関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 旅行記87 姫路・赤穂旅行1 姫路城1 西の丸から天守へ 千姫が住んでいたのは10年

<<   作成日時 : 2017/02/18 10:47   >>

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 写真は姫路城の西の丸から望む天守を11日に撮ったものです。
 先週の今日、かつて大阪府立住吉高校で同僚だった人々と赤穂まで行って一泊しました。11日は昼前に大阪駅で集合し、まず姫路城へ向かいました。入口で長い行列ができていれば、時間の関係で入場は断念し、周辺を散策するつもりでしたが、幸い、待たずにすっと中に入れることができ、一通り見学できました。むろん、城内は大いに賑わっており、外国人の観光客も少なくありませんでしたが。少しでも白いうちに天守をじっくり見たいと思っていたので(一年半前に岡山からの帰りに姫路駅で途中下車し、少しだけその姿を眺めましたが)、その願いを果たせました。
 まず桜門橋を渡り、大手門をくぐって、三の丸広場に出ました。三ノ丸には、かつて家康の孫である千姫の住んでいた武蔵野御殿がありました。千姫は豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大坂の陣で豊臣家が滅びた後、本多忠刻に再嫁し、姫路城で10年間暮らしました。結局、忠刻も亡くなり、千姫は江戸に戻り、出家して「天樹院」と号し、70歳まで生きました。
 入城口から中に入り、まず菱の門(片側だけ石垣に乗る安土桃山様式の城門です。正面の冠木に木製の「花菱」が飾られており、それが門の名前の由来になっています)を通り、三国堀のところから天守を望みましたが、ここも絵になる景観でした。
 姫路城は、天守閣の方は後回しにして、先に西の丸の方に向かいました。西の丸の外周をめぐる百間廊下に入りましたが、文字通り250メートルに及ぶ長い廊下が続いており、圧倒されました。中では当時の様子をしのばせる展示物がいろいろありましたが、「真田丸で使われた千姫の衣装、後藤又兵衛の甲冑も展示されていました。かつて百間廊下は、侍女たちが住んでいた場所であり、千姫の侍女たちもいました。出口の横に化粧櫓が建っています。千姫がこの櫓を休憩所にしたところから、そういう名前になりました。
 姫路城の西の丸を見た後、天守閣に向かいましたが、狭い道をぐるりと廻り、門をいくつかくぐって、ようやく天守の入り口にたどり着きました。まるで迷路であり、敵に攻められにくくしている構造になっていることがよくわかります。「いつになったら、天守閣まで行けるの?」と家族に尋ねている子供もいました。
 天守閣は階段で上まで登りましたが、6階までありました。当時の内部の様子がよくわかりました。特に目についたのは、東大柱と西大柱でした。6階には長壁神社が祀られていますが、江戸時代は城外に安置されていました。
   

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