関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1678 「ちちんぷいぷい」「片岡愛之助の解明!歴史捜査 」1 顕彰会理事長の話

<<   作成日時 : 2016/07/27 18:21   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」の「昔の人は偉かった」のコーナーで、河田直也アナウンサーとくっすん(楠雄二朗さん)が長浜駅から米原市の伊夫岐(いぶき)神社まで18キロを歩いていました(7日放送)が、途中、石田町の石田会館に寄っていました。
 今回の旅は「百人一首完全制覇を目指せ」というシリーズで、百人一首ゆかりの地を巡るという内容ですが、三成が出てくるとは思いませんでした。ゴールの伊夫岐神社で藤原実方の和歌「かくとだにさしも伊吹のさしも草さしもしらじなもゆる思ひを」が紹介され、その歌意が説明されていました。
 まず長浜の町の舟板塀を見、大通寺を訪ね、伏見城から移築された謁見の間が紹介されていました。長浜城は番組で以前訪ねたので、今回はパスしていましたが、長浜城を築いたのは秀吉であること、秀吉は今浜から信長の一字を取って長浜に変えたと説明されていました。
 この後、国友鉄砲の里資料館を訪ね、鉄砲だけでなく、国友一貫斎が鉄砲の技術を生かして作った反射望遠鏡も紹介されていました。三成が佐和山の城主だった時は、国友も領地の一部でした。
 一行は、ユニークな建物のレイモンド長浜保育園を経由して、石田町の三成生家跡に建つ石田会館を訪ねていました。案内は石田三成公事蹟顕彰会理事長の一居康雄さんが務めていましたが、三成の墓が明治40年に発掘調査され頭蓋骨などが見つかったこと、頭蓋骨をもとにして復顔像が作られ、肖像画が描かれたこと、三成は地元では英雄というよりももっと身近な存在であり、「三成さん」と呼んでいることなどが語られていました。滋賀県が作った「三成CM」は、この肖像画が使われていることも番組では紹介され、再びそのCMも一部流されていました。
 この後、観音坂トンネルを通って、伊夫岐神社へと向かっていましたが、三成関連で云えば、三献茶の舞台とされる観音寺も立ち寄ってほしいところでした。
 ところで、一居康雄さんはBSで放送された「片岡愛之助の解明!歴史捜査 豊臣に命を捧げた戦国武将 石田三成の実像を追え」にも登場していました。江戸時代に書かれた「石田軍記」には三成の家が貧しくて寺に預けられたと書かれていることに対して、一居氏は石田三成生家跡の治部池に案内し、堀跡だと紹介し、堀で周りを囲まれていた屋敷は4500坪に及び、三成の家は土豪であったと説明していました。また一居氏は石田一族供養塔のところにも案内し、関ヶ原の戦いの後、地元の人々が幕府の追及を逃れるために、石田一族の墓を土の中に埋めて、明治の世になってから、墓石を掘り起こして祀ったということも説明していました。江戸時代は石田三成の一族は迫害され、それがいかに徹底したものであったかを示す話です。
 
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1678 「ちちんぷいぷい」「片岡愛之助の解明!歴史捜査 」1 顕彰会理事長の話 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる