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zoom RSS 石田三成の実像1478「佐和山城跡 現地説明会」田附清子氏講演「三成と佐和山城」1 地下式瓦葺き建物

<<   作成日時 : 2015/10/05 10:11   >>

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 写真は昨日の午前中に行われた、「佐和山城跡 第1次範囲確認調査 現地説明会」の様子を撮ったものです。午後からは佐和山城研究会会長でオンライン三成会会員でもある田附清子氏の講演「三成と佐和山城」が鳥居本の専宗寺で行われ、その講演も聴きました。
 一作日に彦根入りし、その日の午後は醒ケ井駅へ出向き、往復歩いて松尾寺まで行って来ました。松尾寺は三成の父の正継が、書状を発した寺です。醒ケ井もかつては三成の所領でした。
 さて、今日の現地説明会は近江鉄道鳥居本駅で受付が9時半からあり、35分頃電車で駅に着いた時には、すでに第一陣が受付を済ませて出発していました。同じ電車で着いたわれわれ一行はその後を追う形でしたが、佐和山城下町を横断し、「かもう坂通り往還」から佐和山に上り、現地説明会の場所である伝・西の丸にたどり着きました。「がもう坂通り往還」も人が途切れることはありませんでしたし、現場もぐるりと人々が取り巻いて、大変な人数でした。改めて佐和山城の人気のほどがうかがえました。
 上の写真に大きな窪みが写っていますが、「土坑を有する地下式の瓦葺きの礎石建物であったと考えられます」と配布資料に書かれていますし、彦根市教育委員会文化財部文化財課の人もそのように説明していました。土坑は「長軸約6.9m、短軸5.6m、深さ約1.9mの平面楕円形」であり、「その土坑の四隅では礎石据え付け痕が確認され、それらで1棟の礎石建物を構成して」おり、「土坑と周辺からは大量の瓦が出土している」ことなどがその根拠として示されていました。もっとも、「地下の用途を含む、当該建物の性格の確定は今後の大きな課題と言えるでしょう」ということも資料には記されており、そういうふうに話しておられましたが、夢がふくらみ、いろいろと想像させられる今回の発見です。
 現場は塩硝櫓跡の碑が建っている場所ですが、そこは塩硝櫓跡ではなく、塩櫓跡であることが、田附氏の講演会で明らかにされていました。西の丸と呼ばれているところは三段に分かれており、一番下が今回の現場である塩櫓、その上が西の丸、さらにその上が煙硝櫓であり、講演会では中井均氏作成の佐和山城の縄張図をもとに説明されていました。その縄張図には、塩櫓のところに、大きな窪みが記載されており、当時から窪みの存在は確認されていたわけです。それが何を示すかが、今回明らかにされた形です。現地説明会では、今回の場所を「3段の曲輪で構成されている伝西の丸の最北端」である「下段曲輪」と説明されていました。
 現場には随分前からシートがかぶっており、私も何度かそこを通りましたが、発掘調査が続けられて、ようやく現地説明会が行われたという感じです。今回は「佐和山城跡に地下室付き建物」などと題した新聞記事が大々的に載り、それだからこそ、多くの見学者が集まったのでしょう。 
 

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