関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2288 番組「偉人たちの健康診断 石田三成」1 三献茶の科学的分析

<<   作成日時 : 2018/05/31 12:47   >>

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 NHKで「偉人たちの健康診断 石田三成」が放送されました。三成に関する逸話をもとに、それに科学的分析が加えられており、興味深い内容でした。もっとも、あくまで逸話に基づいたものが中心であり、一次史料に書かれていることはあまり出てきていませんでしたから、どこまで信憑性があるか疑問な点はありますが。
 最後は三成が善政を敷いていたことを示すものとして、成菩提院に残る領国に出していた十三ヶ状の掟書が取り上げられ、江戸時代も領民に慕われていたことを示すものとして、仙琳寺に残る、三成の居城だった佐和山城跡に三成の菩提を弔うためにひそかに置かれていた石田地蔵が紹介されていました。また関ヶ原の戦いの後、佐和山城に入った家康方軍勢が何の財宝も残されていなかったことを見て、三成は蓄財しておらずすべてを秀吉のため、国のため使っていたことを知ったという話も紹介され、三成の人となりが明らかにされていましたが、これらについては後述します。
 まず番組では、秀吉に取り立てられたきっかけとなったとされる三献茶の話が取り上げられていました。これは江戸時代に書かれた説話集「砕玉話(さいぎょくわ)」に載っている話であり、本当の話かどうかわかりませんが、今ではドラマや映画(岡田准一さん主演の映画「関ヶ原」でも出てきていました)でもよく取り上げられており、一般的によく知られた話です。この説によると、三成が秀吉に仕えたのは、秀吉が長浜城主になった十五歳の時になりますが、三成が仕官したのは十八歳という説もあります。このことについて、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)で次のように指摘されています。
 「寿聖院に伝わる石田氏の過去帳『霊牌(れいはい)日鑑』では、三成が秀吉に仕えたのは十八歳の時となり、この逸話自体が成立しない」と。
 そういうことはともかく、番組では、三成が秀吉に最初に出したとされるぬるめのお茶、次に出したやや熱めのお茶、最後に出した熱い茶の出し方に、科学的な根拠があることが明らかにされていました。
 四十度ぐらいのぬるめのお茶には、リラックス効果が期待できるテアニンが多く抽出されるため、鷹狩りで疲れた秀吉の体をリラックスさせたこと。それよりやや熱い五十度から六十度のお茶には、活性酸素を無毒化する働きがあり疲労回復効果が高まるカテキンが多く出るため、秀吉の疲労も回復したと考えられること。八十度以上の熱いお茶には、覚醒効果があるカフェインがどっと出てくるため、秀吉の頭がすっきりしたと思われること。
 こういう解説は日本茶の研究者の大森正司氏によってなされていました。番組では、お茶には温度の違いで異なる効果があることを三成は経験的に知っていたのではないかと説明されていました。

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