関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 白峰旬氏「イエズス会日本報告集における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察」20 掃部の戦いの状況

<<   作成日時 : 2017/04/09 11:10   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

白峰旬氏の「『十六・七世紀イエズス会日本報告集』における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察ー関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原戦い当日の実戦の状況ー」(『別府大学大学院紀要』第17号・別府大学史学研究会『史学論叢』第45号所載)の中で、関ヶ原の戦いにおける明石掃部の奮戦と実戦の状況についても、「1600年日本年報補遺」(『 十六・七世紀イエズス会日本報告集』)の記述が引用され、それについて考察が加えられていますが、3月27日付の拙ブログ記事の続きです。
 その史料によると、明石掃部は敵方の黒田長政と出会い、「着ていた衣服と武具によって、ただちに見分けられ、生命のことは構わずに勇気を振るうよう鼓舞され」、長政は内府(家康)に「明石掃部を助命して、彼を自分の家臣に入れることを許して欲しい」と嘆願し、「内府様は二つの願いを快く容易に許し」、「その後明石掃部は大坂を訪れて、そこで我らの同僚たちから二、三日歓待された」などと。
 掃部の関ヶ原の戦いの様子については、白峰氏の同論考で、「明石掃部は大坂で宣教師と会っているので、この時に関ヶ原の戦いにおれるいろいろな状況を話したと推測され、その話をもとに上記の史料の記載がされたと思われる。よって、その意味では史料の記載内容の信憑性は高いと考えられる」と指摘されています。
 われわれは宣教師側の史料について、戦いの当事者ではないという理由で軽視しがちですが、キリシタン大名からの情報に基づくものですから、簡単に切り捨てることはできません。むろん、日本側史料の裏付けは必要ですが。もっとも、ルイス・フロイスの「日本史」などのように、キリシタンを持ち上げるあまり、異教徒のことは悪く言っているので、その点は慎重な扱いが求められますが。
 掃部の戦いの状況について、「1600年日本年報補遺」には、「敵たちが射つ(引用者注 撃つヵ)弾丸の雨の中で無事におれぬのか自分はまったく驚かずにはおれぬ」という記述があり、こういう点から、白峰氏の同論考では「この時の戦場の状況は、家康方の軍勢から撃たれる火縄銃の『弾丸の雨の中』のような状態であり、火縄銃が多用されたことがわかる」と記されています。
 また「1599〜1601年、日本諸国記」」(『 十六・七世紀イエズス会日本報告集』)には、掃部は「馬をなくしていたので、徒歩で闘いながら敵の騎兵隊に突撃し大いに前進した」、「火縄銃の弾丸の雨の中を逃げ、かくも強力な騎兵隊の中に突撃し」などという記述があり、「この場合の騎兵隊というのは騎馬隊のことを指しているのか、他の合戦においても騎兵隊(或いは騎馬隊)の存在が広く確認できるかどうか、ということも含めて、今後、検討していく必要がある」と指摘されており、当時の戦いの状況が実際、どのようなものであったのかいろいろ考えさせられます。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
白峰旬氏「イエズス会日本報告集における関ヶ原の戦い関連の記載についての考察」20 掃部の戦いの状況 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる