関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 大阪探訪138 天王寺公園にあった図書館 大坂の陣52 方広寺鐘銘事件の前に家康は戦い準備

<<   作成日時 : 2016/05/09 16:09   >>

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  写真は天王寺公園の芝生広場からあべのハルカスを4月29日に撮ったものです。広場は、家族連れで大いに賑わっていました。
 かつては天王寺公園の中に図書館があり、子供の時からたびたび通っていました。最初、行った時には、大人たちに交じって入口に並んでいたところ、係員が児童館は別のところだと言ってくれて、そこまで案内してもらったことを思い出します。大学生の頃は、テレビドラマの「細うで繁盛記」の原作本である花登筐氏の「銭の花」全巻を読みたくて、何回か通ったものでした。他の花登作品(大阪の根性物が主でした)にも手を伸ばし、よく読みました。
 あべのハルカスは近鉄百貨店の頃からよく行っていましたが、子供の頃は休みの日に親に連れて行ってもらうのが楽しみでしたし、屋上の遊園地でよく遊んでいました。大きくなってからは、しばしば書籍売り場へ足を運んでいました。買うこともむろんありましたが、本を見るだけでも楽しいものがありました。
 さて、この天王寺のあたりは、大坂夏の陣の激戦地になったところであり、大河ドラマ「真田丸」でも、最後のクライマックスとして、どのように描かれるのか今から楽しみです。長宗我部盛親、毛利勝永、木村重成など大坂方の武将を誰が演じるのかも気になりますが、その前に関ヶ原の戦いという大きな見どころもあり、その描き方にも目が離せません。
 さて、方広寺の鍾銘問題が大坂の陣のきっかけになったのは有名な話ですが、福田千鶴氏の「後藤又兵衛」(中公新書)では、鐘銘問題が問題となる前から、すでに家康は戦いの準備をしていたことが記されています。
 家康が方広寺の鍾銘に立腹したのは慶長19年(1614)7月21日のことですが、家康はすでに「5月にイギリスより大砲や弾の材料となる鉛を大量に購入しており(『慶元イギリス書翰』)、大坂を攻めるための準備を着々と進めていた」と。
 さらに「黒田長政は、7月4日(異説では20日)付で将軍秀忠付の老中である本多正信に対して八か条の起請文を提出した。内容は、関ヶ原合戦の際に交わした起請文の有無の報告である」、「方広寺大仏殿をめぐって家康が大坂方に異議を唱える以前に、江戸では黒田長政の交流関係を洗い出し、起請文をもって誓約させていたのである。この経緯からは、徳川方は大名一人一人を個別に味方につけ、大坂方になる可能性を潰していき、そのあとに鍾銘事件を起こし」たなどと福田氏の同書で指摘されています。
 ここからはなんとしてでも豊臣家を潰そうとする家康の強い意思が見えてきます。福田氏の同書には、7月17日に大仏殿の棟札に棟梁の名が記していないこと、21日には上棟の日が吉日でないことも家康が問題視したとの「駿府記」の記述も取り上げられています。 

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