関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 大河ドラマ探訪438「真田丸」105  木土博成氏の講演「真田丸」2 焼酎を求める信繁書状

<<   作成日時 : 2016/10/06 10:58   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 2日に大阪歴史博物館で学芸員の木土博成氏による講演「真田丸」が開かれましたが、高野山の蓮華定院所蔵の年不詳の6月23日付の、左京宛の信繁書状が取り上げられていました。この書状は、大河ドラマ「真田丸」第39回「歳月」の「真田丸紀行」でも少し紹介されていましたが、「信繁が焼酎を求めた書状からは、仕送りに頼っていた暮らしがうかがえます」と説明されていました。
 講演会では、原文、釈文がレジュメに掲載され、書状の一部を読み下し、解説されていました。
 「真田丸」展の図録には、この書状について、次のように説明されています。
 「九度山で蟄居生活を送る信繁が、左京という人物に宛て、『この壺に焼酎を詰めてもらいたい。壺の口はよく締め、その上に紙をはっておいてください。知らせがあれば取りに行かせます。こんなもので申し訳ありませんが、湯帷子(ゆかたびら)を一枚差し上げます。おひまな時に顔をお見せください。どうか壺二本の焼酎をお願いします。この他にもいただきたい』と綴る」と。
 木土氏は「壺二本」とあることから、昌幸と信繁の分ではないかと推定されていました。「焼酎」は「米焼酎」だということも明らかにされていました。この書状には、信繁と署名されていますが、信繁の書状には幸村と署名された例はなく、幸村という名になったのは後世のことだということも述べられていました。
 信繁らが「仕送りに頼っていた」という点に関しては、「真田丸」展の図録に、そのことを示す年不詳の正月5日付の昌幸書状が掲載されています。この書状の展示は、5日からなので、今回は見ることはできませんでしたが。この書状について、次のように解説されています。
 「長文の折紙書状であるが、内容は扶助金の催促である。高野山麓の九度山での生活は苦しかったらしく、本状では『蔵人(昌親)=昌幸三男』からの臨時の合力四十両のうち、二十両は受け取った』『こちらが借金が多く難儀しているので、残りの二十両も一日でも早く届けてほしい』『今年の分も十枚程は春のうちに届けてほしい』『できなければ五枚でも六枚でもよいから持参して来てほしい』と文字通り矢の催促である」と。
「真田丸」では、昌幸の死後、生活が苦しくなったという描き方でしたが、実際は昌幸存命中から手元不如意だったわけです。
 また、「真田丸紀行」では、丹生都比売(にうつひめ)神社のことも紹介され、「行われる祭に、信繁が誘われていたという記録も残っています」という説明がされていましたが、そのことを示す、年不詳の蓮華定院宛の信繁書状も「真田丸」展に展示されていました。.
 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大河ドラマ探訪438「真田丸」105  木土博成氏の講演「真田丸」2 焼酎を求める信繁書状 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる