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zoom RSS 石田三成の実像1716大河ドラマ探訪429「真田丸」95太田氏「『真田丸』講座二」7 官途・秀次切腹

<<   作成日時 : 2016/09/07 18:00   >>

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 8月27日に長浜で行われた太田浩司氏「大河ドラマ『真田丸』を3倍楽しむ講座 第二回」で、戦国時代の官途は、みんな朝廷から正式にもらったのかという点が取り上げられ、大名の家臣は私称が多いということが指摘されていました。
 このことにな関して、講座の資料で取り上げられていたのは、講談社総合編纂局「戦国ものしりガイド」の「武将の叙位任官」の部分でした。
 その中で、室町期以降、「幕府や朝廷の関知しない私的な官途・受領の名のりが増加していった。戦国期においても、大名自身の官途は旧来のやり方に則って幕府を通し(武家執奏)授与されたが、被官や陪臣についてはこの限りではなかった(中略)戦国大名の直臣として偏諱や『一字書出』を賜り、官途を与えられることで、主家との結びつきは一層深まった」などと。
 また信繁の「左衛門佐」と信幸の「伊豆守」はどちらが偉いのかということについても述べられていましたが、結論的にはほぼ同等だと指摘されていました。
 使われていた資料は、「日本史辞典」(角川書店)の「官位相当表」です。
 三成のこともその表を使って説明されていました。三成の官途は治部省の少輔ですが、官位では「従五位下」に当たります。信繁の衛門府の「衛門佐」も、三成と同じく官位は「従五位下」です。一方、国の守には「大国」「上国」「中国」「下国」の四段階があり、伊豆国は下国に当たり、「伊豆守」は官位で云えば、従六位下に当たります。しかし、この「官位相当表」は奈良・平安時代のものであり、戦国時代には「下国」の守はそれより四段階上になっており、「従五位下」相当になっていると説明されていました。
 豊臣秀次の切腹についても、「真田丸」で描かれていたように、本当に自ら進んで自害に至ったのかという問題に言及されていましたが、秀次は無実であることを示すために、切腹したのだという矢部健太郎氏の見解を、詳しく説明されていました。矢部氏の見解及び、この見解に従って「真田丸」のストーリーが作られていたことについては、拙ブログ記事で前に触れたので、重複は避けますが、使者として高野山にやって来た福島正則が秀次に自害を勧めたのではないかという矢部氏の見解については、そのようには「真田丸」では描かれていなかったと講座で指摘されていました。その背景には、三成ら奉行衆と福島ら武断派の対立があったとするのが矢部氏の見方ですが、私はそういう対立がこのころからあったとする見方には疑問を感じており、また正則が秀吉の意に反することをするはずがないと考えているので、「真田丸」の描き方でよかったと思っています。

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