関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 大河ドラマ探訪454 「真田丸」121 太田浩司氏の講座第3回2 真田信繁の家族

<<   作成日時 : 2016/11/23 09:20   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 太田浩司氏の講座「真田丸」第3回で、真田信繁の家族について、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)の系図をもとに説明されていました。信之の妻については、昌幸の兄の信綱の娘である清音院殿(ドラマでは「こう」)と本多忠勝の娘である小松殿がおり、前者との間には信吉、後者との間には信政が生まれ、このあたりはドラマでもそのように描かれていたものの、「こう」が侍女になったという描き方はおかしいと改めて(以前の講座でもその点は取り上げられ、拙ブログでも触れました)述べられていました。
 真田信繁の妻については、大河ドラマでは堀田作兵衛の妹が最初の妻になったものの、第一次上田合戦の際に亡くなったというふうに描かれているものの、九度山には来ていないが、長生きした可能性があると指摘されていました。「すへ」という娘が生まれたのは事実だが、もう一人「於市」が生まれており、九度山で病死しているとその系図に書かれています。
 不思議なのは、大河ドラマでの高梨内記の娘(「真田丸」では「きり」という名)の扱いが、「生涯のパートナー」という設定にされていることだと述べられていました。信繁は大谷吉継の娘を妻にしており、妻をなるべく一人だけにするという大河ドラマの描き方を踏襲するために、最初の妻を戦いで死なせ、「きり」を「生涯のパートナー」という奇妙な設定にしているのだろうと指摘されていました。「きり」は、北政所の侍女になったり、秀次のところや細川ガラシャのところへ行ったり、大坂入城にしてからは淀殿の侍女になったりと、狂言回し的な役割を与えられています。
 「真田丸」では、きりは信繁の妻にはなっていませんが、実際は「阿梅」と「あぐり」を生んでいます。また秀次の娘である隆清院殿を妻にしており(この点は「真田丸」でも描かれていました)、「御田」という女子と「幸信」という男子を生んでいますが、彼らのことについては、拙ブログで取り上げました。
 また未詳の側室との間に、「青木次郎右衛門室」「女子(片倉家を頼る)」「之親(讃岐細川国弘を頼る)」を生んでいることもその系図には書かれています。
 「青木次郎右衛門」という人物については、よくわかりません。宮田常蔵氏の「彦根史話」には、真田幸村の娘が彦根藩士青木五郎兵衛の妻となって、大坂の陣の頃には彦根に在住していたが、夫は井伊家の家臣として、直孝に従って東軍の陣中にあったことが記されていますが、「青木次郎右衛門」と「青木次郎右衛門」が同一人物なのかはわかりません。青木氏はもと真田昌幸の家臣であったが、武田氏滅亡後、直政の新軍団に配属されたとも記されており、信繁の娘が青木氏の妻になったのは、そういう昌幸との関係があったのかもしれません。「青木次郎右衛門」の妻となった信繁の娘の墓が彦根の少林禅寺にあり、その墓を訪ねたことは拙ブログ記事で記しました。
 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大河ドラマ探訪454 「真田丸」121 太田浩司氏の講座第3回2 真田信繁の家族 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる