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zoom RSS 石田三成の実像1718 「歴史人」渡邊大門氏の「三成『黒幕説』の真偽を検証する」 清正蟄居?

<<   作成日時 : 2016/09/09 10:55   >>

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 「歴史人」9月号に渡邊大門氏の「三成『黒幕説』の真偽を検証する」が掲載されています。三成が策謀したとされる数々の事件に、それが事実であるかどうかを検証したものですが、千利休切腹事件、豊臣秀次一族抹殺事件、加藤光泰怪死事件、蒲生氏郷毒殺疑惑、加藤清正蟄居事件、小早川秀秋左遷事件について、それぞれさまざまな角度から論じられ、その大半の三成黒幕度は低くなっています。それには大いに共感できますが、ただ加藤清正蟄居事件だけは、三成黒幕度が95パーセントになっており、納得できませんでした。
 そもそも清正蟄居事件があったということのみならず、慶長大地震の際に清正が伏見城に駆け付け、それで蟄居が許された(この話には、三成が清正の家臣によって登城を止められたという尾ひれがついています)という、江戸時代からの捉え方がそのまま踏襲されていることに、疑問を感じました。
 最近の研究では、清正が蟄居された形跡がないこと、清正が呼び戻されたのは和平交渉のためであったこと、大地震の時も清正は京か大坂にいたことが明らかにされ、三成も地震の直前まで堺で明・朝鮮の使節の接待に当たっています。これらのことは拙ブログ記事でもはたびたび取り上げています。
 そういう点に触れられていないところに不満を覚えましたが、慶長の役での蜂須賀家政や黒田長政の行動を悪く福原長尭が三成に報告したことから清正の怒りがさらに増幅したと、渡邊氏の同書には記されており、このことが三成への恨みにつながったということはあると思います。ただ、長政などの行動を「悪く」報告したというのは、事実ではなく、問題とされた蔚山城の戦いで敵を追撃しなかったことや、現地の武将たちが戦線縮小論を唱えたのは事実であり、福原たちはその事実を報告しているわけです。もっとも、三成自身は、平和を求め戦いを早く終わらせる意味からも戦線縮小論には理解を示していたでしょうし、福原と現地の武将たちの間に立って苦悩していたのではないでしょうか。
 渡邊氏の同書では、利休切腹事件や豊臣秀次切腹事件については、それぞれ、その真相についての説を記した書物を15冊紹介されており、参考になりました。秀次事件に関しては、大河ドラマ「真田丸」にも取り入れられた、秀次が無実を証明したために自ら切腹したという矢部健太郎氏の「関白秀次の切腹」も取り上げられています。
 渡邊氏の同書では、利休切腹事件は三成が関与したとの説は冤罪だと論じられていますが、当時、三成は東に行っており(その後九州に行ったとする白川亨氏の説もあります)、利休切腹を画策することはできなかったという観点も示してほしかったと思います。すなわち、三成にはアリバイが存在するわけです。

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