関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像1884 白峰旬氏「イエズス会日本報告集における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察」19

<<   作成日時 : 2017/03/28 21:13   >>

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 白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、「石田三成一人が指揮していたわけではなかった」という記述があることに関して、3月22日付拙ブログ記事で、「こういう指揮に関する宣教師側の見方が事実であるとするなら、もっぱら三成らに限定して責任を負わせる戦後処理の仕方に意図的なものを感じさせます」というふうに記しました。
 このことについて、白峰氏の同書の「おわりに」で次のような指摘がされています。
 「関ヶ原の戦いにおける対立軸は、現在の通説では、家康VS石田三成という対立軸でとらえられているが、これは、当時家康が豊臣公儀から排除されていたことを糊塗するために、石田三成一人を悪役に仕立てあげて本来の対立軸を矮小化させようとした後世の徳川史観(徳川家[江戸幕府]による政治支配が歴史的に見て正統なものであるとする後付けの歴史観)の影響を受けたことによると考えられる。つまり、家康と実際に敵対したのは石田三成一人ではなく、『国家』権力である豊臣公儀そのものであった、ということが『十六・七世紀イエズス会日本報告集』の記載内容から理解できる」と。
 こういう石田・毛利連合政権が、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」を発布したことによって成立し、家康の公儀性が剥奪されたという見解は、白峰氏の「新『関ヶ原合戦』論」(新人物ブックス)で示されています。
 また白峰氏の同論考で、「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』は、後世の江戸時代における徳川史観のバイアスがかかっていない点から客観的な記載内容であると見なすことができる」と指摘されています。
 「徳川史観のバイアスがかかっていない点」という点で云えば、カンハンの「看羊録」も同様です。カンハンは朝鮮出兵の際、日本軍に捕らえられて日本へ連れて来られ、そこで見た日本の状況を「看羊録」で詳しく記しています。前田利長に家康暗殺の嫌疑がかかった時(「看羊録」では、利長が実際、家康を討伐しようとしていたという描き方がされています)、三成は家康の意向を受けて前田家を牽制するために出兵したという記述があり、このことは、日本側の史料にも記述があり、三成出兵は事実であると確かめられました。もっとも、「看羊録」では、三成が家康に利長謀反のことを知らせたと描かれていますが、このことは日本側の史料では裏付けられていません。
 しかし、こういう外国からの史料と日本側の史料を突き合わせることによって、歴史の真実というものが見えてきます。白峰氏の同論考でも、「今後は関ヶ原の戦いの実像を検討するうえで、本稿で指摘できた諸点についても考慮すべきであろう」とまとめられています。
 

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