関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1728 旅行記71東北3 田んぼアート 大河ドラマ探訪432「真田丸」99 三成最期

<<   作成日時 : 2016/09/20 16:58   >>

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 写真は青森県南津軽郡田舎館村で開かれている、大河ドラマ「真田丸」で山本耕史さん演じる三成の姿を表した「田んぼアート」を昨日撮ったものです。真田昌幸の「田んぼアート」も隣に作られていました。
 オンライン三成会の有志の人々と17日に秋田、18日・19日に弘前三成や関連人物の遺跡などを訪ねましたが、この「田んぼアート」もその一つです。それらの旅行の詳細な報告は改めて拙ブログで行いたいと思います。
 大河ドラマ「真田丸」第37回「信之」が放送された18日の夜は、三成が登場する最後の場面とあって、三成会の人々と、個室でテレビの見られる店に行って、一緒に見ましたが、一緒にというのは初めての経験でした。
 しかし、期待していたわりには、三成の登場は一場面だけ、しかも黙ってうっすら笑みを浮かべながら処刑されるわずかな秒数でした。豊臣家のゆく末を案じて家康や東軍の武将たちに一言言う場面があるかと期待していたのですが、それもありませんでした。そう云えば、同じ三谷幸喜氏脚本の大河ドラマ「新選組!」でも、最後、近藤勇が笑って処刑される場面があり、共通性があるように思いました。それはやるべことをやり遂げた者の、満足感というようなものから生まれた笑みではなかったかと思います。むろん、実際の三成は関ヶ原で敗れて捉えられた段階で、豊臣家の天下が続くことはないと予感していたと思われますし、心の中は将来に対する不安で一杯ではなかったでしょうか。
 ドラマでは、大坂にいる三成夫人が信繁に、三成の最期を語るという設定になっていましたが、実際には三成夫人が関ヶ原の戦いの後も大坂で暮らしていたはずはありません。三成は謀反人として処刑されたのですから、生きていたとしても落ち延びざるをえません。三成夫人は従来、佐和山城で三成の両親、兄の正澄などと共に自害されたとされており、2000年に放送された大河ドラマ「葵 徳川三代」でも、高橋惠子さん演じる三成夫人が長刀をふるった末、自害するという場面がありました。しかし、白川亨氏の研究によって、三成夫人は次女の嫁いだ岡半兵衛のいる会津若松に落ち延びたということを明らかにされました。
 「真田丸」では、吉継の最期は、吉継の娘で信繁の正室である春が語るという場面になっていましたが、関ヶ原の戦い自体は全く描かれないままでした。真田家のあずかり知らぬところで、関ヶ原の戦いが行われたのでその描き方は致し方ないかもしれませんが、合戦場面を描かないことで、ドラマのスケールの大きさが感じられません。
 なぜ春が吉継の最期について知っているのかと突っ込む人がいました。吉継の介錯をした湯浅五助は、吉継の首を埋めた後、その場所を言わないまま、藤堂高虎の家臣に討ち取られてしまいますから、確かに吉継の最期の様子を春が知っているのは不自然なことかもしれません。
 こういう突っ込みや感想を早速みんなで言い合えるというのは、一緒に番組を見たからこそのことです。

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