関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1721 大河ドラマ探訪431「真田丸」97 犬伏の密議前後の描き方・昌幸の加増要求

<<   作成日時 : 2016/09/13 21:24   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第36回「勝負」は、第二次上田合戦を中心に描かれていましたが、びっくりしたのは、関ヶ原に家康と三成・吉継が布陣する場面が少しあっただけで、佐助が真田昌幸・信繁や家臣たちの前で関ヶ原の戦いの結果を報告するという流れになっていたことでした。むろん、次回に時間を遡って関ヶ原の戦いの様子や大谷吉継の最期も描かれるのではないかと思われますし、その後の三成の処刑の場面も出てくるはずです。しかし、ドラマとしては、先に結果を明らかにしてしまうのは、いくらその結果が周知の事実とはいえ、興ざめしてしまう展開でした。
 上田合戦の前に、三成が昌幸に新たな所領を与えようとしたところ、昌幸はさらなる加増を求め、三成は吉継の助言に基づいて、それに応じる場面が出ていました。
 この点について、8月5日付の昌幸宛三成書状に、小諸・深志・川中島・諏訪を渡すと記し、8月10日付昌幸・信繁宛の三成書状では、信州だけでなく、甲州までも渡すと記していますが、10日付の書状に、大垣で昌幸の書状を受け取ったとありますから、その昌幸の書状には、加増を求める文言があったのかもしれません。
 ただ、「真田丸」で吉継が三成に助言するという描き方はおかしく、吉継はこの時点で敦賀の方に行っていました。吉継が北国口に出陣したのは、8月1日のことだと、外岡慎一郎氏の「大谷吉継と西軍の関ヶ原合戦 関連年表(慶長5年、1600)」に記されています。
 ドラマの回を遡りますが、会津攻めにおける真田家の動向について、「真田丸」では新たな解釈が示されていました。上杉景勝から昌幸に味方してくれとの書状が届き、昌幸はそれに同意し、会津攻めに参軍すると見せかけて家康を討つという奇策を立てるというのがそのやり方でした。むろん、これはフィクションですが、昌幸ならそういう奇策を思いつかないものでもないという気がしますし、昌幸が奇策とは人に知られてならないもので、書物に残っては奇策とは言えないと信幸・信繁に語る場面も用意されていました。
 その奇策も、佐助が吉継に頼まれて三成・吉継挙兵の報をもたらしたことから瓦解し、犬伏の密議を開いて今後の対応を協議するという展開になっていました。実際には、「内府ちかひの条々」が昌幸のもとに届いており、三奉行によるその添状(「内府ちかひの条々」と同じ7月17日付のもの)が「真田家文書」に残っています。犬伏の密議については、後世の編纂史料に出てくるものであり、実際にあったかかどうか疑わしいということが、黒田基樹の講演会で述べられており、その点は拙ブログでも記しました。
 「真田丸」では、犬伏で密議が行われたという描き方であり、昌幸が部屋に入ろうとする家臣に対してものを投げつけ、家臣は歯がかけるという逸話もそのまま使われていました。これから先何年戦いが続くかわからない状況の中で、信幸が昌幸と信繁は豊臣方につき、自分は徳川方に就き、どちらが勝っても勝った方は負けた方の命を救うべく尽力し、真田家の存続をはかろうと述べ、二人の賛同を得るという展開でした。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
この回の関ヶ原の描き方は、けっこう反響があったようですね。
大谷吉継役の片岡愛之助さんも、ショックだったようです。
片岡愛之助さんは、歴史番組の司会をやっていることもあり、今作の台本には、思う所が色々あるだろうなと推察されます。

ところで、それとは関係なくて恐縮ですが、司馬遼太郎「関ヶ原」は個人的に好きではないので、今この作品の映画化は、正直「何故?」としか思えませんでした。石田三成に関する小説は、他にも色々あり、また三女辰姫を主要人物に据えた作品も、近年いくつか刊行されています。もちろんそれぞれ一長一短ありますが、映像化するならそうした新しい小説の方がいいのでは、と思いました。
岡田准一さんの三成は楽しみではありますが。
杏奈
2016/09/17 14:24
 杏奈さん、コメントありがとうございます。
 関ヶ原の戦いは後から振り返って少しだけでも描かれるのかと思っていたら、違いましたね。大谷吉継の切腹の場面があっただけで。完全に肩すかしを食わされました。もっとも、三谷氏は今までの大河ドラマでさんざん描かれてきたことは描きたくないとおっしゃっているので、こういう展開になったのでしょうが。
 三成も処刑される場面だけでしたね。家康や東軍に堂々と自分の思いを述べる場面などがあるかと思っていたのですが。
 司馬氏の「関ヶ原」は、家康=北政所=武断派、三成=淀殿=吏僚派という図式をはじめ、いろいろと従来の捉え方に基づいて書かれているので、問題が多いと思っています。もっとも、私が三成物で読んだ作品の最初はこの小説だったので、小説の内容を鵜呑みにしていた時期もありますが。
 原作に捉われない新しい見解を取り入れた映画になればよいのですが、確かに懸念はあります。岡田准一さんの三成には期待しています。
 今後ともよろしくお願いします。
石田世一
2016/09/18 22:55

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