関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 大河ドラマ探訪342「真田丸」7 滝川一益の人質だった信繁2 ドラマ探訪33「大阪環状線」 幸村の霊

<<   作成日時 : 2016/02/04 11:41   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 大河ドラマ「真田丸」では、信繁の母は公家の出身という設定で描かれており、プライドの高さがドラマのはしばしに現れていますが、拙ブログで前述したように、時代考証を担当している丸島和洋氏は公家の侍女という見解を取っておられます。そのことについて、丸島氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)の中で、昌幸夫人が「公家の娘であれば信玄の養女扱いで昌幸に嫁ぐはずがなく(かえって家格が下がってしまう)、多くの矛盾をきたしている」と記されています。もっとも、昌幸夫人が京出身だという根拠については、「真田氏給人知行地検地帳」に「『京之御前様』という記載があり、これは明らかに山之手殿を指している」ことが挙げられています。「山之手殿」が昌幸の正室であり、信繁の母です。
 丸島の同書の年表の天正10年(1582)の項に、「3月か 昌幸は生母河原氏と次男信繁を滝川一益のもとに人質として送る」、「6月28日、滝川一益、人質である昌幸生母と信繁を木曽義昌に引き渡し、木曽谷通過の許可を得る」と記されています。
 この根拠として、「木曽考」の「信州上田城主真田安房守弁之介〈後ニ左衛門ト云〉、木曽ニ質トシテアリ」という記述、人質になっていることを示す木曽から出した弁丸(信繁)の書状が挙げられています。
 前にも触れたように、大河ドラマでは信繁は本能寺の変が起こった時、安土にいたという描き方がされており、これは大河ドラマの常套手段として、主人公を歴史的事件に関わらせるという悪しき描き方の踏襲だと思われますが、私自身、信繁が滝川一益の人質になっていたという事実は知りませんでした。
 関西テレビで深夜に放送している30分間のドラマ「大阪環状線 ひと駅ごとの愛物語」第2回「玉造駅 私のカレは幸村様」で、若いカップルが三光神社の真田幸村銅像や真田の抜け穴を訪ねた際、幸村の霊が男(尾上松也さん)に乗り移るのですが、幸村に憧れる女(舞羽美海さん)が本物の幸村か確かめるために、男にクイズを出していました。その一問目が「幸村様の幼名は何か」であり、男は「弁丸じゃ」と答えていました。ちなみに第二問は「家康との最初の上田合戦の時、幸村様が人質に出されたのは?」(答え 上杉家) 第三問は「その時共にした真田家の家臣は?」(答え 矢沢頼幸)というものでした。
 ドラマ「大阪環状線」の舞台の三光神社は真田丸跡地ではないことも、丸島氏の同書で指摘されています。
 すなわち、「慶応義塾大学所蔵『大阪北組旧蔵大阪町絵図』(幸田文庫)をみると、三光神社所在地には『宰相山』と記されており、真田丸を攻撃した前田利常(加賀宰相、『宰相』は参議の官位を中国風に呼んだ名前)が布陣したと推定される。実際に真田丸があったのは、その西にあたる丘陵で、近世にはこの地が真田丸と称されている。このため、現在の明星学園の敷地が正確な真田丸跡地と推定されている」と。
 「現在の明星学園の敷地が正確な真田丸跡地と推定」したのは千田嘉博氏ですが、丸島の同書では、その千田氏の真田丸についての新たな見解についても紹介されています。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大河ドラマ探訪342「真田丸」7 滝川一益の人質だった信繁2 ドラマ探訪33「大阪環状線」 幸村の霊 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる