関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1998  中井俊一郎氏の講演「石田三成ー事績と書状からみるその人柄ー」4

<<   作成日時 : 2017/08/12 10:42   >>

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 写真は観音寺の山門を6日に撮ったものです。この日は長浜駅から湖国バスに乗ってきましたが、バスの本数が少ないので、11時10分発のバスに乗りました。その後、2時間半近くバスの便はありませんでした。観音寺に最初に訪ねたのは、20年程前ですが、三成の生まれ故郷の石田町を見た後、バスに乗り、観音寺で降りましたが、帰る時にはバスがなく、タクシーも走っていず、観音坂トンネルを通って石田町まで歩きました。それから観音寺には何度となく訪ねていますが。
 さて、観音寺本堂で行なわれた、中井俊一郎氏の講演「石田三成ー事績と書状からみるその人柄ー」の中で、三成の「緻密」さについて、公私を問わない緻密さ、論理性という特徴があり、「彼には近代人のにおいがする」との司馬遼太郎氏の言葉も紹介されていました。書状では、箇条書きを多用し、筋道立てた説明をしていると述べられ、具体例として某中納言宛の鷹狩りに関する書状が取り上げられ、いかに細やかなものであり、いかにマニアのこだわりを見せているかが説明されていました。三成は吏僚派という一般的なイメージと違って、鷹狩りが好きで、アウトドア派であったこと、この中納言は、くだけた内容の文面から、上杉景勝などではなく、織田秀信でなかったということ、書状の最後に、貸した鷹を用が済んだ鷹を返してくれと述べ、そのことについて、「(いったん渡したものをまた返せ、というのは我ながら)おかしなことですが」と言っていることに、性格の素直さがあらわれていることなどが述べられていました。この書状も中井氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でも取り上げられています。
 「起請文」などの公的な文書でも、三成が関わっていると文面が長くなることについては、矢部健太郎氏の「秀次事件と血判起請文・『掟書』の諸問題」(『消された秀吉の真実』【柏書房】所載)でも指摘されています。この点については、以前にも拙ブログで記しました。
 三成の「果断」さについて、行政における実行の速さが挙げられ、具体例として、惣無事令と博多復興のことが挙げられてきました。私的な戦いをやめさせるという惣無事令を徹底するためには、三成が取次を務める上杉氏、真田氏に対しても、不利な裁定も辞せず、原則を堅持したこと、博多復興については、太閤町割を行って、経済活動を活発にするために、町人中心の法令を整備し、逆に武士の権限を制約し、楽市楽座や、税を免除するなどの政策をおこなったと説明されていました。
 三成の「果断さ」については、「軍事において単身敵地に乗り込む豪胆さ」も取り上げられ、具体的には九州攻めの際、秀吉に降伏せず城にたてこもる新納忠元、北郷忠虎に対して説得に赴いたことが挙げられていました。このうち、新納がたてこもった大口城跡へは今回の九州旅行で初めて訪ねました。
  

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