利長にかかった際、佐和山に引退していた三成が家康の意を受けて出兵したという記述があります。それを裏付けるように日本側の前田家、島津家、細川家の史料にも同様の記述があることを市野澤ご自身が確かめられ、そのことを教えてもらいましたし、拙ブログ記事でも取り上げました。家康と三成の対立は以前からあったような捉え方が一般的であり、私もそれらの史料を知るまで、そう思っていました。
 昨日の拙ブログ記事でも記したように、この時点では家康と三成の対立がなかったという見方の根拠として「看羊録」のこういう記述を挙げました。中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でも、そういう捉え方がされており、家康の要請に応じて出兵したのは三成の擬態ではなかったと指摘されています。
 また大河ドラマ「平清盛」が放送された時には、平氏や源氏に関する研究書(一般者向けも含めて)などを市野澤さんからいろいろと紹介していただき、それらの書の記述などを引用しながら、大河ドラマの描き方のおかしな点などを拙ブログで記しました。市野澤さんには感謝するばかりです。
 
 

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