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zoom RSS 石田三成の実像1720 大河ドラマ探訪430「真田丸」96 三成挙兵で、吉継が主導権を発揮?

<<   作成日時 : 2016/09/11 14:53   >>

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大河ドラマ「真田丸」第35回「犬伏」では、前回の最後から時間を少し遡って、三成が家康に対して挙兵することを吉継に呼びかける場面が描かれていました。もっとも、「真田丸」では通説とは違って、三成が垂井まで吉継を訪ねたものの、吉継が返事を保留したので、三成が一晩吉継のところに泊まるという展開になっていました。
 三成が挙兵した際の詳細については、一次史料が残っていないため、後世の編纂ものに頼るしかないのが実情です。よく言われるのが、吉継は負けるとわかっていた戦いに、三成への友情のために殉じたという捉え方ですが、拙ブログ記事でもたびたび記しているように、吉継は勝算がない戦いをするはずはなかったと思っています。自分のことだけで決められずはずはなく、家族、一門衆、家臣たちすべての将来もかかっていましたから、総合的な判断で勝つという見込みをつけて三成に加勢したのではないでしょうか。
 この点に関して、「真田丸」では、吉継は三成に勝てるということを強調し、次々と積極的な作戦を打ち出していました。三成が勝てるかどうかわからないと言うのに対して、「そのようなことを言う男には命は預けるわけにはいかぬ。そのような弱気な言葉、二度と口にするな。兵を挙げるからには必ず勝つ、そういう気概がなくてどうする」などと諭していました。
 三成の方はそういう吉継の言葉に感激して、目に涙を浮かべていましたが、吉継は「まず秀頼公の名のもとに徳川内府を老(おとな)衆から外す。さすれば上杉征伐は徳川が起こした勝手ないくさということになる。次に内府が太閤殿下の御遺志にいかに背いてきたかを弾劾状に記して全国の大名に送りつける。事は急を要する。治部殿、泣いている暇はござらぬ。わしがおぬしを勝たせてみせる」と言い、的確な指示を与え、主導権を発揮していました。吉継がここまで積極的になるのは、病気の悪化が背景にあったという描き方もされていましたが。
 それはこの後、立場を明確にしていない大名たちに出す書状を吉継は自ら記そうとする時も同じであり、病気のため自分では書けず、三成に代筆させていましたが、吉継が次々と言葉を発するので三成はなかなか書き取るのに苦労するという展開になっていました。
 家康弾劾状である「内府ちかひの条々」の原案を作成したのは三成だと私は思っていますが、その根拠として家康の罪状を逐一並べ立てるところが三成らしいこと、三成は佐和山に蟄居して家康の動向をうかがい、家康の専横を見つめ、挙兵前に毛利輝元などとも水面下で接触していたはずであること、「内府ちかひの条々」とほぼ同じ内容の「増田長盛・石田三成連署条目」(家康に対する敬語が使われていないもの)の存在などが挙げられます。むろん、三成挙兵の際に、吉継の助言があったということは否定しませんが。
 「内府ちかひの条々」を出すことによって家康の公儀性は剥奪されたという白峰旬氏の見解が、「真田丸」で取り入れられていると感じました。
  

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