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zoom RSS 三成の実像2251 「特別研究集会」34 乗岡氏「宇喜多秀家の備前岡山城」4 広島城と金箔瓦の共通性

<<   作成日時 : 2018/04/23 10:47   >>

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写真は岡山城の本段東側の高石垣を2014年の9月に撮ったものです。説明掲示板には次のように記されています。
 「宇喜多秀家が慶長2年(1597)までに築いた石垣で、加工を施さない自然石を用いている。隅角は岩盤の高まりに載っているが、西寄りでは石垣の基底が3メートル近くも埋まっていて、本来の高さは15.6メートルもある。関ヶ原合戦以前の石垣として全国屈指の高さである」と。
  さて、「織豊期城郭研究会in佐和山 特別研究集会」の乗岡実氏の報告「宇喜多秀家の備前岡山城」の中で、
金箔瓦が秀家と同じ大老であった毛利輝元の城である広島城でも使われており、両城の共通性として、本丸以外の城門・櫓、二の丸や三之曲輪にあった建物でも金箔が掲げられていた可能性が高いことが指摘されていました。
 もっとも、岡山城の金箔瓦でコビキ痕があるのはコビキAであるのに対して、同じ時期に改修された広島城の金箔瓦はコビキBのものも含まれており、B技法の導入年代が岡山城より早かったと判断できると説明されていました。
 秀吉の城である大坂城、聚楽第、伏見城にはむろん金箔瓦が使われていますし、一族の城である秀長の大和郡山城や秀次の八幡城でも使われています。秀家も、秀吉の養女である豪姫の婿ですから、一族同様の扱いを受けており、金箔瓦の使用が許されていたのでしょう。金箔瓦は、真田昌幸の城である上田城でも使われていますが、秀吉は最初は昌幸を「表裏比興の者」として警戒心を持ちながら、次第に信頼感を持っていたのかもしれませんし信濃の抑えとしての上田城の重要性を認識していたからかもしれません。息子の信繁(幸村)が秀吉の近臣として取り立てられていたことと関係あるのかもしれません。
 乗岡氏の報告では、秀家期の岡山城本丸と秀吉期の大坂城本丸が相似性を持つことについて次のように説明されていました。
 すなわち、「岡山城と大坂城の本丸は単に曲輪の形や石垣の走行だけでなく、建物配置、曲輪間の接合関係、通路の設定、曲輪の機能や軍事的コンセプトに至るまでが、相似性を持つといえ、聚楽第と毛利輝元の広島城にみられる相似性(聚楽第型)と対峙する類型(大坂城型)といえる」(特別研究集会資料衆)と。
 大坂城型は三段構成になっており、本丸は巨大な堀で囲まれ、内部は上下二段、堀を介して西側にさらに低い曲輪を設けた構造で、岡山城も全く同じです。
  

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