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zoom RSS 大阪探訪117 大坂の陣400年45 大阪城天守閣のテーマ展「大坂城戦史」1 鐘銘事件の前にも難癖

<<   作成日時 : 2015/11/21 11:08   >>

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 写真は大阪城天守閣のテーマ展「大坂城戦史」の案内板を一昨日撮ったものです。天守閣の入口のすぐ横に建っています。
 この日は大阪市城東区に住む母のもとを訪ねた(近くのファミリーレストランで妹も交えて昼食も取りました)後、地下鉄で行きました。森ノ宮駅から大阪城公園に入り、玉造口から天守閣に向かいました。着いたのは4時10分前。5時に閉館でしたから、駆け足で見て回りました。外国人観光客も多く、館内ではいろいろな国の言葉が飛び交っていました。
 石山合戦、大坂の陣、戊辰戦争にテーマにした展示が三階、四階で行われており、百点余りのものが出品され、それぞれの戦いの様子がわかるようになっていました。
 大坂の陣では、豊臣方武将のものとして、豊臣秀頼の禁制・陣中床几・喉輪、真田幸村の甲冑・陣貝・陣鐘、後藤又兵衛の甲冑、木村重成の槍、鐙などが展示されていました。
 方広寺の鐘銘の中にある「国家安康 君臣豊楽」の文言に徳川方が難癖をつけたことが、大坂の陣のきっかけになったことは有名ですが、すでに鐘銘事件の前に家康側が豊臣方に難癖をつけていたことを示す、慶長19年7月15日付片桐且元書状も展示されていました。
 その解説文が大阪城天守閣発行の図録にも記されています。
 すなわち、「方広寺大仏の落慶法要」の「式次第をめぐって真言宗と天台宗のあいだに争論が発生した」こと、「本状はその件で且元が真言代表の醍醐寺三宝院門跡に送ったもの」であり、その内容は「『御室(おむら)様』(真言の仁和寺門跡)が大仏の開眼供養の導師を早朝につとめて『御退出』のあと、天台宗が大仏殿の堂供養をとりおこなうことに決定した、と知らせ、真言側の『御懇切』の配慮ゆえ早々に解決したことを秀頼公にも報告する、と感謝している」ことを記したものであること、「そもそも争論は、徳川家康の側近である天台宗の天海のクレームから始まった」ことなど。
 また本多隆成氏の「定本 徳川家康」(吉川弘文館)には、「7月になり、天海から供養の際の座席について横やりが入ったりもしたが、これは天台宗を左班(上席)とすることで決着がついた。18日には且元から、大仏開眼供養と堂供養とを同日に行いたいといってきたが、家康は開眼供養は8月3日、堂供養は18日と、分けて行うように指示した」と記されています。
 こういうふうに徳川方はいろいろと難癖をつけてきたことがわかり、なんとかして豊臣家に圧力をかけ、追い込んで、失墜させようという(その時点で、滅亡させようとは考えていなかったとしても)強い意思が感じられます。

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