関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 京都探訪254 旅行記34  天橋立旅行4 岩見重太郎試し切りの石・仇討の場碑 薄田隼人と同一人?

<<   作成日時 : 2015/09/05 11:22   >>

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写真は天橋立の松並木の中にある岩見重太郎試し切りの石を8月26日に撮ったものです。大天橋の橋をわたって、数分歩いたところにあります。石の上や周辺に一円玉が多く見られますが、そのことについて、「日本三景 天橋立 散策マップ」には、「さっくりと斬られた石の上に一円玉を乗せると、いつまでも一緒にいられるというおまじないがある」と記されています。いつからそういうことがされるようになったのかは定かではありませんが。
 岩見重太郎については、そばに建っている説明掲示板に次のように記されています。
 「父の仇である三人を追って宮津に来た剣豪・岩見重太郎が、仇をかくまっていた京極家の許しを得て仇討ちをする時に、刀の切れ味を試したとされる石です。岩見重太郎は、講談などで語られる伝説上の人物です。豊臣家の家臣で大坂夏の陣で戦死した薄田隼人とも云われています」と。
 三人とは、「広瀬軍蔵、鳴尾権三、大川左衛門」であることが、歩いてもう数分先にある「岩見重太郎仇討の場」碑に記されています。
 
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 写真はその「岩見重太郎仇討の場」碑を撮ったものです。その碑には、仇討の説明の他に次のような話も書かれています。
 「重太郎には毎夜、天橋立で通行人を襲っていた元伊勢籠神社の狛犬の足首を切り、その夜行を止めたという伝説も残されている」と。
 試し切りの石にしろ、この狛犬の話にしろ、英雄伝説の一つ鐘だと思われますが、岩見重太郎と薄田隼人(兼相)が同一人物である史料的な裏付けはあるのでしょうか。
 薄田隼人については、渡邊大門氏の「大坂落城 戦国終焉の舞台」(角川選書)によれば、次のようなことが記されています。「兼相は小早川隆景に仕えていた薄田重左衛門を父とし、諸国を武者修行したという百戦練磨の人物である」こと、大坂冬の陣の博労淵砦の戦いにおいて、ここの守備を任されていた「兼相は神崎の遊女屋で遊んでおり、砦を(蜂須賀)至鎮によって落とされるという大失態を演じたといわれている」こと、夏の陣では道明寺の戦いにおいて、後藤基次と共に先鋒部隊を務め、後藤が討たれた後、「敗残兵となった後藤軍」「と合流して最後の戦いに臨ん」だものの、「あえなく討ち取られた」ことなど。
 

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