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zoom RSS 石田三成の実像1647 「歴史街道 石田三成と大谷吉継」 中井俊一郎氏の論考 堺の堀を埋めた意味 

<<   作成日時 : 2016/06/11 09:14   >>

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 「歴史街道」七月号に「石田三成と大谷吉継 信繁を変えた男たちの義」が特集されています。堺雅人さんや山本耕史さんのインタビュー記事をはじめ、歴史研究者や作家の文章が掲載され、三成タクシーや古橋伝説のことも取り上げられており、多彩な内容になっています。
 その中に、オンライン三成会代表幹事の中井俊一郎氏の「天下の貨物の七割は浪華に…堺の変革、博多の復興で新たな都市空間へ」が載っています。
 その文章の中で、堺奉行として三成が果たした役割について論じられています。三成はまず堀(環濠)を埋めましたが、そのことについて、「堺の象徴である堀を埋めたことから、三成は自由自治の破壊者であると言われる」が、そうではなく、「堺という一都市の得失ではなく、堺を含む大坂平野全体、ひいては日本全体の発展を意識しているということを明確にしたものである」と指摘されています。
 「三成らに課せられた課題は、堺の価値を損なうことなく、それを新たな『大坂』という経済圏に取り込むことにあった」、「堺変革に際しては、三成は堺の有力者である津田宗及・鵙屋宗安らと協議しながら行動を進めた。物流の中心を堺から大坂に変えるということは、堺という一都市の単位で見ればその地位低下に繋がるが、地域全体がより発展することで堺商人にも大きな利益がもたらされることを、優れた商人である宗及らは見通していたのである」とも述べられています。
 こういう観点は、私自身、初めて知ったので、なるほどと目を開かされた思いです。
 堺を「『大坂』という経済圏に取り込むことにあった」という中井氏の見解からすれば、大河ドラマ「真田丸」で描かれていたように堺の商人を大坂に強制移住することは堺の衰退を招くことにつながり、秀吉は堺の重要性を熟知していましたから、そういうことを三成にさせたとは考えられないのではないでしょうか。
 もっとも、三成が堺の商人を強制移動させたという捉え方は、「歴史街道」のなかでも、海道龍一朗氏の「天下を安寧に導くこと…信繁が奉行の真髄を学んだ大坂城での日々」でも記されています。堺の商人を大坂に強制移住させたという記述がどの史料に書かれているのかは私自身は、把握していませんが、拙ブログ記事でも触れたように、堺の北の平野町の人々を強制移住させたという事実はありますから、それが堺にまで及んだと間違って捉えられている可能性もあります。
 中井氏の論考の中で、堺改革には「多くの町衆からは不満が生じ」、「この対策を担ったのが大谷吉継」であり、「三成の下で、堺の町宗との調整を行なったと言われている」ことも記されています。

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